第411話 住む場所が追いつかない
「元日本最強の探索者、今はダンジョン救助員です」も連載中です。
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夏休みも、残りが少なくなってきた。
俺は再び西の森を訪れ、役場でレナードと向かい合っていた。
「学校の手伝いを希望する者が、一人見つかっております」
レナードが、机の上の報告書を開く。
「読み書きはできるの?」
「夜間学校を修了した者です。
まずはマルタの補助として、子どもたちの進み具合を記録してもらう予定です」
「それなら、マルタの負担も少し減りそうだね」
学校を始めて一か月。
生徒によって、学べる時間も読み書きの進み具合も違う。
マルタ一人ですべてを見続けるのは難しかった。
すぐに先生を増やすことはできなくても、記録や準備を手伝う者がいるだけで状況は変わる。
「飲食店の届け出は?」
「すでに三軒から出されております。
水場、排水、食材の保管場所を、担当者が開店前に確認いたしました」
「問題はなかった?」
「一軒だけ、油をそのまま排水へ流そうとしておりました。
受け皿を置くよう伝え、改善を確認してから木札を渡しております」
「最初に気づけてよかった」
店が増えてから、すべてを確認するのでは遅い。
だが、届け出を出した店をレナードが一軒ずつ見ていたら、別の仕事ができなくなってしまう。
「確認する人も決まったの?」
「はい。排水路の管理をしている者と、宿で長く働いていた者に任せております。
判断に迷った場合だけ、私へ報告するようにしました」
「それなら続けられそうだね」
俺が学院へ戻った後も、仕事は続く。
そのためには、俺やレナードがいなければ動かない仕組みにしてはいけない。
学校。
飲食店の届け出。
排水。
どれも完成したわけではない。
それでも、担当する者が決まり、少しずつ俺の手を離れ始めていた。
「これなら、俺が学院へ戻った後も大丈夫そうだね」
「はい。定期的に領都へ報告を送るようにいたします」
レナードが頷いた。
打ち合わせを終え、俺は椅子から立ち上がった。
「少し町を歩いてから帰るよ」
「どちらをご覧になりますか?」
「今日は、普段あまり行かない場所を見てみたいかな。いつも温泉街の中心や学校ばかりだから」
「でしたら、私がご案内を――」
その時、役場の扉が叩かれた。
木材の搬入について、商人がレナードとの確認を求めているらしい。
「そっちを先に済ませて。近くを歩くだけだから」
「ですが、リオン様お一人では」
「ピコもいるし、この町の中なら大丈夫だよ」
「ピー」
肩掛け鞄の中から、ピコが返事をした。
レナードは少し迷ったものの、最後には頭を下げた。
「承知いたしました。何かございましたら、すぐに役場の者をお呼びください」
「分かった」
俺は役場を出た。
温泉街の中心には、今日も多くの人がいる。
宿の前には馬車が止まり、飲食店からは料理の匂いが漂っていた。
少し前までは森しかなかった場所に、これだけ多くの建物と人が集まっている。
俺は大通りを外れ、宿泊区域と工房区域の間にある道へ入った。
こちらは観光客が歩く場所ではない。
荷車が通れる程度の道の両側に、倉庫や作業場が並んでいる。
さらに奥へ進むと、見覚えのない細長い建物があった。
「こんな建物、あったかな」
倉庫にも見えるが、壁には小さな戸口がいくつも並んでいる。
建物の前には、洗った衣服が干されていた。
水桶。
鍋。
人が暮らしている?
