第408話 店を開く前に
翌朝。
俺はピコを抱き、転移魔法で西の森のリバーシ工房へ移動した。
「ピー!」
「今日も西の森だよ」
昨日は、子どもたちの学校を確認した。
今日はレナードから、温泉街の排水について話を聞く予定だ。
工房を出ると、入口の前でレナードが待っていた。
「お待ちしておりました、リオン様」
「朝からありがとう」
「昨日も西の森へいらしていたと聞きました」
「学校を見ていたんだ」
「一日に一つだけ確認して、お帰りになったそうですね」
「何かおかしい?」
「いえ。リオン様にしては珍しいと思っただけです」
「父上にも似たようなことを言われたよ」
俺はピコを肩掛け鞄へ入れ、レナードとともに温泉街へ向かった。
◇
「以前より、臭いは減ったと思う」
通りの脇を流れる排水路を見ながら、俺は言った。
「はい。飲食店から出る排水を見直した効果が出ております」
以前確認した時には、排水路の一部に油や食べ物のかすがたまっていた。
そこで、温泉から出る湯と、飲食店から出る汚れた水を可能な範囲で分けた。
さらに、飲食店の排水口には、食べ物のかすを受ける籠を置いている。
「店の人たちは、毎日籠を掃除しているの?」
「多くの店は協力してくれております。共用の排水路についても、確認する者を決めました」
「詰まりは?」
「以前より減っております」
大規模な排水設備を作ったわけではない。
それでも、流すものを減らし、誰が確認するのかを決めただけで、状態は改善している。
「ただ、一か所だけ見ていただきたい場所がございます」
レナードに案内され、温泉街の奥へ向かう。
新しい宿や店が建ち始めている一角だった。
一軒の飲食店の裏側で、排水路の流れが悪くなっている。
水の表面には薄く油が浮き、細かな食べ物のかすが端にたまっていた。
「ここは、籠を置いていないの?」
「開業して間もない店です」
レナードが店の裏口を叩く。
しばらくすると、四十代ほどの男が出てきた。
「レナード様。それに、リオン様まで……」
「この店の排水について、少し聞かせてもらってもいい?」
「はい」
「調理で出た水は、そのままここへ流しているの?」
「そうですが……何か問題がございましたか?」
店主は不安そうに排水路を見る。
「残った食べ物や油も一緒に流れているみたいなんだ」
「申し訳ございません。すぐに改めます」
「責めているわけじゃないよ。排水について、店を始める前に説明を受けた?」
「いいえ」
店主が首を横に振る。
「以前いた町でも、料理に使った水は店の裏へ流しておりました。
こちらでも同じだと思っておりました」
悪意があったわけではない。
そもそも、西の森で決めた方法を知らなかったのだ。
「食べ物のかすを受ける籠を用意して、油はそのまま流さないようにしてほしい」
「承知しました」
「レナード。必要な道具と、処理の方法を説明してあげて」
「かしこまりました」
俺たちは店主と別れ、少し離れた場所まで歩いた。
「新しい店ができるたびに、排水の説明をしているの?」
「営業が始まった後、問題に気づけば説明しております」
「始まった後なんだ」
「新しい建物については把握しております。
ただ、いつから、どのような店を始めるのかまでは分からないことがあります」
西の森には、商人や職人が次々に集まっている。
建物を借り、すぐに商売を始める者もいる。
今の方法では、店が開いてから問題を見つけることになる。
問題が起きてから解決する。
それでは遅い。
前世で会社を経営していた時も、大きな問題の多くには小さな兆しがあった。
売上が落ちてから慌てるのではなく、客の変化を先に見る。
社員が辞めてから理由を調べるのではなく、不満が積み重なる前に話を聞く。
内政も同じだ。
食品価格が上がり、領民が生活に不満を持ってから対応するのでは遅い。
排水処理が追いつかず、町が汚れてから大規模な工事を始めるのでも遅い。
問題が起きてから解決するのではなく、起きる前に防ぐ。
その方が、必要な費用も人手も少なくて済む。
「店を開いてから確認するのではなく、開く前に確認できないかな」
「開く前に、ですか?」
「飲食店を始める人には、先に届け出てもらうんだ」
レナードが足を止める。
「何を売る店なのか。どこから水を得るのか。
排水をどこへ流すのか。食べ物のかすや生ごみを、どう処分するのか。
それを確認してから営業を認める」
「飲食店を、許可制にするということでしょうか」
「うん」
商売を邪魔するためではない。
店を始めた後で設備を直すより、最初から必要なものを用意した方が、店主にとっても負担が少ない。
「何を確認いたしましょうか」
「最初から細かくしすぎると、誰も守れなくなる」
俺は、先ほどの店の裏側を振り返った。
「まずは、今起きている問題を防げる内容に絞ろう」
確認するのは、調理や食器洗いに使える水があること。
