第365話 五年一学期期末試験初日
六日が過ぎ、五年一学期の期末試験初日を迎えた。
普段より早い時間だというのに、五年Sクラスの教室にはほとんどの生徒が揃っている。
机の上には教科書やノートが広げられ、いつもの朝より会話も少なかった。
「北方戦争、停戦協定、復興税……」
ガイルは席に座り、ナディアから渡された王国史の要点表を何度も読み返していた。
その隣に立ったナディアが、紙をのぞき込む。
「北部で復興税が導入された理由は?」
「破壊された街道と砦を修復するため。
それから、戦争後の治安維持に必要な費用を補うためだ」
「王都からも援助はありましたが、それだけでは足りなかったからですね」
「分かっている」
「では、その前に結ばれたのは?」
「北方停戦協定」
「締結された年は?」
「もう試験前だぞ。新しい質問を増やすな」
「新しくありません。昨日も聞きました」
「昨日答えられなかった質問を、今日も出すなと言っている」
「今日こそ答えられるようにするためです」
ガイルは諦めたように息を吐き、再び要点表へ目を落とした。
「もう一度、最初から頼む」
「はい。では、北方戦争が始まった原因からです」
その言葉に、ガイルが顔を上げる。
「そこまで戻るのか?」
「出来事はつながっているのでしょう?」
「俺に教えた言葉を、俺に使うな」
ナディアは気にする様子もなく、要点表の最初を指した。
◇
「最初に収入。それから固定費と変動費」
少し離れた席では、ミラが自分のノートを見ながら呟いていた。
ヴィクトルが隣から確認する。
「商品の損失が出ている場合は?」
「変動費に入れる」
「輸送用の荷車を購入した費用は?」
「固定費」
「借りた場合は?」
「使用した期間によって……変動費?」
「そうだ」
ミラは安堵したように頷く。
「これなら何とかなりそう」
「問題文を読んだら、まず数字を分けろ。いきなり計算を始めるなよ」
「分かってる。でも、試験になると全部の数字が一度に目に入ってくるんだよね」
「なら、線を引いて分ければいい」
「問題用紙に書いてもいいの?」
「答案でなければ問題ない」
ミラはノートへ大きく三本の線を引いた。
「収入、固定費、変動費。これを最初に書く」
「そうそう。それでいい」
「ヴィクトルも、魔力を急に押し込まないでね」
「筆記試験で魔力は使わない」
「魔法理論の問題で、実技の感覚を聞かれるかもしれないでしょ」
「それは覚えている」
「本当に?」
「俺をガイルと同じように扱わないでくれ」
「何か言ったか?」
ガイルが振り返る。
「何も言っていない」
ヴィクトルはすぐに否定した。
◇
セレナはフィーネと貴族制度の確認をしていた。
「爵位が同じ場合は、その場での役職を優先するのですね」
「そうよ。ただし、王家の代理として出席している場合は別」
「やはり条件が多いです」
「順番だけを暗記しようとするから難しく感じるの。
誰を代表して、何のために出席しているのかを考えればいいわ」
フィーネは説明をノートへ書き加える。
そこへミラが顔を向けた。
「セレナ、今日はちゃんと寝た?」
「試験の日まで同じことを聞かないで」
「顔色は昨日よりいいね」
「昨日は早く休んでいたから問題ない」
エドガーが答えると、セレナが鋭く振り向いた。
「どうしてエドガーが答えるのよ」
「事実を言っただけだ」
「私のことを聞かれたのだから、私が答えるわ」
「なら、先に答えればよかっただろう」
「今から答えようとしていたのよ」
「二人とも、試験前なのに元気だね」
ミラが笑う。
「ミラは自分の計算を心配しなさい」
「ちゃんとやってるよ」
教室にいつもの空気が戻りかけたところで、扉が開いた。
アデライン先生が、問題用紙と答案用紙の束を抱えて入ってくる。
「そろそろ資料を片づけてください」
一斉に教科書が閉じられた。
「本日は筆記試験です。午前と午後に分け、休憩を挟みながら行います」
先生は問題用紙を教卓へ置く。
「問題が配られた後は、会話を禁止します。
答案を回収するまでは席を立たないように。不正行為が確認された場合は、本日の全科目を失格とします」
ガイルが小さく息を吐いた。
「まだ始まっていないのに疲れた」
「話している余裕があるなら大丈夫です」
ナディアが前を向いたまま答える。
「最後に一つだけ確認していいか?」
「もう始まります」
「北方停戦協定の年だけだ」
「昨日から何度も教えました」
「だから最後に確認したいんだ」
アデライン先生がガイルを見る。
「ガイルさん」
「何も話していません」
教室から小さな笑いが漏れた。
「では、始めます」
◇
最初の科目は王国史だった。
ガイルは配られた問題用紙を上から順に確認していく。
前半の選択問題は、思っていたより答えられた。
しかし、後半の記述問題を見た瞬間、手が止まる。
北方戦争終結後、北部三領で復興税が導入された理由を、当時の状況を踏まえて説明せよ。
ナディアと何度も確認した範囲だった。
それでも、いざ答案へ書こうとすると、最初の言葉が出てこない。
ガイルは年号と税の名称だけを書きかける。
