第505話 三学期が始まる
翌朝。
制服に着替えた俺は、机の上に置いてある鞄の中身をもう一度確認した。
教科書。
筆記具。
そして昨日終わらせた冬休みの課題。
「……よし。全部ある」
「ピー」
ベッドの上にいたピコが鳴いた。
「じゃあ、行こうか」
「ピー!」
鞄を持って部屋を出る。
今日から三学期。
卒業式は三月中旬に行われる予定だから、王立学院で過ごす時間も残り一か月半ほどしかない。
そう考えると、今までとは少し違った気持ちで廊下を歩いた。
◇
教室へ入ると、すでに何人か来ていた。
「おう、リオン」
最初に声をかけてきたのはヴィクトルだった。
「おはよう」
「宿題、持ってきたか?」
「昨日のことはもう忘れてよ」
「無理だな」
ヴィクトルが笑う。
「リオン!」
教室の奥から大きな声が聞こえる。
ガイルだ。
「おはよう、ガイル」
「久しぶりだな!」
「久しぶり」
「ちゃんと剣術の訓練はしてきたか?」
相変わらず元気だ。
冬休み前と何も変わっていない。
いや。
気のせいかもしれないけど、また少し身体が大きくなったような気もする。
「ガイル、また大きくなった?」
「分からん!」
「やっぱり自分じゃ分からないか」
話している間にも、次々とクラスメイトが入ってくる。
クラウス。
エドガー。
セレナ。
ナディア。
フィーネ。
毎日のように顔を合わせていた人たちなのに、しばらく離れていると少し懐かしい。
「おはよう、リオン」
「おはよう、セレナ」
「冬休みはどうだった?」
「かなり色々あったよ」
「グレイヴ領にも行ってたんでしょう?」
「うん」
「それだけで済む冬休みじゃないわね」
「まあね」
詳しい話をし始めたら長くなる。
まぁ、あとで話す機会もあるだろう。
「フィーネもおはよう」
「おはようございます」
そこで、以前から気になっていたことを思い出した。
「そういえば、政務官試験の結果ってどうなったの?」
「あ」
フィーネが少しだけ目を見開く。
「冬休みに入ってすぐ、家に知らせが届きました」
「本当?」
「はい」
一度、小さく息を吸ったあと、フィーネが笑った。
「合格していました」
「本当!? おめでとう!」
「ありがとうございます」
思ったより大きな声が出たらしい。
近くにいたセレナたちもこちらを見る。
「フィーネ、受かったの?」
「はい」
「おめでとう」
「ありがとうございます」
エドガーやナディアも祝福する。
フィーネは少し照れくさそうにしながら、何度も頭を下げていた。
王宮政務官。
フィーネがずっと目指してきた仕事だ。
五年Sクラスでも上位に入るまで努力して、その上で政務官試験まで突破した。
「すごいな」
「まだ実感がなくて」
「でも、合格は合格でしょ」
「はい」
フィーネが嬉しそうに笑った。
その時、教室の扉が開く。
「おはよう」
ミラだ。
「おはよう、ミラ」
「おはよう、リオン」
ミラと目が合う。
ハル領では三日間一緒に過ごした。
婚約の話までした。
なのに、制服姿で学院の教室にいるミラを見ると、なんとなく違って見える。
ミラも少し笑った。
「……何だ?」
隣からヴィクトルの声。
「何?」
「いや、別に」
ヴィクトルはニヤニヤしている。
理由は分かっている。
ヴィクトルには昨日、婚約の話をしたばかりだ。
「何かあったの?」
セレナが俺とミラを交互に見る。
「どうして?」
「なんとなく」
鋭いな。
「あとで話すよ」
「ふうん」
セレナはまだ少し疑っていたけど、それ以上は聞いてこなかった。
◇
始業の鐘が鳴る。
少しして、アデライン先生が教室へ入ってきた。
「皆さん、おはようございます」
「おはようございます」
「今日から五年三学期です」
先生が教卓へ資料を置く。
