第356話 王宮の結界の綻び
王宮の正門をくぐったリオンとヴァイス所長は、警備兵の案内で中庭へ向かった。
そこには、すでに数人の人間が集まっていた。
中央に立っているのは宰相だ。
その隣には、王宮警備を預かる責任者と、宮廷魔術師たちが並んでいる。
「よく来てくれた、ヴァイス所長。それから、リオン・ハル」
「お招きいただき、ありがとうございます」
リオンが頭を下げると、宰相は小さく頷いた。
「今日は、君たちから届いた回答を実際に確認したい。まずは転移魔法からだ」
警備責任者が前へ出た。
「王宮は、正門から建物の内部まで複数の防護結界で守られています。
外部からの魔法攻撃を受けても、簡単に破られるものではありません」
「結界の点検は?」
ヴァイス所長が尋ねる。
「毎日行っております。今朝の確認でも異常はありませんでした」
警備責任者の声には自信があった。
リオンは周囲を見回した。
王宮全体が、厚い魔力の膜に覆われている。
以前に訪れた時も結界の存在は感じていた。
だが、転移魔法への影響を確かめるつもりで見ると、気になることがあった。
リオンの視界の端に、《綻びの目》の文字が浮かぶ。
≪物理防御:高≫
≪魔法防御:高≫
≪結界範囲:一部弱い≫
結界そのものは強い。
物理的な攻撃にも、魔法攻撃にも十分耐えられる。
しかし、王宮を覆う結界の厚さは均一ではなかった。
正門や宮殿の近くは濃い。
一方で、外壁に沿った一部の場所では、魔力の流れが薄くなっている。
「どうした、ハル」
ヴァイス所長が尋ねた。
「結界の強さが、場所によって違います」
警備責任者がリオンを見る。
「多少の差はあります。
門や建物の位置、結界を維持する魔石からの距離によって、完全に同じ強さにはなりません」
「薄い場所もあるのですか?」
「規定の防御力は、すべての場所で満たしています」
「攻撃を防ぐ力は足りていると思います」
リオンは外壁の方へ目を向けた。
「でも、内部の魔力を感じ取れなくするには、薄い場所があるかもしれません」
警備責任者の眉が動いた。
「この結界は、外からの攻撃を防ぐためのものです。
王宮内部の魔力を隠すためのものではありません」
「それだと、転移魔法は防げない可能性があります」
「なぜです?」
「転移魔法は、結界を壊して中へ入る魔法ではないからです」
リオンは答えた。
「王宮内に残した自分の魔力印を外から感じ取れれば、そこへ移動できます」
「だが、君は防護結界があれば、魔力印を探知できないと報告したはずです」
「結界が十分に濃ければ、です」
リオンは正門付近の結界を指した。
「ここは強いので、中の魔力をほとんど感じません。でも、場所によっては結界が薄くなっています」
警備責任者は、近くにいた宮廷魔術師へ視線を向けた。
「結界に異常は?」
「ありません」
魔術師は即答した。
「すべて、定められた範囲内です」
「ならば、結界は正常です」
警備責任者が言った。
ヴァイス所長が口を開く。
「外部からの攻撃を防ぐ結界としては、だろう」
「何が言いたいのですか」
「ハルは結界が壊れているとは言っていない。
転移魔法への対策としては不十分かもしれないと言っている」
警備責任者は反論しなかった。
これまで転移魔法など存在していなかった。
防護結界を作った者も、点検してきた者も、内部の魔力印を外から追われることなど想定していない。
宰相がリオンへ尋ねる。
「確かめることはできるか?」
「王宮の中に自分の魔力印を残して、外から感じ取れるか試せば分かります」
「感じ取れた場合、転移もできるのか?」
「印をはっきり捉えられれば、できると思います」
「お待ちください」
警備責任者が口を挟んだ。
「王宮の外から内部への転移を許可するのですか?」
「その危険があるか確認するために、今日の場を設けたのではないか」
宰相が静かに答える。
「しかし、万が一、転移先がずれれば――」
「それは私も勧められません」
ヴァイス所長が言った。
「印が不安定なら、ハルには発動させない。
転移先にも人員を配置するべきでしょう」
宰相は少し考えてから警備責任者へ向き直った。
「人の少ない場所はあるか?」
「この先の小中庭なら、現在は使われておりません」
「そこを転移先にする。宮廷魔術師と警備兵を配置し、安全を確認させろ」
「承知しました」
「推測のまま終わらせるわけにはいかない。
実際の侵入者に試される前に、我々自身で確認する」
◇
リオンたちは、宮殿の脇にある小さな中庭へ移動した。
中央には石畳が敷かれ、周囲を低い植え込みが囲んでいる。
「この場所なら、突然現れても周囲へ被害は出にくいでしょう」
警備責任者が言った。
リオンは指定された石畳の中央に手をかざした。
薄く魔力を流し、自分の印を残す。
「置きました」
宮廷魔術師が石畳へ魔力を向ける。
