第503話 行ってきます
ミラがハーウェイ領へ戻った翌朝。
俺はいつも通り、騎士団の訓練場にいた。
冬休みはあと三週間ほど。
王都へ戻るまでに、やっておきたいことはいくつもある。
その一つが、イレーナへの対策だった。
「お願いします」
「お願いします」
俺とノルは五メートルほど離れて向かい合う。
互いに木剣を持っている。
「行くぞ」
身体強化を使い、一気に地面を蹴る。
同時に背後から風を起こし、身体を前へ押した。
一瞬でノルとの距離が縮まる。
その勢いのまま木剣を振った。
乾いた音が響く。
俺の剣は、ノルの木剣に受け止められていた。
「駄目か」
「かなり速くはなっております」
「でも、普通に反応してるよね?」
「はい」
この数日、身体強化に風魔法を組み合わせることで移動速度そのものはかなり上がった。
疾風狼にも以前より簡単に追いつける。
それなのに、ノルには通じない。
「リオン様」
「ん?」
「速さだけの問題ではないかもしれませんな」
「どういうこと?」
ノルが俺の姿勢を真似する。
「踏み出す直前、僅かに腰が落ちます。右脚へ力が入り、肩も前へ出る」
「ああ……」
「そこまで見えれば、動く方向もある程度予想できます。速くとも、こちらは先に準備できますからな」
なるほど。
動き始めてからは速い。
でも、動き始めること自体は分かっている。
それではイレーナには通じない。
未来が見える相手なら、俺が地面を蹴る前から対応してくる。
「だったら、最初の動きをもっと小さくすればいいのか」
「できるのであれば、それだけ対応する時間は減りますな」
普通に立ったまま。
腰を大きく落とさない。
脚へ力を溜めていることも見せない。
その状態から、一気に最高速度へ入る。
立った姿勢のまま、身体強化と魔法を一瞬だけ重ねる。
「もう一回いくよ」
「どうぞ」
今度は自然に立った。
脚だけではなく、腰と腹にも身体強化をかける。
足が地面を蹴る瞬間だけ、浮遊魔法で身体を僅かに持ち上げる。
そこへ背後から風を重ねた。
「っ!」
身体が前へ飛んだ。
さっきより明らかに速い。
ところが。
「うわっ」
ノルの横をそのまま通り過ぎた。
数メートル先で足をつき、どうにか止まる。
「危ないな、これ」
「随分と勢いよく通り過ぎましたな」
「見えた?」
「先ほどより、動き出しはかなり分かりにくかったです」
「じゃあ、方向性は合ってるな」
問題は山ほどある。
加速。
姿勢。
停止。
攻撃へのつなぎ。
三つの魔法を重ねるタイミング。
でも、やりたいことは見えてきた。
相手より速く走るだけじゃない。
相手が俺の動きを認識してから、対応するまでの時間そのものを削る。
イレーナに未来を読まれても、それから身体を動かす時間がなければいい。
◇
それから数日。
朝はノルとの稽古。
時間が取れる日はピコを連れて冒険者ギルドへ行き、動きの速い魔物が対象になっている討伐依頼を受けた。
疾風狼。
跳躍蜥蜴。
角兎。
ほかにも、受付で素早いと教えてもらった魔物を相手にした。
倒した後は討伐証明になる部位を回収する。
「ピコ、いいよ」
「ピー!」
残りはピコが食べる。
これもすっかりいつもの流れになった。
ただし、浮遊魔法まで組み合わせた動きは、人のいない場所でしか試さなかった。
討伐対象と俺たち以外に人がいないことを確認してから試す。
身体強化をどこへかけるか。
浮遊でどこまで身体を持ち上げるか。
風をどの方向から当てるか。
どこまで予備動作を消せるか。
一度に全部を強く使えば、身体の制御が追いつかない。
弱すぎれば、今までと変わらない。
木にぶつかりそうになった。
着地で転んだ。
剣を振る前に魔物を追い越したことまである。
それでも、少しずつ形になっていった。
ある日。
一頭の疾風狼が、六メートルほど先から俺を警戒していた。
俺は剣を下げたまま立っている。
腰を落とさない。
肩も動かさない。
身体強化をかける。
身体が浮くか浮かないかというところまで浮遊を抑える。
背後へ風を集める。
そして、一歩だけ地面を蹴った。
視界の両端が後ろへ流れた。
六メートルあった距離が、一歩分まで縮んだように感じる。
足がもう一度地面へ触れた時には、疾風狼のすぐ横にいた。
