第482話 止めても来る
部屋を出ようとしたところで、ヴァレスト公爵に呼び止められた。
「リオン君」
「はい?」
「もう一つ伝えておくことがある」
俺は振り返る。
「私庫に関する確認は、ここから司法院と徴税側で進める」
「はい」
「必要な手続きを取ったうえで、ヴァルナー商会からの資金に関係する記録の保全も行うつもりだ」
「分かりました」
「ただし、その結果については、こちらから必要があると判断するまで君には伝えない」
「……どうしてですか?」
ここまで関わってきたのに。
そう思ったのが顔に出たらしい。
ヴァレスト公爵が小さく笑った。
「不満そうだね」
「そりゃ気になりますよ」
「気持ちは分かる。だが、君はいずれグレイヴ伯爵と別の問題について話すことになるかもしれない」
「別の問題?」
「人口流出だよ」
「ああ」
王家はまだ、グレイヴ領から他領への出稼ぎや移住をどう扱うか、最終的な結論を出していない。
グレイヴ伯爵は少なくとも一時的に、グレイヴ領からの出稼ぎや移住を他領が受け入れないよう求めている。
「司法院で何が見つかったかを知った状態で、君がグレイヴ伯爵と政策について話せば、どうしても判断に影響する」
「司法の問題と、領地の問題は分ける?」
「そういうことだ」
「分かりました」
「それから、この件を自分で調べようともしないこと」
「しませんよ、何か見つかっても教えてくれないんですよね?」
「必要になれば話す」
「必要になれば、ですか」
「そうだ」
気になる。
ものすごく気になる。
でも、ここから先は俺の仕事じゃない。
「分かりました」
「今日は随分と素直だね」
「俺だって成長しますよ」
「それなら結構」
俺は今度こそ部屋を出た。
廊下の向こうでは、エルマンたちがすでに慌ただしく動き始めていた。
何をするのかは聞かない。
聞かない方がいいんだろう。
◇
ローデン商会の王都支店へ戻ると、俺を見つけたピコがヴィクトルの腕の中で鳴いた。
「ピー!」
「ただいま」
「ピー!」
ピコを受け取る。
「終わった?」
ヴィクトルが聞いた。
「うん」
「どうだった?」
「ここから先は教えてもらえない」
「何だそれ」
「正式な捜査だから」
「お前がここまで関わってたのに?」
「俺一人で調べたわけじゃないしね」
「それはそうだけど」
俺はピコを抱えたまま椅子へ座った。
「それに、知らない方がいいって言われた」
「なんで?」
「グレイヴ伯爵との人口流出の話とは分けて考えろって」
「ああ」
ヴィクトルもすぐに理解したらしい。
「捜査の結果を知ってたら、どうしてもそっちに引っ張られるか」
「たぶんね」
ヴィクトルが向かいの椅子へ座る。
「でも、そっちの話もまだ終わってないんだよな」
「グレイヴ領から出る人の話?」
「ああ」
「終わってない」
むしろ、そっちはこれからだ。
「グレイヴ伯爵は、ハル領や他の領が出稼ぎや移住を受け入れなくなれば、人が出ていかなくなるって考えてるんだよな?」
「それが狙いだと思う」
「本当に止まるのか?」
「止まらないと思う」
「やっぱり?」
「うん」
グレイヴ領からハル領へ来ている人たちは、別に旅行がしたくて来ているわけじゃない。
働く場所を探している。
生活するためだ。
「例えば、ハル領が明日からグレイヴ領の人を正式には雇わない、移住も受け入れないって決めたとする」
「うん」
「それで全員、グレイヴ領に残ると思う?」
「残らないだろうな」
「俺もそう思う」
ハル領へ行けなければ、別の領へ向かう人もいる。
親類や知人を頼って、それでもハル領へ来る人だっているだろう。
身元を隠して、その日だけの仕事を探す人も出るかもしれない。
「それって、むしろ面倒じゃないか?」
「ハル領にとってはね」
今なら、正式に人を雇えば、雇う側が誰を雇ったのか把握できる。
住む場所について相談を受けることもできる。
ところが、正式な受け入れそのものを断れば、その外側で働こうとする人が増える。
「誰が来てるのか分かりにくくなる?」
「うん。どこで働いて、どこに住んでいるか分からない人も増えると思う」
「それは確かに困るな」
「正規の仕事につけないまま生活に困る人が増えれば、別の問題も起きる」
「犯罪?」
「その危険もある」
もちろん、グレイヴ領から来た人が犯罪者になると言いたいわけじゃない。
まともな仕事がなく、金もなく、頼れる相手もいない人が増えれば、犯罪に巻き込まれたり、悪い人間に利用されたりする危険が高くなる。
結果として治安にも影響する。
