第399話 来られる時間に
新連載はじめました
「元日本最強の探索者、今はダンジョン救助員です」という物語です。
https://ncode.syosetu.com/n8731mn/1から読めますので、ぜひ読んでみて下さい。
リバーシ工房の小部屋を出る前に、俺は扉へ耳を当てた。
廊下から人の声は聞こえない。
そっと扉を開き、誰もいないことを確認してから外へ出る。
転移魔法を使って西の森へ来たことを、知られるわけにはいかなかった。
工房の裏口から一度外へ出て、建物の周囲を回って正面へ向かう。
作業場では、今日も職人たちがリバーシの盤や駒を作っていた。
俺に気づいた職人たちが手を止めかける。
「そのまま続けて」
軽く手を上げてから、工房の責任者へ挨拶をした。
「レナードがどこにいるか分かる?」
「この時間でしたら、温泉街の管理所にいると思います」
「ありがとう。行ってみるよ」
工房を出て、温泉街の中心へ向かう。
以前よりも歩く人が増えていた。
宿や食堂の前では荷物が運び込まれ、温泉を利用する客の姿も見える。
西の森の開拓は、少しずつ進んでいる。
その中で暮らす子どもたちにも、学ぶ場所を用意したかった。
管理所へ入ると、レナードは机の上に複数の帳面を広げていた。
俺の姿に気づき、驚いた顔で立ち上がる。
「リオン様。いつ西の森へいらしたのですか?」
「ついさっきだよ。急に来てごめん」
「いえ。お越しになると分かっていれば、お迎えに上がりましたが……」
「今日は予定を決めずに来たんだ。子どもたちの学校について話を進めたくて」
「夜間学校の建物を、昼間にも使う件ですね」
「うん。建物だけじゃなくて、実際に通える子どもの人数や、教えられる人がいるかも確認したい」
「承知しました。まずは夜間学校をご案内いたします」
「その後で、学校へ通わせたい家庭の話も聞けるかな?」
レナードは少し考えた。
「これから声をかければ、昼過ぎには何組か集まっていただけると思います」
「急に呼び出すことになるけど、大丈夫?」
「昼間に西の森にいる者だけになりますが、それでもよろしければ」
「それで十分だよ。教えることに興味がある人にも、来てもらえる?」
「夜間学校を終えた者の中に、候補が二人おります。
一人には声をかけられると思います」
「お願い。待っている間に、教室を見せてほしい」
レナードは近くにいた職員を呼び、親子と教師候補へ声をかけるよう頼んだ。
それから俺たちは、夜間学校へ向かった。
◇
夜間学校は、温泉街の中心から少し離れた場所にある。
昼間の教室には誰もいなかった。
長机と椅子が並び、正面には文字を書くための大きな板が置かれている。
「夜は、どれくらいの人が学んでいるの?」
「日によって違いますが、多い時は二十人ほどです」
「子どもが十人くらいなら、十分使えそうだね」
「はい。ただ、机と椅子は大人に合わせて作られております」
俺は一つの椅子へ腰を下ろした。
確かに、小さな子どもが座れば足が床へ届かないだろう。
「最初から全部作り直す必要はないよ。小さい子には、足を置く台を用意しよう」
「木箱のようなものでよろしいでしょうか」
「まずはそれで試してみよう。使いにくかったら、その後で考えればいい」
新しい学校を始めるからといって、最初から専用の建物や机を揃える必要はない。
夜間学校で使っているものを生かし、足りないものだけを加える。
それで始められるなら、その方が早い。
「教えられそうな二人は、昼間にここへ来られるの?」
「一人は、温泉宿で帳面をつけているマルタという女性です。
週に四日ほどなら、昼間も時間を作れるそうです」
「もう一人は?」
「商店で働いている男性です。
毎日は難しいのですが、店が忙しくない時間なら手伝えると聞いております」
「最初から二人とも一日中いる必要はないと思う。
実際に始めて、何人必要なのか確認しよう」
「承知しました」
建物は使える。
教える人も、何とか見つかりそうだ。
しかし、レナードの表情は明るくならなかった。
「ほかに問題がある?」
「子どもたちが、決まった時間に通えるかどうかです」
「家の仕事があるから?」
「はい。宿や食堂を手伝っている子もいれば、家畜の世話や下の子の面倒を見ている子もおります」
