第395話 畑に残る文官
新連載はじめました
「元日本最強の探索者、今はダンジョン救助員です」という物語です。
https://ncode.syosetu.com/n8731mn/1から読めますので、ぜひ読んでみて下さい。
マリウスとの話を終え、村長宅の外へ出ると、日はすでに西へ傾き始めていた。
今日中に領都へ戻るなら、そろそろ出発した方がよい。
ディルクとテオは馬の状態を確認し、御者も馬車へ荷物を積み始めている。
マリウスも、村長へ礼を告げていた。
「それではリオン様。先ほどの条件を加えた見積書は、改めてお届けいたします」
「うん。今日はわざわざ村まで来てくれて、ありがとう」
「重要なお話ですので、この程度の距離でしたら問題ございません」
マリウスはそう答えると、自分の馬車へ向かった。
俺も、二日間泊めてもらった村長へ頭を下げる。
「急に泊まることになったのに、ありがとうございました」
「とんでもございません。
リオン様にお泊まりいただけたことは、村にとって光栄なことでございます」
「食事もおいしかったです。
ただ、ピコが水を飛ばしてしまって、すみませんでした」
「ピー!」
俺の足元で、ピコが元気よく弾む。
村長は笑いながら首を横へ振った。
「床は拭けば済みます。それより、ずいぶん賢いスライムなのですな」
「小石を運ぶ仕事は、もう覚えたみたいです」
「ピー!」
今日も働いたと主張するように、ピコの体が大きく膨らんだ。
俺はそのまま馬車へ向かおうとした。
だが、アーロンがついてこない。
振り返ると、少し離れた場所で、試験畑の方角を見ていた。
手には、二日間使い続けた記録板を持っている。
「アーロン。そろそろ戻るよ」
「リオン様」
アーロンは俺の方へ向き直った。
「少し、お時間をいただけますか」
「どうしたの?」
アーロンはすぐには答えず、再び畑の方へ目を向けた。
「先ほど、村の方と今後の管理について話しておりました」
四つの区画へ芋を植えたことで、試験の準備は終わった。
だが、本当の試験はこれからだ。
芽が出るまでに何日かかったのか。
葉の育ち方に違いがあるのか。
雨が降った日や、水を与えた回数。
草取りにかかった時間。
病気や害虫が発生したか。
そして収穫時には、芋の数、大きさ、重さを比べなければならない。
「村の方々も記録には協力してくださいます。
しかし、ご自分の畑や家畜の世話があります」
アーロンが話していると、試験に協力してくれた年配の農民が近づいてきた。
「できる限りは見ます。ただ、毎日同じ時刻に畑を確認できるとは限りません」
「雨が降りそうなら、ご自分の畑を優先しますよね」
「はい。それに、家畜が病気になれば、そちらへ行かなければなりません」
農民たちに試験を押しつけるわけにはいかない。
この試験は、南部の農業を立て直す方法を探すために、ハル家が始めたものだ。
記録のために農民の普段の仕事が遅れてしまえば、意味がなかった。
「だから、定期的にアーロンに来てもらうつもりだよ」
「それでは足りないと思います」
アーロンは、はっきりと言った。
「足りない?」
「私は昨日まで、作業人数と時間を記録すれば、農業の状態を把握できると考えていました」
だが、実際に畑へ入ると、必要な情報はそれだけではなかった。
同じ一人でも、経験のある農民と、農業を知らないアーロンでは作業量が違う。
土の硬さや、土の中にある石の数によっても、必要な時間は変わる。
村に荷車が二台あっても、二台とも自由に使えるとは限らない。
堆肥置き場から畑までの距離が遠ければ、運搬にかかる手間も増える。
「二日間鍬を持っただけでは、農業を知ったことにはなりません」
「それはそうだね」
「畑を訪ねた時だけ話を聞き、領都へ戻って書類を作る。
それではまた現場に合わない予定を立てると思います」
アーロンは記録板を胸の前で抱えた。
「この試験を、私に最後まで担当させていただけませんか」
「そのつもりだよ。だから、この村へ何度も来ることになると話したよね」
「そうではありません」
アーロンは小さく息を吸った。
「しばらく、この村で働かせてください」
「ここに残るの?」
「はい」
「どのくらい?」
「少なくとも、この芋を収穫するまでは」
芋を収穫できるようになるまでには、三か月ほどかかる。
数日や十日ではない。
「三か月くらいかかると思うよ」
「承知しております」
「その間、領都にはほとんど戻れないかもしれない」
「それでも構いません」
返事に迷いはなかった。
昨日、農業担当の候補として話をした時、アーロンは俺の近くで働きたいと答えた。
俺が関わる仕事で実績を作り、早く上の役目へ進みたい。
それが彼の本音だった。
「ここに残ったら、俺のそばでは働けないよ」
「はい」
「領都にいる人の方が、目立つ仕事を任されるかもしれない」
アーロンは少し黙った。
出世を望んでいる彼にとって、そこは簡単に無視できることではない。
それでも、顔を上げて俺を見る。
「リオン様の近くにいるだけでは、実績にはなりません」
「そうだね」
「この試験を最後まで続け、農業について学び、南部で使える仕組みを作ることができれば、それは私の実績になります」
「出世したい気持ちは変わっていないんだね」
「変わっておりません」
アーロンは即答した。
「ですが、先に役に立てるようにならなければ、上の役目を与えていただくことはできないでしょう」
昨日までのアーロンなら、俺の近くにいることを優先したかもしれない。
だが今は、自分に農業の知識がないことを認め、その不足を埋めようとしている。
