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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: アカメノコバチ
第20章 王立学院五年 三学期

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第509話 婚約の証

 ハーウェイ侯爵家の王都邸へ近づくにつれて、少しずつ歩く速度が落ちていた。


「……緊張してるな」


「ピー?」


「はい。たぶん」


 そう答えてから、思わず笑う。


「ピコに敬語を使ってどうするんだ」


「ピー」


 肩に乗ったピコが、不思議そうに俺の顔を覗き込んだ。


 ハーウェイ侯爵とは、これまで何度も話してきた。


 侯爵夫人とも文化祭で会っている。


 それでも今日は違う。


 これから正式に、ミラと婚約する。


 そう考えるだけで、胸のあたりが妙に落ち着かなかった。


 服の上から、小さな箱の位置を確かめる。


 ある。


「よし。行こう」


「ピー!」


 今度こそ足を進めた。


 ハーウェイ侯爵家の王都邸は、大通りから一本入った場所に建っていた。


 高い塀の向こうに、淡い灰色の石造りの建物が見える。


 華美な装飾を並べて威圧するような屋敷ではない。


 けれど、門柱に刻まれた家紋や、綺麗に手入れされた庭、門の前に立つ衛兵を見れば、大貴族の邸宅だということはすぐに分かった。


「リオン・ハルです」


 門番へ名乗る。


「お待ちしておりました」


 すぐに中へ通された。


 玄関へ向かって歩いていると、見覚えのある顔がいくつか見えた。


「リオン様」


「あ、ノル」


 ノルをはじめ、ハル領から来た兵たちだ。


 父上と母上は昨日のうちに王都へ入っている。


 もちろん二人だけで来たわけではない。


 護衛としてノルをはじめとする数名の兵が付き、道中の世話をする使用人たちも同行していた。


 父上の体調もあるため、余裕を持った日程で王都へ来たらしい。


「道中、問題はありませんでしたか?」


「はい。旦那様も奥様も、お変わりありません」


「よかったです」


 ノルの視線が俺の肩へ向く。


「ピコも一緒でしたか」


「ピー!」


「今日も元気ですな」


 ピコは得意そうに体を大きくした。


「父上たちは?」


「すでに中でお待ちです」


「分かりました。ありがとうございます」


 ノルたちに軽く頭を下げ、屋敷へ入った。


 案内された部屋には、父上と母上がいた。


「父上、母上」


「リオン」


 母上が俺を見る。


 すぐに少し眉を寄せた。


「……あなた、少し疲れていませんか?」


「そう見えますか?」


「顔に出ていますよ」


「少し寝不足なだけです」


「今日のような日の前くらい、きちんと休んでおきなさい」


「昨日は少し、やることがあって」


「何をしていたのですか?」


「それは……」


 言えない。


 まだミラにも見せていないんだから。


「あとで話します」


「そうですか」


 母上は納得していない顔をしていたけれど、それ以上は聞かなかった。


 父上が俺を見る。


「緊張しているか?」


「少ししています」


「そうか」


「父上は、緊張していないのですか?」


「ハハハ、自分が婚約するわけではないからな」


「それはそうですけど」


 父上が小さく笑う。


「それくらい緊張している方がいい。何も感じない方が心配だ」


「……そうですね」


「ピー」


 ピコまで同意するように鳴いた。


 ◇


 しばらくすると、扉が開いた。


「お待たせしました」


 最初に入ってきたのはハーウェイ侯爵。


 その隣に侯爵夫人。


 俺たちは立ち上がった。


 そして、その後ろから――。


 ミラが入ってきた。


「ピー!」


 俺より先に、肩のピコが嬉しそうに鳴いた。


「ピコ」


 ミラが笑う。


「今日はリオンと一緒なんだね」


「ピー!」


 その笑顔を見たところで、俺は言葉を失った。


 いつもの制服ではない。


 深い青緑を基調にしたドレス。


 派手な飾りをいくつも重ねているわけではないのに、袖口や裾へ細く施された銀糸の刺繍が、身体を動かすたびに冬の光を柔らかく返している。


