第412話 綻びが大きくなる前に
「元日本最強の探索者、今はダンジョン救助員です」も連載中です。
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西の森から戻った翌朝。
朝食を終えて部屋へ戻ると、エリアスが一枚の紙を持って訪ねてきた。
「リオン様。製紙工房から、二度目の試作品が届いております」
「もうできたんだ」
エリアスから紙を受け取る。
一度目に作った紙よりも、色が薄くなっていた。
表面の凹凸も少ない。
厚さにも、大きなばらつきは見られなかった。
「前より、かなりよくなっているね」
「工房でも、品質は大きく改善したと申しておりました」
俺は机に紙を置き、ペンへインクをつけた。
自分の名前を書いてみる。
少し引っかかりはあるものの、前回ほど書きにくくはない。
インクのにじみも減っていた。
紙の端を持って、軽く曲げてみる。
前の試作品は、力を入れると簡単に裂けそうだった。
今回は、それよりも丈夫になっている。
「これなら、普段の記録には使えそうだね」
「製紙工房も、同じように判断しております。
ただ、重要な契約書などに用いるには、既存の紙の方が適しているとのことです」
「それは仕方ないよ。最初から全部を置き換える必要はないから」
用途によって紙を使い分ければよい。
保存が必要な契約書や証書には、今までの紙を使う。
一時的な記録や下書きには、今回の紙を使う。
それだけでも、領で購入する紙の費用を少しは減らせる。
「価格はどうだった?」
「今まで使用していた紙より、少し安く作れる見込みです」
「少しだけなんだね」
「はい。原料の価格は抑えられました。
ただ、品質を上げるために、煮る時間と叩く回数を増やしたそうです」
原料が安くなっても、作業する人の時間までなくなるわけではない。
紙を作るために必要な手間は、まだ多かった。
「ただ、工房の主人は大変喜んでおりました」
「値段が下がったから?」
「それもございますが、原料を安定して手に入れられることの方がありがたいそうです」
これまで紙の原料として使っていたのは、古くなった麻布などだった。
だが、古い布がいつ、どれだけ集まるかは分からない。
必要な量を買おうとしても、十分に集まらない時がある。
状態も一つずつ違う。
「リナの木なら、西の森から定期的に運べるからね」
「はい。原料を安定して仕入れられれば、職人の仕事の予定も立てやすくなると申しておりました」
原料が安いことも大切だ。
だが、必要な時に必要な量を確保できることも、工房にとっては同じくらい重要なのだろう。
「領の役場や屋敷で買っている紙も、少し安くなりそうだね」
「まずは日々の記録や下書きに使用する紙の一部を、こちらへ切り替えられると思います」
「うん。それで進めてみよう」
俺は、もう一度試作品を見た。
品質は、想像していた以上に改善している。
では、学校で使えるだろうか。
「この紙は、どれくらいの期間で作ったの?」
「前回の試作から今日までに作られたものです」
「何枚くらいできたのかな?」
「こちらを含めて、二十枚ほどと聞いております」
「二十枚か……」
西の森の学校には、現在十人の生徒がいる。
一人へ二枚ずつ配れば、それだけでなくなってしまう。
今後、生徒が増えればさらに多くの紙が必要になる。
「値段は少し安くなった。でも、学校で大量に使うには、作れる枚数が少なすぎるね」
「工房を広げますか?」
エリアスの問いに、俺は首を横に振った。
「まだ早いと思う」
工房を広げ、職人を増やせば、本当に生産量が増えるのか。
今の作業のうち、どこに最も時間がかかっているのか。
職人ごとに紙の質が変わらないか。
まだ分からないことが多い。
結果が見えていないものへ、すぐに大きな金を使うべきではない。
「試作は続けてもらおう。一日に作れる枚数と、作業ごとにかかった時間を記録してもらって」
「大量生産については、いかがいたしますか?」
「冬休みにもう一度考えるよ。それでも時間が足りなければ、学院を卒業してからだね」
俺が当初求めていたのは、子どもたちが気兼ねなく使えるほど安く、たくさん作れる紙だった。
今回の結果は、そこまでは届いていない。
それでも、失敗ではなかった。
リナの木から紙が作れることは分かった。
二度目の試作で、品質もかなり改善した。
原料を安定して手に入れられるようになり、領で使う紙の費用も少し減らせる。