俺は建物へ近づいた。
戸口の一つが開き、中から作業着を着た男が出てくる。
開いた戸の隙間から、中の様子が見えた。
一つの建物を薄い板で区切り、いくつもの部屋に分けているようだ。
一部屋は狭い。
寝具と荷物を置けば、それだけでほとんど埋まってしまう。
建物の端では、何人かが同じ場所で火を使っていた。
そのすぐ近くには、乾いた木材が積まれている。
「この建物には、何人くらい住んでいるんですか?」
俺が尋ねると、男は戸惑いながら答えた。
「なんだい、急に。三十人くらいじゃないか?」
「この建物だけで?」
「あぁ。宿より安いからな」
男はどうやら俺のことは知らないらしい。最近、西の森に来たのかもしれない。
彼の話では、ここに住んでいる者の多くが、近くの工房や建築現場で働いているらしい。
奥を見ると、同じような建物がさらに二棟並んでいた。
浅く掘った溝へ、濁った水が流されている。
溝は正式な排水路へつながっていない。
厠も、建物の人数に対して明らかに少ない。
俺が周囲を見渡した時、視界に文字が浮かんだ。
《居住人数:許容量超過》
《火災時延焼危険:高》
《排水処理能力:不足》
「やっぱり、このままにはできないな」
「ピー……」
鞄の中のピコも、何かを感じたように小さく鳴いた。
俺は近くにいた役場の職員を呼び止め、レナードを呼んでもらった。
しばらくして、レナードが足早にやってくる。
「リオン様、お待たせいたしました」
レナードは俺の隣に立ち、細長い建物を見た。
「……あ、また増えております」
「レナードは、この建物を知っていたの?」
「最初の一棟だけは把握しておりました。
近くの工房が、働き手を住まわせるために建てたものです」
「前に見た時は、一棟だけだったんだね」
「はい。火の扱いと汚水については、建物の持ち主へ注意いたしました。
しかし、その後に二棟も増えているとは……」
レナードは険しい表情で、奥の建物を見つめた。
「建てるのを止められなかったの?」
「正式な住宅区域には、ほとんど空きがございません。
現在建設している住宅にも、すでに入居する者が決まっております」
「宿も高くなっているんだよね」
「はい。以前よりも、長期滞在の料金が上がっております」
仕事はある。
だが、働きに来た者が暮らす家がない。
宿に泊まり続けるには金がかかる。
だから、狭くても安い部屋に人が集まる。
「建物を取り壊せば、ここで暮らす者たちの行き先がなくなります」
「だから、強く止められなかったんだね」
「申し訳ございません」
「レナードが謝ることじゃないよ」
西の森は、最初から無計画に作られたわけではない。
住宅区域も、井戸も、排水路も計画的に用意していた。
ただ、町へ人が集まる速さが、当初の計画を上回ったのだ。
「このままだと、ここはスラムになる」
「スラム、でございますか?」
レナードが聞き慣れない言葉を繰り返した。
「住む家を借りられない人たちが集まって、正式な道路や排水のない場所に、安い家が次々と建っていく区域のことだよ」
「貧しい者たちが集まる場所、ということでしょうか」
「最初からそうとは限らないよ」
ここに住んでいる者たちにも仕事はある。
怠けているわけでも、犯罪を犯しているわけでもない。
「最初は、働いている人が安く住むための場所なんだ。
でも、人が増えても誰も管理しなければ、誰が住んでいるのか分からなくなる」
俺は浅い排水溝を指した。
「井戸も厠も足りなくなる。病気が出れば広がりやすい。
火事が起きても、建物が近すぎて全部燃えるかもしれない」
「確かに、ここでは火を止めることも難しそうです」
「それに、一度たくさんの人が住み始めたら、後から道路や排水を作ろうとしても簡単には動かせない」
建物を壊せば、そこには住民の生活がある。
立ち退かせるにも、新しい住居が必要になる。
「まだ三棟だから、今なら間に合う」
「すぐに取り壊しますか?」
「いや、取り壊したら、住んでいる人たちは別の空き地に小屋を作るだけだよ」
ここに住む人々を追い出しても、住宅不足は解決しない。
「まず、ここに誰が住んでいるのか調べよう」
「居住者の記録を作るのですか?」
「うん。建物の持ち主、部屋の数、住んでいる人数、働いている場所。
家賃を誰に払っているのかもだな。
全部確認してほしい」
「承知いたしました」
「新しく同じ建物を作るのは、いったん止めよう。
ただ、今住んでいる人は追い出さない」