「受け入れを止めた方が、管理しづらくなるのか」
「俺はその可能性が高いと思う」
ヴィクトルが腕を組む。
「でもグレイヴ伯爵からしたら、人が出ていくから領地がもっと悪くなるって言うんじゃない?」
「それは分かる」
「反論できる?」
「できる」
「どうやって?」
「順番が違うから」
「順番?」
俺は机の上にあった紙を一枚借りた。
「グレイヴ領の状態が悪くなった」
一番上に書く。
その下に、
「仕事が減った」
さらに、
「生活が苦しくなった」
最後に、
「他領へ働きに出る人が増えた」
と書いた。
ヴィクトルが紙を見る。
「人が出たから、グレイヴ領が悪くなったんじゃない?」
「少なくとも始まりは違う」
ハル領が今ほど人を必要とするようになる前から、グレイヴ領の状態は悪化していた。
王家から支援を受けても、十分に立て直せなかった。
そのあとで、仕事が増えたハル領へ人が来るようになった。
「つまり」
ヴィクトルが言う。
「移住や出稼ぎは原因じゃなくて、結果?」
「少なくとも大きな流れとしてはそうだと思う」
もちろん、人が抜ければ領地経営はさらに難しくなる。
だから人口流出に何の影響もないとは思っていない。
「でも、最後のところだけ止めても、その前は直らない」
「仕事がないのは変わらない」
「うん」
「生活が苦しいのも?」
「変わらない」
「それで、人だけ出るなって言うのか」
「そういうことになる」
ヴィクトルが難しい顔をする。
「俺なら嫌だな」
「俺も」
領地を守るため。
全体のため。
そう言えば、もっともらしく聞こえる。
でも、そこで暮らしている人には、それぞれの生活がある。
「それに、ハル領や他の領に受け入れを断らせることでグレイヴ領を立て直そうとするのは、根本的に違うと思う」
「じゃあ、どうすればいい?」
「グレイヴ領の中に仕事を作る」
「簡単に言うなよ」
「簡単じゃないよ」
水路。
道路。
農業。
商売。
雇用。
どれも一日で変えられるものじゃない。
「でも、本来やらないといけないのはそっちでしょ」
「まあな」
「出ていく人を無理に止めるんじゃなくて、残りたいと思えるようにする」
「…………」
「少なくとも俺は、そっちの方がいいと思う」
ヴィクトルが紙を見ながら笑った。
「お前、それ王宮でそのまま言う気?」
「呼ばれたらね」
「グレイヴ伯爵の前でも?」
「必要なら」
「怖くないの?」
「怖いよ」
「全然そう見えないけど」
「ピー!」
ピコが元気よく鳴いた。
「ほら、ピコも怖くないって」
「ピコは何も分かってないでしょ」
「ピー!」
「……分かってるのか?」
たぶん食べ物のことしか考えてないと思う。
◇
その日の夜、学院寮の部屋で机に向かった。
昼間、ヴィクトルと話した内容をもう一度紙に整理する。
グレイヴ領の人口流出。
その原因と結果。
受け入れを止めた場合に起こること。
ハル領側の問題。
そして、グレイヴ領側で本来やるべきこと。
「うーん」
「ピー?」
ベッドの上で丸くなっていたピコが顔を上げる。
「いや、何でもない」
王宮で実際に話すことになるかは、まだ分からない。
それでも、まとめておいた方がいい。
今度は捜査じゃない。
領地の話だ。
俺は別の紙を取り出し、父上への手紙を書き始めた。
王家で、グレイヴ領からの人口流出について再び話し合いが行われる可能性があること。
グレイヴ領からの出稼ぎや移住を一律に拒否することには反対だと考えていること。
その理由も簡単に書いた。
もちろん、司法院で調べている内容には一切触れない。
あれは俺から伝えていい話じゃない。
最後まで書き終えて、もう一度読み返す。
「これでいいか」
「ピー」
「明日の朝、早馬で出してもらおう」
手紙を畳んだ。
司法院からは、その日も、その翌日も、その次の日も連絡がなかった。
私庫から何が見つかったのか。
そもそも、何か見つかったのか。
俺には分からない。
ヴァレスト公爵が何もしていないはずはないけれど、俺から尋ねるのはやめた。
俺には俺のやることがある。
グレイヴ領が悪くなったから、人が出ていく。
人が出ていくことが、最初にグレイヴ領を悪くしたわけじゃない。
そして、正式な受け入れを止めたからといって、人の移動そのものまで止められるわけでもない。
俺は机の上にまとめた紙を置いた。
数日後。
その紙に書いたことを、王宮でグレイヴ伯爵本人へ話すことになる。
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