第397話 安い小麦を買う条件
新連載はじめました
「元日本最強の探索者、今はダンジョン救助員です」という物語です。
https://ncode.syosetu.com/n8731mn/1から読めますので、ぜひ読んでみて下さい。
小麦の購入方針を決めてから二日後。
俺たちは、朝早くハル領の領都を出発した。
目的地は、フェルナー子爵領にある穀物の集積地だ。
領都から馬車で一日ほどの距離にある。
馬車には、俺と農業担当候補のニルス、エルナが乗っていた。
護衛のディルクとテオは馬で同行している。
俺の膝の上には、ピコもいた。
「ピー」
窓の外に畑が見えるたび、ピコが体を伸ばす。
「畑へ行きたいのかな」
「小石を探しているのではありませんか?」
エルナが真面目な顔で答えた。
「それなら、アーロンのいる畑の方が喜びそうだね」
「ピー!」
ピコが勢いよく弾んだ。
否定しているのか、同意しているのかは分からなかった。
今回、ニルスには小麦の状態を確認してもらう。
エルナには、確認した内容を記録してもらう予定だ。
俺が毎回、購入先の倉庫まで来るわけにはいかない。
今回の確認を、次からほかの者でも行える形にする必要があった。
◇
夜、フェルナー子爵領へ到着した。
まず向かったのは、穀物の集積地ではなく、その近くにあるフェルナー子爵家の屋敷だった。
倉庫を確認したいと事前に伝え、フェルナー子爵家から許可はもらっている。
それでも、他領の倉庫を見せてもらう以上、先に挨拶をするべきだった。
屋敷では、家令と穀物管理を担当する文官が俺たちを迎えてくれた。
「リオン・ハルです。このたびは、倉庫の確認をお許しいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ、遠いところをお越しいただき感謝いたします」
穀物担当の文官が一歩前へ出た。
「オットー・ベルガーと申します。明日は私が倉庫をご案内いたします」
「よろしくお願いします。送っていただいた見本も確認しました」
「状態はいかがでしたでしょうか」
「倉庫によって違いはありましたが、購入を検討できる小麦だと思いました。
品質の差についても、書状に正直に記していただいていたので、安心して確認に来ることができました」
オットーの表情が少し和らいだ。
「ありがとうございます。四つの倉庫をご覧いただけるよう、準備しております」
「お手数をおかけします」
その日はフェルナー家が用意してくれた宿泊所で休み、翌朝から倉庫を確認することになった。
◇
翌朝。
オットーの案内で、俺たちは最初の倉庫へ向かった。
「まずは、見本の中で最も状態のよかった小麦を保管している倉庫です」
倉庫の中へ入る。
小麦袋は、木で組んだ台の上に積まれていた。
床へ直接触れておらず、壁との間にも隙間がある。
窓と通気口も開けられ、空気がこもらないようにされていた。
「きれいに管理されていますね」
「ありがとうございます。この倉庫には、長く保管する予定の小麦を中心に置いております」
俺はニルスを見る。
「確認してもらってもいい?」
「はい」
オットーが倉庫番へ合図し、一つの袋が開けられた。
ニルスは小麦を手に取り、匂いを嗅ぐ。
粒を指先で押し、硬さも確かめた。
「よく乾いています」
「長く保管できそう?」
「はい。粒の大きさには多少の差がありますが、食用にも備蓄用にも問題ありません」
オットーが尋ねる。
「ほかの領の小麦と比べると、いかがでしょうか」
「粒の揃い方では、さらによい小麦もあります」
ニルスは正直に答えた。
「ですが、こちらも十分によい状態です。
保管方法にも問題はないと思います」
「それを聞いて安心いたしました」
俺もうなずいた。
「この倉庫の小麦なら、安心して購入できそうです」
「では、こちらから必要量をご用意いたしましょうか」
「ぜひ、購入候補に入れさせてください」
俺はそう答えてから、倉庫の奥へ目を向けた。
「そのうえで、ほかの倉庫も見せていただけますか?」
「もちろんでございます」
「ありがとうございます。それぞれの小麦が、どのような用途に向いているのかも確認したいんです」
「用途、でございますか?」
