第379話 領地の優先順位
今回は「45歳社長、~」初の企画を行います。
題して「あなたの考えるヒロインは誰?」です。
一番下まで進んで投票をお願いします。
温泉を出て屋敷へ戻った頃には、空が夕焼けに染まり始めていた。
「お帰りなさいませ、リオン様」
玄関で待っていたミアが、俺の顔を見るなり小さく笑う。
「ずいぶん、すっきりしたお顔ですね」
「西の森の温泉に入ってきたんだ」
「やはり、そうでしたか」
「分かってたの?」
「はい。帰りが遅くなるという連絡を受けておりましたので」
レナードが馬車を待たせると伝えた時、屋敷にも知らせを送っていたらしい。
「少しだけ入るつもりだったんだけどね」
「温泉へ入られたリオン様が、少しだけで済むとは思っておりませんでした」
ミアはそう言いながら、俺の上着を受け取った。
反論できない。
「旦那様と奥様は、食堂でお待ちです」
「分かった。着替えたらすぐに行くよ」
部屋へ戻り、簡単に着替えてから食堂へ向かった。
◇
「お帰りなさい、リオン」
食堂へ入ると、母上が穏やかに迎えてくれた。
父上もすでに席についている。
「ただいま戻りました」
「西の森はどうでしたか?」
「かなり変わっていました。
リバーシ工房も動いていますし、家族で暮らす人も増えています」
席につくと、温かい料理が運ばれてくる。
母上は俺の顔をじっと見た。
「少し日に焼けましたね」
「ずっと外を歩いていたからだと思います」
「学院のお休みで帰ってきたのですから、毎日働かなくてもよいのですよ」
「今日は温泉にも入りました」
休んだことを伝えたつもりだったが、父上が小さく笑った。
「温泉へ入る直前まで、排水路の話をしていたそうだな」
「もう聞いたのですか?」
「レナードから、簡単な報告が届いている」
「仕事の話をしてから温泉に入ったので、休んではいます」
「それを休みと言ってよいのかしら」
母上が困ったように笑う。
「ですが、久しぶりの温泉は気持ちよかったです」
「その顔を見れば分かる」
父上も笑った。
その後は、学院での生活や期末試験の話をしながら食事を進めた。
食事を終える頃、父上が俺を見る。
「西の森で考えたことがあるのだろう?」
「はい。いくつか相談したいことがあります」
「では、執務室で聞こう」
◇
夕食後、俺は父上の執務室へ向かった。
母上も学校の話をもう少し聞きたいと言い、そのまま一緒に来ている。
机の上には、領都と西の森から届いた報告書が積まれていた。
「まず、今回見たことから話してくれ」
「分かりました」
俺は、西の森の状況を順番に報告した。
リバーシ工房が本格的に動き始めたこと。
夜間学校で読み書きや計算を学んだ者たちが、検品や記録の仕事を任されていること。
家族を呼び、住宅区画で定住を始めた者が増えていること。
温泉を中心に飲食店や宿ができ、商人や冒険者、旅人も集まっていること。
「西の森全体のうち、人の手が入っているのは一割ほどです」
「その一割の進捗は?」
「当初の計画に対して、六割ほどだとレナードが話していました」
主要な道、井戸、管理所、共同宿舎、温泉、工房は整っている。
だが、住宅や倉庫、荷車置き場、宿泊施設などはまだ足りない。
「現在の人員なら、当初の計画は一年ほどで整えられるそうです。
ただ、移住や出店を希望する者が想定より増えています」
「計画の完成前に、次の区画が必要になる可能性があるか」
「はい」
父上は机の上の報告書へ目を向けた。
「書面でも人が増えていることは分かっていた。
だが、実際にどう暮らしているかまでは見えないな」
「西の森は、もう森の仕事をする人だけの場所ではありません」
俺は住宅区画で出会ったトーマの家族についても話した。
夫婦が同じ場所で働き、娘と三人で暮らしている。
母親は夜間学校へ通い、将来は記録の仕事を任されたいと考えている。
「それで、相談というのは?」
「まず、子どもたちの学校についてです」
◇
俺は、住宅区画で見た子どもたちの状況を説明した。
日中、年長の子が幼い弟や妹の面倒を見ている。
子どもを一人にできず、働きたくても仕事に出られない親もいる。
文字や計算を学びたい子どももいるが、夜間学校は時間が遅く、幼い子には通いにくい。
「西の森の夜間学校を、昼間は子どもの学校として使いたいと思っています」
「夜は大人が使い、昼は子どもが使うのね」
母上が確認する。
「はい。最初は週に数日、午前中だけでもいいと思っています」
「何を教えるつもりだ?」
「自分の名前を読み書きすること。数を数えること。
簡単な足し算や引き算。それから、危険や避難を示す札の意味です」
父上は少し考える。
「学校が必要なのは、西の森だけではないだろう」
「自分もそう思っています」
領都にも、すでに夜間学校はある。
ただし、教える内容も教師によってばらつきがある。
