第508話 一生に一度だから
新連載スタート!
《剣聖》になった弟に家を追い出された俺のスキルは《会員》でした
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お手すきの際に是非!
ミラが工房へ昼食を持ってきてくれた翌日。
放課後になると、いつものようにピコを連れてベルン金工房へ向かった。
「ここ、昨日より少し上げてみます?」
「そうですね。その方が流れやすいかもしれません」
ルッツと図面を見ながら、昨日の続きを始める。
接合部を変えた。
管の位置も変えた。
水を入れて、漏れがないか確認する。
火を入れるのはそのあとだ。
少しずつだけど、最初に学院で作ったものよりはまともな形になってきている。
「よし。じゃあ――」
そこで、ふと思った。
何かを忘れている。
かなり大事なことだった気がする。
「どうしました?」
「……ちょっと待って」
今日は何日だ。
頭の中で数える。
正式に婚約する日まで、あと一週間。
ハーウェイ侯爵夫妻が王都へ来る。
父さんと母さんも王都へ来る。
両家で話をして、俺とミラの婚約を正式に決める。
そこまでは分かっていた。
なのに。
「……指輪」
「指輪?」
ルッツが手を止める。
「うん」
前世では、婚約するときに指輪を贈るのが珍しくなかった。
特にダイヤモンドの指輪。
結婚したことのない俺でも、そのくらいは知っている。
でも。
この世界へ来てから、婚約した相手に指輪を贈るという話を聞いたことがない。
学院でも、貴族の話でも、婚約の話はいくらでも聞いてきたのに、指輪の話は一度もなかった。
たぶん、そういう習慣自体がないんだろう。
だったら、用意しなくても何の問題もない。
でも――。
それでいいのかな。
婚約する日。
ミラと俺が、これから一緒に歩いていくことを正式に決める日だ。
何か形に残るものを渡したい。
ミラがそれを見たときに、婚約した時のことを思い出せるようなものを。
「オスカーさん」
工房の奥にいたオスカーが顔を上げる。
「何だ」
「指輪を作ってくれる店、知りませんか?」
「指輪?」
「はい」
「誰にやるんだ?」
「婚約する相手です」
オスカーの眉が動いた。
「婚約に指輪?」
「やっぱり、そういうのはないですか?」
「聞いたことねえな」
「ですよね」
やっぱりそうか。
「何で婚約するのに指輪なんだ?」
「俺の知っているところでは、そういう習慣があったんです」
「変わった習慣だな」
「そうかもしれません」
この世界では普通じゃない。
でも、それでやめようとは思わなかった。
「俺は渡したいんです」
オスカーが俺を見る。
「一週間後に?」
「はい」
オスカーが黙った。
俺の前にある温水暖房の試作装置を見る。
もう一度俺を見る。
「今まで何してた」
「……これです」
「だろうな」
否定できない。
「うちは宝石は扱わんぞ」
「やっぱりそうですよね」
「だが、知ってる店はある」
「本当ですか?」
「昔から仕事を回し合ってる宝飾工房がある。腕はいい」
オスカーは紙に何かを書くと、俺へ差し出した。
「これを持っていけ」
「ありがとうございます」
「今日はこっちはどうする?」
試作装置を見る。
本当なら続きをやりたい。
でも婚約までは一週間しかない。
「できるところまでやります」
「そっちもやるのか」
「はい」
オスカーが小さく息を吐いた。
◇
日が落ちる少し前までルッツと作業を続け、それからオスカーに教えてもらった宝飾工房へ向かった。
ベルン金工房から歩いてそれほど遠くない。
大通りへ出て、商店が並ぶ一角を抜ける。
やがて、小さな宝石を模した看板が見えてきた。
《ローデル宝飾工房》
店へ入ると、ベルン金工房とはまるで雰囲気が違った。
静かだ。
棚には指輪や首飾りが並び、その一つ一つが小さいのに妙に目を引く。
「いらっしゃいませ」
奥から四十代くらいの男が出てきた。