「試験区画の記録だけをするつもり?」
「いいえ」
アーロンは近くに立つ農民へ視線を向けた。
「可能であれば、この村の方々と一緒に働かせていただきたいです」
「うちの仕事をか?」
「はい。家畜の世話や、水路の確認、草取り、道具の手入れも教えてください」
農民は驚いた様子でアーロンを見た。
「文官様が、うちで働くのですか?」
「まだ農業担当の文官ではありません。候補です」
「客人として来られるのでしたら、できる限りのお世話はいたしますが……」
「客人として扱っていただく必要はありません」
アーロンは、自分の手に巻いた布へ目を落とした。
「農業を学びたいのです。
働かずに見ているだけでは、昨日までの私と変わりません」
農民はしばらく考えていた。
「うちには、息子が使っていた小さな部屋があります。
息子は今、領都で働いておりますので、空いてはいます」
「使わせていただけますか?」
「ただし、立派な部屋ではありません」
「雨風を防げれば十分です」
「朝は日の出より前に起きます。
家畜へ餌をやり、畑へ出る前に水路も見ます」
「教えてください」
「手にまめができた程度で休んでもらっては困りますぞ」
アーロンは自分の手を見た後、うなずいた。
「承知しました」
農民の方が、少し困った顔をした。
「本当に分かっておられるのかは、明日の朝になれば分かるでしょうな」
その言葉に、近くで聞いていたテオが小さく笑った。
「アーロンなら、朝起きられない可能性があります」
「起きられます」
「今日も私より後でした」
「テオは護衛ですから、早く起きて当然でしょう」
「農家も早いそうですが」
アーロンが言葉に詰まる。
俺は二人の間へ入った。
「明日の朝、確認してもらえばいいよ」
「必ず起きます」
アーロンは農民へ向かって、もう一度頭を下げた。
だが、アーロンが希望したからといって、俺だけで三か月の滞在を決めることはできない。
アーロンには、領都で担当していた仕事がある。
領都の支出記録や、各部署から提出される報告書の整理を、途中で放り出すわけにはいかない。
「エリアスに相談する必要があるね」
「はい」
「今の仕事を誰かへ引き継ぐ必要もある」
「必要な内容はまとめてあります。
ですが、すぐに三か月離れることまでは想定しておりませんでした」
「領都へ戻ったら、俺からエリアスに直接話すよ。
ただし、許可が下りるまでは正式な決定ではないからね」
「承知しております」
「今日はこのまま村に残ってもいいと思う。
試験区画の確認を手伝いながら、返事を待っていて」
「ありがとうございます」
「許可が下りなければ、領都へ戻ってもらうことになるよ」
「その場合は従います」
アーロンの滞在が認められれば、着替えや筆記具、必要な資料を領都から送る。
今の仕事を誰へ引き継ぐのかも、エリアスと相談しなければならない。
また、農家へ宿泊費や食費の負担を押しつけるわけにはいかない。
その支払いについても決める必要がある。
「正式な返事は、明後日には届けられると思う」
「それまでは、村の方々のお仕事を手伝わせていただきます」
アーロンが答えると、部屋を貸すと申し出た農民が苦笑した。
「では、明日の朝から働いてもらいましょう。
許可が下りる前に、嫌になってしまうかもしれませんぞ」
「そのようなことはありません」
「それも、明日の朝になれば分かりますな」
アーロンは真剣な顔でうなずいた。
◇
今度こそ、俺たちは領都へ戻ることになった。
ディルクとテオが馬へ乗り、俺はピコを抱えて馬車へ入る。
アーロンは村の入口まで見送りに来ていた。
肩から鞄を下げ、片手には記録板を持っている。
農民から借りた鍬も、その横に立てかけられていた。
「本当に残るんだね」
「はい」
「大変だと思うよ」
「この二日間で、それは分かりました」
「まだ二日間しか知らないとも言えるけど」
アーロンは試験畑の方角へ目を向けた。
「だから残ります」
「分からないことは、村の人に聞いてね。
自分だけで勝手に決めないように」
「承知しました」
「試験区画のことだけでなく、村の人たちが普段どんな仕事をしているのかも見てほしい」
「必ず記録します」
「全部記録しようとして、仕事の邪魔をしないようにね」
「……気をつけます」
馬車の窓から、ピコがアーロンへ向かって体を伸ばした。
「ピー」
「ピコ。次に会う時には、私の方が農作業に詳しくなっているぞ」
「ピー!」
「小石運びでは、まだピコの方が上かもしれないよ」
「それも追い越します」
アーロンが真剣な顔で答えた。
小石運びでスライムと競う必要があるのかは分からない。
御者が手綱を動かし、馬車がゆっくりと進み始める。
窓から振り返ると、アーロンはまだ村の入口に立っていた。
俺の近くで働きたい。
目立つ仕事をして、早く上の役目へ進みたい。
そう話していたアーロンが、自分から領都へ戻らない道を選んだ。
出世したい気持ちが消えたわけではない。
それでも、今の自分には農業についての知識が足りないと認め、その不足を埋められる場所に残った。
完成したばかりの四つの区画には、まだ芽も出ていない。
農業担当の文官も、まだ決まってはいなかった。
畑に残ったのは、鍬の使い方を覚え始めたばかりの候補者だ。
その日から、芋の成長を記録する試験と、アーロンが農業を学ぶ試験が、同時に始まった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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