「長く保管できる小麦と、早めに使った方がよい小麦では、ハル領へ運んだ後の扱いが変わりますから」
オットーは納得したようにうなずいた。
◇
次の倉庫へ移る前に、エルナが積まれた袋を見上げた。
「確認のために、すべての袋を開けるのでしょうか」
「この数を全部?」
「はい。確実に確認するなら、その方がよいのかと思いまして」
「どれくらいかかりそう?」
エルナは倉庫内を見回した。
「この倉庫だけでも、数日は必要です」
「通常は、どのように確認されているのですか?」
俺はオットーに尋ねた。
「村と収穫された年、運び込まれた時期ごとに袋を分け、その中から何袋かを開けております」
「全部は開けないのですね」
「はい。同じ時期に同じ場所から運び込まれた小麦であれば、状態もおおむね同じですから」
ニルスもうなずく。
「その方法でよいと思います」
「では、フェルナー領で行っている方法を教えていただきながら、確認させてもらえますか?」
「承知いたしました」
俺たちは、オットーと倉庫番の説明を聞きながら袋を選んだ。
入口の近くにある袋だけではなく、奥や壁際の袋も確認する。
「こちらの袋も開けてよろしいでしょうか」
俺が壁際の袋を指すと、オットーが答えた。
「もちろんです。何か気になる点がございますか?」
「同じ倉庫でも、置かれた場所によって違いがあるのか知っておきたいんです」
「下に積まれた袋や壁際の袋は、湿気の影響を受けやすいことがあります」
ニルスが補足する。
オットーはすぐに倉庫番へ指示した。
「では、上段と下段、壁際からも選びましょう」
売る側が選んだ袋だけを見るのではない。
だからといって、相手が何かを隠していると疑うわけでもない。
お互いに袋を選び、一緒に状態を確認する。
その方が、後で問題が起きた時にも話が食い違いにくい。
「何を確認すればいい?」
俺が尋ねると、ニルスが小麦を手のひらへ載せた。
「まずは匂いです。湿気やカビが強ければ分かります」
「ほかには?」
「粒の硬さと色。虫食い、砕けた粒、石や土などが混じっていないかも見ます」
「六つですね」
エルナが書き留めていく。
「匂い、湿り気、硬さ、変色、虫食い、異物」
「それなら、確認する者が変わっても使えそうだね」
「判断の目安も記録します」
エルナは、ニルスが何を見て判断したのかまで書き始めた。
◇
二つ目の倉庫は、外から見ると一つ目と大きな差がなかった。
だが、中へ入ると空気が少し湿っている。
一部の袋は木の台ではなく、床へ直接置かれていた。
壁の近くまで積まれている袋もある。
視界に文字が浮かんだ。
≪床面からの湿気:一部進行≫
≪保管位置による品質差:あり≫
≪長期保管時の損失:増加の可能性≫
俺はすぐに口を出さず、オットーへ尋ねた。
「この倉庫の小麦は、どれくらいの期間保管する予定ですか?」
「一部は次の冬まで置く予定です。
ですが、早く売れるのであれば、先に出したいと考えております」
「ニルス。保管する期間によって、使い方を分けた方がいいかな?」
「はい」
ニルスは、上に積まれた袋から小麦を取った。
「こちらは、よく乾いています。長く保管しても問題ないでしょう」
次に、床に近い袋を開ける。
小麦を握り、先ほどと同じように確認する。
「こちらは、少し湿り気があります」
「食べることはできる?」
「今の状態なら問題ありません。ただ、長く置くのは避けた方がよいでしょう」
オットーが尋ねる。
「すぐに製粉するのであれば、使えるということでしょうか」
「はい。早めに使うことを前提にすれば、購入できる状態です」
俺はエルナを見る。
「分けて記録してくれる?」
「長期保管用と、早期消費用ですね」
「それから、今の状態では買えないものも別にしよう」
「三つに分けます」
小麦を、単純に良いか悪いかだけで判断する必要はない。
長く保管できなくても、早めに使えば問題のないものはある。
ただし、その場合は保管場所と消費する順番を管理しなければならない。
◇
三つ目の倉庫には、粒の大きさが不揃いな小麦が多かった。
だが、乾燥状態はよく、虫食いもほとんどない。
「見た目は揃っていませんが、品質には問題ありません」