正式な住居を用意するまでの間に、最低限の安全を確保する。
火を使う場所を一か所にまとめる。
水桶を用意する。
汚水を捨てる場所を決める。
共同の厠を増やす。
一つの部屋に住める人数も決めなければならない。
「それだけでも、すぐに手配いたします」
レナードは頷いた。
「しかし、根本的には住宅を増やさなければなりません」
「将来の住宅区域を広げる計画はあるんだよね?」
「ございます。ただ、予定では来年から整備を始めることになっておりました」
「今から始めたら、家ができるまでどれくらいかかる?」
「道路と排水、井戸を整えたうえで住宅を建てますので、早くても数か月は必要です」
それでは、その間に同じような建物がさらに増えてしまう。
戸建て住宅を一軒ずつ建てれば、壁も屋根もそれぞれ必要になる。
金だけでなく、職人と時間も足りない。
俺は、目の前の細長い建物を見た。
形そのものが悪いわけではない。
問題は、何人住むのかも、水や排水をどうするのかも決めず、空いている場所へ勝手に建てたことだ。
「レナード。こちらで、似た形の建物を造ろう」
「この建物と同じものを、でございますか?」
「まったく同じじゃないよ。一つの建物を、いくつかの家に分けるんだ」
俺は地面へしゃがみ、枝で簡単な図を描いた。
細長い建物の中を、同じくらいの大きさに分けていく。
「隣の家と壁を共有すれば、一軒ずつ家を建てるより木材が少なくて済む。
屋根もまとめて作れるから、早く建てられる」
「なるほど……」
「こういう建物を、長屋と呼ぶんだ」
「長屋、でございますか」
前世の江戸時代にあった長屋ほど、狭くする必要はない。
ただ、今は立派な家を何十軒も建てるより、早く安全な部屋を用意することが大切だ。
「先に、住む人数を決める。建てる場所も役場で決める。
井戸と厠と排水を作って、建物同士の間も空ける」
「火が出た場合に、隣の建物へ燃え移らないようにするのですね」
「うん。一棟を長くしすぎるのも危険だから、いくつかに分けた方がいい」
「単身の作業員と家族では、必要な広さも違います」
「それなら、最初は二種類にしようか」
一棟は、単身で働きに来た者たちのため。
もう一棟は、夫婦や子どもと暮らす者たちのため。
初めから大量には建てない。
まず二棟を建て、必要な木材、工期、実際の住みやすさを確認する。
「ただし、長屋を最後まで住み続ける家にはしないよ」
「正式な住宅が完成するまでの住まいにするのですか?」
「うん。住宅区域の家が完成したら、希望する人から順番に移ってもらう」
「期限を決めて退去させるのでしょうか」
「期限が来たから追い出すのは駄目だよ。
次の住まいを用意してから移ってもらうんだ」
長屋の入居者は、役場で記録する。
家賃は宿より安くするが、無料にはしない。
受け取った家賃の一部を、屋根や壁、井戸、厠の修繕に使う。
安いからといって、壊れたまま放置すれば、長屋そのものが別のスラムになってしまう。
「将来は、もっときちんとした住宅地を作りたいんだけどね」
「現在の住宅区域より、さらに大きなものをですか?」
「住宅だけじゃなくて、学校や店、広場まで一緒に配置した場所かな」
前世でいう団地だ。
多くの家族が暮らし、必要な施設へ歩いて行ける住宅地。
だが、それを今から計画して建てていたら、目の前の住宅不足には間に合わない。
「今は理想の町を考えるより、早く安全な住まいを用意する方が先だよ」
「承知いたしました。長屋を建てられる土地と、必要な費用を確認いたします」
「今日のうちに、この建物の人数も確認してね。
ほかにも同じような場所がないか調べてほしい」
「すぐに始めます、リオン様」
俺は、もう一度三棟の建物を見た。
西の森は、計画に沿って作られてきた。
だが、町の成長が、その計画を追い越している。
人が集まること自体は悪くない。
新しい仕事が生まれ、この土地で暮らしたいと思う者が増えた証拠でもある。
しかし、住む場所がなければ、町の外側に管理できない住居が増えていく。
ここで暮らす者を追い出すのではなく、役場が把握できる場所へ、安全で安い住居を用意する。
正式な住宅が完成するまで、人々の暮らしをつなぐ。
町の成長が、新しい貧しさを生み出してしまう前に。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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