第37話 問われるもの
二日目の朝、王都の空は昨日より少し曇っていた。
ヴァレスト公爵家の馬車に揺られながら、俺は窓の外をぼんやり見ていた。
実技試験を終えた昨日の疲れは、まだ少し身体の奥に残っている。
向かいに座るセレナも、今日は昨日以上に口数が少なかった。
まあ、当然か。
面接は、筆記みたいに問題用紙があるわけでもない。
実技みたいに、やることがはっきりしているわけでもない。
何を聞かれるか、相手が何を見ているか、最後まで見えにくい。
そういう勝負は、むしろ厄介だ。
「緊張してる?」
昨日と同じことを聞くと、セレナは少しだけ口元を動かした。
「してるわ」
「昨日より?」
「昨日より、少し」
「それはわかる」
実技なら、少なくとも行動に落とし込める。
でも面接は違う。言葉の選び方、間の取り方、目線、姿勢。全部を見られる。
セレナは小さく息を吐いた。
「あなたは?」
「してる」
「やっぱりそう見えない」
「そう見えないようにしてるから」
そう返すと、彼女は少しだけ肩の力を抜いた。
「その言い方、便利ね」
「おすすめはしないよ。中身はちゃんと落ち着かないから」
「……それでも、少し楽になるわ」
馬車の揺れが少しだけ柔らかくなる。
学院へ向かう区画は、昨日と同じく朝から人が多かった。
研究所、官庁、学院。
アルスレイン王国の頭脳が集まるこの一帯は、やっぱり地方とは空気が違う。
そしてその中心にある王立学院も、昨日と同じように堂々としていた。
ただ、今日の正門前には昨日のようなざわめきより、もっと静かな緊張があった。
受験生たちも、今日は声が少ない。
実技で目立った者も、筆記で手応えを得た者も、ここから先はまた別の勝負だとわかっているのだろう。
◇
控え室で名前を呼ばれるのを待つ時間は、妙に長く感じた。
セレナは俺の二人前だった。
「先に行ってくるわ」
「うん」
「変なこと言わないでよ」
「その“変なこと”の定義を先に決めたい」
「そういうところよ」
それだけ言って、彼女は面接室へ入っていった。
待っている間、俺は壁の模様を眺めるふりをしながら、頭の中で答えを整理していた。
志望理由。
学院で学びたいこと。
貴族の役目。
昨日の実技のこと。
どれも、言葉だけならいくらでも飾れる。
でも飾った答えは、たぶんここではすぐ見抜かれる。
だったら、妙に整えすぎない方がいい。
しばらくしてセレナが戻ってきた。
「どうだった?」
「普通じゃない質問もあったわ」
「たとえば?」
「学院で何を得たいか、じゃなくて、“何を持ち込めるか”って」
なるほど。
受ける側の熱意だけじゃなくて、学院にどういう価値を返せる人間かも見るのか。
面白い。
同時に、厄介でもある。
そこへ係員が声をかけた。
「リオン・ハル」
「はい」
立ち上がる。
セレナが小さく言った。
「変なこと言わないでよ」
「努力はする」
「そこは“言わない”って言いなさいよ」
少しだけ笑ってから、俺は面接室へ向かった。
◇
中には三人いた。
中央に年配の面接官。
その左右に、壮年の男と、書記らしい女性。
机の上には昨日の試験記録と思われるノートも置かれている。
「リオン・ハルです。よろしくお願いします」
一礼して座る。
面接官の中央にいる男が、穏やかな顔で口を開いた。
「そう緊張しなくていい。少し話をしよう」
「はい」
「では、まず基本的なところから聞こう。君が王立学院を志望する理由は何かな」
まっすぐな問いだった。
俺は一度だけ息を吸った。
「領地を治めるのに、現場だけでは足りないと知ったからです」
男の眉がわずかに動く。
「現場だけでは足りない?」
「はい。村や倉や道を見れば、崩れかけている場所はわかることがあります。けれど、それを立て直して続く形にするには、王都の制度や許認可や、人の流れも知らないといけない」
「つまり」
「領地の現実を知っているだけでは足りないし、王都の理だけでも足りない。その両方を繋げるために、ここで学びたいと思いました」
面接官は小さく頷いた。
隣の壮年の男が次の問いを出す。
「君は子爵家の出だね。では、君にとって貴族の役目とは何かな」
来た。
俺は少しだけ間を置いて答える。
「責任を引き受けること、だと思います」
「責任とは」
「土地と民を豊かにする責任です」
先日、家庭教師のグレインと話した内容が頭をよぎる。
でも、ただなぞるだけでは弱い。自分の言葉にしないと意味がない。
「王家に仕えることも、法を守ることも大事です。でも、領地が崩れたらそれだけでは足りません。