「ベルン金工房のオスカーさんに紹介してもらいました」
渡された紙を見せる。
「オスカーから?」
男が受け取って目を通す。
「指輪を作りたいそうですね」
「はい」
「贈り物ですか?」
「婚約する相手に渡したくて」
「婚約?」
「はい。一週間後です」
男が少し不思議そうな顔をする。
「婚約の贈り物として、指輪を?」
「そうです」
「珍しいですね。少なくとも私は、婚約の決まりとして指輪を贈る話は聞いたことがありません」
「やっぱりそうなんですね」
「何か理由が?」
「俺の知っているところでは、婚約した相手に指輪を贈る習慣があったんです」
「なるほど」
男は興味深そうに頷いた。
「それをこちらでも?」
「決まりにしたいわけじゃありません」
俺は並んでいる指輪を見る。
「ただ、俺が渡したいんです」
「そういうことでしたか」
「一週間でできますか?」
「石と意匠次第ですね。こちらへどうぞ」
奥の机へ案内された。
いくつかの指輪や宝石を見せてもらう。
金。
銀。
赤や青や緑の宝石。
どれも綺麗だった。
でも、俺の目は別の石で止まった。
透明な石。
小さいのに、光を受けると鋭く輝く。
「これは……」
「ダイヤモンドです」
やっぱり。
前世で婚約指輪といえば、真っ先に思い浮かんだ石だ。
「見せてもらえますか?」
「もちろんです」
男はいくつかのダイヤモンドを出してくれた。
前世でよく見たものほど細かく面が取られてはいない。
尖った形を残したものも多い。
それでも、透明な石の中から返ってくる光は強かった。
「こちらは傷が少なく、特に透明度の高いものです」
一つの石が置かれる。
さっきまでのものより少し大きい。
光へ向けると、思わず見入ってしまった。
ミラに似合うと思った。
「これ、いくらですか?」
金額を聞いた。
「……え?」
聞き間違えたかと思った。
もう一度聞いた。
同じだった。
高い。
とんでもなく高い。
これまで冒険者として稼いだ報酬。
学院へ入ってから自分で得た金。
細かなものも含めて、ほとんど使わずに残してきた。
俺は前世から、稼ぐこと自体は好きだったけど、使う方にはあまり興味がなかった。
だからかなり貯まっている。
それでも、この石を買えば、その大半がなくなる。
「どうされますか?」
もう一度ダイヤを見る。
一生に一度だ。
「これにします」
「よろしいのですか?」
「はい」
不思議なくらい迷わなかった。
「では、この石に合う指輪を作りましょう」
「あの」
「はい」
「指輪そのものは、俺に作らせてもらえませんか?」
男の動きが止まった。
「……ご自身で?」
「はい」
「経験は?」
「ありません」
「ありませんか」
「金属加工も、ここ最近になって職人の仕事を近くで見るようになったくらいです」
男は俺を見る。
明らかに困っている。
「一週間後なんですよね?」
「はい」
「普通なら、お勧めしません」
「分かっています」
高い金を払って、完成品を買えば早い。
その方が綺麗なものもできるだろう。
失敗する可能性だって低い。
でも。
「一生に一度のことだから、お金を出して終わりにはしたくないんです」
「……」
「全部一人で作らせてほしいとは言いません。教えてください。俺にできないところはお願いします」
男が少し考える。
「石を留めるところも?」
「そこはお願いします。俺が触るべきところじゃないと思います」
この石で失敗するわけにはいかない。
男が少し笑った。
「分かりました」
「いいんですか?」
「オスカーが紹介してきた相手ですから。それに、少し面白そうです」
「ありがとうございます」
「私はマティアス・ローデルです」
「リオン・ハルです。よろしくお願いします」
「おお、あなたがリオン様でしたか。お名前は聞いております」
「俺のことを?」
「ええ。まあ、その話はまた今度にしましょう。それより、まず形と大きさですね。」
マティアスが俺を見る。
「贈る相手の指の太さは分かりますか?」
「……」
