第386話 畑を支える仕組み
その日は、村長の家に泊めてもらうことになっていた。
「狭い家で申し訳ございません」
「泊めていただけるだけで助かります」
夕食には、村で採れた豆の煮込みと焼いた野菜、大きなパンが並んだ。
食事が始まっても、村長はどこか落ち着かない様子だった。
「リオン様。本日はユアンが失礼なことを申し上げました」
「失礼だとは思っていません」
「しかし、あのような口を……」
「ユアンが話してくれなければ、人手が足りていないことに気づけませんでした」
報告書には、使われていない農地があるとしか書かれていなかった。
土地にも水にも、大きな問題はない。
村長も、命じられれば増産すると答えた。
「人手が足りないまま畑を広げれば、村の人たちが苦しくなるだけです」
「ですが、この村が増産できなければ、ほかの村に負担がかかります」
「若者は、以前から減っているのですか?」
エリアスが尋ねた。
「はい。ただ、ここ数年は特に多くなりました」
「領都と西の森に仕事が増えたからですね」
「それだけではございません」
村長は少し言いにくそうに続けた。
「村を出た若者が領都で結婚し、そのまま戻らなくなっております」
「村で家庭を持つ者も減っている?」
「はい。このままでは、十年後には今の畑すら守れないのではないかと……」
今の食料価格だけを見ていては、その頃には手遅れになっているかもしれない。
「明日からも、気づいたことがあれば話してください」
「承知いたしました」
村長は頭を下げた。
◇
夕食後、俺とエリアスは客室の小さな机を挟んで座った。
机の上には、昼間にユアン親子から聞いた内容が並んでいる。
「売上は、おおよそ分かるんだね」
「商人から受け取った額は覚えておられました」
「種や農具の修理費は?」
「正確には分かりません」
「牛の餌や輸送費も?」
「はい」
売上は分かる。
だが、一年間でいくら使い、最後にどれだけ残ったのかは分からない。
「これでは、ユアンたち自身も農業の利益を把握できないね」
「これまで暮らせていたのだから、それで十分だと考えていたのでしょう」
「でも、領都の仕事と比べるなら、それでは足りない」
建築現場なら、一日の日当が分かる。
住居費と食費を引けば、家族へ送れる額も計算できる。
「農家にも記録をつけてもらおう」
「何を記録させますか?」
「収穫量。家で食べた量。種として残した量。売った量と金額」
「支出は、種、農具、牛馬、雇った人、輸送費でしょうか」
「保管中に傷んだ量も欲しい」
「人手についてはいかがいたしますか?」
「人が足りずに遅れた作業を記録してもらおう」
エリアスが項目を書き出していく。
「これだけでも、読み書きが苦手な農家には難しいかもしれません」
「村で記録を手伝える人が必要だね」
「まずは数軒だけで試してはいかがでしょう」
「ユアンの家だけでは比べられないから、家族の人数や畑の広さが違う家を選ぼう」
「村長と相談いたします」
そこで、俺は別の問題に気づいた。
「集めた記録は、誰が確認する?」
「最終的には私のところへ届きます」
「領都の住宅も市場も税も工事も見ているのに?」
「それが仕事ですので」
「南部の農家まで細かく見るのは無理だよ」
エリアスは少し黙った後、頷いた。
「すべてを継続して確認するのは難しいでしょう」
「農業を専門に見る文官が必要だと思う」
「農業専門の文官ですか」
「作付けと収穫量を確認する。農具や牛馬、水路、農道、倉庫の相談も受ける。
市場価格や販売先も見る」
「かなり広い役目になります」
「農業は、畑だけで終わらないからね」
作る。
保管する。
運ぶ。
売る。
どこか一つで止まれば、農家の利益にも領都の供給にもつながらない。
「候補者に心当たりはございますか?」
「……ない」
「現在の文官に、農業を専門に学んだ者はおりません」
「農家出身の文官は?」
「おりますが、幼い頃の経験だけで農政全体を任せるのは難しいでしょう」
「数字が読めるだけでも駄目。農業を知っているだけでも駄目か」
「すぐに適任者を見つけるのは難しいと思います」
