第396話 安い穀物と確かな穀物
新連載はじめました
「元日本最強の探索者、今はダンジョン救助員です」という物語です。
https://ncode.syosetu.com/n8731mn/1から読めますので、ぜひ読んでみて下さい。
それから数日後。
七月も、もう終わりに近づいていた。
朝食を終え、自室へ戻ろうとしたところで、使用人が食堂へ入ってきた。
「リオン様。ハーウェイ侯爵家とフェルナー子爵家より、書状が届いております」
「二つとも?」
「はい。フェルナー子爵家からは、こちらの木箱も届いております」
使用人の後ろにいた従者が、両手で小さな木箱を抱えている。
食卓に残っていた父と母も、そちらへ目を向けた。
「穀物の見本だろうか」
「おそらくは」
俺が答えると、足元にいたピコが木箱へ近づいた。
「ピー」
「まだ開けたら駄目だよ」
「ピー?」
「食べ物かもしれないけど、ピコの食事じゃないからね」
ピコは木箱の周りを一度回った後、俺の足元へ戻った。
父が立ち上がる。
「エリアスも呼べ。執務室で確認する」
「はい」
◇
父の執務室へ移ると、ほどなくしてエリアスもやって来た。
机の上には、二通の書状と木箱が置かれている。
先に開いたのは、ハーウェイ侯爵家からの書状だった。
厚い紙が何枚も重ねられている。
最初の一枚には、ハル家が問い合わせた量の小麦を、すべて用意できると書かれていた。
主に今年収穫された小麦を供給すること。
出荷前に乾燥状態、虫食い、変色を確認すること。
品質基準を満たさない袋は出荷しないこと。
希望するなら、二回に分けて引き渡せること。
輸送はハル家側で用意するが、倉庫から積み出すまでの品質はハーウェイ侯爵家が保証すること。
来年以降も取引には応じられるが、供給できる量は、その年の収穫後に改めて協議すること。
価格は、周辺の相場よりわずかに高かった。
だが、収穫時期や保管している倉庫、出荷可能な日、一日に積み出せる袋数、支払いの期限まで細かく記されている。
エリアスは一枚ずつ確認しながら言った。
「こちらが尋ねるべき内容まで、ほとんど先に書かれております」
「値段は少し高いけど、何にお金を払うのかが分かりやすいね」
「品質を揃え、出荷前に確認するための費用も含まれているのでしょう」
父は、支払い条件と出荷可能日が記された紙を見比べた。
「高い代わりに、曖昧な部分がほとんどないということか」
「はい。問題が起きた場合の責任も明確です」
「一度きりではなく、今後も取引することを考えた条件なのでしょう」
「友人の実家だから、条件を良くしてもらおうとは思わないのか?」
「思いません。
個人的な関係で値段を下げてもらったら、後で問題が起きた時に、どこまで責任を求めていいのか分からなくなります」
父は何も言わず、続きを促した。
「今回は一度だけ小麦を買って終わりではありません。
来年以降も取引する可能性があります。
親しい相手だからこそ、最初から普通の取引として条件を決めた方がいいと思います」
「その通りでございます」
エリアスが言った。
「ハーウェイ侯爵家も、長く取引する可能性を考えたからこそ、曖昧な条件を出さなかったのでしょう」
◇
次に、フェルナー子爵家からの書状を開いた。
こちらは、ハーウェイ侯爵家のものより薄い。
だが、小麦を売りたいという意思は強かった。
ハル家が問い合わせた量は、すべて用意できる。
希望するなら、それ以上の量にも応じられる。
一定の期日までに契約すれば、さらに値段を下げられる。
ただし、契約時に代金の一部を先に支払ってほしい。
馬車、御者、護衛はハル家側で用意する。
小麦は複数の村や倉庫から集めるため、収穫された時期や粒の大きさは完全には揃わない。
出荷後の品質低下や、輸送中の損失については保証しない。
そして、来年以降も同じ量を売れるとは約束できない。
価格は、ハーウェイ侯爵領より明らかに安かった。
「確かに安いな」
父が二つの条件書を並べる。
「しかも、早く決めればさらに下がります」
エリアスはそう言った後、書状の一部を指した。
「一方で、契約時の前払いを求めております。
小麦を売るだけでなく、早く現金を得たい事情があるのかもしれません」
「フェルナー領は財政に困っているの?」
「書状だけでは断定できません」
俺の問いに、エリアスは首を横へ振った。
「余っている小麦を次の収穫まで保管するより、安くても早く売りたいだけかもしれません」
父が木箱を見る。
「中を確認しよう」
箱を開けると、四つの小さな袋が入っていた。
それぞれに、村と倉庫の名が書かれた札が結びつけられている。
白い布の上へ、一袋ずつ中身を広げた。
一つ目は、よく乾いていて粒の大きさも揃っている。