疾風狼がこちらへ顔を向ける。
その前に剣を振る。
「っ!」
剣先が届いた。
疾風狼が倒れる。
「……できた」
「ピー!」
少し離れていたピコが跳ねる。
今の動き。
どこかで見たことがある気がした。
前世で子どもの頃、流行っていた漫画があった。
その中の人気キャラクターが、相手の目の前から消えたように一気に間合いを詰める技を使っていた。
名前は確か。
「縮地……だったかな」
「ピー?」
「漫画の技とは全然違うけどね」
ただ、相手から見える動きは近いかもしれない。
立っていたはずの場所から、一気に懐へ入る。
「分かりやすいし、縮地って呼ぼうかな」
「ピー!」
「賛成ってことでいい?」
「ピー!」
ただし、まだ完成には程遠い。
直線にしか動けない。
距離もせいぜい五、六メートル。
急停止は難しい。
連続使用もできない。
何より、移動と攻撃を安定してつなげられない。
一度だけ成功しても、イレーナには通じないだろう。
「もっと練習しないとな」
「ピー!」
◇
冬休みの間で、もう一つやっておきたいことがあった。
グレイヴ領から戻って以来、ずっと頭に残っている。
王宮から送られた支援金。
伯爵家の帳簿。
そして、実際に現地で見た暮らし。
帳簿があるだけでは駄目だ。
数字が何と結びついているのか分からなければ、異常に気づくまで時間がかかる。
グレイヴ領だけの問題として終わらせる気にはなれなかった。
「エリアス。少しいい?」
「はい」
領都の執務室。
机の上には、ハル領で現在使っている帳簿を何冊か用意した。
「前から、やってみたかったことがあるんだ」
「帳簿についてですか?」
「うん」
エリアスが向かいへ座る。
「最初に言っておくけど、今のハル領の帳簿が悪いわけじゃないよ」
「はい」
「むしろかなり細かくなってる」
日付。
品目。
取引先。
支払った金。
倉庫へ入った物。
まだ支払っていない代金。
これから入ってくる予定の金。
昔に比べれば、かなり多くの情報を残せるようになった。
「でも、情報が別々の帳簿に分かれてる」
「そうですね」
「例えば、これ」
穀物の購入記録を開く。
「この小麦は、最初に代金の一部を払って、到着した後に残りを払ってる」
「はい」
「支出台帳を見れば、最初にいくら払ったかは分かる。倉庫帳を見れば、小麦が何袋入ったかも分かる」
「はい」
「でも、小麦がもう倉庫にあるのに、まだ支払わなきゃいけない金が残っていることを知るには、別の記録も確認しないといけない」
エリアスが帳面を見比べる。
「確かにそうなります」
「逆もある」
今度は街灯の記録を開く。
「納品は終わってる。でも、代金はまだ入ってきていない」
「確認を受けてから支払われますので」
「そう。現金だけ見れば何も増えてない。でも実際には、ハル領には代金を受け取る権利がある」
白紙を一枚取り出した。
「こういうものを、全部一つの仕組みの中でつなげたい」
「どうやってですか?」
紙の中央に線を引く。
「一つの取引が起きたら、必ず二つ以上の動きを記録する」
「二つ以上?」
「例えば、小麦を金貨百枚分買って、その場ではまだ代金を払っていないとする」
一方へ書く。
小麦 百枚分増。
もう一方。
支払う義務 百枚分増。
「小麦という財産が増える。同時に、金貨百枚を払わなければならない義務も増える」
「なるほど」
「その後、金貨百枚を払ったら」
支払う義務 百枚分減。
現金 百枚減。
「これで最初の取引と支払いがつながる」
「では、街灯を納品して、まだ代金を受け取っていない場合は?」
「売った金額を収入として記録すると同時に、まだ受け取っていない代金も記録する」
「実際に金が入った時に、その受け取る権利を消して現金を増やす」
「そう」
さらに別の例を書く。
「借金も分かりやすい」
「借金ですか?」
「金貨百枚を借りれば、手元の現金は百枚増える」
「はい」
「でも、それを収入が百枚増えたと考えたら駄目だよね」
「返さなければなりませんから」
「だから現金が百枚増えたのと同時に、借金も百枚増えたと記録する」
エリアスが紙を見ながら頷く。
「手元にある金だけでは、本当に豊かになったのか分からないということですね」