分からない。
また一つ、大事なところが抜けていた。
「明日、確認してきます」
◇
翌日。
昼休み。
「ミラ」
「何?」
「ちょっと手を貸して」
「手?」
「うん。左手」
ミラが不思議そうな顔をしながら左手を差し出した。
「こう?」
「うん」
用意しておいた細い紐を取り出す。
「何するの?」
「ちょっと確認」
左手の薬指へ紐を回す。
きつくならないように合わせ、重なった位置へ印をつける。
ミラがじっと俺の手元を見る。
「……リオン」
「何?」
「これ、何の確認?」
「必要なこと」
「何に?」
「まだ秘密」
ミラが怪しそうに俺を見る。
「絶対何か隠してる」
「まあ……うん」
「え、本当に隠してるの?」
ミラが急に俺の手元と自分の薬指を見比べる。
「ど、どうしたの?」
長さをずらさないように紐を外す。
「よし」
「何がよしなの?」
「ありがとう。助かった」
「え?教えてくれないの?」
「あとちょっと待ってて」
ミラはしばらく俺を見ていたけど、最後には笑った。
「分かった。じゃあ待つ」
「うん」
その日の放課後。
ローデル宝飾工房へ行き、印をつけた紐をマティアスへ渡した。
「これです」
「直接測ってきたんですか?」
「はい」
「何も聞かれませんでした?」
「かなり聞かれました」
「でしょうね」
マティアスは紐の長さを確認し、紙へ書き留めた。
「これなら大きさを決められます」
「お願いします」
◇
そこから婚約前日まで、今まで以上に忙しい日が続いた。
朝は学院。
授業が終わればベルン金工房。
「リオン様、こっちの接合できました」
「ありがとうございます。じゃあ今日は水だけ入れて確認しましょう」
温水暖房の研究を進める。
一区切りついたら、今度はローデル宝飾工房へ向かう。
「削りすぎないでください」
「はい」
「そこはもう少しゆっくり」
「はい」
銀を形にしていく。
最初はただの素材だったものが、少しずつ輪になっていく。
削る。
整える。
また削る。
表面を磨く。
少しでも形がおかしくなれば、マティアスに止められる。
「力を入れすぎです」
「難しいですね」
「簡単なら職人はいりません」
「確かに」
夜遅くまで作業して、寮へ戻る。
宿題をして眠る。
翌朝にはまた学院。
それを毎日繰り返した。
「リオン」
ある日の昼休み。
ヴィクトルが俺の顔を覗き込んだ。
「何?」
「最近、顔ひどいぞ」
「そう?」
「寝てる?」
「寝てるよ」
「何時間?」
「……寝てる」
「答えになってない」
向かいにいたミラも心配そうに俺を見る。
「本当に大丈夫?」
「大丈夫。あと少しだから」
「工房?」
「うん。工房」
嘘ではない。
ベルンにも行っているし、ローデルにも行っている。
「無理しすぎないでね」
「分かってる」
ヴィクトルがじっと俺を見る。
何か気づいたような顔をしたけど、その場では何も言わなかった。
その日の放課後。
ベルン金工房へ向かおうとすると、ヴィクトルが横へ来た。
「お前」
「何?」
「ベルンのあと、どこ行ってる?」
一瞬止まる。
「……知ってるの?」
「何となくな」
少し迷ってから、小声で言った。
「ミラには言わないで」
ヴィクトルは数秒俺を見る。
「やっとそっちにも頭が回ったか」
「うるさいな」
「まあ、間に合わせろよ」
「うん」
◇
婚約まで、あと二日。
ローデル宝飾工房。
指輪はようやく形になってきていた。
中央にダイヤを留めるための台座。
そこから細く伸びる銀の輪。
派手すぎないようにした。
ミラなら、装飾だらけのものよりこっちの方が似合うと思った。
「ここ、もう少し削ってもいいですか?」
「ほんの少しなら」
慎重に削る。
手が震えそうになる。
「この一週間で、ずいぶん慣れましたね」
「毎日やってますから」
「普通は一週間でここまでやりません」
「ですよね」
自分でもそう思う。
でも、不思議とまだ動ける。
前世の四十五歳の身体だったら、とっくに無理だった。
