第372話 帰ってきたハル領
トラウゼン侯爵家を出てから数日後。
リオンたちを乗せた馬車は、ようやくハル領へ入った。
窓の外には、見慣れた山並みが広がっている。
街道を行き交う荷馬車は以前より増え、荷台には木材や布、加工品が積まれていた。
道の脇には新しい建物も見える。
リオンが王都にいる間にも、領地は少しずつ変わっているようだった。
「リオン様、もうすぐ領都ですよ」
向かいに座るミアが窓の外を指す。
「うん。思っていたより荷馬車が多いね」
「最近は、領外から来る商人も増えています」
「それはエリアスから詳しく聞かないとね」
馬車が領都へ近づくにつれ、家や店の数も増えていく。
以前は空いていた土地に新しい建物が並び、通りを歩く人の姿も多い。
自分がいない間も、領地は止まっていなかった。
そのことが、リオンには少し嬉しかった。
◇
屋敷へ到着すると、玄関前で母が待っていた。
「おかえりなさい、リオン」
「ただいま戻りました、母上」
馬車を降りたリオンを見て、母は目を細める。
「また背が伸びたのではないですか?」
「ミアにも同じことを言われました」
「やはりそうでしょう。
王都へ送り出すたびに大きくなって帰ってくるのですから、驚いてしまいます」
母は嬉しそうに言いながら、リオンの肩へ手を置いた。
「旅は疲れたでしょう?」
「馬車の中ではゆっくりできました。思っていたほど疲れていません」
「それならよかったです。お父様も待っていますよ」
父は玄関まで出てこなかった。
体調が悪化したわけではない。
だが、無理に歩き回れるほど回復したわけでもなかった。
リオンは荷物をミアたちへ任せ、そのまま父の執務室へ向かった。
◇
扉を叩くと、中から父の声が返ってきた。
「入りなさい」
執務室では、父が机に向かっていた。
以前より顔色はよくなっている。
机の上には領内から届いた報告書が積まれ、手元には署名を終えた書類も置かれていた。
だが、椅子から立ち上がろうとする動きは、まだゆっくりだった。
「そのままでいてください、父上」
「息子が帰ってきたのだ。立つくらいはさせてくれ」
父は苦笑しながら立ち上がった。
「おかえり、リオン」
「ただいま戻りました」
父はリオンを見上げるようにして、少し驚く。
「随分と大きくなったな」
「皆から同じことを言われます」
「もう私より大きいではないか?」
「まだそこまではありません」
「まあ、時間の問題だろう」
父は満足そうに頷くと、再び椅子へ腰を下ろした。
リオンも向かいの椅子へ座る。
「学院はどうだった?」
「忙しかったですが、充実していました。授業だけでなく、研究所へ行く機会も増えましたから」
「そうか。仲間たちとはうまくやっているのか?」
「はい。今回の試験前も、皆で集まって勉強しました」
「試験の結果は?」
「総合では1位でした」
父は少し誇らしそうに笑う。
「四年生の範囲には、まだ不足があります。筆記試験でも失点しました」
「1位になっても、最初に失点の話をするのはリオンらしいな」
「不足があることは事実ですから」
「なら、これから埋めればよい」
トラウゼン侯爵にも同じようなことを言われた。
父も侯爵も、失敗や不足を責めるより、その次を見ている。
「王立研究所では、どのようなことをしていた?」
父に尋ねられ、リオンは浮遊魔法や転移魔法、亜空間収納魔法の研究について話せる範囲だけを伝えた。
父は途中で口を挟まず、最後まで聞いていた。
「王都でも随分忙しくしていたのだな」
「少し予定が重なりました」
「少し、か」
父は呆れたように笑った。
「夏休みくらいは、少しゆっくりしなさい」
「領地の様子も確認したいと思っています」
「帰ってきたばかりなのに、もう仕事の話か」
「気になっていましたから」
「相変わらずだな。休むことも忘れないように」
「はい」
素直に返事をしたものの、父は完全には信じていない顔をしていた。
◇
「ところで、領都へ入る途中で荷馬車が増えていることに気づきました」
