番外編⑨ 王宮に届いた報告書
王立研究所から届いた報告書が、宰相の執務机へ運ばれてきたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
封筒には、王立研究所の印章が押されている。
差出人は、アルベルト・ヴァイス所長。
報告書の表紙には、二つの見出しが記されていた。
福嶋亮太の魔法理論について。
福嶋亮太の記録と王国史について。
宰相は最初の数枚を読み、すぐに手を止めた。
「これは、私一人で処理する報告ではないな」
傍らに控えていた文官が顔を上げる。
「陛下へお持ちしますか?」
「そうしてくれ。それから、アルフレッド殿下にもお声がけを」
「軍務卿や宮廷魔術師長は?」
「まだ呼ばなくていい」
宰相は報告書を閉じた。
「まずは内容を知る者を増やさず、三人で確認する」
文官が一礼して部屋を出ていく。
宰相はもう一度、表紙へ目を落とした。
報告書の作成協力者として、一人の名が記されている。
リオン・ハル。
その名前を見ても、宰相は驚かなかった。
驚かなかったことに、自分でも少し驚いた。
◇
国王の執務室には、宰相とアルフレッド第一王子だけが呼ばれた。
「ヴァイス所長からか」
国王が報告書を受け取る。
「はい。通常の研究報告として処理するには、内容が重すぎます」
「リオン・ハルの名があるな」
国王は表紙を見ただけで、その名に気づいた。
アルフレッドも身を乗り出す。
「王立学院にいる、あのリオン・ハルですか?」
「ほかに同名の協力者がいなければな」
国王は最初の頁を開いた。
国王、アルフレッド第一王子とも、リオンとは面識がある。
リオンが学院一年の二学期だった頃。
国王とアルフレッドは、ローヴェル伯爵領の視察に赴いた。
その場に、リオンも同行していた。
当時から、ただ成績が良いだけの学院生ではなかった。
大人たちの前で必要以上に自分を大きく見せることもなく、だからといって黙って後ろに立っているだけでもない。
見るべきものを見て、自分の考えを持っていた。
「また彼か」
アルフレッドが、どこか感心したように言った。
「驚いていないようだな」
国王が尋ねる。
「エドガーから、時々名前を聞いていますから」
「何と言っている?」
「学院で何か問題が起きると、気づけばリオンが原因を調べているそうです。
ただ、本人は問題を解決したつもりでも、周囲への影響までは考えていないことがある、と」
国王が小さく笑った。
「エドガーらしい見方だ」
「リオンを高く評価しているのは間違いありません。ただ、少し心配もしているようです」
「何をだ」
「自分のことより、先に問題を解決しようとするところをです」
宰相には、その言葉がよく理解できた。
ローヴェル伯爵領でも、リオンは王や王子に自分を売り込もうとはしなかった。
目の前にある問題へ向き合い、その結果として、王たちの目に留まったのだ。
国王が報告書を読み進める。
部屋から言葉が消えた。
浮遊魔法。
転移魔法。
亜空間収納魔法。
福嶋亮太が残した理論をもとに、リオンが三つの魔法を発動したこと。
王立研究所では魔力反応を起こすことはできても、完全な再現には至っていないこと。
さらに、リオンが発動する際には、理論だけでなく、具体的なイメージや既存魔法との組み合わせが用いられていること。
国王が最初に口を開いた。
「報告書の内容を疑うか?」
「ヴァイス所長が確認したうえで送っております」
宰相が答える。
「虚偽の可能性は低いでしょう」
「私もそう思います」
アルフレッドが続ける。
「リオン・ハルが使えたと言っているだけなら、確認は必要です。
しかし、研究所で実際に記録されています」
「問題は、使えるかどうかではないな」
国王の指が、転移魔法の項目で止まった。
「これが、何を意味するかだ」
アルフレッドの表情が引き締まる。
「転移先には、あらかじめ術者自身の魔力を残す必要があるとあります」
「ならば、何もない場所へ自由に入れるわけではない」
「はい。ただし、一度入った場所へ戻れる可能性があります」
宰相は、王宮の構造を頭に浮かべた。
王宮には毎日、多くの者が出入りする。
貴族。
文官。
商人。
職人。
各家の従者。
「王宮内に魔力の印を残された場合、門や壁が意味をなさなくなる可能性があります」
宰相が言った。
「防護結界はどうだ」
国王が尋ねる。
「報告書には、まだ記載がありません」
「では、それを確認させる必要があるな」
宰相は手元の紙に書き加えた。
転移魔法は、壁や防護結界を越えられるか。