二つ目は、大きな粒と小さな粒が混ざっていた。
三つ目は色に少し差がある。
四つ目は、見た目には大きな問題がないものの、触れるとわずかに湿り気を感じた。
視界に文字が浮かぶ。
≪品質の均一性:低≫
≪保管状態:袋ごとに差異あり≫
≪長期保管への適性:一部低下≫
腐っているわけではない。
食べられないほど傷んでいるわけでもない。
だが、すべてを同じ品質として扱うことはできなかった。
「見本の時点で、これだけ違うんだね」
「相手も、複数の倉庫から集めるため差があると書いております」
エリアスが答える。
「隠してはいないのか」
「はい。ですが、実際に購入する場合は、一袋ずつ確認する必要がございます」
父が二通の条件書へ目を落とした。
「ハーウェイ領は高いが、品質が揃っている。
フェルナー領は安いが、こちらで確認する仕事が増えるということか」
「そうだと思います」
安い小麦を買う場合、購入価格以外にも必要なものがある。
現地の倉庫で状態を確認する人。
購入する袋と、除外する袋を分ける人。
馬車と御者。
道中を守る護衛。
領都へ着いた後に、もう一度確認する人。
湿り気のある小麦が混ざっていれば、長期保管用とは分けなければならない。
傷んだ小麦が見つかれば、その分は損失になる。
「小麦そのものの値段だけを見れば、フェルナー領が一番安いです」
俺が言うと、父がこちらを見た。
「だが、ハル領へ届くまでの値段は違うかもしれない」
「はい」
俺は、先日の畑仕事を思い出した。
土を深くほぐせば、芋の育ちが良くなるかもしれない。
だが、必要な人数や時間を考えずに、すべての村へ同じ方法を命じることはできなかった。
小麦も同じだ。
一袋の値段だけではなく、確認し、運び、保管するまでに必要な手間を見なければならない。
◇
エリアスが、先日マリウスから受け取った見積書を机の上へ置いた。
これで、三つの条件が並んだ。
ハーウェイ侯爵領。
フェルナー子爵領。
そして、ローデン商会。
「ローデン商会が最も高いな」
父が言った。
「はい。ただし、購入先を探すところから、品質確認、馬車、御者、護衛、輸送中の損失まで含まれています」
「仕入れ先は分からない」
「それでも、一つの地域で必要量を揃えられなければ、別の地域から集めてくれます」
母が三つの書類を見比べた。
「それなら、どこか一つに決めるの?」
「いいえ」
俺は首を横へ振った。
「一つに決めない方がいいと思います」
父が腕を組む。
「理由を聞こう」
「まず、今回輸入する目的は、今足りない分を補うことです」
「それは分かる」
「でも、それだけではありません」
俺はフェルナー領の小麦を少しだけ手に取った。
「南部で始めた試験がうまくいっても、収穫量が増えるまでには時間がかかります。
来年すぐに、南部全体の生産量が増えるとは限りません」
「来年は、今年より多く輸入する可能性もあるということか」
「はい。だから、今年だけ買える相手ではなく、来年も頼れる購入先を作っておく必要があります」
父がハーウェイ侯爵家の書類を見る。
「その点では、ハーウェイ領が最も確かだな」
「そうです。でも、すべてをハーウェイ領から買うのも危険です」
「なぜだ?」
「来年、ハーウェイ領で不作が起きるかもしれません」
父の表情がわずかに変わった。
「一つの領に頼りきっていたら、その領で収穫が減った時、ハル領も同時に困ります」
「だから購入先を分けるのか」
「はい。ハル領の小麦が足りない時に、購入先まで同じ理由で不足したら意味がありません」
エリアスがうなずく。
「供給経路を複数持つということですね」
「それから、値段の問題もあります」
俺はフェルナー領の条件書を指した。
「安い小麦を輸入すれば、今上がっている食べ物の値段を抑えられます。
領都や西の森で暮らす人が増えているから、何もしなければ食品の値段はもっと上がるかもしれません」
「値上がりを抑えるためなら、安い小麦を多く買った方がよいのではないか?」
父の問いに、俺は首を横へ振った。
「買いすぎたら、南部の農家が困ります」
「農家が?」
「安い小麦が領内へ大量に入れば、南部の農家が作った小麦も、高くは売れなくなります」
母が静かに言った。
「同じ小麦なら、買う側は安い方を選ぶものね」
「はい。今の食品価格は抑えなければいけません。
でも、下げすぎて農家が小麦を作っても利益を得られなくなれば、来年は作る人がさらに減ります」
父が険しい顔で考える。
「領民が買う値段は下げたい。だが、農家が売る値段まで下げすぎてはならない」
「そうです」
「随分と難しい話だな」
「だから、一番安いフェルナー領から全部買うことはできません」
俺は三つの書類を順番に指した。