リオンが話題を変える。
「新しい建物も増えていますね」
「ああ。領都も少しずつ変わっている」
「そのようですね。明日以降、詳しく見て回りたいと思っています」
「そう言うと思っていた」
父は机の上から1枚の紙を取り、リオンへ渡した。
そこには、領都と西の森で進められている主な事業が書かれている。
「領都については、エリアスから話を聞くといい。今の商業や工房の動きを最も把握している」
「エリアスが案内してくれるのですか?」
「ああ。明日は時間を空けてもらっている」
紙の下には、西の森についても記されていた。
「西の森はレナードに任せている。開拓の状況だけでなく、現地で起きている問題も本人から聞く方がよいだろう」
「分かりました」
「領内で進める仕事が増えた以上、1人がすべてを見るのは難しい。
現場を知る者に任せ、その報告を受けて判断するしかない」
父の言葉に、リオンはトラウゼン侯爵との会話を思い出す。
すべてを自分で引き受ければ、いずれどれも十分にできなくなる。
領地運営でも同じだった。
「ノルは、騎士団へ戻るのですか?」
「ああ。王都まで迎えに行かせた分、留守を任せていた者たちから報告を受けているはずだ」
ノルは騎士団長として、領内全体の治安を担っている。
領都だけでなく、西の森や街道の巡回、魔物への対応も仕事だった。
「以前はノルにいろいろと頼みすぎていた」
父が静かに言う。
「騎士団長へ行政や屋敷の調整まで任せていては、本来の役目に集中できん」
「そうですね」
「今は、領都はエリアス、西の森はレナードが中心となって動いている。
ノルには領内の治安維持と騎士団の統率を任せている」
以前よりも、役割がはっきり分かれている。
誰か1人がいなければ動かない形ではなく、それぞれの担当者が判断できる体制へ変わり始めていた。
「父上は、すべての報告を確認しているのですか?」
「重要なものはな。細かな判断まですべて私が決めていては、領地が止まってしまう」
父は自分の体調を理解したうえで、仕事の任せ方を変えたのだろう。
以前なら、無理をしてでも自分で確認しようとしていたかもしれない。
「父上も、領内を見て回ることはあるのですか?」
「今は長時間の外出は難しい」
父は悔しそうにするでもなく、淡々と答えた。
「私が無理に出向けば、周囲が仕事より私の体調を気にする。
今は屋敷で報告を受ける方がよい」
「体調は、以前よりよくなっていますか?」
「ああ。急に倒れるようなことは減った。だが、元どおりとはいかん」
父は机の上の書類へ手を置く。
「だからこそ、皆に任せることを覚えた」
それは体調を崩したことで仕方なく選んだ方法だったのかもしれない。
だが、領地の規模が大きくなりつつある今では、必要な変化でもあった。
「明日はエリアスと領都を見てきなさい」
「はい」
「西の森へ行く日程は、レナードと相談するといい」
「分かりました」
父はそこで表情を緩めた。
「今日はもう仕事の話は終わりだ」
「まだ聞きたいことがあります」
「帰ってきた初日から、すべて確認するつもりか?」
「そのつもりはありませんが……」
「なら、続きは明日にしなさい。そろそろ夕食の時間だ」
父に言われ、リオンは立ち上がった。
「父上も一緒ですよね?」
「もちろんだ。久しぶりに家族がそろうのだからな」
◇
執務室を出たリオンは、廊下の窓から領都の方角を眺めた。
自分が王都にいる間にも、領地は少しずつ変わり続けている。
エリアスが動かす領都。
レナードが守り育てる西の森。
ノルが治安を担う領内全体。
そして、その報告を受けて判断する父。
以前は、自分が見つけた綻びを、自分で直そうとすることが多かった。
だが、今のハル領は、1人の力だけで動く場所ではなくなっている。
明日から、自分のいない間に変わった領地を見て回る。
それは、卒業後のことを考えるためにも必要な時間になりそうだった。
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