第387話 土を育てる
翌朝、俺たちは村長の家を出た。
「大変お世話になりました」
「いえ。またいつでもお越しください」
村長と妻に見送られ、馬車へ乗り込む。
次に向かうのは、南部でも収穫量が多い村だ。
馬車が動き始めると、エリアスが昨日まとめた紙を取り出した。
「次の村は、農地の広さに対して収穫量が多くなっております」
「人が多いの?」
「前の村より若者は残っておりますが、収穫量の差を説明できるほどではありません」
「牛や馬は?」
「周辺の村と大きな違いはございません」
「農具も同じ?」
「記録を見る限りでは」
人手も、牛馬も、農具も特別ではない。
それでも収穫量が多い。
「何か理由があるはずだね」
「それを確かめるための視察です」
馬車は畑の間を進んでいく。
しばらくすると、道の先に次の村が見えてきた。
◇
「ようこそお越しくださいました」
村の入口では、村長と数人の農民が待っていた。
挨拶を済ませ、すぐに畑へ案内してもらう。
小麦の穂はよく揃い、畑の端まで同じように育っている。
前日に見た村の畑より、明らかに育ちがよかった。
「今年だけ、よく育っているのですか?」
「いえ。多少の違いはございますが、例年このくらいでございます」
「病気や虫の被害は?」
「今のところ、大きな被害は出ておりません」
畑の横には水路が通っている。
しかし、特別広いわけでも、水量が多いわけでもない。
使っている鍬や鋤も、前の村で見たものと変わらなかった。
「水路や農具に、大きな違いはないね」
「はい」
俺は意識を集中させ、畑を見た。
≪土壌状態:良好≫
≪保水力:安定≫
≪土壌の消耗:少ない≫
作物だけではなく、土の状態がよい。
「この畑では、毎年小麦を作っているのですか?」
「いいえ」
村長の隣にいた年配の農民が答えた。
「昨年は豆を植えておりました」
「その前は?」
「小麦です。その前には、一部の土地を休ませております」
「毎年、作るものを変えるのですか?」
「はい。昔から、そのようにしております」
俺は畑の土を少し手に取った。
柔らかく、細かくほぐれている。
「ほかにも、何かしていることはありますか?」
「家畜の糞を、藁や枯れ草と混ぜて畑へ入れます」
「そのまま入れるのですか?」
「いえ。しばらく寝かせてからでございます」
「どれくらい?」
「臭いが弱くなり、形が崩れるまでです。季節によって変わりますので、日数は決めておりません」
長年の経験で、畑へ入れてもよい状態を見分けているらしい。
「収穫した後の茎や葉は?」
「燃料にする分を除いて、畑へ戻しております」
「どうして、そうするようになったのですか?」
年配の農民は、少し考えた。
「土も、同じものばかり育てていると疲れるからです」
「土が疲れる?」
「祖父から、そう教わりました。
小麦の後に豆を植えたり、何も作らず休ませたりすると、次の小麦がよく育ちます」
「理由は分からない?」
「分かりません。ただ、昔からそうしてきました」
前世でも、同じ作物を続けて育てると、土が痩せるという話は聞いたことがある。
豆を育てた後の土地では、別の作物が育ちやすくなることも。
だが、この世界でも同じように働くとは限らない。
「村のどの家でも同じ方法を使っているのですか?」
「おおよそは。ただ、入れる量や、土地を休ませる時期は家によって違います」
「畑ごとの収穫量は記録していますか?」
「村全体のおおよその量は残しておりますが、畑ごとには……」
エリアスが俺を見る。
昨夜話した記録が、ここでも必要になりそうだった。
「畑ごとに、何を育てて、どれだけ採れたかが分かれば、どの方法がよいか比べられるかもしれないね」
「昔から続けてきた方法では足りないのでしょうか」
村長が不思議そうに尋ねた。
「この村では、うまくいっています。でも、ほかの村でも同じ結果になるかは分かりません」
「土が違うからですか?」
「それもあります。それに、何が一番効果を持っているのか、まだ分かっていません」
家畜の糞と藁を入れたからなのか。
豆を植えたからなのか。
土地を休ませたからなのか。
すべてを一緒に行っているだけでは、それぞれの効果を比べられない。
「条件を変えて、一つずつ試してみたいんです」
「私どもの畑で、ですか?」
「それは……」
俺は言葉を止めた。
農家の畑を借りて試せば、失敗した時にその家の収穫が減る。
新しい方法を試すために、農家の暮らしを危険にさらすわけにはいかない。
「リオン様」
村長が村の外れを指した。
「あちらにも、以前は畑だった土地がございます」
「今は使っていないのですか?」
「はい。ただ、あまりよい土地ではございません」
「見せてもらえますか?」
「もちろんでございます」
村長の案内で、村の外れへ向かう。
よく育った畑が途切れた先に、草のまばらな土地が広がっていた。
地面は硬く、表面には雨水が流れた跡が残っている。
「以前は誰が使っていたのですか?」
「三年前まで、一軒の農家が使っておりました」
「今は?」
「家族全員が領都へ移りました。
土地を引き継ぐ者もおらず、領主家へ返されております」
「借りたい人はいないのですか?」
「何年作っても収穫が少なかった土地です。
ほかの畑を借りられるなら、誰もこちらを選びません」
俺は土地の中央まで歩き、意識を集中させた。
≪耕作適性:あり≫
≪土壌の消耗:大≫
≪保水力:低下≫
≪土の硬化:進行≫
農地として使えないわけではない。
ただ、長く使われる中で、作物が育ちにくい状態になっている。
「以前は、何を作っていたのですか?」
「主に小麦でございます」
「豆や、ほかの作物は?」
