第405話 木からできた紙
「元日本最強の探索者、今はダンジョン救助員です」も連載中です。
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紙工房を訪れてから、五日が過ぎた。
朝食を終えたところで、ベルトから試作が完成したという知らせが届いた。
「できたんだ」
「ピー?」
足元にいたピコが、俺を見上げる。
「この前、水に浸していた樹皮が紙になったみたいだよ」
「ピー!」
「今日は水浴びをするわけじゃないからね」
「ピー?」
ピコを肩掛け鞄へ入れ、俺は領都の紙工房へ向かった。
◇
「お待ちしておりました、リオン様」
工房へ着くと、ベルトが入口まで迎えに来た。
前に訪れた時より、表情が明るい。
「紙はできたの?」
「はい。こちらへどうぞ」
作業場の奥にある机へ案内される。
机の上には、数枚の紙が並べられていた。
既存の紙よりも少し黄みがかっている。
表面には細かな繊維が見え、厚さも一枚ごとにわずかな違いがあった。
「これが、リナ樹の樹皮だけで作った紙?」
「はい。麻布や縄の繊維は混ぜておりません」
俺は一枚を手に取った。
表面は少し粗い。
だが、端をつまんで軽く引いても、簡単には破れなかった。
「ちゃんと紙になっているね」
「我々も驚きました。内皮を煮た後、思っていた以上に繊維がきれいにほぐれたのです」
近くにいた職人たちも、どこか嬉しそうな顔をしている。
古布や麻縄は、集まる量が安定しない。
だが、リナ樹の樹皮は、西の森で駒や木箱を作るたびに出る。
製材所で種類を分けて残してもらえば、これまでより原料を集めやすくなる。
「これまで、紙を作りたくても原料が足りず、注文を断ることもございました」
ベルトが試作紙を見ながら言う。
「リナ樹の樹皮を安定して受け取れるのであれば、今より多くの紙を作れるようになります」
「職人のみんなにとっても、役に立ちそう?」
「もちろんです。新しい原料が見つかったのですから」
安い紙を作ろうとすることに警戒していたベルトたちも、今はリナ樹の可能性を喜んでいる。
「実際に文字を書いてもいい?」
「そのために仕上げたものが、こちらです」
ベルトが、試作紙の中から一枚を差し出した。
俺は机の上に置き、ペンへインクをつける。
『リナ樹試作紙 第一号』
ゆっくりと文字を書いた。
ペン先が少し引っかかる。
既存の紙よりも、インクがわずかに広がった。
それでも文字は崩れず、十分に読むことができる。
「書ける……」
「上質紙ほど滑らかではございませんが、文字を残すことはできます」
「これなら、学校の練習用には使えそうだね」
子どもたちが文字を書く。
簡単な計算問題を解く。
教師が短い教材を作る。
文官が下書きに使う。
王宮へ提出する文書には向かなくても、使い道はいくらでもある。
「ピー!」
鞄から出てきたピコが、机の上の紙へ体を伸ばした。
「これは食べたら駄目だよ」
「ピー?」
「大型ウサギより作るのが大変なんだから」
「大型ウサギを食べるのでございますか?」
ベルトが驚いた顔をする。
「その話は、また今度にしよう」
「ピー!」
ピコだけが得意そうに弾んだ。
◇
「この紙なら、今までより安く作れそう?」
俺が尋ねると、ベルトはすぐには答えなかった。
「原料については、これまでより入手しやすくなるでしょう」
「ほかに問題がある?」
「紙を作る手間は、あまり変わっておりません」
作り方は、これまでの紙とほとんど同じだった。
「それに、今回はリナ樹の扱いが分からず、乾燥後に破れたものもございます」
机の端には、穴の開いた紙や、厚さが偏った紙も置かれている。
「原料が増えても、今の人数で作れる枚数には限りがある?」
「はい。生産を増やすのであれば、職人だけでなく、釜や水槽、乾燥させる場所も必要になります」
紙を作ることはできた。
だが、紙ができたことと、領民が気軽に買える値段で大量に作れることは別だった。
「すぐに学校へ何百枚も届けるのは難しそうだね」
「申し訳ございません」
「謝らなくていいよ」
これまで使われずに余っていた樹皮が、紙の原料になると分かった。
それだけでも、大きな前進だ。
「まずは、同じ品質の紙を繰り返し作れるか確かめてほしい」
「承知しました」
「製材所から届く樹皮の状態も、毎回同じとは限らないからね」
採った時期。
乾燥の具合。
内皮の厚さ。
それによって、必要な作業も変わるかもしれない。
急いで大量に作ろうとすれば、品質がばらばらになる。
「今まで通り、使った樹皮の量と作業時間、できた枚数を記録しておいて」
「同じ紙を作れる条件を探してまいります」
「お願いするよ」
◇
屋敷へ戻った俺は、試作紙を自室の机へ置いた。
前世では、紙を特別なものだと思ったことなどなかった。
会議の資料。
契約書の控え。
手書きのメモ。
書き間違えれば、新しい紙へ書き直す。
必要がなくなれば、ためらいもなく捨てていた。
だが、一枚の紙を作るために、これほど多くの手間が必要になる。
原料を集め、洗い、煮て、叩き、すいて、乾かす。
前世で当たり前に使っていた紙が、こんなにも作るのが難しいものだとは思わなかった。
「ピー」
ピコが机の脚へ体を寄せる。
俺は試作紙を持ち上げ、窓から差し込む光へ透かした。
繊維の重なりにむらがある。
色も白くない。
それでも、文字を書くことはできる。
だが、領内の子どもたちへ何枚でも配れるようになるまでには、まだ遠い。
「すぐには難しくても、いつかは安く作れるようにしたいね」
「ピー!」
誰もが、書き間違えることを惜しまなくてよい紙。
誰もが、自分の学んだことを残せる紙。
俺は少し黄みがかった最初の一枚を、破らないよう両手で持ち直した。
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