第392話 農業担当の条件
新連載はじめました
「元日本最強の探索者、今はダンジョン救助員です」という物語です。
https://ncode.syosetu.com/n8731mn/1から読めますので、ぜひ読んでみて下さい。
穀物の購入先について三通の書状を出してから、二日が過ぎた。
まだ、どこからも返事は届いていない。
その日の午前、俺が執務室で南部の記録を見直していると、エリアスが三人の文官を連れてきた。
「農業を担当する文官の候補として、三名を選びました」
三人とも若い。
緊張した様子で並ぶ彼らを、机の横に置いた水の器からピコが眺めている。
「ピー」
「ピコ。今は静かにしていてね」
「ピー」
返事だけは素直だった。
「まず、自己紹介をお願いします」
最初に前へ出たのは、三人の中で最も年上に見える男だった。
「ニルス・バウアーと申します。現在は、南部から集められた税と物資の記録を担当しております」
「南部の出身なの?」
「はい。農家に生まれ、十五歳まで家の畑を手伝っておりました」
農業経験があるのは大きい。
次に、細い体つきの女性が一歩前へ出る。
「エルナ・フォークと申します。領都の共同倉庫で、物資の出入りを記録しております」
「農作業の経験は?」
「ほとんどございません。ただ、穀物の袋数や保管期間の記録は担当しております」
最後の青年は、ほかの二人よりわずかに若く見えた。
「アーロン・ケストナーと申します。
現在は領都の支出記録と、各部署から提出される報告書の整理を担当しております」
「農業の経験は?」
「ございません」
「農村に住んだことも?」
「ありません」
答えに迷いがなかった。
農業担当の候補としては、最も遠い位置にいるように見える。
「今日は、知っていることだけではなく、知らないことも正直に話してください」
「承知いたしました」
三人の返事が重なった。
俺は机の上に、一つ目の村の記録を広げた。
「この村には、まだ耕せる土地が残っています。
でも、使われていません。最初に何をしますか?」
最初に答えたのはニルスだった。
「周囲の農家へ土地を割り当て、耕作させるべきだと思います」
「今ある畑を維持する人手も足りないとしたら?」
ニルスの口が止まった。
「それは……各家の人数を確認する必要がございます」
農業を知っているからこそ、土地があれば農家が耕すものだと考えたのかもしれない。
次にエルナが答える。
「農地の広さ、村に残る働き手の数、農具と家畜の数を調べます」
「その中で、最初に何を確認する?」
「すべて必要な情報かと……」
「そうだね。でも、一度に全部を細かく調べたら、結果が出るまで時間がかかる」
エルナは考え込んだ。
最後に、アーロンが口を開く。
「領都で働く者を募集し、その村へ送ります」
「領都の人が、農業をできるの?」
「経験者を選びます」
「住む場所や農具は?」
「それも、村に用意させます」
「すでに人手が足りない村へ?」
アーロンの表情が固まった。
「……考えが足りませんでした」
言い訳はしなかった。
俺は二つ目の村の記録を出した。
「この村では、畑によって収穫量に差がありました。
収穫を増やすには、何をしますか?」
「まずは、それぞれの畑の土壌や水の状態を確認するべきだと思います。特に、土が痩せていないかを調べる必要がございます」
ニルスがすぐに答えた。
「実家でも、作物の育ちが悪い時は、まず土の状態を確認していました」
「土が痩せているか、どうやって判断する?」
「色や硬さ、作物の育ち方を見ます」
農業経験があるだけに、ニルスの答えには具体性があった。
しかし、彼が知っている方法が、南部すべての畑へ合うとは限らない。
エルナは過去の収穫記録を集めるべきだと答えた。
「村には、畑ごとの記録が残っていないよ」
「では、これから記録を始めます」
「結果が分かるのは、少なくとも次の収穫の後だね」
「はい。それでも、必要だと思います」
慎重だが、すぐに動ける対策までは出てこない。
アーロンは少し考えてから答えた。
「収穫量の多い村の方法を、南部のほかの村でも行わせます」
「効果があると確かめる前に?」
「収穫量に差がある以上、効果はあるのではありませんか?」
「別の理由かもしれない。土地の状態や水の量が違う可能性もあるよ」
「……はい」
アーロンは手元の紙へ何かを書き加えた。
次に、三つ目の村の共同倉庫について尋ねる。
「古くなった倉庫で、穀物が失われていました。どうしますか?」
「建て替えるべきです」
アーロンが最初に答えた。
「修繕ではなく?」
「新しい倉庫の方が、今後も長く使用できます」
「今、どれだけの穀物を失っているか分からなくても?」
アーロンは黙った。
「床板と鼠の穴を塞げば、損失を減らせるかもしれない。
全部を建て替える前に、修繕でどれだけ変わるか確かめる方法もあるよ」
「私は、すぐに大きな対策を選びすぎていますね」
「そうだね」
俺が認めると、アーロンは苦い表情をした。
だが、反発はしなかった。
三人の答えを聞き終えたところで、俺は《綻びの目》を使った。
最初にニルスを見る。
≪柔軟性:低≫
≪現場意欲:低≫
続いてエルナ。
≪判断速度:低≫
≪現場意識:低≫
最後にアーロンへ意識を向ける。
≪農業知識:極めて低い≫
≪功名心:強≫
≪継続力:高≫
三人とも特徴がある。