「ほとんど作っていなかったと思います」
「家畜の糞や藁は入れていましたか?」
「家畜を持たない家でしたので、あまり使っておりませんでした」
よく育つ畑との違いが、少しずつ見えてきた。
同じ作物を続けて育てる。
土へ戻すものが少ない。
育ちが悪くなっても、生活のために使い続ける。
その結果、さらに収穫が減っていったのだろう。
「この土地を、農業の試験に使えないかな」
「この土地を、でございますか?」
村長が驚いた。
「もっとよい土地もございます」
「よい土地では駄目なんです」
「なぜでしょう?」
「最初から作物がよく育つ土地で成功しても、方法がよかったのか、土がよかったのか分かりません」
俺は、硬くなった土を見下ろした。
「この土地をもう一度使えるようにできれば、同じような畑を持つ村でも役立つかもしれない」
「ですが、失敗すれば何も収穫できません」
「だから、農家の畑ではなく、領主家の土地で試したいんです」
農家に新しい方法を試してもらい、失敗した時の損だけを農家に負わせることはできない。
「この土地を、リオン様ご自身が耕されるのでしょうか?」
「毎日俺が耕すわけではありません」
「それはそうでしょう」
隣でエリアスが静かに頷いた。
「少しくらい否定してくれてもいいんだけど」
「学院へ通いながら南部で農作業をするのは、難しいと思います」
「分かっているよ」
土地を管理する人。
作業をする農家。
記録をつける文官。
実際に試すには、それぞれ必要になる。
「まず、この土地を同じ広さに分けよう」
「何を試されるのですか?」
「最初は、早く違いを確かめられる試験がいい」
俺は、なるべく土の状態が似ている場所を《綻びの目》で確認した。
「四つの区画を作ります」
一つ目は、今までどおりに耕す。
二つ目は、固くなった土を深く耕してほぐす。
三つ目は、十分に寝かせた家畜の糞と藁を土へ入れる。
四つ目は、土を深くほぐしたうえで、同じものを入れる。
「そこへ、同じ数のジャガイモを、同じ日に植えます」
「小麦ではないのですか?」
村長が尋ねた。
「最初の違いを見るなら、ジャガイモの方が分かりやすいと思います」
地上に出る茎や葉だけではない。
収穫した芋の数、大きさ、重さを区画ごとに比べられる。
「水や草取りの回数も、できる限り揃える。そのうえで、芽が出る速さや育ち方、収穫量を比べます」
「いつ頃、結果が分かるのでしょう」
「育ち方の違いなら、早ければ数週間で見えるかもしれません」
「それほど早く?」
「本当の結果は、収穫してからです。
でも、ジャガイモなら三か月ほどで最初の比較ができると思います」
エリアスが紙へ書き留める。
「必要な人手と、かかった費用も記録するのですね」
「うん。収穫が増えても、それ以上に人手や金がかかるなら、ほかの農家には勧められない」
「先ほど話していた豆は使わないのでしょうか」
「豆は、別の場所で試したい」
痩せた土地の端に、さらに小さな二つの区画を設ける。
一方には豆を植える。
もう一方には豆を植えず、同じように管理する。
「来年になったら、両方に小麦を植えます」
「豆を育てた土地と、育てなかった土地で、小麦の育ちを比べるのですね」
「そう。豆の効果は、今年中には分からないから」
「今年中に分かる試験と、来年以降に分かる試験を分けるわけですか」
「うん。早く確かめられることは早く確かめる。でも、一度の収穫だけで全部決めるつもりもない」
ジャガイモの結果がよくても、たまたま天候がよかった可能性がある。
別の土地で同じ結果になるとも限らない。
「まず、効果がありそうかを見る。その後も何年か続けて、本当に使える方法か確かめたい」
「短期的な食料不足には間に合いませんね」
「そこは輸入で補うしかない」
この畑は、今すぐ領都の食料を増やすためのものではない。
数年後、南部全体で収穫を増やせる方法を見つけるための畑だ。
「正式に使用するには、旦那様の許可が必要です」
「それは分かっているよ」
「ただし、調査予定地として確保し、ほかの者へ貸し出さないようにすることは可能です」
「なら、そうしておいて」
「先ほどまで、誰も借りたがらない土地でしたが」
「改善できたら、借りたい人が出るかもしれないからね」
エリアスは、土地のおおよその広さを書き始めた。
村長が、まだ信じられないような顔で尋ねる。
「本当に、このような土地で試されるのですか?」
「この土地だから、試したいんです」
よい土地で、より多く作る方法だけでは足りない。
痩せた土地を、もう一度使える土地に変える。
それができれば、今は使われていない農地も、ハル領の食料を支える力になる。
「村長。この村で、土の扱いに詳しい農家を紹介してもらえますか?」
「先ほどの者であれば、長く畑を見ております」
「その人にも協力してもらいたい」
「承知いたしました」
「エリアスは、記録を担当できそうな文官を探して」
「まだ農業担当の文官は決まっておりません」
「最初の仕事にちょうどいいと思わない?」
「候補者が逃げ出さないことを願います」
「そんなに大変かな」
「リオン様が途中で試す区画を増やさなければ、大丈夫でしょう」
「気をつけるよ」
エリアスは信用していないようだったが、その手は止まっていなかった。
早ければ数週間で、最初の違いが見える。
そして三か月後には、ジャガイモを掘り出して比べられる。
作物を育てる前に、まず土を育てる。
そのための試験農地を、俺は初めて手に入れようとしていた。
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