ニルスの説明に、オットーが胸をなで下ろした。
四つ目の倉庫では、一部の袋から強い湿気が感じられた。
虫食いのある粒も見つかる。
オットーは、その結果をごまかそうとはしなかった。
「この倉庫は、屋根を修繕する予定になっております。
雨が続いた時期に、湿気が入り込んだ可能性があります」
「修繕の予定があるんですね」
「はい。ただ、小麦の状態を正確に確認できていたわけではありません」
ニルスが、虫食いのある粒を分ける。
「すべてが使えないわけではありません。
ですが、今のままでは購入しない方がよい袋もあります」
「承知いたしました」
オットーは険しい表情を見せたが、反論はしなかった。
昼を大きく過ぎた頃、四つの倉庫の確認が終わった。
エルナが記録板を見ながら、結果を読み上げる。
「今回確認した購入候補のうち、長期保管できるものが、およそ半分です」
「早めに使えば問題のないものは?」
「三割ほどです」
「残りは?」
「湿気か虫食いが強く、今の状態では購入しない方がよいものです」
オットーが慎重に尋ねる。
「ハル家が当家から購入を予定されている量は、揃えられそうでしょうか」
「はい」
俺は答えた。
「購入を予定していた量は確保できます」
「ありがとうございます」
「そのうえで、価格について一つ相談があります」
オットーの表情が引き締まった。
「お聞かせください」
「長期保管できる小麦は、書状で提示していただいた価格で購入したいと思います」
「承知いたしました」
「早めに使う必要のある小麦については、それより少し低い価格で相談させていただけないでしょうか」
「理由を伺ってもよろしいでしょうか」
「ハル領へ届いた後、長期保管用とは分け、先に製粉する必要があります。
消費が遅れた場合の損失も、こちらが負うことになります」
「その管理と危険を、価格に反映したいということですか」
「はい。ただ、それだけではフェルナー家に値下げだけをお願いすることになります」
俺は続けた。
「その代わり、購入する袋と価格が決まり次第、代金はすべて金貨で一括払いします」
「全額を、でございますか?」
「はい。運び出しの日まで支払いを待っていただくことはありません。
購入する袋を確定し、双方で数量を確認した後、すぐに全額をお支払いします」
オットーは黙って考えた。
書状では、契約時に代金の一部を先に支払うよう求められていた。
フェルナー家としては、小麦を早く現金に換えたい事情があるのかもしれない。
だが、それをこちらから口にする必要はない。
「早期消費用の価格を下げる代わりに、代金をすぐに全額受け取れるということですね」
「はい。こちらだけが有利になる条件にはしたくありません」
「長期保管用の小麦についても、同じく全額を一括で?」
「もちろんです」
オットーは、エルナがまとめた数量へ目を落とした。
「価格については、フェルナー家へ戻って計算する必要があります」
「分かっています。こちらから一方的に金額を決めるつもりはありません。
双方が納得できる価格を相談させてください」
「承知いたしました。現金での一括払いを条件に、どこまで価格を調整できるか確認いたします」
「ありがとうございます」
「湿気や虫食いの強い小麦については、今回は難しいでしょうか」
「今の状態では購入できません」
俺は曖昧にせず答えた。
「ただ、乾燥と選別を行い、状態が改善した場合は、改めて確認させてください」
「再び購入候補にできるのですね」
「はい。最初から今後も買わないと決めるつもりはありません」
オットーの表情がわずかに明るくなった。
◇
購入する小麦については、実際に確認した袋から少量ずつ見本を取らせてもらった。
オットーが小袋を見る。
「先日お送りした見本とは、別に保管されるのですか?」
「はい。こちらは、今日確認した購入予定の小麦から取ったものです」
「どのようにお使いになるのでしょう」
「ハル領へ届いた時の小麦と比べます」
「出発した時と、到着した時の状態を比べるのですか?」
「はい。輸送中に雨を受けたり、袋が破れたりするかもしれません」
出発前の見本と同じ状態なら、問題なく運べたと判断できる。