「そうなんだ」
今のハル領は、以前よりずっと金が動いている。
穀物を仕入れる。
工事をする。
商品を納める。
代金を後で受け取る。
先に一部を払う。
借金を返す。
「現金だけじゃなくて、今どれだけの財産を持っているか。これから受け取る金はいくらか。
逆に、まだ払わなきゃいけない金はいくらあるか。それを一緒に見たい」
「一つの取引を、二つの側面から記録するわけですね」
「うん」
俺は紙を見る。
「複式簿記って名前にしようと思ってる」
「複式簿記……」
「前から、一度ちゃんと形にしてみたかったんだ」
エリアスがもう一度、現在の帳簿へ目を落とした。
「確かに、この形なら一つ一つの帳簿を行き来する回数は減りそうです」
「それだけじゃない」
「まだあるのですか?」
「一つの取引を同じ金額で二方向へ記録するから、全体を集計した時に数字が合わなければ、どこかで記帳を間違えている可能性が高い」
「確認にも使えるのですね」
「うん。ただし」
俺は首を振る。
「これだけで不正がなくなるわけじゃない」
「そうなのですか?」
「帳簿を書く人が嘘をつけば、両方に同じ嘘を書くこともできるから」
「……確かに」
「だから、帳簿の付け方と一緒に確認方法も変えたい」
新しい紙に三つ書く。
支払い。
記帳。
現物確認。
「できる範囲で、この三つを別の人にする」
「役割を分けるのですね」
「うん。金を払った人が、自分で帳簿を書いて、自分で倉庫の中身まで確認する形を減らす」
「人手が必要になります」
「全部にはやらないよ。金額が大きい取引から」
一定額以上の支出は二人で確認。
月ごとに帳簿上の在庫と実際の在庫を照合。
穀物については、購入・入荷・販売・支援・廃棄を同じ取引番号で追えるようにする。
「複式簿記で金の動きをつなぐ。その上で、倉庫にある実物とも照らし合わせる」
「そこまでやれば、帳簿上ではあるはずの物が消えている時にも気づけますね」
「そう」
グレイヴ領では、帳簿は存在していた。
それでも現地の実態と食い違うところがあった。
「人を疑うためにやるわけじゃないんだ」
エリアスが俺を見る。
「誰か一人を疑わなくても済むように、仕組みで確認できるようにしたい」
「仕組みで……」
「ハル領も、人も金も取引先も増えた。今までと同じ管理方法のままじゃ、いつか追いつかなくなる」
エリアスがゆっくり頷いた。
「やってみましょう」
「うん。一気に全部は変えない」
「どこから始めますか?」
「領都の財政と穀物倉庫。それから俺も領にいる間、一緒にやるよ」
「リオン様もですか?」
「考えた本人が実際に使わないと、面倒なところが分からないからね」
「承知しました」
◇
そこからは、毎日のようにエリアスと帳簿へ向かった。
朝は騎士団の稽古。
時間があれば冒険者活動。
午後は帳簿。
最初からうまくはいかなかった。
「これ、数字が合いません」
「どこ?」
「昨日の倉庫修繕費が片方にしか入っておりません」
「……俺が書いたところだ」
「はい」
「ごめん」
「やはり、間違いを探すのには便利ですね」
「俺のミスで証明しなくてもいいんだけど」
エリアスが少し笑う。
考え方を知っていても、この世界の帳簿に落とし込むのは別だった。
項目を細かくしすぎれば記帳に時間がかかる。
大雑把すぎれば、何に金を使ったのか分からない。
銀貨や銅貨をどう扱うか。
まだ受け取っていない代金をどう書くか。
未払いの代金はどこへ置くか。
借財はどう残すか。
穀物や資材の補助帳と、金額の帳簿をどう結びつけるか。
何度も書式を直した。
十日ほど経つ頃には、ようやく形が見えてきた。
そして数日後。
「リオン様」
「何?」
エリアスが一枚の紙を持ってきた。
「小麦の数量が合いません」
「どれ?」
「三日前の入荷です。購入と入荷の記録は二十袋ですが、使用分と現在庫を合わせても十九袋しかありません」
「一袋足りない?」
「はい」
一緒に記録を追った。
購入。
輸送。
入庫。
使用。
調べた結果、不正ではなかった。
輸送途中で一袋が破れ、中身が水に濡れて廃棄されていた。
輸送担当は報告していた。
しかし、その廃棄記録が倉庫側の補助帳まで届いていなかった。