その時、ナディアの声が頭に浮かんだ。
『出来事の流れで覚えます。全部つながっていますから』
ガイルは書きかけた言葉を消した。
戦争によって街道と砦が破壊された。
物流が滞り、北部の治安も悪化した。
王都からの支援だけでは復旧費用が足りず、不足分を補うために復興税が導入された。
一つずつ、順番に書いていく。
答案を読み返すと、税の名前だけを覚えていた時より、はるかに長い答えになっていた。
ガイルは隣を見ることなく、もう一度文章を確認した。
◇
次の領地経営では、ミラが問題用紙を見た瞬間に眉を寄せた。
倉庫を利用した物資輸送の収支を求める問題。
商品の売上、輸送費、人件費、倉庫の維持費、荷傷みによる損失まで、一つの文章にまとめられている。
数字が多い。
いつものミラなら、目についた数字から計算を始めていた。
だが、今日は問題用紙の余白へ先に三つの項目を書いた。
収入。
固定費。
変動費。
問題文へ線を引き、それぞれの数字を振り分ける。
輸送費は変動費。
倉庫維持費は固定費。
商品の損失も変動費。
数字を分け終えると、何を足し、何を引くべきかが見えてきた。
計算を終え、最後の答えまで書いたミラは、思わず口元を緩める。
だが、まだ試験中だったことを思い出し、慌てて表情を戻した。
◇
午後の魔法理論。
リオンは問題を順番に解いていった。
基礎理論や魔力の性質については迷わない。
最後に出たのは、簡単な魔法術式を学院指定の形式で完成させる問題だった。
術式の内容そのものは、見た瞬間に理解できた。
以前なら、自分が普段使っている矢印や略記号で書いただろう。
その方が早く、自分には分かりやすい。
リオンは最初の線を書きかけ、手を止めた。
『試験答案は、読む側に意味を推測させてはいけません』
レティシアの言葉を思い出す。
書きかけた線を消し、正式な記号へ直す。
魔力の起点。
循環。
出力。
終端。
一つずつ向きを確認しながら書き込む。
研究所で使っていた書き方より時間はかかった。
それでも、完成した術式は、誰が見ても同じ流れとして読み取れるものになっていた。
最後の記号を見直したところで、終了を知らせる鐘が鳴った。
◇
その後も、休憩を挟みながら試験は続いた。
古代語、行政、貴族制度。
午前中には余裕のあった生徒たちも、最後の科目が終わる頃には、ほとんど言葉を発さなくなっていた。
「そこまでです。筆記具を置いてください」
アデライン先生の声に、生徒たちが一斉に息を吐く。
答案がすべて回収され、先生が教室を出た瞬間、ガイルが机へ突っ伏した。
「終わった……」
隣のナディアが尋ねる。
「王国史はどうでしたか?」
「復興税が出た」
「答えられましたか?」
「戦争から順番に全部書いた」
「なら、以前よりはよいと思います」
ガイルが顔だけをナディアへ向ける。
「もっと褒めてもいいだろう」
「答案が返ってからにします」
「少しくらい今褒めても、点数は変わらないぞ」
「では、最後まで座って受けられて偉かったです」
「子供に言う言葉ではないか?」
その近くでは、ミラがヴィクトルへ身を乗り出していた。
「三つに分けたら、本当に解けたよ」
「だから最初からそう言っただろ」
「でも、最後の損失率を引く場所は合ってたかな」
「答え合わせはやめておけ」
「どうして?」
「間違っていたら、明日の試験まで気にすることになる」
ミラは少し考える。
「ヴィクトルは気にならないの?」
「気になる」
「じゃあ、確認しようよ」
「だからこそ確認しないんだ」
フィーネもセレナへ声をかける。
「代表者の立場を考える問題が出ました」
「理由から考えた?」
「はい。王家の代理として出席していたので、爵位より役目を優先しました」
「なら大丈夫よ」
セレナは当然のように答えたが、その表情は少し満足そうだった。
教室のあちこちで、問題についての会話が始まりかける。
エドガーが鞄を閉じながら言った。
「終わった試験の答えを今確認しても、点は変わらない」
「間違えたかどうかくらい知りたい」
ガイルが反論する。
「知って間違えていたら、今日中ずっと気にするだろう」
「気にするな」
「なら、明日の準備をした方がいい」
ナディアが応用問題の資料をガイルの前へ置く。
「明日は応用試験と実技試験です」
「今日くらい休ませてくれ」
「少し休んでから始めます」
「帰らせる気はないのか?」
「ありません」
ガイルが再び机へ突っ伏し、教室に笑いが起きた。
リオンも、自分の答案の出来は気になっていた。
正式術式記述に間違いがなかったか。
行政の記述で必要な条件をすべて書けたか。
考え始めれば、いくらでも不安は出てくる。
だが、今日はもう終わった。
明日は、今日とは異なる力を試される。
リオンは応用試験の資料を鞄から取り出した。
答案を書いたのは一人だった。
けれど、そこに書いた答えへたどり着くまで、一人で学んでいたわけではない。
五年一学期の期末試験初日が終わった。
明日は、応用試験と実技試験だ。
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