第407話 最初の一か月
「元日本最強の探索者、今はダンジョン救助員です」も連載中です。
https://ncode.syosetu.com/n8731mn/1から読めますので、ぜひ読んでみて下さい。
西の森で子どもたちの学校を始めてから、一か月が過ぎた。
十人だけで始めた、小さな試みだ。
俺はマルタがまとめた一か月分の記録を持ち、父上の執務室を訪れていた。
「一人も来なくならなかったのか」
父上が、記録へ目を落としたまま尋ねる。
「はい。毎日来ているわけではありませんが、十人全員が通い続けています」
家畜の世話がある日。
畑仕事を手伝う日。
家族と森へ入る日。
子どもたちにも、それぞれ家での役割がある。
決まった時間に通わせようとすれば、続けられない子もいただろう。
「来られる時間に来て、前回の続きから学ぶ方法が機能しているようです」
「一斉に同じことを教えなくても、学校として成り立つのだな」
「十人だからできている面もあると思います」
人数が増えれば、今と同じ方法ではマルタ一人の負担が大きくなる。
記録を読むだけでは分からないこともある。
「今日、実際に様子を見てきます」
「また西の森へ行くのか」
「学校の確認です」
「今度は何を始めるつもりだ?」
「今日は始めません。始めたことを確かめに行くのです」
父上は疑うような目を向けた。
「本当だな?」
「たぶん」
「そこで、たぶんと言うな」
父上の声を背に受け、俺は執務室を出た。
◇
ピコを抱いて転移すると、西の森のリバーシ工房にある小部屋へ出た。
「ピー!」
「着いたよ」
俺はピコを肩掛け鞄へ入れ、工房から学校へ向かった。
温泉街を抜けると、以前より人通りが増えている。
宿へ荷物を運ぶ者。
食材を積んだ荷車を引く者。
仕事を求めて掲示板を見ている者。
一か月前と比べても、西の森は少しずつ変わり続けていた。
学校として使っているのは、夜間学校の教室だ。
昼間は大人たちが働いているため、空いている時間を子どもたちが使っている。
教室へ近づくと、開いた窓から子どもたちの声が聞こえてきた。
「五つに三つ足したら?」
「八つ!」
「数え石を使わなくても分かったの?」
「昨日、家で薪を数えたから!」
俺が入口から中をのぞくと、教室には六人の子どもがいた。
全員が同じことをしているわけではない。
二人は数え石を並べて計算している。
三人は木板へ文字を書いている。
残る一人は、マルタの隣で短い文章を読んでいた。
「リオン様」
こちらに気づいたマルタが、立ち上がろうとする。
「そのままでいいよ。今日は授業を見せてもらいに来たんだ」
子どもたちが一斉に俺を見る。
「こんにちは」
「こんにちは、リオン様!」
以前は声をかけても緊張していた子どもたちが、今は自然に返してくれた。
「今日は六人なんだね」
「午前中は八人おりました。
そのうち二人は、昼から家の仕事があるため、先ほど帰ったところです」
マルタが答える。
「午前中に来られなかった子が、家畜の世話を終えてから、もう一人来る予定です。
残る一人は、今日は家の仕事で来られません」
「全員がそろう日はある?」
「ほとんどございません」
「教えにくくない?」
「最初は戸惑いました」
マルタは、教室の壁に掛けられた板を示した。
十人の名前と、その横にいくつかの印が書かれている。
「今は、どこまで学んだかを一人ずつ記録しています。
来た時に前回の続きから始められるようにしました」
文字を覚えた数。
読める言葉。
できるようになった計算。
簡単な記録ではあるが、子どもごとの進み方が分かるようになっていた。
「決まった時間に来なければならない形にしていたら、続かなかった子もいたと思います」
「やっぱり、家の仕事があるから?」
「はい。来られなかったことを叱られると思い、最初は入口まで来て帰ろうとした子もいました」
マルタは、文字を書いている男の子を見る。
「ですが、来られた時に来ればよいと伝えてからは、短い時間でも顔を出すようになりました」
男の子はこちらの視線に気づくと、木板を両手で持ち上げた。
「リオン様、見て!」
木板には、少し曲がった文字が並んでいる。
「何て書いたの?」
「俺と、父ちゃんと、母ちゃんの名前!」
一つずつ指で示しながら読んでいく。
形の崩れている文字もあるが、三人分の名前を最後まで読むことができた。
「全部覚えたんだね」
「うん。昨日、父ちゃんにも書いて見せた」
「お父さんは何て言ってた?」
「自分の名前より、薪の数を先に覚えろって」
周りの子どもたちが笑う。
「でも、その後、もう一回書いてくれって言ってた」
男の子も、少し照れたように笑った。
読み書きを覚えたからといって、すぐ生活が大きく変わるわけではない。
それでも、自分や家族の名前を書けるようになった。
家で運んだ薪の数を間違えずに残せるようになった。
始める前にはできなかったことが、少しずつできるようになっている。
◇
「困っていることはある?」
子どもたちがそれぞれの課題へ戻った後、俺はマルタへ尋ねた。
「一番困っているのは、以前学習した内容を残せないことです」
「木板を使っているからだね」
「はい。新しい文字を書くには、前に書いたものを消さなければなりません」
マルタは自分の帳面を見せた。
子どもたちが何を学んだかは、マルタが毎日記録している。