税があっても道が死ねば物は届かない。兵がいても村が痩せれば守れない。
だから貴族は、上から命じるだけじゃなくて、王都の理と領地の現実を繋げる責任を負う者だと思います」
少しの沈黙。
中央の男が、静かに聞いた。
「君は十二歳だね」
「はい」
「その答えは、誰かに教わったのかな」
「いいえ」
そこで嘘をつく意味はない。
「領地で見たことと、こちらで学んだことを合わせて、自分で考えました」
書記の女性が、そこで初めて顔を上げた。
「では逆に聞きます。君が領主なら、王都の理と領地の現実がぶつかった時、どちらを優先しますか」
良い質問だ。
そして、答え方を間違えると危ない質問でもある。
「すぐに片方を切るべきではないと思います」
「ほう」
「王都の理を無視すれば、いずれ領地ごと孤立します。
逆に現場を無視すれば、帳面の上では正しくても中が死ぬ。だから、まず何がぶつかっているのかを切り分けます」
隣の男が少し身を乗り出した。
「切り分ける?」
「はい。制度が悪いのか、現場のやり方が悪いのか、それとも間にいる人間が歪めているのか。
そこを見ないと、どちらを立てるかも決められません」
それを言った瞬間、三人の空気が少しだけ変わった気がした。
面接官の中央の男が、今度は少し柔らかく聞く。
「昨日の実技試験。あれは君の本来の力かな」
やっぱりそこも来るか。
「未完成です」
俺は即答した。
「正直に言うと、あそこまでうまくいったのは初めてでした。
狙っていた方向ではありましたが、再現性はまだありません」
「では、偶然だった?」
「偶然だけではありません。でも、安定して出せるものでもありません」
正直に答えると、書記の女性が記録を続けた。
中央の男が少しだけ口元を緩める。
「見栄を張らないのだね」
「張って得する場面じゃないと思ったので」
そこで、隣の男が初めて少し笑った。
「たしかに」
面接はまだ続いた。
好きな学問。
苦手なこと。
なぜ学院なのか。
なぜ今なのか。
だが途中から、こちらも少し落ち着いていた。
問われているのは、きれいな答えを暗記しているかじゃない。
何を見て、どう考えて、どこまで自分で言葉にできるかだ。
それなら、少なくとも全く戦えない場ではない。
最後に、中央の男が言った。
「最後の質問です。君がここへ入れたとして、学院に何を持ち込みますか」
セレナも言っていた問いだ。
俺は少し考えてから答えた。
「現場の視点、だと思います」
「現場の視点」
「王都で学ぶ人には王都の強みがあると思います。
でも、地方の領地では、道一本、倉一つ、村一つで流れが全部変わることがあります。
そういう場所で何が起きるか、何が崩れやすいかは、自分なりに見てきました。
それを持ち込めると思います」
また少しだけ静かになる。
それから、中央の男がゆっくり頷いた。
「よくわかりました。以上です」
「ありがとうございました」
一礼して立ち上がる。
扉へ向かう直前、背中に視線を感じた。
たぶん、今ので全部が決まったわけじゃない。
でも、少なくとも自分の答えは置けた。
それで十分だった。
◇
面接室を出ると、控えの回廊にはもうあまり人がいなかった。
セレナが少し離れた場所で待っている。
「お疲れ」
「そっちも」
「どうだった?」
「思ったより、ちゃんと話せた」
「何を聞かれたの?」
「貴族の役目とか、学院に何を持ち込めるかとか」
「……重いわね」
「そっちも似たような感じだった?」
「ええ。たぶん、答え方より、何を軸にしてる人間かを見てるのね」
その言い方に、俺は少しだけ笑う。
「うん。そんな感じだった」
回廊の窓から、午後の光が入っていた。
二日間の試験は、これで終わりだ。
筆記。
実技。
面接。
全部が終わったのだと思うと、急に肩が重くなる。
張っていたものが、ようやく緩んだのかもしれない。
「……終わったわね」
セレナがぽつりと言う。
「うん。終わった」
「長かった?」
「長かったし、短かった気もするな」
「同じ」
その返事に、二人で少しだけ笑った。
学院の正門を出ると、外ではヴァレスト公爵家の馬車が待っていた。
空を見上げる。
王都の空は今日も高い。
結果はまだわからない。
でも、やるだけのことはやった。
それだけは、はっきりしている。
馬車へ向かいながら、小さく息を吐く。
次に待っているのは合否だ。
そして、その先だ。
ここから先がどう転ぶにしても、今の俺にできることはもう一つしかなかった。
結果を待つこと。




