第504話 三学期の前夜
王都へ戻った翌朝。
目を覚まして、しばらく天井を見ていた。
昨日までハル領にいたせいか、王立学院の寮の部屋が少し静かに感じる。
「ピー」
ベッドの横では、ピコがすでに起きていた。
「おはよう」
「ピー!」
今日は冬休み最後の日。
明日から三学期だ。
制服。
教科書。
筆記具。
提出物。
一応、確認しておこうと思って机へ向かった。
亜空間収納から必要なものを取り出し、順番に並べる。
「教科書はある。制服もある。あとは……」
一冊の冊子が目に入った。
冬休みの課題。
「……そういえば、終わってない」
「ピー?」
「宿題」
完全に忘れていたわけではない。
グレイヴ領へ行く前に、それなりには進めていた。
ただ、全部ではない。
共通総合の課題がいくつか残っている。
研究コースも、冬休み中に考えたことをまとめて提出する課題があった。
「まずいな」
締め切りは明日。
つまり今日中に終わらせれば問題ない。
問題ないんだけど。
前世では、締め切り前日になって慌てて資料を作っている社員に何度も注意した。
余裕を持って終わらせろ、と。
まさか自分が同じことをするとは思わなかった。
「言い訳すると、色々あったんだよ」
「ピー」
「グレイヴ領にも行ったし、ハル領でもやることあったし」
「ピー?」
「分かった。やります」
誰に言い訳しているんだろう。
椅子へ座り、課題を開いた。
◇
午前中はほとんど机から動かなかった。
共通総合の課題は、分からないわけではない。
量が残っているだけだ。
問題を解き、文章を書く。
途中、ピコが何度か遊びたそうに近づいてきた。
「あとでね」
「ピー……」
「ごめんね、ピコ」
少し休憩をとり午後も続きをやる。
研究コースの課題には、ポンプや低価格石鹸について、冬休み中に確認したことも書き加えた。
実際に領地へ戻ったからこそ分かったことがある。
ポンプは、もう珍しい発明品ではなくなり始めている。
領都では子どもでも普通に使っていた。
低価格石鹸も、西の森で実際に使ってもらっている。
作るだけなら学院でもできる。
でも、実際に人が使い続けられるかは別の話だ。
そういうところまで含めて、研究なんだと思う。
最後の一枚を書き終えた頃には、窓の外が少し暗くなり始めていた。
「終わった……」
「ピー!」
ピコが勢いよく跳ねる。
「遊んであげなくてごめんね」
「ピー!」
「応援してた?」
「ピー!」
「じゃあ、ありがとう」
課題をまとめ、鞄へ入れる。
これで明日の準備は大丈夫だ。
念のため、提出物をもう一度確認していると、扉が叩かれた。
「リオン、いるか?」
聞き慣れた声。
「いるよ」
扉を開ける。
ヴィクトルが立っていた。
「久しぶり」
「おう、戻ってきたか」
「うん」
「俺は今日戻ってきた」
「そうなんだ」
ヴィクトルが部屋の中を見る。
机の上には、さっきまで使っていた教材や紙が残っていた。
「何してたんだ?」
「宿題」
「今?」
「今」
ヴィクトルが少し黙る。
「お前でもそういうことあるんだな」
「今回は色々あったんだよ」
「そっか」
ヴィクトルが笑う。
「終わったなら飯でも行かないか?」
「いいね」
今日は朝からほとんど部屋にいた。
外へ出たいと思っていたところだ。
「ピコも行く?」
「ピー!」
「行くって」
「分かりやすいな」
◇
俺たちは寮を出て、王都の中心街へ向かった。
冬の夕方は暗くなるのが早い。
通りには店の灯りがつき始めている。
向かったのは、以前にも何度か来たことのあるレストランだった。
貴族向けの高級店ほど堅苦しくなく、学院生でも入りやすい。
席へ案内され、料理を注文する。
ピコは俺の足元で大人しくしていた。
「それで」
ヴィクトルが水を飲む。
「冬休み、どうだった?」
「濃かった」
「だろうな」
「グレイヴ領に行って、ハル領に戻って、冒険者の依頼やって、ミラが来て」
「ちょっと待て」
「何?」
「最後のところ、あとで聞く」
「ミラ?」
「それ以外あるか?」
「ないね」
ヴィクトルが笑う。
「先に仕事の話でいい。石鹸はどうだった?」
「ああ」
「ハル領でも使ったんだろ?」