「求めていた結果とは違ったけど、前よりはよくなった。今回はこれでよしとしよう」
「承知いたしました。工房へ伝えておきます」
エリアスとの話を終えた俺は、試作品を持って父上の執務室へ向かった。
扉を叩くと、父上の声が返ってくる。
「入れ」
「失礼します」
部屋へ入ると、父上は書類から顔を上げた。
「どうした?」
「西の森で見つけた問題について、相談があります」
俺は机の上へ、レナードと話した内容を簡単にまとめた紙を置いた。
細長い建物の形。
部屋の数。
住んでいる人数。
排水溝や炊事場所の位置。
「一棟に三十人ほどが暮らしていました。
同じような建物が、すでに三棟あります」
「西の森の住宅区域には、まだ家があったはずだが」
「すでにほとんど埋まっています。建設中の住宅にも、入居する者が決まっているそうです」
「それほど人が増えているのか」
「はい。宿の料金も上がっているので、正式な家を借りられない作業員が、安い部屋へ集まっています」
父上は、俺が描いた図を見つめた。
「危険な建物なのか?」
「火災と排水に問題があります。
一棟の中を薄い板で分けただけで、近くに乾いた木材を置いたまま火を使っていました」
「ならば、取り壊させればよいのではないか?」
「それでは、住んでいる人たちの行き先がなくなります」
「別の宿へ移らせることはできないのか?」
「宿に泊まり続けられるだけの金がないから、あそこに住んでいるんです。
取り壊せば、別の空き地に同じような建物ができるだけだと思います」
父上が腕を組む。
「レナードとは、どうする話になった?」
「まず、建物と住民を役場で確認します。
新しく同じものを建てるのはいったん止めますが、今住んでいる者は追い出しません」
建物の持ち主。
部屋数。
居住者の名前。
働いている場所。
家賃を誰へ払っているか。
それらを記録する。
正式な住居を用意するまで、火の扱いや汚水について最低限の決まりも作る。
「それだけで足りるのか?」
「足りません。だから、役場で管理する長屋を作りたいです」
「長屋?」
俺は別の紙を広げた。
一つの細長い建物を、複数の住居へ分けた図だ。
「一軒ずつ別の家を建てるのではなく、壁と屋根を共有します。
戸建てより少ない木材で、早く建てられます」
「今ある建物と、何が違う?」
「先に住む人数を決めます。それから井戸、厠、排水路、火を使う場所も用意します。
建物同士の間も空けます」
現在の無届け住宅は、空いている土地に急いで作られたものだ。
長屋は、最初から人が暮らすことを前提に配置する。
「最初は、単身者用と家族用を一棟ずつ。二棟だけ試したいです」
「二棟で足りるのか?」
「すべての人をすぐ移すには足りません。
でも、いきなり何十棟も建てるのは危険です」
実際にいくらかかるのか。
何日で建つのか。
どれほどの人数が暮らせるのか。
水や排水にどの程度の負担がかかるのか。
まず二棟で確かめる必要がある。
「正式な住宅区域の拡張も、予定より早く始めます。
長屋は、そこに住宅ができるまでの中継ぎです」
「長く住み続ける家にはしないのか?」
「はい。正式な住宅が用意できたら、希望する人から順番に移ってもらいます。
ただし、期限が来たからと追い出すことはしません。次の住まいを用意してからです」
「家賃はどうする?」
「宿より安くしますが、無料にはしません。一部を修繕費として残します」
安く建てた住宅だからといって、壊れたまま放置してよいわけではない。
修繕する金がなければ、長屋そのものが荒れていく。
父上は図を見ながら、少し考えていた。
「住宅が足りないことは分かった。だが、なぜそれほど急ぐ?」
「このままだと、スラムになるからです」
「スラム?」
レナードと同じように、父上も聞き慣れない言葉に眉を寄せた。
「役場が管理できないまま、安い住居が集まってできる区域です」
「貧しい者が集まるということか?」
「最初は、そうとは限りません。今住んでいるのも、工房や建築現場で働いている人たちです」
真面目に働いている。
ただ、正式な住宅へ入れないだけだ。
「問題は、誰が住んでいるのか分からない場所が増えることです」
「それが、なぜ危険なのだ?」
「火事や病気が起きても、何人いるのか分かりません。
それだけではなく、犯罪をする者が入り込んでも見つけにくくなります」
父上の表情が変わった。
「犯罪者が集まると考えているのか?」