違いがあれば、どこかで湿気や損傷が生じた可能性がある。
小袋には、倉庫名、収穫年、確認した日、用途、確認した者の名を書いた札をつける。
エルナは、それぞれに番号も振った。
「購入する袋にも、同じ番号をつけます」
「必要かな?」
「代金を先に全額支払うのであれば、購入した袋を明確にしておく必要があります」
エルナは、オットーへ確認するように目を向けた。
「ハル家とフェルナー家、双方の印をつけるのはいかがでしょうか」
「二つの印をつけるのですか?」
「はい。袋の番号と数量も、双方で同じ記録を残します。
そうすれば、運び出す日まで別の小麦と混ざることもありません」
オットーがうなずく。
「それがよいでしょう。支払いを受けた袋だと、倉庫番にも分かります」
「では、その方法でお願いします」
記録について考える時のエルナは、判断が早い。
自分が得意な仕事が、少しずつ分かってきたのかもしれない。
オットーが、床に直接置かれている袋を見る。
「今回、購入を見送られる袋を減らすには、どのようにすればよいでしょうか」
俺はニルスへ目を向けた。
「俺より、ニルスに聞いた方がいいと思います」
ニルスは少し驚いた後、倉庫の床を確認した。
「袋を床や壁から離すだけでも、湿気は減るでしょう」
「すべての倉庫へ木の台を入れるとなると、費用が必要です」
「はい。ですから、すぐにすべて変える必要はないと思います」
ニルスは慎重に答える。
「まず一つの倉庫で試し、傷む袋がどれだけ減るかを確認してはいかがでしょうか」
オットーが俺を見る。
「ハル家としては、改善された倉庫の小麦を優先して購入されますか?」
「品質と条件が合えば、購入候補は増えると思います」
「なるほど」
「ただ、費用に見合うかどうかは、フェルナー家で判断されることです」
「もちろんです。ですが、購入する側の意見は参考になります」
オットーはエルナの記録を見ながらうなずいた。
「こちらでも、今回の結果を整理してみます」
◇
翌朝。
俺たちはフェルナー子爵領を出発した。
帰りの馬車の中で、エルナがまとめた記録表を見せてくる。
倉庫名。
村と収穫年。
積まれていた位置。
確認した袋数。
長期保管用。
早期消費用。
購入を見送ったもの。
確認に使った人数と時間。
保存した見本の番号。
購入する袋につける印。
「項目が多すぎるでしょうか」
「最初はこれでいいと思う」
「次に別の者が確認する時にも、同じ順番で使えるようにまとめます」
「お願い。実際に使わなかった項目は、その時に減らそう」
「はい」
エルナは記録板へ視線を戻した。
俺はニルスへ尋ねる。
「フェルナー領の小麦は、本当に安かった?」
「小麦だけなら安いです」
「小麦だけなら?」
「確認する者の賃金と時間、用途を分けて保管する手間まで加えれば、書状に書かれていたほどの差はありません」
「それでも、買う価値はある?」
「あります」
ニルスは迷わず答えた。
「状態を見分け、買う小麦を選べる者がいるのであれば」
エルナが顔を上げる。
「次回は、今回より少ない人数と時間で確認できると思います」
「確認する方法が決まったから?」
「はい。それに、フェルナー領側も村や収穫年ごとに分けてくだされば、もっと早く確認できます」
「それなら、次は今回より本当に安く買えるかもしれないね」
「ピー」
俺の膝の上で、ピコが小さく鳴いた。
フェルナー領の小麦は、確かに安かった。
だが、それは品質の悪い小麦を押しつけているからではない。
粒や保管状態に違いがあることを隠さず、確認する機会も与えてくれた。
ハル領は、品質を見分け、用途を分けて管理する。
フェルナー家は、その分だけ価格を下げる代わりに、代金をすぐに全額受け取る。
どちらか一方だけが得をする条件ではない。
予定していた二割分は確保できた。
そして俺たちは、小麦だけでなく、次の取引にも使える確認方法を持ち帰ることになった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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