 赤みを帯びた栗色の髪も、今日はいつもより丁寧に整えられていた。


 ゆるやかにまとめられた髪の一部が肩へ落ち、窓から差し込む淡い陽射しを受けて、ところどころ銅色に輝いている。


 顔を上げる。


 明るい琥珀色の瞳と目が合った。


 学院で何百回も見てきた顔だ。


 一緒に授業を受けて、研究をして。


 笑ったり、言い合ったり。


 ついこの前だって、工房まで昼食を持ってきてくれた。


 それなのに今日は、まるで初めて見るみたいだった。


 綺麗だ。


 そう思った瞬間、胸の奥へようやく実感が落ちてきた。


 ――今日、俺はミラと婚約するんだ。


「リオン?」


「あ」


 ミラが少しだけ首を傾げる。


「どうしたの?」


「いや……」


 一瞬、言うか迷った。


 でも、こういうところで黙っているから俺は駄目なんだろう。


「すごく綺麗だなと思って」


「……え?」


 ミラの目が大きくなる。


 次の瞬間、頬がふっと赤くなった。


「急に言うの、ずるくない?」


「ごめん」


「謝らなくていいけど……」


 ミラは視線を逸らした。


 それでも口元は少し笑っている。


 母上を見ると、楽しそうにこちらを見ていた。


 侯爵夫人も娘を見ながら柔らかく微笑んでいる。


「では、そろそろ座ろうか」


 ハーウェイ侯爵の声で、ようやく本題に入ることになった。


 ◇


 大きな机を挟み、両家が席につく。


 ハーウェイ侯爵夫妻。


 父上と母上。


 そして、俺とミラ。


 ピコは俺の椅子の背にとまり、珍しく大人しくしていた。


 机の上には、両家で用意した婚約の書面が置かれている。


「まず、改めて確認しておきたい」


 ハーウェイ侯爵が口を開く。


「今回の婚約について、ハーウェイ家から無理に話を進めるつもりはない。何より大切なのは、二人がそれを望んでいることだ」


 侯爵がミラを見る。


「ミラ」


「はい」


「リオン・ハル殿との婚約を望んでいる。それで間違いないな?」


 ミラは一度だけ俺を見た。


 ほんの一瞬、目が合う。


 それから父親へ向き直った。


「はい。私が望んでいます」


 迷いのない声だった。


「分かった」


 今度は父上が俺を見る。


「リオン」


「はい」


「お前も同じか?」


「はい」


 一度だけ息を吸う。


「自分も、ミラと婚約したいです」


 父上は静かに頷いた。


 それからハーウェイ侯爵へ向き直る。


「ハーウェイ侯爵。ハル家としても、二人の婚約に異存はありません」


「ありがとうございます」


 ハーウェイ侯爵も父上へ頭を下げた。


「こちらこそ、娘をよろしくお願いします」


「はい」


 俺も頭を下げる。


「必ず大切にします」


 隣で、ミラが少し照れたように笑った。


 両家では、すでに大まかな話は済んでいる。


 結婚の時期。


 その後どこで暮らすのか。


 そして学院を卒業したあと、俺がどこで、どういう立場になるのか。


 そうした細かなことは、これから状況を見ながら改めて相談して決める。


 今日一番大切なのは一つだけだ。


 俺とミラが婚約する。


 そのことを、両家が正式に認める。


 書面へ目を通す。


 ハーウェイ侯爵、父上。


 そして俺とミラ。


 それぞれが署名をし、最後に両家の印が押された。


 小さな音だった。


 ただ紙に印章が押されただけ。


 それなのに、その音が妙に耳へ残った。


「これで」


 ハーウェイ侯爵が書面を確認する。


「リオン・ハル殿とミラ・ハーウェイの婚約は、両家によって正式に認められた」


 ミラを見る。


 ちょうどミラも俺を見ていた。


 目が合う。


 どちらからともなく笑った。


 ようやく、本当に婚約した。


 少し前まで、ミラの気持ちにも気づかずにいた俺が。


 長かったな……本当に。


「それでは――」


「あの…」


 ハーウェイ侯爵が顔を上げる。


「ん?どうした?」


「最後に、ミラへ渡したいものがあります」


「私に?」


 ミラが目を瞬かせた。


「うん」


 胸元へ手を入れる。


 一週間、完成するところをずっと想像してきた小さな箱。


 いざ取り出すと、急に緊張した。


 机の上へ置く。


 椅子の背にいたピコも、何だろうというように首を伸ばした。