「家庭によって、空いている時間が違うんだね」
「同じ家庭でも、その日の仕事によって変わります」
午前と午後の二つに分ければよいと思っていた。
だが、それだけでは通えない子もいるらしい。
「まずは、親たちの話を聞いてから考えよう」
「はい」
親子が集まるまでの間、俺たちは夜間学校で使っている道具を確認した。
文字の見本が書かれた木板。
練習に使う石板。
計算を教えるための小石。
紙を使わなくても、簡単な読み書きや計算なら教えられそうだ。
◇
昼を過ぎた頃、教室の外から複数の足音が聞こえてきた。
レナードが声をかけた家庭が集まったらしい。
教室へ入ってきたのは、六つの家族だった。
子どもは七人いる。
小さい子は六歳ほどで、年長の子は十二歳くらいに見えた。
その後ろには、一人の女性もいた。
「こちらがマルタです。
夜間学校を終え、現在は温泉宿で帳面をつけております」
「マルタと申します」
「急に来てもらってごめん。
子どもたちを教える方法について、一緒に考えてほしいんだ」
「私にできることであれば、お手伝いいたします」
俺は親子たちへ向き直った。
「急に集まってもらってありがとう」
親たちは緊張した様子で頭を下げた。
「昼間、この建物を使って、子どもたちが学べるようにしたいと思っているんだ」
子どもたちの顔が明るくなる。
しかし、親たちは互いに顔を見合わせた。
「学校へ通わせたくないという人はいる?」
「いえ、そんなことはありません」
食堂で働いているという女性が答えた。
「息子が字を読めるようになるなら、ぜひ通わせたいです。ただ……」
「何か困ることがある?」
「朝から昼過ぎまでは、店の仕込みと片づけを手伝ってもらっています」
隣にいた十歳ほどの少年が、申し訳なさそうに下を向いた。
「午前中に授業をすると、来られない?」
「はい。昼を過ぎて店が落ち着けば、来られる日もあります」
俺は別の親へ尋ねた。
「そちらはどう?」
「うちの娘は、午後に山羊を連れて草地へ行きます。
午前中なら来られますが、午後は難しいです」
その隣にいた男性も口を開いた。
「うちは荷運びの仕事をしております。
仕事が入る日は、息子にも荷物を見てもらっています」
「仕事が入る日は決まっている?」
「いいえ。前日に分かることもあれば、その日の朝に頼まれることもあります」
「毎週、同じ曜日に学校へ来るのは難しいんだね」
「はい」
親たちは、学校へ通わせたくないわけではない。
子どもの手がなければ、家の仕事が回らないのだ。
午前と午後の二つに分けても、それだけでは足りない。
家庭ごとに空いている時間が違う。
同じ家庭でも、日によって仕事が変わる。
「毎日、一日中ここへ来てもらうのは難しそうだね」
親たちが申し訳なさそうにうなずいた。
俺は子どもたちへ目を向ける。
「みんなは、ここで勉強してみたい?」
「はい!」
最年長の少年が真っ先に答えた。
「俺、店に届く紙を読めるようになりたいです」
「私は、自分の名前を書きたい」
小さな女の子が続く。
「お金の計算を覚えたいです」
別の子も手を挙げた。
学びたいと思っている。
それでも、決められた時刻に全員を集めることはできない。
俺は、教室に並んだ机を見ながら考えた。
「レナード。昼間、この教室を開けておける時間はどれくらい?」
「朝から夕方までは使えます。
夜の授業が始まる前に片づければ問題ありません」
「マルタは、ずっとここにいられる?」
「宿の帳面を持ち込んでもよろしければ、昼間はこちらで仕事をすることもできます」
「教える必要がない時間は、帳面の仕事をしてもらうということ?」
「はい。宿の主人からも許可をいただけると思います」
それなら、子どもが来る時間を一つに決める必要はない。
「全員を、同じ時間に集めなくてもいいんじゃないかな」
レナードが俺を見る。
「授業を始める時刻を、決めないということですか?」
「教室を開ける時間だけ決めるんだ。
子どもたちは、家の仕事が終わった時に来ればいい」
親たちも、すぐには理解できないようだった。
食堂の女性が尋ねる。
「昼過ぎから来てもよろしいのですか?」
「うん。店が落ち着いてから来ればいい」