「微弱ですが、リオン・ハル本人の魔力反応を確認しました」
「では、外へ出る」
宰相の指示で、数人の宮廷魔術師と警備兵が中庭に残った。
リオン、ヴァイス所長、宰相、警備責任者は正門を通り、王宮の外へ出る。
まずは正門の近くで試すことになった。
「中庭の印を探してみろ」
ヴァイス所長に言われ、リオンは意識を集中させた。
だが、何も感じない。
厚い膜に遮られたように、自分の魔力の気配が消えている。
「分かりません」
警備責任者が息を吐いた。
「やはり、結界が内部の魔力を遮断しています」
「ここでは、です」
リオンは《綻びの目》に映る結界を見た。
視線の先に、魔力の薄い場所がある。
「移動してもいいですか?」
宰相が頷いた。
「君が気になった場所へ行ってくれ」
リオンは外壁に沿って歩いた。
警備責任者たちも後に続く。
やがて、正門から少し離れた場所で足を止めた。
見た目には、ほかの場所と何も変わらない。
石造りの外壁が続いているだけだ。
だが《綻びの目》には、その場所だけ結界が薄く見えていた。
「ここです」
「ここに異常はありません」
警備責任者が言った。
「結界を支える魔石から距離があるため、多少薄くなっているだけです。
防御力は規定を満たしています」
「もう一度、印を探してみます」
リオンは目を閉じた。
王宮内の小中庭。
石畳へ残した、自分の魔力。
最初は何も感じなかった。
だが、意識を細く伸ばしていくと、ごく微かな反応があった。
遠くに小さな灯りがある。
さらに集中する。
灯りの位置が、次第にはっきりしていく。
「見つけました」
警備責任者の表情が変わった。
「本当に中庭の印ですか?」
「はい。さっき残した自分の魔力です」
ヴァイス所長が尋ねる。
「転移に使えるほど明確か?」
リオンは印をもう一度確かめた。
場所は分かる。
印も途切れていない。
「できると思います」
「感じ取れた時点で、十分ではありませんか」
警備責任者が宰相へ言った。
「転移を行わせる必要はないかと」
「感知できることと、実際に移動できることは同じではない」
宰相は小中庭に残った魔術師と連絡を取らせた。
しばらくして、警備兵が戻ってくる。
「転移先に異常はありません。周囲の配置も完了しています」
宰相がリオンを見る。
「少しでも印が不安定だと感じたら、発動を中止しろ」
「はい」
「転移を許可する」
リオンは小さく息を吸った。
王宮内に残した自分の魔力を捉える。
その気配を追い、自分自身を重ねる。
魔力を流した。
景色が一瞬だけ揺れる。
次の瞬間。
リオンは、小中庭の石畳の上に立っていた。
「転移した……」
待機していた警備兵が呟く。
宮廷魔術師たちも、驚きを隠せずにリオンを見ている。
外壁も、門も越えていない。
防護結界も壊れていない。
それでもリオンは、王宮の外から内部へ入っていた。
◇
宰相たちが正門から小中庭へ戻ってきた。
警備責任者は、リオンの姿を確認すると、すぐに宮廷魔術師へ尋ねる。
「結界の状態は?」
「異常ありません。転移の前後で、結界に変化はありませんでした」
「破られてはいないのか」
「はい」
ヴァイス所長が口を開く。
「結界は正常に機能している」
警備責任者が所長を見る。
「ならば、なぜ侵入できたのです」
「外部からの攻撃を防ぐ結界としては正常だった。
だが、転移魔法を防ぐ結界としては不十分だった」
宰相は王宮を覆う結界を見上げた。
「これまでの点検に誤りがあったわけではない」
警備責任者は黙って聞いている。
「これまで存在しなかった魔法を、警備基準に加えていなかっただけだ」
宰相は宮廷魔術師たちへ指示を出した。
「王宮全体の結界密度を調べろ。
規定の防御力を満たしているかではなく、内部の魔力探知をどこまで遮断できるかを確認する」
「承知しました」
「薄い場所をすべて特定し、魔石の配置と術式を見直せ。
出入口を開いた際の影響も調べるように」
次にヴァイス所長を見る。
「王立研究所にも協力を求めたい」
「転移対策用の結界について、研究を始めましょう」
宰相が頷く。
リオンは、自分が転移してきた石畳を見下ろした。
王宮の結界は壊れていなかった。
警備責任者も、宮廷魔術師も、役目を怠っていたわけではない。
ただ、守るべきものの形が変わったのだ。
「今日まで、この結界は一度も破られていない」
宰相が静かに言った。
その視線が、リオンへ向けられる。
「だが、転移魔法には、結界を破る必要すらなかった」
リオンの《綻びの目》が見つけたのは、壊れた結界ではない。
これまで誰も想定していなかった、王宮の守り方そのものの綻びだった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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