「これか」
「はい」
「今回は一袋だし、理由も分かった」
「ですが以前であれば、棚卸しまで気づかなかった可能性があります」
「そうだね」
不正を見つけるためだけじゃない。
記録漏れ。
伝達ミス。
支払い忘れ。
まだ回収していない代金。
帳簿をつなげることで、そういう小さな綻びも早く見つけられる。
「原因が早く分かれば、次から直せる」
「はい」
三週間が終わる頃には、エリアス自身で一通り記帳できるようになっていた。
「まず一か月、今の形で運用してみて」
「承知しました」
「使いにくければ書式も変えていいから」
「こちらで変えてしまってよろしいのですか?」
「そのために三週間一緒にやったんだよ」
エリアスを見る。
「実際に使うのは俺じゃなくて、みんなだから」
エリアスが少し考えてから頷いた。
「分かりました」
仕組みを考える。
一緒に使える形まで作る。
その後は任せる。
俺が全部の帳簿を見る必要はない。
◇
ミラが帰ってからしばらく経った頃。
父上に呼ばれた。
「リオン」
「はい」
「ハーウェイ侯爵から返事が届いた」
少しだけ緊張する。
「それで?」
「両人の意思を尊重する。ハーウェイ侯爵家としても、婚約に異存はないそうだ」
「……よかった」
自然に息が抜けた。
「細かい条件や時期については、改めて両家で話し合いたいとのことだ」
「分かりました」
「それと、お前宛てもある」
父上がもう一通差し出した。
見覚えのある字だった。
「ミラから?」
「ああ」
自分の部屋へ戻り、封を開く。
父上と母上へ話したこと。
二人とも喜んでくれたこと。
正式な話し合いはこれからだけれど、まずは安心したこと。
最後には、学院で会えるのを楽しみにしていると書かれていた。
「……俺もだよ」
「ピー?」
横にいたピコが跳ねる。
「ミラからだよ」
「ピー!」
「もうすぐ会える」
「ピー!」
ピコが嬉しそうに跳ねた。
内容まで分かっているのかは怪しい。
◇
残りの冬休みは、できるだけハル領を歩いた。
夏に気になった食料価格は、以前のような勢いでは上がらなくなっていた。
他領から穀物を入れる経路も増え、備蓄も少しずつ積み上がっている。
領都の学校では、子どもたちがそれぞれの進度で勉強していた。
昼には給食。
西の森で試したものが、俺が細かく指示しなくても領都へ広がり始めている。
ポンプの前では、小さな子どもが取っ手を動かし、その横で年寄りが桶へ水を受けていた。
誰も珍しそうには見ていない。
もう、ただの道具として使われ始めている。
それが嬉しかった。
西の森では、住宅がさらに増えていた。
ポンプを作る工房も形になり始めている。
職人とローデン商会の人間が、寸法や材料について話していた。
俺を見ると挨拶はする。
でも、その後はすぐに自分たちの話へ戻った。
俺の指示を待っていない。
南部では、アーロンが村ごとの人手を確認しながら、次の栽培試験を決めていた。
「人手の少ない村では、深く耕す方法は負担が大きすぎます」
「じゃあ、堆肥と藁を使う方?」
「はい。まずはこちらを中心に試したいと考えております」
「いいと思う」
それだけ伝えた。
細かいところまで俺が決める必要はない。
夜学でも、文字や数字を覚えたことで、帳簿や検品の仕事を任されるようになった者が増えていた。
少し賃金が上がったという話も聞く。
一つ一つは小さい。
でも、ハル領はちゃんと前へ進んでいる。
◇
冬休みが終わる三日前。
もう一度、ノルと訓練場で向かい合った。
距離は五メートル。
「お願いします」
「どうぞ」
木剣を持つ。
この三週間で、縮地はかなり安定してきた。
まだ連続では使えない。
方向を変えることも難しい。
急停止にも気を使う。
それでも、最初の一歩は以前とは全く違う。
普通に立つ。
身体強化。
浮遊。
風。
三つを身体の中で重ねる。
腰は落とさない。
肩も動かさない。
ノルの目を見る。
一歩。
訓練場の景色が後ろへ引かれた。
五メートルの間にあるはずの景色が、一瞬だけ抜け落ちたように感じる。
次に足が地面へ触れた時には、ノルの間合いの内側だった。
俺はそのまま木剣を出す。
ノルの目が動く。
木剣が上がる。
ガッ!