「ですが、午前中に教えたことを、この子は聞けません」
「全員に同じ授業をするのを、やめようと思う」
「同じ授業をしないのですか?」
「一人ずつ、自分ができるところから学べばいいんだ」
俺は教室の正面にある板へ近づいた。
「文字をまったく知らない子には、最初に線の引き方や簡単な文字を教える。
少し読める子は、短い言葉から始める。
計算ができる子は、その続きへ進む」
年長の少年が手を挙げた。
「俺と小さい子が、違うことをするんですか?」
「うん。同じ年齢でも、今できることは違うからね」
「俺が字を読めなくて、年下の子が読めたら?」
「読めないところから始めればいい。恥ずかしいことじゃないよ」
少年は少し迷った後、うなずいた。
「できるようになったら、追いつけますか?」
「追いつくだけじゃなくて、その先にも進めるよ。
ほかの子が終わるのを待つ必要はないから」
子どもたちの顔に、少しずつ期待が広がっていった。
◇
マルタが教室にある石板へ目を向ける。
「一人ずつ違うことを教えるとなると、私一人で見られるでしょうか」
「最初から全員に付ききりになる必要はないと思う」
「ですが、文字を知らない子は、自分だけでは学べません」
「最初は直接教える必要があるね。
でも、一度やり方を覚えた課題なら、自分で進められるようにするんだ」
俺は、文字の見本が書かれた木板を手に取った。
「このような板に、練習する文字や計算を書いておくのはどうかな」
「答えは石板に書かせるのですね」
「うん。終わったら消して、次の子が同じ課題を使えるようにする」
紙へ毎回課題を書いていては、費用がかかりすぎる。
子どもごとに違う課題を用意するなら、繰り返し使える方がよい。
「課題の板には、番号をつけよう」
「番号ですか?」
「たとえば、文字の一番は線をなぞる。二番は簡単な文字を写す。
三番は自分の名前を書く。それができたら、四番へ進む」
「その子が、どこまで終わったのかは、どのように確認するのでしょう」
マルタの問いに、俺は少し考えた。
「一人ずつ小さな札を作ろう。名前と、終わった課題の番号を書くんだ」
レナードがうなずく。
「それなら、前回と違う時間に来ても、続きを確認できます」
「うん。苦手だったところも短く書いておけば、教える人が変わっても分かる」
「文字と計算、両方の課題を作るのですか?」
「最初は、その二つでいいと思う」
「計算は、どこから始めましょう」
「数を数えるところから始めて、足し算と引き算。
それから、銅貨を使った計算や品物の数も入れたい」
食堂の女性が顔を上げる。
「店の仕事にも使えますね」
「そうなるようにしたいんだ」
子どもが学校へ来る時間は、家の仕事から離れる時間でもある。
だからこそ、覚えたことが今の暮らしにも役立つようにする。
ただ、それだけではない。
「字や計算を覚えれば、今の仕事をもっと上手にできる。
でも、将来、ほかの仕事を選ぶ時にも役立つよ」
「ほかの仕事を……」
年長の少年が小さく繰り返した。
「今の手伝いが悪いわけじゃない。
でも、大人になった時に、それしか選べないのと、自分で選べるのは違うからね」
親たちは黙って、子どもたちを見た。
◇
「来る時間を自由にすると、まったく来なくなる子もいるのではありませんか?」
マルタの指摘はもっともだった。
「完全に自由にはしない方がいいね」
俺は親たちへ向き直った。
「一週間に二回は来ることにしよう。
来る予定の日は、家庭ごとに決めてもらう」
荷運びをしている男性が困った顔をする。
「仕事によっては、その日に来られないことがあります」
「その時は、別の日に変えればいい。
来られなかったことを学校へ伝えてくれれば大丈夫」
「時刻は決めなくてもよいのでしょうか」
「教室が開いている間なら、いつでもいい。
ただ、一度来たら一時間くらいは学んでもらう」
食堂の女性が息子を見る。
「それなら、昼の仕事が終わった後に通わせられます」
「うちの娘は午前に来られます」
別の親も答えた。
全員を同じ時刻に集めることをやめただけで、通える子どもが増えていく。
「まずは何人ほどで始めますか?」
レナードが尋ねた。
「十人くらいかな」
