第358話 今しかできない学び
王宮を出た馬車は、王立学院へ向かっていた。
窓の外では、王都の建物がゆっくりと後ろへ流れていく。
リオンは座席へ背を預け、小さく息を吐いた。
王宮の結界を調べ、外から内部へ転移した。
その働きを国王に功績として認められ、将来の願いまで一つ預けることになった。
王宮へ来る前には、考えてもいなかったことばかりだ。
「疲れたか?」
向かいに座るヴァイス所長が尋ねた。
「少しだけです」
「王宮で国王を相手に話したのだ。当然だろう」
「所長は平気なのですか?」
「私は何度も来ている」
所長はそう答えると、窓の外へ目を向けた。
しばらく、馬車の車輪が石畳を進む音だけが続いた。
「ハル」
「はい」
「これまで、研究所に協力してくれたことに礼を言う」
突然の言葉に、リオンは所長を見た。
「浮遊魔法の再現だけではない。
転移魔法と亜空間収納魔法の確認、王宮への回答、今日の実験まで、君がいなければ進まなかった」
「自分も勉強になりました」
ヴァイス所長は腕を組んだ。
「このところ、毎日のように放課後の時間を使わせた。
王宮の問題にまで関わらせてしまった」
「でも、自分は研究コースです」
リオンはすぐに答えた。
「研究所で実際の研究に参加できたことは、授業だけでは得られない経験でした。
実験の進め方や記録の取り方も学べましたし、研究員の方々が同じ失敗を何度も確かめる理由も分かりました」
「失敗を確かめる理由?」
「一度できなかっただけでは、方法が間違っているのか、条件が足りなかったのか分からないからです」
所長はわずかに口元を緩めた。
「よく見ていたな」
「なので、時間を使わされたとは思っていません」
リオンにとって、研究所で過ごした時間は無駄ではなかった。
学院ではまだ扱わない魔法理論を読み、研究員たちと意見を交わし、自分の説明によって浮遊魔法を再現できる者も現れた。
自分が学んだことも多い。
「これからも必要なら、研究所へ行きます」
「そのつもりで呼び止めたのではない」
ヴァイス所長は、いつもより少しゆっくりと言った。
「これからは、研究所へ来る回数を減らせ」
「減らすのですか?」
「ああ」
「まだ浮遊魔法も安定していません。
転移魔法や亜空間収納魔法は、ほかの人が再現できていませんし、
王宮の結界についても――」
「研究は続ける」
所長が遮った。
「だが、君が毎日いる必要はない」
「でも、自分がいないと分からないこともあると思います」
「必要になれば、こちらから学院へ連絡する」
ヴァイス所長の声ははっきりしていた。
「進展があった時、確認したいことが出た時、君にしかできない実験が必要になった時。その時に来てもらえばいい」
「それ以外の日は?」
「学院で学べ」
迷いのない答えだった。
リオンは、少し意外に思った。
研究所の所長であれば、研究を最優先にすると思っていた。
「研究所でも勉強はできます」
「できる。だが、学院でしか学べないこともある」
ヴァイス所長はリオンを見る。
「研究所にいるのは、すでに自分の専門を持った者たちだ。皆が研究の成果を求めている」
「はい」
「学院には、君と同じように学んでいる者がいる。
同じ課題に悩み、違う答えを出し、時には意見をぶつける相手がいる」
ミラやヴィクトルたちの顔が浮かんだ。
最近は授業が終わると、すぐに研究所へ向かっていた。
昼休みに話すことはあっても、放課後に一緒に残ることは少なくなっていた。
「研究所は、卒業してからでも来られる」
所長が続ける。
「だが、今の仲間と同じ教室で学べる時間は、今しかない」
リオンは返事をせず、窓の外を見た。
王立学院の塔が、遠くに見え始めている。
「飛び級した君は、ほかの学生より学院で過ごす時間が短い」
「そうですね」
「ならば、なおさら無駄にするな」
「研究所に行くことが無駄だとは思いません」
「私もそうは言っていない」
所長は即座に返した。
「どちらか一方だけでよいわけではないということだ」
研究所でしか学べないことがある。
学院でしか学べないこともある。
これまでは、三つの魔法を確認する必要があったため、研究所へ通う時間が多くなっていた。
だが、最初の確認は終わった。
王宮への報告も済み、今後の研究方針も決まった。
「分かりました」
リオンは頷いた。
「これからは、研究所から連絡をいただいた時に伺います」
「ああ」
「ただ、自分から相談したいことができた時は、行ってもいいですか?」
「当然だ。研究所へ来るなと言っているわけではない」
「安心しました」
「君は放っておくと、明日も来そうだから言っている」
図星だった。
リオンが黙ると、ヴァイス所長は小さく息を吐いた。
「まずは学院の課題を終わらせろ」
「はい」
「それから友人たちとも話せ」
「それも勉強ですか?」
「少なくとも、研究所の人間だけと話しているよりはな」
所長の言い方がおかしくて、リオンは少し笑った。
◇
翌日の放課後。
授業が終わっても、リオンは席を立たなかった。
机の上に教科書を広げ、今日出された課題を確認する。
隣の席で荷物をまとめていたミラが、不思議そうにこちらを見た。
「リオン、今日は研究所へ行かないの?」
「うん」
「何かあったのですか?」
ナディアも心配そうに尋ねる。
「何もないよ。所長から、これからは必要な時だけ来ればいいって言われたんだ」
「研究が終わったのか?」
ヴィクトルが近づいてくる。
「終わってはいないよ。でも、ひと段落したから、毎日行く必要はないって」
「じゃあ、今日は時間があるのね?」
セレナが言った。
「そうなるね」
すると、少し離れた場所にいたガイルが振り返った。
「なら、訓練場へ来ないか?」
「いきなり訓練?」
「最近、放課後はずっと研究所だっただろう。体が鈍っていないか確かめてやる」
「課題があるんだけど」
「訓練の後にやればいい」
「それだと遅くなるよ」
「では、先に課題を終わらせるか」
クラウスが教科書を持って、リオンの前の席へ座った。
「ちょうど分からないところがある。リオンも一緒に考えてくれ」
「俺も混ぜてくれ」
ガイルも椅子を引く。
「ガイルは課題を持っているの?」
「持っている」
「開いてもいないけど」
「今から開くところだ」
ミラとナディアも、それぞれの教科書を机へ置いた。
いつの間にか、リオンの周りに皆が集まっている。
「今日は研究所へ行かないだけなのに」
リオンが言うと、ヴィクトルが笑った。
「その一日が、最近はなかったからな」
リオンは教室を見回した。
同じ課題を前に、誰かが答えを考え、別の誰かが疑問を口にする。
研究所の実験室とは違う。
すぐに成果が求められるわけでもない。
意見が間違っていても、もう一度考え直せばいい。
それもまた、今の自分にしかできない学びだった。
「じゃあ、始めようか」
リオンが言うと、皆が教科書を開いた。
研究所は、これから先も待っている。
だが、この教室で、この仲間たちと学べる時間は、今しかなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
少しでも何かを感じて頂けたら評価とブックマークで応援いただけると執筆の励みになります!




