第493話 何もできない
その後も俺たちは、イレーナたちと一緒に村を回った。
家々を訪ね、畑や水路を見て、残っている人たちから話を聞く。
回れば回るほど、昨日までグレイヴ領各地で見てきた問題が、この村にも積み重なっていることが分かった。
働ける若者が少ない。
農具が壊れても、買い替える余裕がない。
商人がほとんど来なくなったため、作物を作っても売る場所が限られている。
病人が出れば、医者のいる町まで運ばなければならない。
そして、その隙間を埋めているのがイレーナたちだった。
荷物を運び、金を貸し、仕事を紹介し、揉め事にも口を出す。
どこまでが合法で、どこからが違法なのか。
少なくとも、俺がこの場で判断できるほど単純な話ではなかった。
昼を少し過ぎた頃、俺たちは村を出た。
「これで全部か?」
監察官が聞く。
「ああ」
イレーナが答える。
「見せるものは見せたよ」
その言葉とは反対に、俺の頭の中には分からないことばかりが増えていた。
◇
西部の町へ戻る。
イレーナは大通りから一本外れた道へ入り、一軒の酒場の前で足を止めた。
「私はここまでだ」
「ここ?」
「ああ」
昼間だからか、店内は薄暗かった。
客も数人しかいない。
イレーナは慣れた様子で店へ入り、そのままカウンター席へ腰を下ろした。
店主も特に何も聞かない。
「昼から酒場にいるんですね」
「悪いかい?」
「いや、別に」
「坊やは余計なことばかり気にするね」
エドガーが一歩前へ出た。
「イレーナ」
「何だい、王子様」
「案内してくれてありがとう」
「礼はいらないよ」
「でも――」
「勘違いするな」
イレーナがエドガーを見る。
「あんたたちを助けたつもりはない」
「……」
「王子様には、自分たちが見てこなかったものを見せたかった。それだけさ」
「見たよ」
エドガーが答える。
「なら忘れないことだね」
「……ああ」
エドガーは、必ず何とかするとは言わなかった。
たぶん今は、簡単にそんな約束をしてはいけないと分かっている。
「イレーナさん」
「今度は坊やか」
「ガザルの件のお礼って、これで終わりですか?」
「ああ」
「そうですか」
「何だ。不満かい?」
「いや。かなり大きなお礼だったなと思って」
イレーナが少し笑った。
「次からは金を取るよ」
「やっぱり?」
「私は商売人だからね」
「商売人……」
「何か言ったか?」
「何も」
イレーナがカウンターへ肘をつく。
「仕事があるなら持ってきな」
「え?」
「内容と金次第じゃ受けてやる」
「……本当に?」
「嫌ならいい」
「いや。覚えておきます」
何を頼めるのかは分からない。
というより、この人たちに何を頼んでいいのかも、まだよく分からない。
ただ、情報を集める力も、人を動かす力も、戦う力もある。
俺にはないものを、たくさん持っている。
「坊や」
「はい?」
「ずいぶんしけた顔してるじゃないか」
「そうですか?」
「ああ」
自分では普通にしていたつもりだった。
「坊やにも、手の届かないものはあるってことさ」
「……分かってますよ」
「なら、その顔は何だい?」
少し答えに詰まる。
「分かってるのと、悔しくないのは別です」
「若いな」
イレーナはそれ以上何も言わなかった。
「じゃあな、坊や」
「ありがとうございました」
「ああ」
俺たちは酒場を出る。
「ピー!」
俺の肩から、ピコが店の中へ声を上げた。
◇
西部を出て、領都へ戻る馬車の中。
エドガーは向かいの席に座り、窓の外を見ていた。
ピコは俺の膝の上だ。
「ピー」
「ん?」
「ピー……」
いつもより声が小さい。
俺はピコの身体を撫でる。
「大丈夫だよ」
そう言ったけど、たぶん大丈夫じゃない。
窓の外を流れていく景色を見る。
今回の視察で、いろいろなものを見た。
領都の水路。
農村。
小さな町。
そして西部。
資料より悪かった。
思っていたより、ずっと深刻だった。
ハル領を思い出す。
十二歳の頃、領地は没落寸前だった。
北村の青葉草や南村の作物を外へ売り、その金を道路整備へ回した。
青輝石を使って街灯を作り、夜でも人が歩けるようになった。
西の森では温泉に人が集まり、リバーシの工房もできた。
夜間学校では読み書きや計算を学んだ人たちが、工房で記録や検品を任されるようになった。
もちろん、俺一人でやったことじゃない。
父上が決め、エリアスやレナードが動き、ヴィクトルやローデン商会にも助けてもらった。
何より、領民たちが働いてくれた。
それでも。
問題があれば、次に何をするべきかは見えた。
青葉草や作物が売れれば、その金を道へ回せた。
街灯が作れれば、次は増やしていく方法を考えた。
人が足りなければ、学べる場所を作り、仕事へつなげた。
王立学院へ入ってからも同じだった。
主席で入学し、一年から三年へ飛び級して、さらに五年Sクラスまで進んだ。
東地区では自分の足で歩き、住民から話を聞いた。
水を汲む負担を減らすためにポンプを試し、安く使える石鹸も考えた。
調べれば調べるほど、問題は増えた。
それでも、何がつながっているのかは少しずつ見えてきた。
難しくても、次に何を確認すればいいのかは分かった。
うまくいかなかったこともたくさんあった。
それでも、問題が起きれば状況を確認し、原因を探し、次に何をするかを決めてきた。
だから、いつの間にか思っていたのかもしれない。
時間をかけて考えれば、何かしら次の一手は見つかる。
でも、グレイヴ領ではそれが見えなかった。
税、農業、商売、物流、人口、行政。
それに領主と王宮への不信まで、すべてが絡み合っている。
一つだけ直せば済む話じゃない。
そもそも俺には、この領地を動かす権限すらない。
「……」
悔しい。
たぶん、ずっと感じていたのはそれだ。