排水が共用の排水路まで流れること。
残飯を受ける籠や網を設置していること。
油や生ごみの処分方法が決まっていること。
食材を地面へ直接置かず、生の肉と調理済みの料理を分けて保管できること。
そして、トイレや家畜小屋が井戸や調理場に近すぎないこと。
「それらを確認して、問題がなければ営業を認める木札を渡す」
「木札を店先へ掲げさせるのですか?」
「そうしよう。確認を受けた店だと、客にも分かるからね」
「店にとっても信用になりますな」
許可を取ることが負担にしかならなければ、隠れて営業する者が出るかもしれない。
許可を受けたことが店の信用につながるなら、届け出る理由になる。
「すでに営業している店は、どういたしましょうか」
「いきなり止めるのはやめよう」
これまで決まりがなかった以上、知らずに営業している店を罰するのは違う。
「既存の店は順番に確認する。
問題があれば、何を直せばいいか伝えて、期限を決める」
「すぐに営業停止にはしないのですね」
「食材が腐っているとか、水がひどく汚れているとか、すぐに危険がある場合は別だけどね」
「改善を求めても従わない場合は?」
「その時は、営業を止めることも考えないといけない」
柔らかい制度にしても、守らなくてよい制度にしてはいけない。
レナードは考え込むように、通りの先を見た。
「制度を作ることには賛成です。しかし、確認する人手が足りません」
「今でも忙しい?」
「建物や道路の確認、移住者への対応、宿や商人からの相談も増えております」
新しい仕事を増やす以上、誰が担当するのかも決めなければならない。
「レナードが全部確認する必要はないよ」
「ほかの者へ任せるのですか?」
「確認する項目を決めて、同じ順番で見ればいいようにするんだ。
排水については作業員、食材の保管については宿や料理に詳しい人にも見てもらう」
「判断が難しいものだけ、私へ報告させるのですね」
「うん。レナードにしかできない仕事にしたら、店が増えた時に止まってしまうから」
昨日見た学校も同じだった。
マルタ一人にすべてを任せたままでは、子どもの数を増やせない。
誰か一人の能力に頼る仕組みは、その人が忙しくなった時に動かなくなる。
「まず、西の森だけで試そう」
「領都では行わないのですか?」
「ここで実際に運用して、問題を直してからの方がいい。
うまくいけば、領都でも使えるかもしれない」
レナードには、現在営業している飲食店と、開業を予定している店を調べてもらう。
同時に、確認項目の案をまとめてもらうことにした。
「制度として始めるなら、父上の許可も必要だね」
「では、こちらで案をまとめ、旦那様へお送りいたします」
「俺からも話すよ」
◇
話を終えた後、俺たちは温泉街を見渡せる場所へ移動した。
建設途中の宿。
新しく骨組みが組まれた店。
荷物を運ぶ商人や、仕事を探しに来た者たち。
少し離れた場所では、さらに新しい道を作るため、木を切り倒している。
「店が増える速さも、上がっているね」
「はい。この勢いが続けば、来年には今の倍近い店が並んでいるかもしれません」
西の森は、すでに小さな集落ではなくなり始めている。
領都エリアスも同じだ。
新しい産業が生まれ、働く者が増え、住宅や店が広がっている。
西の森も領都も、これから五年、十年と急速に大きくなっていくだろう。
だが、人や店が増えるだけでは、町はうまく回らない。
道路。
排水。
学校。
食品の管理。
ごみの処理。
商人や職人への対応。
町が大きくなれば、行政が担う仕事も増えていく。
今の人数と方法のままでは、いずれ対応が追いつかなくなるかもしれない。
行政側の遅れが、せっかくの領地の成長へ水を差す可能性もある。
「ピー」
鞄の中からピコの声が聞こえた。
俺は、建設が続く温泉街を眺めた。
今の俺は、学院が休みの間だけ領地へ戻っている。
気づいた問題へ口を出し、小さな試験を始める。
だが、二学期が始まれば王都へ戻り、その続きを父上やエリアス、レナードたちへ任せなければならない。
中途半端に口を出しているだけではないか。
そう感じることもある。
もちろん、学院で学ぶことには意味がある。
王立研究所でしか学べないことも多い。
それでも、ハル領で俺が貢献できることは、まだいくらでもあるはずだ。
卒業して領地へ戻れば、夏休みの間だけではなく、もっと長い時間をかけて取り組める。
問題が起きる前に変化を見つけ、必要な仕組みを作ることもできる。
王都で学び続ける道もある。
だが、俺が本当に力を使いたい場所は、ここなのかもしれない。
建設途中の町を見つめながら、卒業後にハル領へ戻る自分の姿が、以前より少しだけはっきりと見え始めていた。
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