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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: コバチ
第3章 王立学院入試編

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第39話 帰り道

 王立学院の試験を終えた翌朝、俺はヴァレスト公爵家の馬車に乗って王都を発った。


 見送りには、ユリウス公爵、クラリス夫人、セレナ、ルーク、それに使用人たちまで出てきてくれていた。


「気をつけて」


 クラリス夫人が柔らかく言う。


「ありがとうございます」


 ユリウスはいつも通り穏やかだった。


「ハル領での時間を大事にするといい。戻ったらまた話を聞かせてくれ」


「はい」


 ルークは最後まで名残惜しそうな顔をしていた。


「今度来たら、もっとすごい魔法見せてよ」


「そっちも勉強しておいてね」


「それ、絶対言うと思った」


 セレナは一歩前へ出て、まっすぐこっちを見た。


「次に会う時、私も今より伸びてるわ」


「こっちも負けないよ」


「ええ」


 短いやり取りだったが、それで十分だった。


 馬車がゆっくり動き出す。

 王都の石畳が遠ざかり、公爵家の門が小さくなっていく。


 試験は終わった。

 でも、何かが終わったというより、ようやく一区切りついたという感じだった。


 ◇


 ハル領までは馬車で五日かかる。


 距離だけ聞けば長い。

 でも今の俺には、むしろちょうどよかった。


 時間がある。


 王都での試験が終わったばかりで、気も少し張っている。

 何もしないで揺られているより、手を動かしていた方が落ち着く。


 だから移動中も、馬車の中でできる範囲の魔法操作を続けた。


 大きな魔法は無理だ。

 火をつければ危ないし、水を出せば馬車の中が大惨事になる。


 だからやるのは、もっと地味なことだった。


 指先の一点に魔力を集める。

 散らさない。

 無理に出力しない。

 ただ、流す。


 視界の端に、薄青い文字がちらつく。


 《魔力流路:微改善》

 《出力点:安定傾向》

 《集束維持:向上》


 いい。

 派手じゃないが、悪くない。


 ミアが向かいでそれを見ながら、小さく言った。


「王都を出てもやるんですね」


「こういうのは、間を空けると鈍るから」


「試験が終わったばかりなのに」


「終わったからこそ、かな」


 王立学院に受かっているかどうかはまだわからない。

 でも、もう王都で学んだことを忘れる気はなかった。


 ミアは少しだけ笑って、膝の上の帳面を閉じた。


「リオン様って、止まるのが苦手ですよね」


「そうかも」


「でも、前よりは少しだけ、止まるのもうまくなった気がします」


 それはたぶん、前より周りを信じられるようになったからだ。


 ハル領には父と母がいる。

 公爵家ではユリウスやグレインやセレナがいた。

 全部を自分一人で抱えなくてもいいと思えるようになったのは、大きかった。


 ◇


 夕方になる頃、馬車は王都の隣領にある宿場町へ入った。


 大きな町ではない。

 だが、街道沿いの要所らしく、旅人や商人の姿は多かった。馬車の音、荷車の軋み、夕方の呼び込みの声が重なって、ほどよく賑やかだ。


 今回の宿は、公爵家の筆頭執事があらかじめ手配してくれていたらしい。

 おかげで、宿を探して右往左往することも、最悪野宿になる心配もない。


「さすが公爵家……」


 ミアが宿の前で小さく呟いた。


「こういうところも、ちゃんとしてるんだね」


「旅慣れているんでしょうね」


 通された部屋は清潔で、食事もきちんとしていそうだった。

 宿の主人も、公爵家の紹介と聞いて、やけに丁寧である。


 荷を置いて一息ついた頃、階下の方が少しだけ騒がしくなった。


 怒鳴り声ではない。

 困った時の、忙しい音だ。


 俺とミアが顔を見合わせる。


「何かあったのかな」


「少し見てきますか?」


「うん」


 階段を下りると、宿の裏手にある厨房の前で、宿の主人と料理人らしき男が眉を寄せていた。


「どうしたんですか?」


 そう声をかけると、主人が振り向く。


「ああ、お客様。いえ、大したことでは……」


 大したことがない時の顔ではない。


 厨房の中をのぞくと、竈の煙がどうにもおかしかった。

 火のつきが悪いのか、煙がうまく抜けず、もわっと逆流している。


 視界の端に文字が浮かぶ。


 《排気:不全》

 《火勢:不安定》

 《風の流れ:滞留》