何もしてこなかったわけじゃない。
自分なりに、できることはやってきたつもりだった。
少しくらいは、何かを変えられる人間になったと思っていた。
でも、今のグレイヴ領を前にした俺は、あまりにも無力だった。
「ピー……」
ピコがまた鳴いた。
「大丈夫」
「リオン」
今度はエドガーだった。
「何?」
「落ち込んでるだろ」
「別に」
そう答えようとして、やめた。
「……うん。ちょっとね」
「珍しいな」
「そうかな」
「少なくとも、僕の前では」
エドガーが俺を見る。
「昨日、自分には何もできないって言ってたから?」
「うん」
少し考える。
「悔しいんだと思う」
「悔しい?」
「目の前に困ってる人がいるのに、何をしたらいいのかすら分からない」
エドガーは少し黙った。
「ハル領の時は?」
「ハル領だって簡単じゃなかったよ」
「じゃあ、何が違う?」
俺は少し考えた。
「……家だったからかな」
「家?」
「うん。父上もいたし、他にも優秀な人に支えられていた」
ハル領なら、何があるのかを知っている。
誰に聞けばいいのかも分かる。
誰が何をできるのかも、少しずつ知っていった。
「グレイヴ領では違う?」
「うん」
「まだ知らないことが多すぎる」
今日まで見てきた場所だって、グレイヴ領の全部じゃない。
「それが、こんなに悔しいとは思わなかった」
「僕も何もできなかったよ」
エドガーが言った。
「エドガーも?」
「ああ」
「王子なのに?」
「王子だからって、何でもできるわけじゃないだろ」
少しだけ笑う。
「それはそうだね」
「だから、王都へ持って帰るんじゃないのか?」
「……」
「僕たちが見たものを」
俺はエドガーを見る。
「うん」
今すぐ直せない。
答えも出せない。
それでも、見なかったことにはできない。
◇
翌朝。
俺たちは領都の宿の一室に集まった。
今日で、七日間にわたるグレイヴ領の視察は終了する。
机の上には、今回の視察で作られた記録が積まれていた。
監察官が全員を見回す。
「これより、今回の現地視察について最終確認を行います」
誰も口を挟まない。
「まず、確認できた事実を整理します」
税負担が領内の生産力に対して重かったこと。
農業、商業、職人の基盤が縮小していること。
王宮から複数回の支援が行われていた一方で、維持管理や継続的な支出が不足していたこと。
支援事業同士の連携も弱く、生活改善につながっていない地域があること。
さらに、王宮へ提出された報告の一部は、現地の実態を正確に表していなかった。
「領主家への資金移動については、司法院による調査を引き続き行います」
監察官が資料を一枚めくる。
「そして人口流出についてです」
俺は顔を上げた。
「今回の視察では、人口流出が領地衰退の出発点だったとは認められませんでした」
農業が弱った。
仕事が減った。
暮らしが苦しくなった。
その結果、人が出ていった。
「ただし、現在は人口減少そのものが、生産、維持管理、商業の縮小をさらに加速させています」
すでに悪循環になっている。
「西部についても報告が必要です」
監察官の声が少し重くなる。
「イレーナ・ヴァルガを中心とする集団が、本来であれば領主側が担うべき機能の一部を事実上代替しています」
エドガーが黙って聞いている。
「一方で、違法行為の疑いもあります」
「排除するんですか?」
俺が聞いた。
「現時点では、その判断もできません」
「なぜです?」
「彼らを急に排除すれば、西部の物流や生活そのものに混乱が生じる可能性があるためです」
「……」
やっぱり簡単じゃない。
役に立っているから認めればいいわけでもない。
違法だから排除すればいいわけでもない。
「リオン様」
「はい」
「今回の視察について、最後に何かありますか?」
全員の視線が俺へ向いた。
少し考える。
「人口流出を止めるために、人を縛るのは間違いだったと思います」
監察官が頷く。
「人が出ていったのは、ここで暮らせなくなった結果です」
それだけは、今回の視察で分かった。
「そこを変えないまま、人だけ止めても何も良くならないと思います」
「再建策については?」
少し間を置く。
「今の自分には答えられません」
言葉にすると、やっぱり悔しかった。
「七日間見ただけで、グレイヴ領のことを分かったつもりになるべきではないと思います」
「……」
「まず、今回確認したことを正確に王都へ持ち帰るべきです」
監察官が静かに頷いた。
「承知しました」
「父上にも全部伝えよう」
エドガーが言った。
「グレイヴ伯爵を罰して、それで終わりにはできない」
「はい」
「王宮が何を見落としていたのか。そこも確認しないと、また同じことが起きる」
監察官も頷く。
「その点も報告書へ記載します」
会議はそれからもしばらく続いた。
◇
宿を出ると、朝の光が領都の通りを照らしていた。
これで視察は終わりだ。
これから、俺たちは王都へ戻る。
現地を見て、住人の話を聞き、必要な資料も確認した。
それでも、グレイヴ領をどうすればいいのか、答えは出なかった。
これまでだって、簡単な問題ばかりじゃなかった。
それでも、次に何をすればいいのかすら分からないことはなかった。
今回は違う。
問題を目の前にして、次の一手すら見えない。
そんな無力感を味わったのは、転生してから初めてだった。
悔しかった。
今の自分にできるのは、ここで見たものを王都へ持ち帰ることだけだ。
人を縛っても、この領地は救えない。
少なくとも、間違った答えだけは一つ消えた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
少しでも何かを感じて頂けたら評価とブックマークで応援いただけると執筆の励みになります!




