第38話 試験のあとで
王立学院の二日間の試験を終えてヴァレスト公爵家へ戻った頃には、
空はすっかり夕暮れ色に染まっていた。
馬車を降りた瞬間、身体の奥に残っていた張りがようやく少しだけ緩む。
筆記。
実技。
面接。
全部終わった。
まだ結果は出ていない。
だから安心しきるには早いのだろう。
それでも、やるだけのことはやった、という感覚だけは確かにあった。
「お疲れさま」
玄関へ入るなり、クラリス夫人が柔らかく迎えてくれた。
「ありがとうございます」
セレナも小さく息を吐く。
「ただいま戻りました」
「二人とも、顔を見れば十分頑張ったことはわかるわ。まずは座って、温かいものでも飲みなさい」
言われるまま応接間へ通されると、すぐに香りのいい茶が出てきた。
カップを持つと、指先に少しだけ熱が戻る。
そうしているうちに、ルークが勢いよく顔を出した。
「どうだった!?」
いきなりそれか、と思って少し笑う。
「まだ帰ってきたばかりなんだけど」
「だって気になるだろ」
「まあ、そうね」
セレナも茶を置きながら苦笑した。
「筆記は悪くなかったわ。実技も、少なくとも失敗ではない」
「姉上の“失敗ではない”は、だいたいうまくいった時だよね」
「うるさい」
そのやり取りに少し空気が和む。
しばらくして、ユリウス公爵も姿を見せた。
いつも通り落ち着いた足取りで部屋へ入り、俺たちを見ると、穏やかに口を開く。
「二人とも、お疲れさま」
「ありがとうございます」
「お疲れさまです、父上」
ユリウスは向かいへ腰を下ろした。
「それで、手応えはどうだったかな」
まず答えたのはセレナだった。
「筆記は問題ありません。面接も、大きく崩れてはいないと思います。実技も……少なくとも、自分の出せるものは出せました」
ユリウスは頷く。
「そうか。それなら十分だ」
次に視線がこちらへ向いた。
「リオンは?」
「筆記は大丈夫だと思います。面接も、自分の考えはちゃんと話せました」
「実技は?」
「狙った以上のものが出ました」
そう言うと、ユリウスの口元がほんの少しだけ緩む。
「らしいね」
どうやらもう何かしら耳に入っているらしい。
ルークが身を乗り出した。
「やっぱり、すごかったの?」
セレナが先に答えた。
「すごかったどころじゃないわ。的が抜けたもの」
「えっ」
「しかも学院長の防護魔法付きよ」
「えっ!?」
ルークが完全に固まる。
俺は少しだけ肩をすくめた。
「自分でもあそこまでうまくいくと思ってなかったんだけどね」
「そういうのを普通は“すごかった”って言うのよ」
セレナにそう返されて、少し笑ってしまった。
そのまま夕食の席へ移る。
今夜の食卓は、いつもより少しだけ穏やかだった。
試験の緊張が終わったからか、公爵家の面々もどこかやわらかい。
食事が進む中で、ユリウスが改めて言った。
「結果はまだ先だ。だが、二人ともここまでよく積み上げたと思う」
その言葉は短かったが、重みがあった。
クラリス夫人も頷く。
「本当にそうね。見ていてわかるもの。二人とも、この数か月で顔つきが変わったわ」
セレナは少し照れたように目を伏せた。
俺も似たような気分だった。
ここへ来たばかりの頃は、王都の空気にも、公爵家の広さにも、学院の重さにも、正直かなり押されていた。
でも今は違う。
まだ足りないものは多い。
それでも、ただ圧倒されるだけではなくなった。
食事が終わり、茶が出る頃。
ユリウスが静かに俺へ聞いた。
「リオン君。春の王立学院入学まで、どう過ごすつもりかな」
その問いに、少しだけ考える。
でも答えは、思っていたよりすぐに出た。
「久しぶりに領地へ戻りたいです」
ユリウスは静かに頷く。先を促すように。
「家族にも会いたいですし、領民ともまた顔を合わせたいです。
それに、自分が王都へ来ている間に、ハル領がどう動いたのかも見て回りたいです。」
「なるほど」
「北村や南村、石切り場もそうです。良い流れを作り始めたところで離れていたので、そのあとどう変わったのか、自分の目で確かめたいです」
それを聞いて、ユリウスは穏やかに言った。
「よくわかった。なら帰りの馬車はこちらで用意しよう」
「ありがとうございます」
「礼には及ばないよ。帰るべき場所へ帰るのは、当たり前のことだからね」
その言い方が、やっぱりこの人らしいと思った。
その横で、ルークが露骨にしょんぼりした顔になる。
「帰っちゃうのか」
「そんな顔しなくても」
「だって、やっと面白くなってきたのに」
「人を遊び道具みたいに言わないの」
クラリス夫人がたしなめる。
でもセレナも、いつもより少しだけ静かだった。
「……まあ、ずっといるわけではないものね」
そう言う声音が、少しだけ寂しそうだったので、俺は素直に言った。
「もし合格してたら、手続きでまた王都へ来ることになると思うよ。その時にはまた会える」
ルークがすぐ顔を上げる。
「ほんと?」
「うん」
「じゃあ、その時はまた魔法見せてよ」
「あぁ、ルークも勉強頑張るんだぞ?」
そんなやり取りに、セレナが小さく笑った。
少し空気がやわらいだところで、ユリウスがふと思い出したように言った。
「それと、入学まで二ヶ月ほどある」
「はい」
「リオン君、もしよければ、その間に一度、我が領へ来てくれないか」
その一言に、俺は少しだけ姿勢を正した。
「公爵領へ、ですか」
「うん。王都から離れた領地だ。ハル領から馬車で七日ほどかかる」
七日。
遠い。
でも、王都から見ればそのくらい離れていてもおかしくないのだろう。
ユリウスは柔らかい口調のまま続ける。
「前に少し相談した件があっただろう。代官に任せている領で、数字と現場が噛み合わないという話だ」
「ああ」
「あれを、改めて君にも見てもらいたいと思っている。もちろん無理にとは言わない。息抜きがてらでもいい」
息抜きがてら、で済む話ではない気もしたが、断る理由もなかった。
むしろ、興味はかなりある。
「ぜひ行かせてください」
そう答えると、ユリウスは小さく頷いた。
「ありがとう。詳細はまた整えて知らせるよ」
「お願いします」
食事の後、部屋へ戻る道すがら、頭の中ではもう明日以降のことを考えていた。
まずはハル領へ戻る。
父上と母上に会う。
北村、南村、石切り場。
それから、もし都合が合えば公爵領の件。
やることは多い。
でも、不思議と嫌じゃなかった。
むしろ、少し嬉しい。
前世では、やるべきことに追われる時の多くが、重たく苦しいものだった。
でも今は違う。
人に求められる。
頼られる。
そのうえで、自分にもやりたいことがある。
それはたぶん、かなり幸せなことなんだと思う。
部屋へ戻り、窓の外の王都の灯りを見ながら、ゆっくり息を吐く。
試験は終わったが、やることがある。
帰る場所がある。
また会う約束もある。
そんなことを考えているうちに、身体の力が自然と抜けていった。
明日から、また動く。
そう思いながら、俺は静かに眠りへ落ちた。