「それなら育てよう」
「文官を村へ通わせるのですか?」
「うん。農家から現場を学んでもらう。
村では、読み書きのできる人に記録を手伝ってもらう」
「一人ですべてを担わせないのですね」
「最初から完璧な人を探していたら、いつまでも始められない」
まずはエリアスの下に一人か二人を置き、南部の農業を担当させる。
必要なら、その後に人数を増やせばいい。
「領都へ戻ったら、父上に相談しよう」
「承知しました」
エリアスが紙を整理する。
「しかし、農業担当の文官を置いても、すぐに食料は増えません」
「分かっている。短期では、やっぱり輸入が必要だね」
「はい」
「中期では、使われていない農地や農具、牛馬、倉庫、道を改善する」
「少ない人数で生産量を維持する方法も必要です」
「長期では、農業をやろうと思える人を増やす」
「若者を村へ残すのですか?」
「残すんじゃない。農業を選んでも、家族を養えると思えるようにする」
俺は、夕食の時に村長が話していたことを思い出した。
領都へ移った若者は、そこで結婚して村へ戻らない。
「農家に子どもが生まれたら、領が出産や育児を支援するのはどうだろう」
「農家だけを対象にするのでしょうか」
「農業人口を増やすためだから、そのつもりだった」
「どのような支援ですか?」
「産婆や治療師の費用を一部負担する。子どもが幼いうちは税を軽くする。
農繁期には子どもを預かる場所を作る」
「今生まれた子どもが働けるようになるまで、十年以上かかります」
「これは次の収穫ではなく、十年後のための話だよ」
「もう一つ問題がございます」
「何?」
「農家以外の家庭は、支援を受けられないのでしょうか」
村には農家以外にも、鍛冶屋や運送を担う者がいる。
「農家以外の家庭も、出産や育児の負担は同じです」
「農業が大切だから、という理由だけでは納得してもらえないかな」
「全員は納得しないでしょう」
エリアスは続けた。
「農家に生まれた子どもが、将来農業を選ぶとも限りません」
「それはそうだね」
「支援を受けたのだから農業を継げと、領が命じることもできません」
「できない」
それでは、若者を村へ縛るのと変わらない。
「農家に子どもを増やしてもらう、という考え方が違うのかもしれない」
「では、何を支援しますか?」
「村で家族を作って、子どもを育てながら暮らせるようにする」
「農家に限らず、村に住む家庭を対象にするのですね」
「うん」
産婆や治療師を呼びやすくする。
農繁期に子どもを預かる。
学べる場所を作る。
若い夫婦が住める家を用意する。
「そのうえで、農業を始めたい人には別の支援をする」
「農地や農具、牛馬でしょうか」
「記録や販売先も必要だね」
「農村で暮らす支援と、農業を始める支援を分けるわけですか」
「その方がいいと思う」
農家の子どもを農家にするのではない。
農業を選んだ者が、始めやすい仕組みを作る。
「かなり話が大きくなりましたね」
「始まりは、ユアンの家の利益を調べるだけだったのにね」
「リオン様と話しておりますと、よくあることです」
「褒めている?」
「判断はお任せいたします」
エリアスが小さく笑った。
「明日は、収穫量の多い村を視察する予定です」
「若い人や家族が、どれくらい残っているかも確認したい」
「収穫量だけでなく、暮らし方も比べるのですね」
「同じ南部で若者が残っているなら、その理由を知りたい」
「視察項目へ加えておきます」
今必要な食料は、他領から買う。
来年以降に必要な食料は、南部の生産力を高めて備える。
そして、十年後の畑を支えるには、農業を選びたいと思う者を増やさなければならない。
「エリアス」
「はい」
「領都へ戻ったら、農業を専門に見る文官のことを父上に相談しよう」
「承知しました」
窓の外では、月の光が穀物畑を照らしていた。
農家の努力だけに任せていては、領地の食料は守れない。
畑で働く人たちを支える仕組みが必要だった。
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