第404話 紙が高い理由
新連載はじめました
「元日本最強の探索者、今はダンジョン救助員です」という物語です。
https://ncode.syosetu.com/n8731mn/1から読めますので、ぜひ読んでみて下さい。
翌朝。
朝食を終えた俺は、屋敷へ来ていたエリアスに声をかけた。
「紙を作っている工房について聞きたいんだけど」
俺の質問に、エリアスが手にしていた書類から顔を上げた。
「領都の紙工房でございますか?」
「うん。領内で使っている紙の多くは、そこで作られているんだよね?」
「はい。屋敷や文官たちが使用している紙の多くも、その工房から購入しております」
「ほかには、どこへ紙を売っているの?」
「主な納入先は領主家、神殿、それに規模の大きな商会です。
領都の裕福な家庭から注文を受けることもあるそうですが、量は多くありません」
「一般の家庭では、ほとんど買わない?」
「紙を日常的に買える領民は、ごく一部でしょう」
エリアスが手にしていた紙を一枚持ち上げる。
「文官たちも、保存する必要のない計算には木板を使っています。
紙に残すのは、税や支出、命令、契約など、後から確認する必要があるものが中心です」
領地を運営する文官たちでさえ、紙を自由に使えるわけではない。
「西の森で、子どもたちの学校を始めることになったんだ」
「レナードから報告を受けております」
「今は木板や石板を使う予定だけど、領内のほかの場所へ学校を広げたら、それだけでは足りなくなると思う」
子どもごとの教材。
文字を書く練習。
計算問題。
教師が使う見本。
学んだ内容を残すための記録。
紙が必要になる場面はいくらでもある。
「今と同じ紙を、生徒全員に使わせたらどうなる?」
エリアスは少し考えてから答えた。
「学校の規模にもよりますが、紙代が教師への報酬や教室の維持費を上回る可能性があります」
「やっぱり、そうなるよね」
紙を使える子どもだけが学べるのであれば、教育を広げたことにはならない。
「領都の紙工房を見せてもらいたいんだ。話を通してもらえる?」
「もちろんです。ただ、何か問題があったのでしょうか」
「違うよ。今の紙がどうやって作られていて、なぜ高いのかを知りたいんだ」
俺は持ってきた二種類の樹皮を見せた。
「それから、この樹皮が紙の材料にならないか、職人に聞いてみたい」
エリアスは白っぽい内皮が見える樹皮へ目を向けた。
「木の樹皮から紙を?」
「作れるかどうかは分からない。だから、まず確かめてみるよ」
◇
領都の紙工房は、川から引いた水路に近い場所にあった。
石造りの作業場と、屋根の下に板が並べられた乾燥場所が隣接している。
工房へ入る前に、俺は肩掛け鞄を軽く叩いた。
「ピコ。今から工房に入るけど、勝手に飛び出したら駄目だよ」
「ピー」
「昨日も同じ返事を聞いた気がするな」
「ピー?」
エリアスから連絡を受けていたらしく、入口には五十代ほどの男が待っていた。
「リオン様、お待ちしておりました。工房主のベルト・ハーゲンと申します」
「急にお願いしてごめんね」
「いえ。ただ、屋敷へ納めた紙に何か問題がございましたでしょうか」
ベルトの表情には、わずかな緊張が見える。
「問題があって来たわけじゃないよ。
今日は紙の作り方を見せてほしいんだ」
「紙の作り方を、ですか?」
「領民のための学校を増やしたいと思っている。
でも、今の紙は子どもたちが何度も文字を書くためには高すぎる。
安い紙を作る方法がないか考えたいんだ」
ベルトの表情が少し硬くなった。
「現在の紙を、今より安く納めるようにとのお話でしょうか」
「違うよ」
俺はすぐに首を振った。
「今の紙が高い理由も知らずに、値段だけを下げてほしいとは言えない。
まず、どうやって作っているのかを知りたいんだ」
ベルトは俺の顔をしばらく見た後、ゆっくりとうなずいた。
「わかりました。では、順番にご案内いたします」
「あ、その前に一つ伝えておくね」
俺は肩掛け鞄を示した。
「この中に、俺の仲間のスライムがいるんだ。出しても大丈夫?」
「スライム……でございますか?」
「人を襲ったりはしないよ。ただ、水が好きだから、水槽に入ろうとするかもしれない」
「紙をすくための水槽には、入れないようお願いいたします」
「分かった。ピコも聞いたよね?」
「ピー!」
鞄の中から返事が聞こえ、ベルトが一歩だけ後ろへ下がった。
「返事をするのですね……」
「ある程度は分かっているみたいなんだ」
鞄の口を開けると、ピコが飛び出して俺の足元へ着地した。
