第371話 卒業後はどうする
王都を出てから数日後。
リオンたちを乗せた馬車は、トラウゼン侯爵家の屋敷へ到着した。
広い玄関前には使用人たちが並び、その中央でトラウゼン侯爵が待っていた。
「よく来たな、リオン」
「お招きいただき、ありがとうございます」
頭を下げながら、リオンは少しだけ違和感を覚えた。
以前は、リオン殿と呼ばれていたはずだ。
それが今では、ただのリオンになっている。
言葉遣いが雑になったわけではない。
侯爵との距離が、以前より少し近くなったのだろう。
「長旅で疲れているところ悪いが、時間はあるか?」
「はい。今日は、こちらへ泊めていただく予定ですから」
「それなら問題ないな」
侯爵は満足そうに頷く。
「まずは1局、付き合ってもらおう」
予想どおりの誘いだった。
◇
応接室のテーブルには、すでにリバーシの盤が用意されていた。
以前リオンが持ち込んだものと同じ形だが、盤も駒も丁寧に作られている。
「新しく作らせたのですか?」
「ああ。以前の盤は使いすぎて、随分と傷が増えてしまった」
「そんなに遊んでいるのですか?」
「屋敷の者たちが思っていた以上に熱中していてな。私も相手には困らん」
侯爵は得意げに黒い駒を手に取った。
「先に置かせてもらうぞ」
「どうぞ」
中央へ駒を並べ、対局が始まる。
侯爵の打ち方は、以前とは明らかに違っていた。
目の前の駒を多く取れる場所へ、すぐに置くことはない。
角の周辺を避け、リオンが次にどこへ置くのかを考えている。
「かなり練習されましたね」
「分かるか?」
「前とは打ち方が違います」
「何度も負ければ、さすがに考えるようになる」
侯爵は盤面を見ながら笑った。
「屋敷の文官たちには、もうほとんど負けんぞ」
「それはすごいですね」
「だからこそ、リオンにどこまで通じるか確かめたかった」
リオンも油断せず、先の盤面を考えながら駒を置いていく。
数手進んだところで、侯爵が尋ねた。
「学院はどうだ?」
「一学期の期末試験が終わりました」
「結果は?」
「総合では1位でした」
「それは見事だな」
侯爵は手放しで褒めたあと、次の駒を置いた。
「確か、飛び級したのだったな」
「はい。四年生を飛ばして、今は五年生です」
「飛び級してすぐに一位か。王都で評判になるのも無理はない」
「ただ、四年生で学ぶはずだった範囲には、まだ不足があります。今回の試験でも正式な術式記述で失点しました」
「自分で分かっているなら、埋めればよい」
侯爵は簡単に言った。
「できなかったことを気にしすぎるより、次に何をするかを考える方が大切だ」
「そうですね」
リオンは頷き、白い駒を盤面の端へ置いた。
侯爵は少し迷ってから、その隣へ黒い駒を置く。
以前ならすぐに角を取れたが、今は簡単には渡してくれない。
「五年生なら、学院を卒業するまで長くはないな」
「はい」
「卒業後はどうするつもりだ?」
侯爵の視線は盤面に向いたままだった。
「リオンは、学院を卒業した後はハル領へ戻るのか?」
また、リオンと呼ばれた。
以前のような客人や、他領の子爵家の嫡男としてではなく、知っている若者へ尋ねているような口調だった。
リオンは駒を持ったまま考える。
「まだ決めていません」
「ほう」
「ハル領でやりたいことはあります。父を支えながら、領地の仕事にも関わりたいと思っています」
領地には、まだ改善できることが多く残っている。
産業を育て、働く場所を増やし、暮らしを安定させる。
これまで始めた仕事も、完成したわけではない。
「ですが、王立研究所でも学びたいことがあります」
「魔法の研究とかしたいのか?」
「それだけではありません。まだ知らない技術を学び、それを領地でも使える形にしたいと思っています」
「王宮からも声をかけられるだろうな」
リオンは否定できなかった。
すでに王宮の防護結界のことも協力している。
研究所に所属すれば、王宮から仕事を頼まれる機会も増えるだろう。
「どれも捨てがたいか?」
「はい」
「なるほどな」
侯爵は黒い駒を置き、白い列を裏返した。
「選べる道が多いのは、悪いことではない」
「そう思います」
「だが、すべてを同じように選べるとは限らん」
リオンは侯爵を見る。
侯爵は盤面から目を離さずに続けた。
「領地にいながら王都の仕事もする。研究を続けながら領主の仕事も学ぶ。
それ自体は不可能ではないだろう」
「はい」
「しかし、人が使える時間には限りがある」
侯爵は指先で黒い駒を転がした。
「できるからといって、すべてを引き受けていては、いずれどれも十分にできなくなる」
その言葉は、前世の自分にも覚えがあった。
会社を経営していた頃、頼まれた仕事を次々と引き受けた。
できることが増えるのは嬉しかった。
だが、その分だけ時間は減り、自分にしかできない仕事ばかりが残っていった。
今世でも同じだった。
領地、研究所、学院、王宮。
求められるままに動いていれば、いつかどこかに無理が出る。
「選べる道が多い者ほど、何を選ぶかだけではなく、何を選ばないかも考えねばならん」
「何を選ばないか……」
「ああ。ただし、今すぐ決める必要はない」
侯爵は顔を上げる。
「まだ夏休みが始まったばかりだ。ハル領へ戻り、家族とも話してみるといい」
「そうします」
リオンは手にしていた白い駒を置いた。
そこから一列が白へ変わる。
「む?」
「この角はいただきます」
「待て。いつの間にそこまで準備していた?」
「侯爵と話している間です」
「私は話しながら考えていたつもりなのだがな」
「前より、ずっと難しかったです」
角を取ったことで、盤面の流れは大きく変わった。
侯爵も最後まで粘ったが、終盤ではリオンの白い駒が一気に増えていく。
すべての駒を置き終えると、白の方が多く残った。
「また負けたか」
侯爵は悔しそうに盤面を眺める。
「かなり危なかったです」
「それは慰めか?」
「本当です。以前より数段強くなっています」
「ならば、もう1局だ」
「休憩しなくてよいのですか?」
「今の負け方なら、次は勝てる気がする」
ミアも同じようなことを言っていたなと、リオンは思った。
「分かりました。もう1局だけですよ」
「リオンが帰るまで、まだ時間はあるだろう」
侯爵はすでに中央へ駒を並べ始めていた。
◇
その日の夜。
用意された客室で、リオンは窓の外を眺めていた。
明日にはトラウゼン侯爵家を出て、ハル領へ向かう。
ハル領へ戻れば、両親や領地の者たちが待っている。
王都には学院があり、研究所がある。
どちらも、自分にとって大切な場所だった。
すべてを続ける方法を考えることもできる。
だが、その方法だけに固執すべきではないのかもしれない。
何を選び、何を選ばないのか。
答えを急ぐ必要はない。
それでも、夏休みの間に考えておきたいことだった。
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