「今いる人たちが犯罪者になるという話ではありません」
そこは間違えてはいけない。
「役場の目が届かない場所は、悪いことをする者に利用されやすいんです」
誰が住んでいるか分からない。
人の出入りも記録されていない。
狭い道が入り組み、衛兵も中の様子を把握できない。
そうした場所なら、盗品を隠すことも、身元を偽って暮らすこともできる。
「最初は、無許可の酒場や賭け事かもしれません。
盗んだ物を売る者も出てくると思います」
「衛兵に取り締まらせればよい」
「問題が起きていると分からなければ、衛兵も動けません」
住民が相談できればよい。
だが、法外な家賃を取る者や、暴力で周囲を従わせる者が現れれば、住民も簡単には声を上げられなくなる。
「放置すれば、勝手に金を集めたり、家賃を払えない者へ暴力を振るったりする者が出るかもしれません」
「そこまで悪化するものなのか?」
「可能性はあります」
前世でも、行政や警察の目が届きにくい場所では、犯罪をする者が独自の決まりを作ることがあった。
小さな窃盗が、組織的な犯罪へ変わる。
住民が被害に遭っても、報復を恐れて誰にも話せなくなる。
「貧しいから犯罪をするのではありません。
行政から見えない場所を作ることが危険なんです」
父上は黙って、長屋の図へ目を落とした。
「西の森は、計画に沿って作っていたはずだ」
「はい。計画が悪かったわけではありません」
「ならば、なぜこうなった?」
「町の成長が、計画より早かったからです」
二年前には、今ほど多くの人が集まるとは考えられていなかった。
温泉街が広がった。
工房が増えた。
木材やリバーシを運ぶ者も増えた。
町の成功そのものが、住宅不足を引き起こしたのだ。
「急激な成長は、新しい綻びを生みます」
「綻びか」
「はい。成長することは良いことです。
でも、人や仕事が増える速さに、管理する仕組みが追いつかないことがあります」
前世で会社を経営していた時も同じだった。
売上が増えれば、すべてがよくなるわけではない。
人手が足りなくなる。
新しく入った者への教育が追いつかない。
確認が減り、仕事の質が落ちる。
売上が伸びている時ほど、見えない場所で問題が生まれていた。
「綻びが小さいうちなら、少ない金と人手で直せます」
「大きくなれば、そうはいかないか」
「はい。多くの人が住み始めてから建物を動かし、道路や排水を作るには、今より何倍もの金と時間が必要になります」
「だから、三棟しかない今のうちに手を打つのだな」
「そうです。問題になってから解決するより、問題が大きくなる前に止めた方が負担も小さくなります」
父上はしばらく考えた後、長屋の図を手に取った。
「費用は分かっているのか?」
「レナードに土地と必要な木材を調べてもらっています。
詳しい金額はこれからですが、戸建てを同じ数だけ建てるよりは抑えられると思います」
「支払う時期も確認する必要があるな」
「はい。道路や排水の工事と重ならないようにします」
「分かった。二棟の試験建設を認めよう」
「ありがとうございます」
「ただし、長屋が完成するまで、今の建物を放置してはならない」
父上は指を折りながら、必要な対応を挙げた。
「居住者の確認。新しい建物の停止。水桶と厠の用意。火の扱いの見直し」
「夜間の見回りも必要だと思います」
「ああ。無許可の酒場や賭け事が始まっていないかも確認させろ」
「レナードへ伝えます」
「家を造っている間に、別の問題が広がっては意味がないからな」
「はい」
俺は長屋の図をまとめ、執務室を出た。
朝に確認した紙は、学校で自由に使えるほど安くも、多くも作れなかった。
これから建てる長屋も、家族が一生暮らすための理想的な住宅ではない。
どちらも、俺が最初に求めていた完成形には届いていない。
それでも、紙の品質は前よりよくなった。
住宅問題も、大きくなる前に手を打つことができる。
求めていた結果でなくても、少しでも改善されたのなら、その一歩を無駄にする必要はない。
急激な成長は、新しい綻びを生む。
その綻びが広がり、取り返しのつかない問題へ変わる前に直していく。
領地を成長させることと同じくらい、それは大切な仕事だった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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