第376話 選ばれるリバーシ
「リオン様、お帰りになっていたのですね」
声をかけられて振り返ると、工房の入口にマリウス・デントが立っていた。
片手には、何枚かの書面を挟んだ板を抱えている。
「マリウス。久しぶり」
「ご無事にお戻りになられて、何よりです」
「今日は夜間学校?」
「はい。その前に、工房の出荷状況を確認しに参りました」
ローデン商会ハル領支店を任されているマリウスは、工房で作られたリバーシを王国各地へ送り出す役目も担っている。
俺は先ほどまで見ていた作業場へ目を向けた。
「夜間学校で学んだ人たちが、たくさん働いていたよ」
「はい。読み書きや計算を身につけた者には、記録や検品を任せられるようになりました」
「マリウスが教え続けてくれたおかげだね。ありがとう」
マリウスは少し驚いたように目を瞬かせた。
「私一人の力ではございません。
仕事を終えた後も学び続けた者たちと、学んだ者に役目を与えたレナード殿の成果です」
「それでも、教える人がいなければ始まらなかったよ」
「そう言っていただけるのであれば、教師を続けた甲斐がございます」
マリウスは穏やかに笑った。
レナードが、完成したリバーシの箱を一つ持ち上げる。
「ちょうど、次の出荷分について変更が決まったところです」
「変更ですか?」
「リオン様の提案で、通常の六十四枚に加え、予備の駒を四枚入れることになりました」
レナードが、箱の端に仕切りを作る予定だと説明する。
予備だと分かるように、駒を四つ並べた印も付ける。
マリウスは箱の中を確認しながら頷いた。
「良いと思います。駒を紛失したという相談は、すでに何件か届いておりますので」
「やっぱり、なくす人はいるんだね」
「小さな駒ですから。特に宿屋や商会の待合室では、多くの者が使います。
いつの間にか一枚なくなっていた、ということもあるようです」
「次に作る分から、予備を入れる予定だよ」
「承知しました。各支店にも伝えます」
マリウスは手にしていた板へ書き加えた。
「駒をなくしても、すぐに遊べなくならない。
それは販売する際にも伝えやすい長所になります」
「予備の四枚が、売る時の長所になるの?」
「はい。購入した後のことまで考えられた品だと分かりますから」
同じ駒が四枚増えるだけだ。
けれど商人のマリウスには、その違いが商品の価値として見えているらしい。
◇
「それから、販売状況についてお伝えしたいことがございます」
マリウスは板に挟んでいた書面を一枚取り出した。
「リバーシの注文は、今も増え続けております」
「王都から?」
「王都が最も多いですが、それだけではございません。
ローデン商会の各支店を通じて、王国の西部や南部でも販売が増えています」
領主館や商人の家だけではない。
宿屋や酒場、商会の待合室に置くための注文も増えているという。
「各支店では、実際に盤を置いて遊び方を見せています。
見ているうちに興味を持ち、その場で購入される方も多いそうです」
「商品だけじゃなくて、遊び方も広めているんだね」
「遊び方が分からなければ、ただの盤と駒にしか見えませんから」
マリウスは書面をこちらへ向けた。
「ただ、現在の生産数では、すべての注文にすぐ応えることが難しくなっております」
「どれくらい増やしてほしいと言われているの?」
「まずは、今より三割ほど増やせないかと」
俺はレナードを見る。
レナードはすぐには答えず、工房の中へ目を向けた。
「不可能ではありません」
「本当?」
「ただし、すぐに三割増やせるわけではありません。
乾燥させた木材を確保し、盤や駒を切り出す職人を増やす必要があります」
「確認する人や、箱に詰める人も必要になるね」
「はい。どこか一つの工程だけを増やしても、別の場所で作業が止まります」
木材を多く切り出しても、磨く者が足りなければ積み上がる。
盤や駒が完成しても、検品できなければ出荷できない。
「夜間学校で学んでいる者の中から、新たに工房で働く者を育てることも考えております」
「すぐに働けるの?」
「最初は簡単な確認や箱詰めからです。