「何人かに試してもらったけど――」
「問題は?」
「今のところ出てない。継続して使ってもらってるけど、肌が荒れたとか、使った後に異常が出たとか、そういう報告もなかった」
ヴィクトルが頷く。
「それは大きいな」
「うん。安く作れても、人が使って問題が出るなら商品にはできないからね」
「父さんもそこはかなり気にしてた」
「やっぱり?」
「当然だろ。安いからって売って、あとで問題が出たらローデン商会の信用にも関わる」
「そうだよね」
「うちでも色々と試して、ある程度の期間使って問題が出ていないから、次へ進みやすい」
「あとは同じ品質で作り続けられるかだね」
「そうだな。原料が変わるたびに出来が大きく変わるようじゃ困る」
そこは俺も考えていた。
動物脂。
灰。
水。
工程。
量を増やせば、学院で少量作っていた時とは違う問題も出るはずだ。
「西の森で工房を作るなら、作り方をできるだけ揃えたい」
「職人の勘だけに頼らない方がいいな」
「量とか時間とか、記録を残した方がいいと思ってる」
「それ、父さんに言ったら喜ぶぞ」
「今度話すよ」
ちょうど料理が運ばれてきた。
肉と野菜を煮込んだ料理。
焼いたパン。
温かいスープ。
ピコには店に確認して、味付け前の肉を少し分けてもらった。
「ピー!」
「ゆっくり食べて」
たぶん聞いていない。
◇
「ポンプの方は?」
ヴィクトルがパンをちぎりながら聞く。
「領都では普通に使われ始めてた」
「普通に?」
「子どもが取っ手を動かして、お年寄りが水を汲んでた。周りにいた人も誰も珍しそうに見てなかったよ」
「それは成功だな」
「俺もそう思った」
最初に作った時は、ちゃんと水が出るだけでも嬉しかった。
今は違う。
誰も気にしないくらい生活の中へ入っている。
そっちの方が、ずっといい。
「西の森でも工房の準備が進んでたよ」
「ローデン商会の人間も入ってるだろ?」
「うん。職人と材料や寸法の話をしてた」
「父さんからも聞いた。ある程度、形を揃えたいらしい」
「俺もその方がいいと思う」
ヴィクトルを見る。
「場所によって部品の大きさが全部違ったら、壊れた時に困るからね」
「そう。売った後に修理できない様じゃ駄目だ」
「交換する部品も揃えられるようにしたいな」
「それなら数も作りやすくなる」
こういう話になると、ヴィクトルは一気に商人の顔になる。
「石鹸もポンプも、作って終わりじゃないんだよね」
「当たり前だろ」
「分かってるよ」
「お前、たまに作るところまでで満足しそうになるからな」
「そんなことないと思うけど」
「ある」
即答された。
「そう?」
「ある」
「二回言わなくても」
ヴィクトルが笑った。
◇
食事が半分ほど進んだところで、ヴィクトルの声が少し低くなった。
「グレイヴの方は?」
「分からない」
「今も?」
「司法院が調べてるからね」
ヴィクトルも手を止める。
「何か連絡は来たんだろ?」
「ハル領には来たよ。伯爵家の帳簿と王宮から出た支援金、それから現地調査の結果を照合して、食い違いが見つかったって」
「それ以上は?」
「知らない」
誰が関わっているのか。
どこで金が消えたのか。
グレイヴ伯爵が何を話しているのか。
司法院が誰に事情を聞いているのか。
俺には分からない。
「ローデン商会には何か来てない?」
「俺は聞いてないな」
「そうなんだ」
「父さんのところに問い合わせが来てる可能性はあるけど、来てたとしても俺には話さないと思う」
「司法院の調査だもんね」
「ああ」
ヴィクトルがスープを一口飲む。
「俺たちが勝手に調べ回る段階でもないだろ」
「俺もそう思う」
以前は自分たちで調べた。
人を探した。
資料を集めた。
でも今は、正式に司法院が動いている。
俺が余計なことをする場面じゃない。
「実際、領地はどうだった?」
ヴィクトルが聞く。
「厳しかったよ」
「そんなに?」
「特に西側」
年を取った人が多い。
若い働き手が少ない。
畑も荒れている。
水路にも問題があった。
領地を回していく人手そのものが足りていない。
「ハル領とは全然違った」
「立て直せそうなのか?」
「分からない」
これは今でも変わらない。