「希望する子どもは、もっといると思います」
「最初から増やしすぎると、マルタ一人で対応できるか分からない。
課題の板も、どれだけ必要になるか分からないからね」
「では、最初の十人で試すのですね」
「一か月やってみよう。
それから、実際に何回来られたか、どこまで進んだか、家の仕事にどんな影響があったかを確認する」
「問題がなければ、その後に人数を増やすと」
「うん。うまくいかない時も、学校をやめるんじゃなくて、何が合わなかったのかを調べよう」
レナードは、親たちとマルタを見渡した。
「皆さんは、いかがでしょうか」
親たちは顔を見合わせた後、一人ずつうなずいた。
◇
せっかく子どもたちが集まっているので、教室にある道具を使って、簡単に試してみることになった。
マルタが三人の子どもへ、文字と計算について尋ねる。
小さな女の子は、まだ自分の名前を書けない。
食堂を手伝っている少年は、簡単な数を足せる。
最年長の少年は、品物の名前をいくつか読めるが、文章になると難しいらしい。
マルタは、夜間学校で使っている木板と小石を三人の前へ置いた。
女の子には、木板に書かれた簡単な文字を石板へ写してもらう。
食堂の少年には、小石を銅貨に見立てて、三枚と二枚を合わせた数を考えてもらう。
年長の少年には、短い言葉が並んだ木板を声に出して読んでもらう。
教室の中は静かだった。
同じ机に座っているのに、三人は違うことをしている。
しばらくすると、食堂の少年が手を挙げた。
「できました」
マルタが答えを確認する。
「正解です」
「ほかの二人が終わるまで待つんですか?」
「待たなくていいよ」
俺が答えた。
「できたなら、次へ進もう」
「もう次をやっていいんですか?」
「うん。次は、銅貨五枚から二枚を使ったら、いくつ残るか考えてみよう」
少年はすぐに小石を並べ始めた。
隣では、小さな女の子が一つの文字を何度も書き直している。
だが、誰も急がせない。
年齢も、来る時間も、進む速さも違っていい。
大切なのは、昨日より一つでもできることを増やすことだ。
やがて女の子が、石板を両手で持ち上げた。
「書けました」
歪んではいるが、そこには確かに一つの文字が書かれていた。
「上手に書けているよ」
俺がそう言うと、女の子は嬉しそうに笑った。
「次も書いていいですか?」
「もちろん」
マルタは三人の様子を見ながら、ゆっくりとうなずいた。
「最初に何をするか決めておけば、別々の課題でも見られるかもしれません」
「実際に始めて、難しいところがあれば変えていこう」
「はい。課題の板を作るところから始めます」
「一人で全部作らなくていいよ。
夜間学校で教えている人や、もう一人の候補にも手伝ってもらおう」
「分かりました」
◇
その日のうちに、学校を始めるための準備を進めることになった。
レナードは、通学を希望する家庭を調べる。
マルタたちは、文字と計算の課題板を作る。
親たちは、子どもが週に二回通える日を考える。
学校が始まるまでに、それぞれの子どもが何を読めて、どこまで計算できるかも確認する。
今日集まった子どもたちには、名前を書いた小さな木札を渡した。
まだ自分で書けない子の札は、マルタが書いている。
これから、終わった課題の番号を、この札へ記録していく。
食堂の少年が俺へ尋ねた。
「学校が始まったら、いつ来ればいいですか?」
「家の人と相談して、来られる日に来ればいいよ」
「ほかの子と同じ時間じゃなくても?」
「うん。ここへ来たら、自分の続きから始めればいい」
「じゃあ、昼の片づけが早く終わった日に来ます」
「待っているよ」
少年は木札を大切そうに握りしめた。
全員が同じ時間に来る必要はない。
同じ課題を、同じ速さで進める必要もない。
家の仕事が終わった子から教室へ来て、前回の続きを学ぶ。
まずは十人。
一週間に二回から始める。
西の森の子どもたちの学校は、暮らしの隙間に学ぶ時間を作るところから始まることになった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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