「すでに分かっていると思いますが、三学期は短いです。卒業式は三月中旬を予定しています」
教室が少し静かになる。
卒業。
改めて先生の口から聞くと、やっぱり実感が湧いてくる。
「それまで通常の授業に加えて、いくつか予定があります。先に説明しておきます」
アデライン先生が一枚目の資料を見る。
「まず、三月上旬に五年生最後の期末試験があります」
「最後か……」
誰かが小さく呟いた。
俺も同じことを思った。
一年生の時から何度も受けてきた期末試験。
それも次が最後になる。
「もちろん、卒業前だからといって簡単になるわけではありません」
「ですよね……」
今度は別のところから声が聞こえた。
先生が少し笑う。
「最後までしっかり勉強してください」
セレナを見ると、ちょうど目が合った。
フィーネも前を向いている。
二学期の期末試験ではかなり点差が小さかった。
最後の試験も簡単にはいかなそうだ。
「期末試験が終わった後には、五年生の卒業祝賀会も予定されています。舞踏会も行われます」
教室の雰囲気が少し明るくなる。
「舞踏会か」
ヴィクトルが小さく言った。
俺は無意識にミラを見る。
ミラもこっちを見た。
正式な婚約が済んでいれば、一緒に踊ることになるんだろう。
……待て。
踊る?
前世を含めても、まともに踊った記憶なんてない。
社交ダンスなんて当然やったことがない。
不安しかない。
「そして、もう一つ」
アデライン先生が教室を見渡した。
「今年は三年に一度の王都武闘大会が開催されます」
「うおおおおお!」
突然、教室に大声が響いた。
言うまでもない。
ガイルだ。
「ガイル・ベイルン君」
「はい!」
「お静かに」
「すみません!」
口では謝っているけど、顔はまったく反省していない。
むしろものすごく嬉しそうだ。
教室のあちこちから笑いが起こった。
「大会について知っている人も多いと思いますが、念のため説明します」
アデライン先生が続ける。
「王都武闘大会は三年に一度、王家主催で行われる個人武闘大会です。
参加資格は十五歳以上、二十三歳未満。王国騎士団や各領の騎士団、冒険者をはじめ、王国各地から若い実力者が集まります」
十五歳以上、二十三歳未満。
俺たちは二回飛び級している。
五年生ではあるけれど、出場者の中ではかなり若い方になるだろう。
「王立学院にも二名の出場枠が与えられています」
「二人か」
今度はガイルも小声だった。
「王立学院から出場を希望する生徒が二名を超えた場合、学院内で代表決定戦を行います。出場は任意です」
教室の空気が変わる。
セレナ。
クラウス。
エドガー。
ガイル。
戦闘に自信のある生徒たちが、それぞれ少し反応している。
「なお、代表決定戦へ参加できるのは、本大会の年齢条件を満たした王立学院在籍者です。学年やクラスは問いません」
つまり、王立学院全体から二人。
簡単な話ではなさそうだ。
「参加希望者には後ほど申込用紙を配布します」
「先生!」
ガイルが手を挙げた。
「何ですか?」
「俺、出ます!」
「申込用紙に書いて提出してください」
「はい!」
また笑いが起こる。
「リオン」
ガイルがすぐ俺を見る。
「何?」
「お前も出るだろ?」
「まだ決めてないよ」
「出よう!」
「なんでガイルが決めるの?」
「戦おう!」
「俺と戦いたいだけじゃない?」
「あぁ、そうだ!」
やっぱりそうか。
でも、少し興味はある。
冬休み中、ノルと一緒にかなり訓練した。
《縮地》も、まだ完成したとは言えないけど形にはなってきた。
ノル以外の強い相手に、どこまで通用するのか。
試してみたい気持ちはある。
王国各地から若い実力者が集まる大会なら、相手には困らないだろう。
出るかどうか、少し考えてみよう。
◇
午前の授業が終わる。