「必要量の五割を、ハーウェイ侯爵領から買います」
「半分か」
「今回の輸入で、絶対に失敗してはいけない部分です。
多少高くても、品質と量が確かな相手から半分を確保します」
「なぜ、七割ではない?」
「ハーウェイ領へ頼りすぎるからです。半分なら、輸入全体の土台にはできます。
でも、ハーウェイ領から買えなくなった時にも、残りの経路を残せます」
父は何も言わず、次を促した。
「三割は、ローデン商会へ任せます」
「一番高い相手に三割か」
「ローデン商会が、複数の地域から安定して小麦を集められるのか確かめたいです」
「一割では足りないのか?」
「少ない量なら、今持っている小麦だけで用意できるかもしれません。
それでは、本当に不足した時に必要な量を集められるのか分かりません」
エリアスが理解したように口を開く。
「三割ほど任せれば、商会の調達力、検品、輸送の能力を、実際の取引として確認できます」
「はい。ただし、半分以上は任せません。
費用が高いことと、仕入れ先が分からないこと、それにハル家自身へ調達の経験が残りにくくなるからです」
「残る二割が、フェルナー領か」
「はい。ただし、倉庫を確認して、買える品質だと判断した場合だけです」
父が、湿り気のあった見本を見る。
「なぜ二割に抑える?」
「初めての取引だからです。品質の差がどれくらいあるのか。
検品に何人必要なのか。輸送中にどれほど傷むのか。まだ分かりません」
「二割なら、問題が起きても損失を抑えられる」
「はい。それに、フェルナー領の小麦を二割だけ入れれば、食品価格を抑える助けにはなります。
南部の小麦価格を一気に下げる可能性も小さくできます」
父は机の上の三つの書類を見渡した。
「五割は、確実に食料を確保するため」
「はい」
「三割は、商会の調達力を試し、複数の地域から買える経路を持つため」
「はい」
「二割は、安い新しい購入先を、危険を抑えて試すためか」
「その通りです」
母が微笑む。
「三つとも、買う理由が違うのね」
「はい。一番安い相手を選ぶのではなく、それぞれの長所を使います」
エリアスが尋ねた。
「今回の輸入量自体は、どのように考えますか?」
「南部で作られた小麦を置き換えるほどは買いません」
俺は答えた。
「当面の不足に備え、食品価格の上がり方を抑えられる量だけです。
余るほど輸入して、南部の農家が売れなくなるのは避けます」
「では、市場へ一度に放出することも避けるべきでしょう」
「はい。価格を確認しながら、少しずつ使います」
父が椅子の背へ体を預けた。
「三か所から買えば、仕事も三つに増えるぞ」
「分かっています」
「条件も、到着する日も、品質も違う」
「だから、すべて同じ項目で記録します」
俺は紙を一枚取り出した。
「提示された購入価格。実際に支払った金額。輸送費。護衛費。
検品に使った人数と時間。予定日に届いたか。
到着した時の品質。傷んで使えなかった量」
「それを三つとも記録するのか」
「はい。今回の輸入を、来年以降の購入先を決めるための比較にもします」
エリアスが、ゆっくりとうなずいた。
「今年の不足を補いながら、次に備えるということですね」
「来年、南部の増産が間に合わなければ、今年より多く買うことになるかもしれません。
その時に、また最初から相手を探すのでは遅いです」
父はしばらく黙っていた。
やがて、机の上の三つの書類を指で順番に叩く。
「よし。その配分で進めろ」
「ありがとうございます」
「ただし、フェルナー領については、お前が言ったとおり現地確認が先だ。
品質が悪ければ、その二割は買うな」
「はい」
「その場合は、ハーウェイ領かローデン商会へ振り分け直せ」
「分かりました」
「それと、南部の小麦が売れなくなるほど、市場へ流すことも認めん」
「はい。価格の動きも確認します」
方針は決まった。
必要量の五割を、ハーウェイ侯爵領から。
三割を、ローデン商会から。
残る二割を、フェルナー子爵領から条件付きで購入する。
一番安い相手だけを選ぶのではない。
一番確かな相手へ、すべてを任せるのでもない。
確実に届く小麦を確保しながら、別の経路も育てる。
食品価格の高騰を抑えながら、南部の農家が作り続けられる値段も守る。
そして、どこか一つで不作が起きても、ハル領まで同時に困らないようにする。
今回買う小麦は、領民が食べるためのものだ。
同時に、来年以降、ハル領がどこから小麦を買うべきかを決めるための試験でもあった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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