俺の剣が、ぎりぎりで止められた。
「……受けられた」
距離を取る。
ノルは自分の木剣を見ていた。
「危なかったですな」
「いけると思ったんだけどな」
ノルが少し考える。
「動く前までは見えておりました」
「その後は?」
「途中が抜けたように見えましたな。気づいた時には、もう目の前でした」
思わず笑う。
「それなら、かなり近づいてる」
「縮地、でしたか」
「はい」
「変わった名前ですが、動きには合っておりますな」
俺はさっきまで立っていた場所を見る。
イレーナなら、未来を見る。
俺がこちらへ来ること自体は分かるかもしれない。
でも。
分かったあとに身体を動かす時間まで奪えれば。
少なくとも、戦う方法はある。
「まだ足りないな」
「そう思えるのであれば、まだ伸びます」
「うん」
三週間前にはなかった武器だ。
まだ未完成。
それでも、次に何を鍛えればいいのかは分かっている。
◇
そして、王都へ戻る前日の夜。
部屋へ戻ると、ミアが明日の予定を確認していた。
「明日は朝食の後ですね」
「うん」
「もう王都へ戻られるのですね」
「今回は色々あったから、あっという間だったよ」
「グレイヴ領へも行かれましたからね」
「そうだね」
冬休みの前半は王都とグレイヴ領。
ハル領へ帰ってきてからも、冒険者活動。
ミラ。
新しい帳簿。
領内の確認。
気づけば、もう三学期だ。
「もう少しいたいな」
口から自然に出た。
ミアがこちらを見る。
「ハル領にですか?」
「うん」
冬休みの途中。
王都の寮で一人になった時は、早く帰りたいと思った。
今は、帰ってきた場所から離れることが少し惜しい。
「また帰ってこられます」
「そうだね」
転移魔法もある。
王都とハル領は、以前ほど遠い場所ではない。
「明日から王都か」
「三学期ももうすぐですね」
「うん」
五年生最後の学期。
卒業まで、残された時間はもう多くない。
◇
翌朝。
朝食を終えたあと、父上の執務室へ向かった。
「入れ」
「失礼します」
「今日戻るんだな」
「はい」
「領地のことは任せろ」
「お願いします」
父上が少しだけ眉を上げた。
「随分あっさりしているな」
「そうですか?」
「以前なら、西の森はどうする、南部はどうする、倉庫はどうする、と何かしら言っていた」
「ああ」
確かにそうだった。
「今は大丈夫です」
「そうか」
「エリアスもいます。レナードも、ノルも、アーロンもいる」
三週間、色々な場所を見た。
俺が何も言わなくても、みんなが次を考えていた。
「俺がいなくても、ハル領はちゃんと動きます」
父上が少し笑った。
「ようやく分かったか」
「遅かったですか?」
「少しな」
「そうですか」
「だが」
「はい?」
「お前がいなくてもいいという意味ではないぞ」
「分かってます」
俺も笑う。
「また帰ってきますから」
「ああ」
◇
自分の部屋へ戻る。
学院で使う本や服は、すでに亜空間収納へ入れてある。
王立学院の寮にある自分の部屋には、転移用の魔力印も残してある。
ピコを抱き上げる。
「行くよ」
「ピー!」
一緒に転移するには、俺に触れていなければならない。
しっかり腕の中へ収める。
「それじゃ、行こうか」
俺は寮の自室に残した魔力を探す。
すぐに見つかった。
そこへ魔力をつなげる。
景色が切り替わった。
見慣れた机。
ベッド。
本棚。
窓。
王立学院の寮にある自分の部屋だ。
「ピー!」
「戻ってきたね」
ピコを床へ下ろす。
窓の外には冬の王都が広がっていた。
明後日から三学期。
五年生、最後の学期が始まる。
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