読み書きを中心に教える日もあれば、仕事で使う計算を教える日もある。
決まったカリキュラムと呼べるものは、まだ作られていない。
「領都の夜間学校も、まだ仕組みが整っていません」
「確かにな」
「だから、いきなり領都でも子どもの学校を始めるのではなく、まず西の森で小さく始めたいです」
「西の森を試す場所にするのか」
「はい。教える内容や時間、必要な教師の数。それから、子どもたちを年齢でどう分けるかも確かめます」
西の森には、夜間学校の建物がある。
学んだ者の中から、教師の候補を探すこともできる。
子どもの人数も、領都ほど多くない。
「そこでうまくいった方法を、領都の夜間学校にも取り入れたいと思っています」
「領都では、大人向けの授業も整理するのですね」
「はい。子ども向けだけではなく、大人向けも含めて、何をどの順番で教えるかを考えられます」
西の森で作った仕組みを、そのまま領都へ持っていくわけではない。
人数も必要とされる仕事も違う。
それでも、最初の形を作ることはできる。
「将来的には、西の森や領都だけではなく、ハル領の他の集落でも、子どもが学べる場所を作りたいです」
この世界では、幼い頃から文字や計算を学べるのは、貴族か裕福な商人の子どもがほとんどだ。
前世では、家の裕福さにかかわらず、多くの子どもが学校へ通っていた。
すぐに同じものを作ることはできない。
だが、少しずつ近づけることはできるはずだ。
「幼い子と、文字を学ぶ年齢の子を、同じように教えるのは難しいのではありませんか?」
母上が尋ねる。
「自分もそう思います」
文字や計算を学ぶ子どもと、まだ長く座っていられない幼い子どもでは、必要な対応が違う。
「学ぶ子どもたちと、見守りが必要な幼い子どもは、分けた方がいいと思います」
「教える者とは別に、幼い子を見る者も必要ですね」
「はい。その人たちへの報酬も必要になります」
父上がさらに尋ねる。
「子どもを学校へ通わせたくない親もいるだろう。
家の仕事を手伝わせたい者もいる」
「最初は希望する家庭から始めます」
「無理に通わせることはしないのだな」
「はい。ただ、通わせた家庭でどんな変化があったかは、他の住民にも伝えたいです」
文字が読めるようになった。
数字を数えられるようになった。
危険を示す札が理解できるようになった。
そうした成果が見えれば、学校へ行かせたいと考える親も増えるかもしれない。
「働く親のためだけに作るのではありません」
俺は付け加える。
「子どもが安全に過ごし、学べることが一番です。
その結果として、働ける親が増えるのが良いと思っています」
母上は静かに頷いた。
「その順番なら、私も賛成です」
◇
「もう一つは、西の森の排水設備です」
俺は、温泉周辺の状況を説明した。
現時点では悪臭もなく、水があふれているわけでもない。
だが、飲食店ごとに排水方法が異なり、油や細かな食べかすが溝へ流れ込んでいる。
そのため、排水溝を掃除する回数も増えている。
「今は、排水路を広げ、飲食店の処理方法を揃えれば対応できます」
「具体的には?」
「温泉の湯と飲食店の排水を分けます。
食べかすは籠で受け止め、油は別に集める。
細かな汚れは、一度水を溜めて底へ沈めてから流します」
「店ごとに、違うやり方をさせないということか」
「はい。水を流す方向も統一します」
父上は報告書を一枚手に取った。
「それだけで足りるのか?」
「今は足ります」
俺は一度言葉を区切った。
「でも、西の森を今後さらに成長させるなら、いずれ領都並みの排水設備が必要になると思います」
父上と母上が、そろって俺を見る。
「領都並みか」
「住宅、工房、宿、飲食店が増えれば、小さな溝を広げるだけでは限界が来ます」
西の森は、まだ全体の一割しか開拓されていない。
その一割も、現在は六割までしか整っていない。
それでも排水量は増え始めている。
「領都でも、問題が起きてから排水路を作ったわけではありません」
人や建物が増える前に、将来必要になると判断して工事を行った。
「西の森も、同じように考える必要があります」
「すぐに大規模な工事を始めるのか?」
「いいえ。今は、現在の排水路の改善を優先します」
ただし、将来の主要な排水路をどこへ通すのかは、今から考えておく。
建物が増えた後で地面を掘り返せば、店や住宅を移すことになるかもしれない。
「将来、水路を通す場所には建物を建てない。そのための計画だけは、今から始めたいです」
「なるほど」
父上は椅子の背へ身体を預けた。
「学校と排水。どちらも必要なことは分かった」
「はい」
「だが、資金も人手も無限ではない」
父上の視線が、まっすぐこちらへ向けられる。
「お前なら、何を優先する?」
◇
俺は少し考えた。
必要な事業を並べるだけでは、領地は動かせない。