「ピー?」


「ピコも見るのは初めてかな?何なの、リオン?」


 ミラが箱と俺を交互に見る。


「開けるよ」


「うん」


 蓋を開いた。


 部屋が、ほんの少しだけ静かになった。


 銀の指輪。


 その中央に、一粒のダイヤモンド。


 窓から差し込む冬の陽射しが石へ触れ、透明な奥から細い光が返ってくる。


「……指輪?」


 ミラが呟いた。


「うん」


 ハーウェイ侯爵も少し身を乗り出した。


「これは……ダイヤモンドか」


「はい」


「随分と良い石だな」


「そうなの?」


 ミラが驚いて父親を見る。


「かなりな」


「……」


 ミラがもう一度、指輪を見る。


 俺は小箱からそれを取り出した。


「婚約したっていうことを、言葉だけじゃなくて、何か形に残したかったんだ」


「形に?」


「うん」


 手の中の銀の輪を見る。


「これから先、毎日ずっと一緒にいられるわけじゃないと思う」


 学院を卒業したあと、俺は領に戻ろうと思う。


 でも、もしかしたら別の土地で仕事をすることになるかもしれない。


「だから、俺がそばにいない時でも、これを見たら思い出してほしいんだ」


 ミラは何も言わずに聞いていた。


「今日、俺がミラと一緒に生きていきたいって決めたことを」


 口にすると、さすがに少し恥ずかしい。


 でも今日は最後まで言いたかった。


「その証になるものを、ミラに渡したかった」


 ミラの目を見る。


「俺からの婚約の証として、受け取ってほしい」


「……」


 ミラはしばらく何も言わなかった。


 琥珀色の瞳が、俺の手の中にある指輪を見つめている。


 やがて、ゆっくり顔を上げた。


「これ……リオンが選んでくれたの?」


「ダイヤは俺が選んだよ」


「じゃあ、指輪は?」


「職人さんに教えてもらいながら、俺が作った」


 ミラの表情が止まった。


「……リオンが?」


「うん」


「自分で?」


「石を留めるところだけは職人さんにお願いしたけど、それ以外は教えてもらいながら作った」


 ミラが自分の左手を見る。


 その瞬間、何かに気づいたらしい。


「もしかして……この前の紐」


「あ」


「薬指に巻いてたのって」


「指輪の大きさを測ってた」


「……」


「黙っててごめん」


「じゃあ、最近ずっと寝不足だったのも?」


「放課後にベルン工房で暖房の研究をして、そのあと宝飾工房へ行ってたから……」


「毎日?」


「うん」


 ミラの唇が、わずかに震えた。


 笑ったのかと思った。


 でも違った。


 琥珀色の瞳が潤み、見る間に涙がたまっていく。


「ミラ?」


「もう……」


 小さく息を吐く。


「本当に、何してるの」


「ごめん」


「謝ってほしいんじゃないよ」


 笑おうとしている。


 でも声が震えていた。


「こんなの……嬉しいに決まってるでしょ」


 一滴。


 目尻から涙がこぼれた。


 ミラは慌てて指で拭う。


「ごめん。泣くつもりじゃなかったのに」


「謝らなくていいよ」


「だって、こんなの知らなかったし……」


 もう一度、指輪へ視線を落とす。


「一週間もかけて、私のために自分で作ってくれたなんて」


 そして俺を見る。


「すごく嬉しい」


 その言葉を聞いた瞬間。


 一週間の寝不足なんて、どうでもよくなった。


 ふと、その向こうで侯爵夫人が顔を伏せた。


 目元へそっとハンカチを当てている。


「あなた?」


 ハーウェイ侯爵が公爵夫人を見る。


「ごめんなさい」


 侯爵夫人は涙を拭うと、娘を見た。


 その表情は笑っているのに、目にはまだ涙が残っている。


「だって……あんなに嬉しそうな顔をしているんですもの」


「お母様……」


「よかったわね、ミラ」


「……はい」


 ミラの目から、また涙が一滴こぼれた。


 侯爵夫人はそれ以上何も言わなかった。


 ただ、娘を見る目がとても優しかった。


 母上も隣で静かに微笑んでいる。


 その目元が少しだけ潤んでいるように見えた。


「つけてもいい?」


 俺が尋ねると、ミラはもう一度目元を拭った。


「……うん」


 ミラは左手を差し出す。


 指先がほんの少し震えていた。


 たぶん、俺の手も同じだった。


 その手を取る。