「ピー!」
「俺の近くにいてね」
◇
最初に案内された場所には、古い布や縄、麻袋が積まれていた。
「これが紙の原料?」
「はい。主に麻で作られたものを使います」
職人たちが古布を広げ、金具や縫い目を外している。
汚れのひどい部分や、油の染み込んだ部分も切り分けていた。
「使えなくなった布なら、安く集められるんじゃないの?」
「使えなくなったと言いましても、ほかの用途がございます」
ベルトが古い布を手に取る。
「まだ丈夫な部分は衣服の補修に使われます。
汚れを拭く布や、怪我人の手当に使うこともあります。
細く裂いて縄へ作り直す者もおります」
「紙にできるほど古くなった布だけが、ここへ来るんだ」
「はい。裁縫工房から出る切れ端も買い取っていますが、常に同じ量が出るわけではございません」
「紙を増やしたくても、原料が足りない?」
「その通りです。注文が増えても、すぐ生産量を増やすことはできません」
紙が高い理由の一つは、原料そのものが少ないことだった。
次に案内されたのは、水を張った大きな桶が並ぶ場所だ。
選別された布を細かく切り、水の中で何度も洗っている。
「泥や油が残っていると、紙に穴が開いたり、文字を書いた時にインクを弾いたりします」
「洗うだけでも時間がかかりそうだね」
「水を替えながら、何度も行いますので」
洗った原料は、灰汁を入れた釜で煮る。
工房の奥では、大きな釜から湯気が立ち上っていた。
職人が薪を足しながら、中の状態を確かめている。
「どのくらい煮るの?」
「原料によって変わります。古い縄は硬いため、布より長く煮なければなりません」
「火も、ずっと見ていないといけないんだね」
「灰汁が強すぎても、煮る時間が長すぎても、繊維が傷みます」
ただ釜に入れて待てばいいわけではない。
原料の状態を見ながら、灰汁の量や火加減を変えている。
煮終わった繊維は、再び水で洗われる。
その隣では、二人の職人が木槌を振り下ろしていた。
濡れた繊維を何度も叩き、細かくほぐしている。
木槌が台へ当たる音が、一定の間隔で工房内に響いていた。
「これは、どのくらい続けるの?」
「繊維の状態によります」
ベルトが叩かれた原料を指でつまむ。
「十分にほぐれなければ、紙をすいた時に繊維同士が絡みません。
ですが、叩きすぎれば繊維が短くなり、破れやすい紙になります」
「時間を決めればいいわけじゃないんだ」
「はい。職人が手で確かめながら判断します」
交代しながらとはいえ、長時間木槌を振り続ける。
紙一枚のために、これほど人の手がかかっているとは思っていなかった。
ほぐされた繊維は、大きな水槽へ入れられた。
水の中に、白い繊維が細かく漂っている。
「ピー!」
ピコが水槽へ向かって弾んだ。
「ピコ、待って」
俺は水槽へ届く前に抱き上げた。
「ここは入ったら駄目だよ」
「ピー……」
「水浴びの場所じゃないからね」
職人たちが苦笑している。
ベルトは細かな網を張った木枠を水槽へ沈めた。
ゆっくり持ち上げると、網の上に薄い繊維の層が残る。
木枠を前後左右へ細かく動かし、繊維を均一に広げていく。
「簡単そうに見えるけど、難しい?」
「初めての者が行えば、厚さが偏ります。穴が開くこともございます」
すいたばかりの紙は、まだ水を多く含んでいる。
職人はそれを布の上へ移し、さらに紙と布を交互に重ねていった。
何枚も重ねた後、板で挟み、上から圧力をかけて水を抜く。
その後、一枚ずつ板へ貼りつけて乾燥させる。
「乾いたら完成?」
「そのままでは、インクを吸いすぎます。
にじみを抑えるための仕上げを行い、表面も整えます」
一枚の紙が完成するまでに、原料の選別、洗浄、煮込み、叩く作業、紙すき、圧搾、乾燥、仕上げが必要になる。
しかも、その多くを人の目と手で確かめている。
紙が高いのは、職人が不当に値段を上げているからではない。
今の原料と作り方では、安くできないだけだった。
「これだけの作業が必要なら、今の値段になるのも分かるよ」
俺がそう言うと、ベルトの緊張が少し和らいだように見えた。
「安い品ではございませんが、我々も必要以上の値をつけているつもりはありません」
「うん。今日見せてもらって、それは分かった」
◇
「それで、見てもらいたいものがあるんだ」
俺は持参した二種類の樹皮を取り出した。
「西の森で使われている木の樹皮だよ」
最初に、グラン樹の樹皮を渡す。
ベルトは硬い外側を削り、内側を指で引っ張った。
「硬いですね。油気も多い」
「紙にするのは難しそう?」
「煮れば多少は柔らかくなるでしょう。