どれから始めるかを決めなければならない。
「自分なら、費用と期間、それから領への効果で判断します」
「うん」
「まず、西の森の排水改善を最優先にします」
「学校ではないのですね」
母上が尋ねる。
「はい。排水は、すでに掃除の回数が増えています。
大きな問題が起きてはいませんが、今なら少ない費用と短い期間で改善できます」
悪臭や汚染が起きてからでは、店を止めなければならなくなるかもしれない。
住民の健康にも関わる。
「今の賑わいを止めず、さらに店や住宅を増やすためにも、先に排水を整えるべきです」
父上が頷く。
「次は?」
「西の森で、子どもの学校を試験的に始めます」
既存の夜間学校を使えるため、新しい建物を建てる必要はない。
教師候補と見守り役が見つかれば、比較的短い期間で始められる。
「西の森で始めている間に、領都でも子どもの人数や教師候補を調べます」
父上は、机を指で軽く叩きながら考えている。
「本格的な排水設備はどうする?」
「長期計画として、設計だけは始めます」
すぐに工事を始めれば、費用も人手も大きくなる。
現在の開拓速度や人口増加が、今後どう変わるかも分からない。
「今すぐ必要な部分だけ改善して、街がどこまで広がるかを見ながら段階的に作ります」
「費用が大きいから、ただ後回しにするのではないのだな」
「はい。将来必要になることが分かっているなら、今から場所と計画だけは決めておきます」
父上はしばらく黙っていた。
やがて、静かに頷く。
「よいだろう」
「ありがとうございます」
「排水については、レナードに現地の調査を続けさせる。
費用はエリアスにも確認させよう」
「はい」
「学校については、西の森の子どもの人数と教師候補を調べる。
領都も、夜間学校の現状を整理させる」
「お願いします」
「最終的な許可は、報告を見てから出す」
父上は領主だ。
俺が案を出しても、最後に決めるのは父上になる。
その手順を飛ばさないことも大切だった。
◇
話がまとまり、俺は執務室を出ようとした。
「リオン」
父上に呼び止められ、振り返る。
「何ですか、父上?」
「お前には、感謝している」
突然の言葉に、すぐには返事ができなかった。
「学院の休みのたびに戻り、領内を歩いてくれた」
「自分の家に帰ってきているだけです」
「帰ってきて休むだけでも、誰も責めはしない」
父上は机の上の報告書へ目を向ける。
「だが、お前は領都や西の森へ足を運び、そこで働く者たちと話してきた」
西の森開拓。
夜間学校。
街灯。
温泉。
リバーシ。
俺が学院の休みの間に関わってきたものは多い。
「そのことで、領地の形だけが変わったわけではない」
父上は続ける。
「そこで働く者たちも変わった」
「働く人たちが?」
「ああ」
以前のエリアスは、与えられた仕事を正確にこなすことを重視していた。
今は、領都が将来どう広がるかを考え、必要な対策を先に進めるようになった。
レナードも、目の前の作業だけではなく、西の森全体の人と物の流れを見るようになった。
ノルも、騎士団の訓練と警備だけではなく、住民の安全を街づくりへ反映している。
誰かに指示されるのを待つのではなく、自分の仕事を良くしようとしている。
「お前が、すべてを動かしているわけではない」
「はい」
「だが、お前が先を考える姿を見せたことで、皆も自分の役目の中で先を考えるようになった」
今回、領内を見て回って、俺も同じことを感じていた。
エリアスは、俺が何も言わなくても新住宅区画の問題を把握していた。
レナードは工房や住宅区画を整え、西の森を前へ進めていた。
俺がいない間も、領地は止まっていなかった。
「自分も、今日それを感じました」
「そうか」
「俺がいなくても、みんなが領地を前へ進めてくれていました」
父上は、穏やかに笑った。
「それが、お前がこの領にもたらした一番大きな変化かもしれないな」
仕組みや建物は、いずれ古くなる。
だが、自分で考え、改善する人が増えれば、領地はその先も変わり続けられる。
「だからこそ、帰ってきた時くらいは少し休め」
父上の声が、急に父親らしいものへ戻った。
「明日は、予定を入れるな」
「明日は……」
返事をしようとした瞬間、領都で確認しておきたいことが頭に浮かんだ。
父上が、俺の顔を見て目を細める。
「何か思い出した顔をしているな」
「午前中だけ、確認したいことがあります」
「午前中で終わるのか?」
「たぶん」
「たぶん、か」
父上は呆れたように息を吐いた。
隣では、母上が笑っている。
「午後は休みます」
「その言葉は覚えておこう」
「はい」
明日の予定を考えながら、俺は父上の執務室をあとにした。
いつも、ありがとうございます。
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