短期間見ただけで、簡単に言えることじゃない。
「正直、何をすれば効果があるとかはっきり言えないけど」
ハル領へ戻ってからも、何度かグレイヴ領のことを思い出した。
「土地に合う作物を探すのもそうだし、その土地で外に売れるものを作る方法とかあれば良いんだけどね」
ヴィクトルが俺を見る。
「お前さ」
「何?」
「もう立て直す側の考え方してないか?」
「そう?」
「普通、視察に行って帰ってきたら『大変だった』で終わるだろ」
「そうかな」
「そこで『人が少ないならどうする』って考えるのがお前なんだよ」
言われてみれば。
問題を見ると、どうにかする方法を考えてしまう。
前世からそうだった。
「でも、俺が任されてるわけじゃないからね」
「まぁ、そうなんだけどな」
「司法院の調査もまだ終わってないし」
「ああ」
今はまだ、何も決まっていない。
俺が考えたところで、それ以上の意味はない。
◇
「で?」
料理を食べ終える頃、ヴィクトルが口元を少し上げた。
「何?」
「ミラ」
「ああ」
「ハル領に来たんだろ?」
「来たよ。二泊三日」
「どうだった?」
「楽しかった」
「それだけ?」
「西の森にも行った。学校を見て、給食を食べて、温泉にも入って」
「そういう意味じゃない」
「分かってるよ、順番に話すから」
ヴィクトルが笑う。
「それで?」
別に隠すことじゃない。
父上からハーウェイ侯爵へ正式に書状も出した。
向こうからも異存はないと返事が来ている。
「婚約することになった」
ヴィクトルの動きが止まった。
少しの間、俺を見る。
「……やっとか」
「第一声がそれ?」
「おめでとうより先に出た」
「ひどいな」
「だって、随分かかっただろ」
「まあ、それは……」
「ミラ、待ってただろ?」
「うん」
「じゃあ、やっとで合ってるじゃないか」
「反論できないな」
ヴィクトルが笑う。
「まあ、おめでとう」
「ありがとう」
「ミラならいいと思うぞ」
「俺もそう思う」
「本人の前でちゃんと言ったのか?」
「言ったよ」
「婚約してほしいって?」
「うん」
ヴィクトルが少し驚いたような顔をした。
「何?」
「いや。ちゃんと言ったんだなと思って」
「俺だって言う時は言うよ」
「そこまでどんだけかかってるんだよ」
「それは言わないで」
ヴィクトルが声を出して笑った。
俺もつられて笑う。
「正式に決まるのはこれから?」
「両家とも異存はないって。細かいことはこれから話すみたい」
「じゃあ、ほぼ決まりか」
「そうだね」
改めて口にすると、不思議な感じがした。
冬休みが始まった時には、まだミラとの婚約について答えを出せていなかった。
今は違う。
「嬉しそうだな」
「嬉しいよ」
「ならよかった」
ヴィクトルがそれ以上茶化すことはなかった。
◇
店を出ると、外はもう完全に暗くなっていた。
王都の通りには灯りが並んでいる。
俺たちは学院へ向かって歩いた。
ピコも隣を歩いている。
「明日から三学期か」
ヴィクトルが言う。
「そうだね」
「冬休み、あっという間だったな」
「俺は特にそう感じた」
「そりゃそうだろ」
「ヴィクトルは何してたの?」
「実家で商会の手伝い。あとは少し遊んでた」
「ちゃんと休んでる」
「休みなんだから普通だろ」
「それもそうか」
寮の建物が見えてきた。
明日からまた、いつもの生活が始まる。
授業。
研究。
クラスのみんな。
ミラ。
「あと一学期だな」
ヴィクトルが言った。
「うん」
「早いな」
「本当にね」
入学してからここまで。
長かったような気もするし、あっという間だったような気もする。
寮の玄関を入ったところで、ヴィクトルと別れる。
「じゃあ、また明日」
「また明日」
「ピー!」
「ピコもな」
ヴィクトルが自分の部屋の方へ歩いていく。
俺も自分の部屋へ戻った。
机の上には、今日終わらせた宿題。
明日の準備はもうできている。
「今度こそ大丈夫だよね」
「ピー!」
ピコがベッドへ飛び乗る。
俺も椅子へ座り、窓の外を見る。
冬休みは今日で終わり。
明日から、三学期が始まる。
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