しかし、繊維を分けるまでに相当な手間がかかると思われます。
紙にできたとしても、安い紙にはならないかもしれません」
グラン樹は住宅の柱や梁、リバーシの盤に使われている。
硬く反りにくい性質は木材として優秀だが、紙には向かないようだ。
次にリナ樹の樹皮を渡す。
ベルトは表面を削り、白っぽい内皮を露出させた。
細く裂くと、長い繊維が残る。
「こちらは……」
ベルトの表情が変わった。
「紙にできそう?」
「繊維は、現在使っている一部の草に似ています。
少なくとも、試す価値はあるでしょう」
「リナ樹は、リバーシの駒や木箱に使われているんだ。
成長も比較的早いらしい」
「この樹皮は、現在どのように使われているのでしょうか」
「一部は焚きつけや家畜の敷物に使っている。
でも、建築やリバーシの生産が増えて、使い切れずに余っている」
「原料を安定して集められるなら、古布より扱いやすい可能性はございます」
ただし、ベルトはすぐに続けた。
「ですが、紙になると決まったわけではありません。
煮た時に色や油が出るかもしれませんし、乾燥すれば割れる可能性もございます。
紙にできても、インクを吸いすぎるかもしれません」
「実際に作ってみないと分からないんだね」
「はい」
「少量でいいから、試してもらえる?」
ベルトはすぐには答えなかった。
「リオン様は、木の樹皮から安い紙を大量にお作りになるおつもりでしょうか」
「将来は、学校で使えるくらい増やしたいと思っている」
ベルトの表情が再び硬くなる。
「そうなれば、我々が作っている紙は必要なくなるのでしょうか」
工房には、ベルトだけでなく何人もの職人が働いている。
安い紙を作るという話は、彼らにとって自分たちの仕事が奪われるかもしれない話でもある。
「今の紙をなくすつもりはないよ」
「ですが、安い紙が作られれば……」
「王宮へ提出する書類や契約書、長く残す領地の記録には、ここの紙が必要だと思う」
俺は乾燥させている紙を見る。
白く、厚さも揃い、表面も滑らかだ。
「俺が作りたいのは、子どもが書き間違えても惜しくない紙なんだ。
文字の練習や計算問題、文官の下書きに使えるものだよ」
「上質な紙とは、用途を分けるということでしょうか」
「うん。それに、樹皮が紙になるとしても、俺には紙をすく技術がない。
試作には、この工房の職人たちの力が必要だよ」
無償で協力してもらうつもりもない。
「試作にかかった材料費や人件費は、領主家で負担する。
失敗した分も含めて、きちんと支払うよ」
ベルトは背後の職人たちへ目を向けた。
しばらく考えた後、静かに頭を下げる。
「そこまでお考えでしたら、協力させていただきます」
「ありがとう」
「ただ、最初は現在の原料を少し混ぜた方が、紙の形にはしやすいと思われます」
「まずは、リナ樹だけで試せないかな」
「樹皮だけで、ですか?」
「麻を混ぜたら、リナ樹だけで紙になるか分からなくなるからね」
失敗したとしても、リナ樹だけでは何が足りないのかが分かる。
最初から複数の材料を混ぜれば、どの材料がどんな働きをしたのか判断しにくい。
「承知しました。では、リナ樹の内皮だけで試します」
「作業した内容も残してほしい。
水に浸した時間、煮た時間、叩いた時間、使った樹皮の量。
それから、何枚の紙ができたか」
「次に同じものを作るための記録ですね」
「うん。成功しても、同じものをもう一度作れなければ広げられないから」
ベルトが職人へ指示を出す。
リナ樹の硬い外皮が削られ、白っぽい内皮だけが束ねられた。
「まずは、水へ浸して柔らかくします。
状態を見るまで、数日は必要でしょう」
「急がなくていいよ。何をしたら、どう変わったのかを確かめながら進めてほしい」
職人が水を張った桶へ、リナ樹の内皮を沈めていく。
「ピー!」
ピコが俺の腕から抜け出そうとする。
「ピコは入らないよ」
「ピー……」
「今はリナ樹が使っているからね」
ピコは不満そうに体を沈ませた。
俺は桶の中で揺れる白い内皮を見つめる。
紙が高い理由は分かった。
今ある紙を、無理に安く売らせることはできない。
ならば、これまで使われていなかった原料から、別の紙を作ればいい。
リナ樹の内皮が、水の中へゆっくりと沈んでいく。
木から紙を作る、最初の試験が始まった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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