 《夕食調理:遅延》


 なるほど。


「煙、返ってますね」


「ええ……今日は風向きが悪いのか、火が妙に弱くて」


 料理人が額の汗を拭く。


「肉を焼いても火が安定しないし、このままだと香りが全部おかしくなる」


 その言い方に、少しだけ反応した。


 香り。

 なら、余計に火加減は大事だ。


「少しだけ見てもいいですか」


 主人が戸惑った顔をしたが、公爵家の客に無碍にもできないのだろう。


「は、はあ……」


 俺は竈の前へしゃがみ込み、空気の流れを見る。

 煙の逃げ道が、ほんの少しだけ詰まっていた。外の風向きも悪い。火そのものより、まず流れを整えた方が早い。


「ミア、窓、少しだけ開けて」


「はい」


 次に、俺はごく弱く風を送った。


 強くはやらない。

 灰が舞う。火が暴れる。

 だから本当に少しだけ、煙の通り道を押し出すように。


 竈の煙がふっと上へ抜ける。


「あっ」


 料理人が声を上げた。


 続けて、火の芯へ小さな熱を足す。

 火球なんていらない。

 こういう時は、火種を整えるだけでいい。


 赤かった炭の一部が、じわりと明るさを取り戻した。


「おお……!」


 料理人の顔が変わる。


「今だ」


 そう言うと、男はすぐに肉を網へ戻した。

 火はさっきよりも安定し、煙の匂いもだいぶましになっている。


 主人が目を丸くした。


「火の扱いが、お上手なんですね」


「少しだけ」


 少しだけどころじゃないことは、自分でもわかっていた。

 でもここで長く説明する必要はない。


 料理人が焼けた肉の香りを確かめ、驚いたように鼻を鳴らした。


「さっきまでと全然違う……」


 そこで、ふと棚の上にある香草が目に入った。


 どこか見覚えのある葉だった。


「それ、使ってるんですか?」


 そう聞くと、料理人がそちらを見る。


「ああ、これか。最近入ってきたやつだ。名前は……なんだったかな」


 主人が横から答える。


「青葉草、ですよ。ハル領の方から回ってきたって話で」


 その言葉に、胸の奥が少しだけ動いた。


「ハル領から?」


「ええ。まだ数は多くないですがね。焼いた肉の臭みを取るって、街道の商人が勧めてきまして」


 主人は楽しそうに続ける。


「実際、これがなかなか評判で。うちでも試しに使い始めたんですよ」


 ミアが横で小さく息を呑んだ。


 俺も思わず、棚の青葉草を見つめる。


 北村で始めたものが、もうここまで来ているのか。


 主人はさらに言った。


「それだけじゃありません。南村とかいうところの豆や芋も、このごろ前より質がいいって話で。ハル領、最近ちょっと面白いって、商人の間じゃ小さく話題ですよ」


 面白い。


 その言葉が、妙に嬉しかった。


 大きな評判じゃない。

 王都中が知っているわけでもない。

 でも、たしかに外へ届き始めている。


 俺が王都にいる間も、あの領地の流れはちゃんと止まっていなかったのだ。


 料理人が、焼き上がった肉を小皿にのせて差し出してきた。


「お礼にもならないですが、味を見てください」


「いいんですか」


「もちろんです。あんたが助けてくれなきゃ、今日の夕飯はずいぶんひどいことになってました」


 ありがたく一口もらう。


 火の入り方はちょうどいい。

 肉の臭みもかなり抑えられている。

 青葉草の香りも、ちゃんと立っていた。


「おいしい」


 そう言うと、料理人が嬉しそうに笑った。


「それなら良かった」


 主人も深く頭を下げる。


「ありがとうございました」


「いえ、たまたまです」


 そう返しながらも、心の中ではたぶん、かなり顔がゆるんでいたと思う。


 ◇


 部屋へ戻る途中、ミアが少し興奮した声で言った。


「聞きましたか、今の」


「うん」


「青葉草も、南村の作物も、ちゃんと外へ出てるんですね」


「みたいだね」


「すごいです……」


 その言葉に、俺は小さく笑った。


「いや。すごいのは、たぶんみんなだよ」


 北村の村長。

 南村の村長。

 石切り場の若者たち。

 父と母。

 ハル領に残って流れを支えている人たち。


 俺が王都にいる間も、ちゃんと前へ進めてくれていたのだ。


 窓の外を見ると、宿場町の空はもう藍色に沈み始めていた。


 明日もまた馬車は走る。

 そして、その先にはハル領がある。


 早く、自分の目で今の領地を見たい。


 そんな気持ちを、前よりずっとはっきり自覚しながら、俺は眠りについた。

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