昼休みになると、いつものメンバーで食堂の一角へ集まった。
俺。
ミラ。
ヴィクトル。
エドガー。
セレナ。
ナディア。
ガイル。
クラウス。
今日は政務官試験の合格祝いも兼ねて、フィーネにも一緒に来てもらった。
「改めて、おめでとう」
セレナが言う。
「ありがとうございます」
フィーネは朝よりも少し照れている。
「王宮政務官か」
ガイルが感心したように言った。
「すごいな」
「ガイルさんにそう言われると、なんだか不思議です」
「なんでだ?」
「いえ、何でもないです」
「?」
そのまま話題は自然と王都武闘大会へ移った。
「俺は絶対出るぞ!」
ガイルがパンを食べながら言う。
「それはもう分かったよ」
ヴィクトルが呆れたように返す。
「ヴィクトルは出ないのか?」
「俺?」
「おう!」
「今のところ考えてないな。正面から戦う大会は俺向きじゃない」
「剣も使えるじゃないか」
「使えるのと、王国中の強いやつと戦いたいのは別だろ」
「そうか?」
「そうだよ」
ヴィクトルらしい。
「セレナは?」
俺が聞く。
「出てみたいわね」
「やっぱり」
「せっかく参加できる年齢なんだもの。代表になれるかは別として、代表決定戦には興味があるわ」
「俺も少し興味はあるかな」
エドガーも言う。
「クラウスは?」
俺が聞くと、クラウスが少し笑った。
「俺も出るつもりだ」
「やっぱり」
かなり激しい代表争いになりそうだ。
そんな話をしていると、ヴィクトルが俺を見る。
「そういえばリオン」
「何?」
「あれ、話さなくていいのか?」
「あれ?」
何のことかと思ったけど、すぐに分かった。
ミラを見る。
ミラもこちらを見ている。
「ああ」
「何?」
セレナがすぐに反応した。
「実は」
隠しておくようなことじゃない。
父上からハーウェイ侯爵家へ書状も出している。
向こうからも異存はないと返事が来ている。
「俺とミラ、婚約することになった」
一瞬。
みんなが止まった。
「おおおおお!」
最初に声を上げたのは、やっぱりガイルだった。
「ガイル、声大きいよ」
「すまん! でも、おめでとう!」
「ありがとう」
「おめでとう、二人とも」
エドガーが笑う。
「ありがとうございます」
ミラも少し照れながら答えた。
「おめでとうございます」
「おめでとうございます」
フィーネとナディアも続く。
クラウスも笑いながら頷いた。
「ようやくか」
「クラウスまで?」
「見ていれば分かる」
「そんなに?」
セレナは、なぜか納得したような顔をしていた。
「やっぱり」
「やっぱり?」
「朝から何か違うと思ったのよ」
「そんなに?」
「少しね」
そういうものなのかな。
「まだ正式な手続きはこれからだけどね」
ミラが言う。
「両親同士では話が進んでるの?」
「うん。両家とも反対はしてないよ」
「なら、ほとんど決まりじゃない」
セレナが笑う。
「それで」
「何?」
「どっちから言ったの?」
セレナが俺を見る。
「俺から」
「ちゃんと言ったの?」
「言ったよ」
「そこは俺も昨日確認した」
ヴィクトルが口を挟む。
「ヴィクトルまで?」
「大事だろ」
「何が?」
「リオンがちゃんと言えたかどうか」
みんなが笑う。
「そこまで信用ないの?」
「なにしろリオンだからな」
ミラまで笑っている。
まあ、仕方ないか。
ずっと待たせてしまったのは事実だ。
「改めて、おめでとう」
セレナが言う。
「ありがとう」
ミラと二人で答えた。
学院に戻ってきたんだな。
みんなと話していると、そんな実感が少しずつ戻ってきた。
◇
午後。
俺とミラ、ヴィクトルは研究コースの教室へ向かった。
教室へ入ると、暖炉にはすでに火が入っていた。
それでも冬は寒い。
特に暖炉から離れた席は、上着を着ていても少し冷える。