ただ、最初から、すべてを備えた人物はいなかった。
「今の時点では、三人とも農業担当を一人で任せられる状態ではありません」
三人の表情が固くなる。
「でも、一人で何でもできる人を探しているわけじゃないよ。
足りないことを学び、ほかの人の知識を使える人が必要なんだ」
俺は一人ずつ顔を見る。
「どうして、この仕事を希望したのか聞かせてください」
ニルスが最初に答えた。
「農家出身の知識を生かせると思いました」
「南部の村へ何度も行くことになる。それでも大丈夫?」
ニルスはすぐに答えなかった。
「正直に申し上げます。
私は、畑仕事から離れるために読み書きを学び、文官になりました」
「畑に戻りたくない?」
「はい。知識をお伝えすることはできます。
しかし、長く村へ滞在する役目は……」
「分かりました」
農家出身だからといって、農業を担当したいとは限らない。
無理に任せても、続かないだろう。
エルナは、領に必要な仕事だと思ったからだと答えた。
「ただ、私には人を動かす仕事より、集まった記録を整理する仕事の方が向いていると思っております」
「農家が使う記録の形を考える仕事は?」
「それでしたら、ぜひ担当させてください」
自分の得意なことを分かっている。
最後に、アーロンへ視線を向けた。
「アーロンは?」
「領に必要な仕事だと考えたためです」
「それだけ?」
アーロンの目が一瞬揺れた。
エリアスが厳しい目を向けている。
しばらく黙った後、アーロンは頭を下げた。
「リオン様の近くで働きたいからです」
「俺の近くで?」
「はい」
アーロンは顔を上げた。
「リオン様が始められた仕事は、これから領全体へ広がると思っております。
その仕事に最初から関わり、結果を残すことができれば、私も今より上の役目を目指せます」
つまり、出世したいのだ。
「そのような理由で手を挙げたのですか」
エリアスの声が低くなる。
「申し訳ございません。
しかし、嘘を申し上げるつもりはありません」
「出世したいこと自体は、悪くないと思う」
俺が言うと、エリアスがこちらを見た。
「領のためになる仕事で結果を出して、その結果として上の役目に就くなら、問題はないよ」
前世でも、昇進を望む社員は多かった。
重要なのは、地位だけを欲しがるのか、その地位に必要な働きをする覚悟があるのかだ。
「ただし、農業担当という名前だけを得ても、出世はできないよ」
「承知しております」
「本当に?」
「必要なことは学びます」
その時、水の器から出たピコが、机の下まで近づいてきた。
「ピー」
アーロンが珍しそうに手を伸ばす。
ピコは体を縮め、俺の椅子の後ろへ逃げた。
「急に触ったら怖がるよ」
「申し訳ございません」
アーロンはすぐに手を引いた。
少し考えた後、机の端に置いてあった乾いた葉を一枚取り、ピコから少し離れた床へ置いた。
そのまま近づかずに待つ。
しばらくすると、ピコが椅子の後ろから半分だけ体を出した。
「ピー」
ゆっくり葉へ近づき、体の中へ取り込む。
アーロンは手を伸ばさず、その様子を見ていた。
「一度注意された後は、やり方を変えられるようですね」
エリアスが言った。
「同じ失敗を繰り返さないよう努めます」
俺は三人へ、農業担当の仕事を改めて説明した。
南部の村を回り、農家から直接話を聞く。
畑や倉庫を、自分の目で確認する。
暑い日も、雨の後も、現場へ行く。
必要であれば、農作業も手伝う。
そして、そこで得た情報を領都へ持ち帰り、記録として整理する。
「俺の近くで働くといっても、ずっと執務室で隣に座る仕事じゃないよ」
「農作業も行うのでしょうか?」
アーロンが尋ねた。
「農民と同じだけ働けとは言わない。
でも、作業がどれだけ大変か知らずに、必要な人数や時間は決められないと思う」
アーロンの視線が、自分の手へ落ちた。
「明日、二つ目の村で土壌試験を始める予定です」
俺は三人へ伝えた。
「正式な担当を決める前に、一緒に来ませんか?」
ニルスは、現在の仕事との調整が必要だと答えた。
農業知識の助言は引き受けるが、継続的な現場担当になることには、まだ迷いがあるようだ。
エルナは、試験で使う記録用紙を作りたいと申し出た。
「現場で何を記録するかが決まれば、農家でも使える形にいたします」
「お願いします」
最後に、アーロンが一歩前へ出る。
「同行させてください」
「鍬も持ってもらうよ」
アーロンは一瞬、口を閉じた。
それでも逃げずに、深く頭を下げる。
「……承知いたしました」
「明日は、筆記具と汚れてもいい服を持ってきて」
「服、ですか?」
「村で鍬を借りるから」
アーロンは、もう一度自分の手を見た。
「リオン様の近くで働くというのは、執務室で仕事をすることではないのですね」
「執務室で考える日もあるよ。
でも、考えるためには、先に現場を知らないといけない」
「分かりました」
「ピー!」
足元でピコが大きく弾んだ。
アーロンがピコを見る。
「ピコも同行するのでしょうか?」
「もちろん」
「スライムも農作業を?」
「少なくとも、アーロンより先に畑へ入ったことはあるよ」
アーロンは、何も言い返せなかった。
こうして、農業を何も知らない文官候補が、翌日初めて鍬を持つことになった。
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