「十人なら、まだ私一人でも記録できます。
ですが、人数を増やせば難しくなるでしょう」
「教える方は?」
「それも、少しずつ難しくなっています」
文字を一つずつ覚えている子。
短い文章を読み始めた子。
数え石を使って足し算をしている子。
同じ一か月でも、進み方はそれぞれ違う。
「同時に何人も分からないところを尋ねに来ると、待たせてしまいます」
「誰かに手伝ってもらえそう?」
「夜間学校で学んでいる若者の中に、昼間でも時間を作れる者が一人おります。
ただ、本人も仕事がありますので、毎日は難しいと思います」
「毎日でなくてもいいよ。人が多く来る日だけでも手伝ってもらえるか、聞いてみよう」
「よろしいのですか?」
「もちろん、働いた時間には報酬を払う。
善意だけで続けてもらうわけにはいかないからね」
学校を続けるために必要なのは、教師の努力だけではない。
教える者が疲れ切れば、いずれ続かなくなる。
「それから、見てもらいたいものがあるんだ」
俺は鞄から数枚の試作紙を取り出した。
ピコが一緒に出ようとしたので、片手で押さえる。
「ピコは鞄の中だよ」
「ピー……」
「これは紙ですか?」
マルタが、黄みがかった紙を受け取った。
「リナ樹の樹皮だけで作ったんだ。
まだたくさんは作れないけど、文字を書くことはできる」
マルタは紙の表面を指で確かめた。
「今使っている紙より粗いですね」
「うん。少しインクもにじむ。でも、学校で使うなら十分だと思う」
「子どもたちに配るのですか?」
「数枚しかないから、今すぐ毎日使わせるのは難しい」
俺は教室を見渡した。
「この紙が少しだけ使えるなら、何に使いたい?」
マルタはしばらく考えた。
「月の初めと終わりに、同じ文字を書かせたいです」
「同じ文字を?」
「はい。木板では前に書いたものが残りません。
紙へ残せば、どれだけ上手になったか、本人にも分かります」
「なるほど」
「計算も、一枚だけ残せれば、どこで間違えやすいかを確かめられます」
紙が十分にないなら、すべての練習に使う必要はない。
普段はこれまでどおり木板を使う。
紙は、成長を比べるための記録に使う。
「それなら、少ない紙でも役に立ちそうだね」
「子どもたちも、自分が書いたものを家へ持ち帰れます」
家族へ見せられることも、通い続ける理由になるかもしれない。
「次の試作品ができたら、何枚かこの学校へ回すよ」
「ありがとうございます」
◇
「もう一つ、ご相談がございます」
マルタが、教室の外へ目を向ける。
「この学校の話を聞いて、子どもを通わせたいという家が増えています」
「何人くらい?」
「今のところ、七つの家庭から話を聞いています。
兄弟を通わせたい家もありますので、十人を超えるかもしれません」
現在の十人と合わせれば、二十人近くなる。
「受け入れられそう?」
俺が尋ねると、マルタはすぐには頷かなかった。
「今のままでは、難しいと思います」
「そうだよね」
学校がうまくいっているからといって、すぐに人数を倍にすれば、教える側が対応できなくなる。
「まず、手伝ってくれる人を決めよう」
「はい」
「それから、今使っている進み方の記録を、誰でも分かる形に整えたい。
マルタが休んだ日でも、別の人が前回の続きを教えられるように」
「考えてみます」
「通いたいと言っている家庭には、少し待ってもらおう。
ただ、どの時間なら通えるのか、家でどんな仕事をしているのかは聞いておいてほしい」
「次に受け入れる時のためですね」
「うん。人数だけ増やして、来られなくなったら意味がないから」
十人の子どもたちが一か月通い続けた。
それは成功と言っていい。
だが、学校が完成したわけではない。
人を増やす前に、今見えている問題を直す必要がある。
「次の一か月も、今の十人で続けよう」
「承知しました」
「補助の先生を置いて、記録の方法も試す。
その結果を見てから、新しい子どもたちを受け入れよう」
マルタが、はっきりと頷いた。
◇
学校を出る頃には、午後の仕事を終えた子どもが一人、教室へ駆け込んできた。
「遅くなりました!」
「大丈夫ですよ。前の続きから始めましょう」
マルタが笑顔で迎える。
来られる時間に来る。
ほかの子に遅れていても、前回の続きから始める。
それだけのことが、この子を学校につなぎ止めている。
「ピー」
鞄の中から、ピコの声が聞こえた。
「もう少し静かにしていてね」
「ピー……」
俺は温泉街へ戻りながら、この夏休みに始めたことを思い返した。
学校。
食品値上げ対策からの農業試験、他領からの購入。
排水設備の改善。
新しい紙の原料。
始める時には見えなかった問題が、少しずつ現れ始めている。
始めるだけなら、勢いでもできる。
だが、続けるためには、その後に何が起きたのかを確かめなければならない。
西の森の学校は、一か月で完成したわけではない。
それでも、十人の子どもたちは、昨日まで読めなかった文字を少しずつ読めるようになっていた。
夏休みに始めたことを、始めただけで終わらせない。
これからは、その一つ一つを確かめる番だった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
少しでも何かを感じて頂けたら評価とブックマークで応援いただけると執筆の励みになります!