経験を積めば、記録も任せられるようになります」
マリウスも頷いた。
「商会としては、できるだけ多く届けたいと考えております。
ですが、品質を落としてまで数を増やすつもりはございません」
「売れるなら、少しくらい作りが粗くてもいいとは思わない?」
「一度は売れるでしょう」
マリウスは迷わず答えた。
「しかし、盤が反っていたり、駒の大きさが揃っていなかったりすれば、次も購入しようとは思われません」
書面を板へ戻す。
「失うのは、その一度の売上だけではございません。
ハル領とローデン商会の信用まで失います」
「分かった。急に増やすんじゃなくて、人と材料を揃えながら少しずつ増やそう」
「承知しました」
「私も、その方針で各支店へ返答いたします」
増産については、それでよいと思う。
だが、積み上げられた箱を見ているうちに、別のことが気になった。
◇
「もう一つ、考えておいた方がいいことがある」
俺が言うと、レナードとマリウスがこちらを見る。
「増産についてでしょうか?」
「増産よりも、その後の話かな」
「その後、ですか?」
俺は、ハル領へ戻る途中で立ち寄ったトラウゼン侯爵家でのことを思い出した。
「トラウゼン侯爵も、家の者に新しいリバーシを作らせていたんだ」
マリウスの表情がわずかに変わる。
「侯爵閣下が?」
「ああ。自分の屋敷で使うためのものだよ」
「では、販売されているわけではないのですね」
「そうだね。それ自体は悪いと思っていない」
リバーシを気に入って、自分たちでもう一つ作る。
遊びが広まるという意味では、むしろ嬉しいことだ。
「でも、トラウゼン侯爵家で作れたなら、他の場所でも作れるよね」
レナードが小さく頷いた。
「盤と駒だけであれば、腕のある木工職人なら再現できると思います」
「実物を一つ手に入れれば、寸法も確認できます」
マリウスも認める。
「構造そのものは、決して複雑ではございません」
「今は、自分たちで遊ぶために作る人だけかもしれない。
でも、これだけ売れると分かれば、似たものを売る商会も出てくると思う」
「模倣品ですか」
「うん」
安い木材を使い、箱や説明書を付けず、安価な品として売る者が現れるかもしれない。
まったく同じものを作るとは限らない。
「盤の目を、縦と横に八つずつじゃなく、十ずつに増やす人もいるかもしれない」
「百の目を持つ盤ですか?」
「駒の形や遊び方を少し変えて、別の品だと言うこともできる」
マリウスは腕を組み、しばらく考え込んだ。
「十分にあり得る話です」
「やはり、そう思う?」
「はい。人気があると知れば、同じ市場へ入ろうとする商会は現れます」
レナードも、工房の作業台へ目を向けた。
「私は、今ある注文へどう応えるかしか考えておりませんでした」
「私もです」
マリウスが続ける。
「これからどれほど売れるかは考えておりましたが、その後に誰かが似た商品を売り始めるところまでは、考えておりませんでした」
「まだ起きていないからね」
「ですが、リオン様はもうその先まで見ておられる」
マリウスは感心したように俺を見る。
「人気が出た後の競争まで考えられているとは、驚きました」
前世では、商品が売れ始めれば、似たものを出す会社がすぐに現れた。
最初に作ったからといって、いつまでも選ばれ続けるとは限らない。
その経験があるから、考えただけだ。
「リバーシが広まること自体は、嬉しいんだ」
俺は工房で働く者たちを見る。
「似た遊びを作るなとも言いたくない。
いろいろな場所で遊ばれるようになれば、それは良いことだと思う」
「では、模倣品を止める必要はないと?」
「止められるなら考えてもいいけど、全部を止めるのは難しいと思う」
王国中の木工職人を見張ることなどできない。
自分たちで使うために作ったものまで取り締まるつもりもない。
「でも、安い模倣品ばかりが売れて、ハル領とローデン商会のリバーシが売れなくなるのは困る」
この工房には、多くの者が働いている。
夜間学校で学び、ようやく新しい仕事を得た者もいる。