 銀の指輪を持ち、ゆっくりと薬指へ通していく。


 一瞬だけ、途中で止まったらどうしようという不安がよぎった。


 でも指輪は、そのまま滑るように収まった。


「……ぴったり」


 ミラが小さく呟く。


 白く磨かれた銀の輪が、細い薬指に静かに収まっていた。


 中央のダイヤモンドが窓辺の光を拾う。


 一瞬だけ、白い光が弾けた。


 その光が、涙の残る琥珀色の瞳の中で小さく揺れる。


 まるで冬の陽射しを、一粒だけそこへ閉じ込めたみたいだった。


 綺麗だと思った。


 指輪が、じゃない。


 それを見つめているミラの顔が。


 ミラは声も出さずに、何度も左手を傾けていた。


 指輪を見る。


 俺を見る。


 また指輪を見る。


 それから、泣いたばかりの顔で笑った。


「……本当に私のなんだよね?」


「もちろん」


「ずっと?」


「そうだよ。そのつもりで作った」


「そっか」


 ミラが左手を胸元へ寄せる。


 壊れ物でも抱えるみたいに、大切そうに右手で包んだ。


「ずっと大事にするね」


「うん」


「今日のことも、この指輪も」


 声は小さかった。


 でも、今日聞いたどの言葉よりも強く感じた。


「ピー」


 ピコが静かに鳴く。


 ミラが目元を拭いながら笑った。


「ピコにも見せてあげる」


「ピー!」


 ミラが左手を近づけると、ピコが首を伸ばして指輪を覗き込んだ。


「どう?」


「ピー!」


「気に入ったみたいだね」


「ピコがつけるわけじゃないけど」


「もう。そういうことじゃないでしょ」


 思わず二人で笑った。


 張りつめていた部屋の空気も、少しだけ柔らかくなる。


「婚約の証に指輪……」


 侯爵夫人が、もう一度ミラの左手を見る。


「とても素敵だと思います」


「ありがとうございます」


 ハーウェイ侯爵も頷いた。


「私も初めて見たが」


 そう言って娘を見る。


「これだけ喜んでいるなら、それ以上の理由はいらないだろう」


「はい」


 ミラはまだ嬉しそうに指輪を見つめていた。


 ◇


 両家の話がすべて終わったあと。


 少しだけ時間をもらい、俺とミラはピコを連れて、中庭の見える廊下を歩いていた。


 冬の庭には花がほとんどない。


 葉を落とした木々の向こうから、傾き始めた陽が差し込んでいる。


 ミラは歩きながら、また左手を見る。


「……ミラ」


「何?」


「さっきから何回見てるの?」


「いいでしょ」


「別に駄目じゃないけど」


「見るよ」


 ミラが立ち止まる。


 そして左手を少し持ち上げた。


「だって、リオンが作ってくれたんだよ?」


「まあ、そうだけど」


「しかも私のためだけに」


「うん」


「だったら見るに決まってるでしょ」


「そっか」


「うん」


「ピー!」


「ピコもそう思う?」


「ピー!」


「ほら」


「ピコはたぶん、指輪が光ってるのが気になるだけだと思うけど」


「そんなことないもんね」


「ピー!」


 二人で笑った。


 また歩き始める。


 しばらくして、ミラが小さな声で言った。


「ねえ、リオン」


「何?」


「ありがとう」


「さっきも聞いたよ」


「何回でも言うよ」


「じゃあ、どういたしまして」


 ミラが笑う。


 少しだけ目元は赤いままだった。


「私、今日のこと絶対忘れないから」


 窓から入った夕方の光が、左手のダイヤを静かに照らす。


「俺も忘れないよ」


 今日からミラ・ハーウェイは、俺の恋人ではなく――。


 正式な婚約者になった。



最後まで読んでいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
まだ幼い時の指輪…。 歳を重ねて、サイズが入らなくなったら、ネックレスコースかな?それともリオンがサイズ合わせするのかな…どちらもいい 笑
よかったです〜ーーーー!! リオンよくやった! ミラ、ほんとに良かった(涙) この一連の幸せストーリー、当面リピートして読んでしまいます!
2026/09/10 08:01 ブーランジェリーねや
リア充爆発しろ! …ってもしかして、あの『一つの熱源で、離れた場所を暖める方法』で大爆発起こすフラグか?
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