「皆さん、席についてください」
クラリッサ先生が教室の前へ立つ。
「三学期の研究について説明します」
生徒たちが静かになる。
「一学期は指定された課題に取り組み、二学期は数名ずつの班で自分たちの研究テーマを進めてもらいました」
俺は隣にいるミラとヴィクトルを見る。
東地区の衛生環境。
ポンプ。
安価な石鹸。
三人で始めた研究は、想像していたよりずっと大きなものになった。
「三学期は卒業研究です」
クラリッサ先生が黒板へ、
『卒業研究』
と書いた。
「今回は班ではありません。一人につき一つ、自分自身の研究テーマを決めてもらいます」
「一人か」
ヴィクトルが小さく呟く。
「三人でやらないの、少し変な感じだね」
ミラも言った。
「ずっと一緒だったからね」
俺もそう思う。
でも、最後だからこそ一人でやるというのも分かる気がした。
「研究内容は自由です。ただし、これまで研究コースで学んできたことを活かしてください」
クラリッサ先生が続ける。
「成功することだけが目的ではありません」
何人かが顔を上げた。
「何を解決したいのか。なぜその方法を選んだのか。どのような条件で試したのか。何が起きたのか。
そして、その結果から何が分かったのか。最後に一つの研究としてまとめてもらいます」
なるほど。
「テーマは数日以内に提出してください。必要な材料や設備については、内容を確認した上で学院側でも可能な範囲で用意します」
周囲の生徒たちが、それぞれ考え始める。
俺も腕を組んだ。
卒業研究。
何をやろう。
ポンプはすでに作った。
石鹸も研究した。
せっかく最後なら、今までと違うものをやってみたい。
「寒いな……」
思わず声が漏れた。
暖炉を見る。
薪はかなり燃えている。
炎も大きい。
なのに、少し離れるだけで寒い。
暖炉の近くに行けば暖かいけれど、当然そこに全員が集まるわけにもいかない。
部屋に何か所も暖炉を置く?
いや。
その分、薪も必要になる。
煙突も増やさないといけないし、火を管理する必要もある。
何か別の方法はないだろうか。
前世では、暖房があったから普通に暖かかった。
俺自身、暖房設備の詳しい構造まで知っていたわけじゃない。
でも、一つの場所で作った熱を別の場所へ運ぶ方法はあったはずだ。
熱を運ぶ。
どうやって?
ふと、暖炉の近くに置かれていた水差しを見る。
水。
水なら温められる。
その温めた水を別の場所まで運んだら?
そこで熱を放出させる。
冷えた水を戻して、また温める。
「……できるかな」
紙を一枚取り出す。
簡単な図を描いてみる。
火。
その上に水。
そこから管を伸ばして、別の部屋へ。
冷めた水をもう一度戻す。
問題はいくらでもある。
どうやって水を動かすのか。
管は何で作るのか。
途中で漏れないのか。
水を熱くしすぎたらどうなるのか。
何一つ分かっていない。
「リオン君」
顔を上げる。
クラリッサ先生が俺の机の横に立っていた。
「もう何か思いつきましたか?」
「まだ、できるかどうかも分からないんですけど」
「どんな研究です?」
俺は暖炉を見る。
「火のない部屋を暖められないか、試してみたいです」
「火のない部屋を?」
「はい」
クラリッサ先生が俺の描いた図を見る。
少しだけ首を傾げた。
当然だ。
俺自身、まだどう作ればいいのか分かっていない。
でも。
卒業研究。
最後なら、少しくらい難しいことに挑戦してもいいかもしれない。
卒業前、三学期がここから始まる。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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