徹夜なんてした翌日は、一日まともに仕事にならなかった。
今だって眠い。
さすがに疲れている。
でも、この身体は十五歳だ。
「……若いってすごいな」
「何です?」
「いえ、何でもないです」
一週間くらいなら、ぎりぎりまでいける。
もちろん倒れたら意味がない。
婚約の日に寝込んだら、何をやっているのか分からない。
だから、あと少しだけだ。
◇
婚約前日の夜。
ベルン金工房での作業を早めに切り上げ、ローデル宝飾工房へ向かった。
最後の磨きをする。
布を使って、何度も表面を整える。
「これでいいでしょう」
マティアスが言った。
「本当ですか?」
「はい。ここから先は私が石を留めます」
俺はダイヤを見る。
この作業だけは任せると最初から決めていた。
「お願いします」
「任せてください」
マティアスの手つきは、それまで俺に教えていた時とはまるで違った。
迷いがない。
小さなダイヤが銀の台座へ収まる。
何度も確認しながら固定されていく。
そして。
「できました」
机の上に、小さな指輪が置かれた。
「……」
言葉が出なかった。
銀の輪。
中央で光るダイヤモンド。
店に並んでいた指輪と比べれば、俺が削った部分には、職人なら気づく程度の粗さがあるのかもしれない。
それでも。
「どうです?」
「これがいいです」
即答した。
完璧な指輪を買うより、こっちの方がいい。
「本当に、よく最後までやりましたね」
「マティアスさんが教えてくれたからです」
「私は横から口を出しただけですよ」
マティアスが完成した指輪を見る。
「それにしても、婚約する相手へ指輪ですか」
「変ですか?」
「見慣れないだけです」
少し笑う。
「悪くないと思いますよ」
「ありがとうございます」
「もし喜んでもらえたら、教えてください」
「はい」
マティアスが指輪を小さな箱へ入れる。
「大切になさってください」
「もちろんです」
お金を支払って店を出た時には、王都の夜もかなり深くなっていた。
寮まで歩く。
箱を何度も確認したくなる。
でも落としたら怖いので、途中から触るのをやめた。
部屋へ戻る。
「ピィ」
「ただいま」
ピコがベッドの上から飛んでくる。
「できたよ」
箱を開けて見せる。
ダイヤが灯りを受けて、小さく光った。
「どうかな」
「ピィ!」
「そっか」
いいということにしておこう。
その日はベッドへ入った途端、ほとんど記憶がなくなった。
◇
翌朝。
目を覚まして、しばらく天井を見る。
「……今日か」
正式な婚約の日。
起き上がる。
身体が重い。
鏡を見ると、少し疲れた顔をしていた。
「これは……まずいな」
「ピィ」
「分かってるよ」
顔を洗う。
髪を整える。
今日は学院の制服ではなく、用意してあった正装へ着替えた。
最後に、小さな箱を開ける。
指輪はちゃんと入っている。
この世界では、婚約するときに指輪を渡す習慣はない。
だから、今日これを渡さなくても誰にも何も言われない。
でも、俺が渡したい。
それだけで十分だ。
「よし」
箱を大切にしまう。
父さんと母さんとは、ハーウェイ侯爵家の王都邸で合流することになっている。
時間にはまだ余裕があった。
外へ出る。
「歩いていこうか」
「ピィ!」
ピコと一緒に王都の道を歩く。
何度も通った街なのに、今日は少し違って見えた。
婚約すると決めた時より、緊張しているかもしれない。
歩きながら、服の上から指輪の箱がある場所を一度だけ確かめる。
一週間。
学院へ通って、ベルン金工房へ通って、そのあと毎晩ローデル宝飾工房へ通った。
今まで自分で稼いできた金の大半も使った。
でも、不思議と惜しいとは思わない。
やがて、ハーウェイ侯爵家の王都邸が見えてきた。
足を止める。
「……行こう」
今日、ミラと正式に婚約する。
俺はもう一度だけ指輪の箱を確かめて、屋敷へ向かって歩き出した。
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