魔力印を第三者が発見し、除去することは可能か。
「浮遊魔法はどう見る?」
国王がアルフレッドへ尋ねる。
「現段階では、小さな金属片を浮かせたにすぎません」
「現段階では、か」
「完成した場合を考えれば、兵士や物資を運べる可能性があります。
城壁や崖を越える手段になるかもしれません」
「味方が使えば便利だ」
「敵が使っても同じです」
アルフレッドの返答に、国王が頷く。
宰相は次の質問を書いた。
人間や大型の荷を浮かせることは可能か。
浮遊できる重量と時間には、どのような制限があるか。
「亜空間収納は、さらに扱いが難しいでしょう」
宰相は報告書の頁をめくった。
「物を見えない保管場所へ移せるとあります」
「物流が変わるな」
アルフレッドが言う。
「食料や薬を一人で運べるなら、軍の補給にも使えます」
「だが、剣や毒も運べる」
国王の一言で、アルフレッドが黙った。
「門で荷物を調べても、収納されている物までは確認できないかもしれません」
宰相が言った。
「武器を入れられるのか。外から収納物を確認できるのか。
術者以外が取り出すことはできるのか。この辺りは調べさせるべきでしょう」
宰相はさらに質問を書き加えた。
三つの魔法は、どれも便利な力として利用できる。
同時に、現在の王国の仕組みでは防げない危険にもなり得た。
「リオン・ハルを呼びますか?」
アルフレッドが尋ねた。
国王はすぐには答えなかった。
「宰相はどう思う」
「今は呼ぶべきではないと考えます」
「理由は?」
「リオンは、王立研究所の求めに応じて協力しただけです。
報告書が届いてすぐ王宮へ召し出せば、自分が疑われていると受け取る可能性があります」
リオン本人がそう考えなくても、周囲は違う。
三つの未知の魔法を使える少年が、王宮に呼び出された。
その事実だけで、さまざまな憶測が生まれる。
「研究所を通じて、まずは質問への回答を求めるべきでしょう」
「私も賛成です」
アルフレッドが言った。
「リオンは危険を隠そうとする人物ではありません。
むしろ、聞かれれば分かる範囲で答えるでしょう」
「よく知っているようだな」
「エドガーの話を聞いていますから」
アルフレッドは少し笑った。
「エドガーは、リオンが何かを始めると周囲が忙しくなると言っています」
「迷惑しているのか?」
「楽しそうに話していました」
国王が笑い、張り詰めていた空気がわずかに緩んだ。
だが、宰相の胸にある重さは消えなかった。
報告書には、もう一つの問題が残っている。
「陛下。福嶋亮太の記録と王国史の違いについてですが」
国王の表情から笑みが消えた。
「ああ」
「こちらは、三つの魔法とは分けて調べるべきです」
報告書によれば、福嶋亮太の記録には、アルスレイン王国成立前後の出来事が記されている。
現在伝わる王国史とは、細部に違いがあった。
長い年月の間に記録が失われたのか。
後世の解釈が加わったのか。
あるいは、意図的に書き換えられたのか。
今の段階では、何も断定できない。
「王宮の古い記録と照合します」
宰相が言った。
「ただし、調査に関わる者は最小限にします」
「そうしろ」
「研究所への返信には?」
「歴史については触れなくていい」
国王は報告書を閉じた。
「まずは王宮内で調べる。確かなことが分かるまで、余計な混乱を生む必要はない」
「承知しました」
会議が終わったあと、宰相は自室へ戻った。
机の上には、先ほどまとめた質問が並んでいる。
浮遊魔法で、人間や大型の荷を運べるか。
転移魔法は、壁や防護結界を越えられるか。
王宮内に置かれた魔力印を、発見し除去できるか。
亜空間収納魔法に武器を入れ、検査を受けずに持ち込めるか。
宰相は文官を呼び、書状の作成を命じた。
「質問は簡潔に。ただし、成功したかどうかだけではなく、できない場合の理由と制限も報告させるように」
「承知しました」
文官が下がったあと、宰相は一人で報告書の表紙を見た。
リオン・ハル。
王宮でも度々名前のでる少年は自分から王国を揺らそうとしているわけではないのだろう。
ただ、目の前にあるものを調べ、できることを試している。
その結果、これまで誰にも使えなかった魔法が形になった。
これまでのリオンの行動から、悪意がないことは分かる。
だが、悪意のない発見が、危険ではないとは限らない。
「本当に、周囲を忙しくさせる少年だ」
宰相は小さく呟いた。
それから、王立研究所へ送る書状へ、静かに印を押した。
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