「商売として成り立たなくなれば、この工房で働く人たちの仕事もなくなるから」
「確かに、そのとおりです」
レナードの表情が引き締まる。
「だから、ただ広めるだけじゃなくて、広まった後も俺たちのリバーシを選んでもらう方法を考えないといけない」
◇
「選んでもらうために、価格を下げますか?」
レナードが尋ねる。
「それだけじゃないと思う」
価格を下げれば、売れる数は増えるかもしれない。
だが、利益が減れば、働く者へ十分な報酬を払えなくなる。
品質まで落とせば、模倣品との違いもなくなってしまう。
「真似されても、ハル領のものを選ぶ理由を作るんだ」
「選ぶ理由……」
「まず、ハル領で作ったものだと分かるようにした方がいい」
俺は完成した箱を裏返した。
今は送り先とローデン商会の印が付いているだけだ。
「盤と箱に、ハル領の印を入れるのはどうかな?」
「正規の品であることを示す印ですね」
マリウスがすぐに理解する。
「ハル領の印と、ローデン商会の印。
その二つがあれば、どこで作られ、誰が販売したものか分かります」
「木なら、焼き印を入れられると思います」
レナードが答える。
「箱と盤の裏であれば、遊ぶ際にも邪魔になりません」
「それから、品質も変えない」
十分に乾燥させた木材を使う。
盤が反らないようにする。
駒の大きさと厚さを揃える。
遊び方を書いた説明書を入れる。
そして、次の出荷分からは予備の駒も四枚付ける。
「同じように見えても、使えば違いが分かるものにしたい」
「安い品を一度購入した者が、次はハル領製を選ぶこともあるかもしれません」
「そうなればいいね」
マリウスは板へ次々に書き込んでいく。
「ローデン商会の販売網も、さらに活用できます」
「どうするの?」
「模倣品が広がる前に、王国各地へ正規の品を届けます。
リバーシという名前とともに、ハル領製であることも覚えていただくのです」
リバーシを知った時、最初にハル領の印を目にする。
そうなれば、後から似た商品が現れても、どちらが元からあるものか分かりやすい。
「それと、各支店から情報を集めたいです」
「情報?」
「どのような方が購入しているか。どこで使われているか。
どの程度の価格が求められているか。そして、似た商品が売られていないか」
「売れた数だけじゃなくて、その周りも調べるんだね」
「はい。販売網は、商品を届けるためだけのものではございません。
各地の変化を知るためにも使えます」
マリウスらしい考え方だった。
「安い品を求める人が多いなら、ハル領でも簡素なものを作る方法を考えられるかもしれない」
「宿屋で使うのであれば、装飾よりも壊れにくさが求められるでしょう」
レナードも意見を出す。
「貴族家では、客間に置くため、見た目を重視するかもしれません」
「まだ作るとは決めずに、まず何を求められているか調べよう」
「承知しました」
マリウスが力強く頷いた。
◇
出荷を待つ木箱が、工房の奥に積み上げられている。
今はどれも同じような箱だ。
だが、次にここへ来る時には、ハル領の焼き印が入っているかもしれない。
「注文を増やすだけでは足りませんね」
マリウスが箱を見ながら言った。
「選ばれ続ける品にしなければなりません」
「そのためには、工房でも今の品質を守る必要があります」
レナードも答える。
「働く者たちにも、なぜ厳しく確認するのかを伝えます」
「頼むよ」
リバーシが広まれば、似た商品も生まれる。
それは、人気が出た証拠でもある。
けれど、広まることだけを喜んではいられない。
遊びを王国中へ広めながら、この工房で働く者たちの仕事も守る。
そのためには、最初に作ったことへ甘えるのではなく、これからも選ばれる理由を作り続けなければならない。
真似されないものを作ることは難しい。
だからこそ、真似されても選ばれるものを作る必要があるのだ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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