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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: コバチ
第3章 王立学院入試編

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第35話 入試前夜

 王立学院の入試を翌日に控えた朝。

 王都の空は高く、雲ひとつなかった。


 ヴァレスト公爵家の庭には、いつものように朝の冷たい空気が満ちている。

 けれど今日は、ただの朝じゃない。


 ここまで積み上げてきたものを、試される前日だ。


「始めます」


 グレインの声は、いつも通り淡々としていた。

 その変わらなさが、逆にありがたかった。変に気を遣われる方が落ち着かない。


 俺とセレナは、並んで訓練位置につく。

 少し離れたところでは、ミアが帳面を抱えて待機していた。


「まずは火属性。セレナ様から」


「はい」


 セレナが前へ出る。


 短い詠唱。

 次の瞬間、彼女の指先に生まれた火は、以前より明らかにぶれが少なかった。小さな火球が安定し、そのまま的の中心近くへ飛ぶ。


 乾いた音。


 グレインがうなずく。


「良好です。出力、精度ともに安定しています」


 セレナは軽く息を吐いた。

 けれど、その顔には満足より先に次があった。


 最初に会った頃より、ずっと貪欲になっている。


「次、リオン様」


「はい」


 前へ出る。


 火を“出す”のではなく、“つける”。

 それが今の俺の基本だ。


 指先へ集中する。

 火花。着火。一点。

 小さな火種を、散らさず保つ。


 ポッ


 火が灯る。

 以前なら米粒ほどですぐ消えていたそれが、今はもう少しだけ芯を持っていた。


 俺はその火を保ったまま、ゆっくりと前へ押し出す。


 火は小さい。

 でも、ちゃんと的まで届いて、その端を焦がした。


 ミアが顔を上げる。


「届きました……!」


「うん。前よりはね」


 グレインは記録紙へ目を落とした。


「火種生成、安定。維持、二十七呼吸。最低限の実技ラインには届いています」


 その言葉に、胸の奥が少しだけ軽くなった。


 最低限。

 派手じゃない。

 でも、ゼロじゃない。


 ここまで来るのに、思ったより時間がかかった。


「次、水属性」


 今度は、まだ不安の残るやつだ。


 火ほど明確な手応えはない。

 けれど、最初の頃よりはずっとましになっている。


 流れ。

 形を持たない重さ。

 ひとまとまりの雫。


 意識を集めると、小さな水滴がひとつだけ浮き、ふるふると震えながら器の中へ落ちた。


 セレナが横で言う。


「最初は霧にもならなかったのに」


「自分でもそう思う」


 グレインは厳しい顔のままだ。


「出力は弱い。形も不安定です。ですが、無から一へは進みました」


 その評価で十分だった。


 風も同じだ。

 まだ“風の刃”なんてものは無理だが、紙片を揺らすくらいの流れなら作れるようになっていた。


 そして最後に、俺は一度だけ試す。


 火を灯し、その火へごく薄く風を添える。


 ほんの一瞬、火の先が鋭く伸びた。


 セレナが息を止める。


「今の……」


 だが次の瞬間には火がぶれ、そのまま消えた。


 グレインが即座に言う。


「そこまでです」


 声は厳しかった。


「再現性がないことを前日に深追いしない。明日は試験です。未知の賭けは不要です」


「……はい」


 たしかにその通りだ。

 今のは、たまたま噛み合ったに近い。できそうだからといって欲を出せば、基礎まで崩れる。


 グレインは一度、俺とセレナを見比べた。


「総評に入ります」


 その一言で、空気が少し張る。


「セレナ様。学科、実技ともに高水準です。余計な力みさえなければ、十分に合格圏内です」


「はい」


「リオン様。学科は問題ありません」


 そこは即答だった。


「実技は完璧とは言えません。ですが、入試で求められる最低限の線は越えました」


 その言葉は、思っていた以上に重かった。


 越えた。

 ようやく。


「明日、大事なのは“見せつける”ことではありません」


 グレインははっきりと言う。


「確実に取ることです。できることを、できる形で出しなさい」


「わかりました」


「わかったわ」


 俺とセレナの返事が重なった。


 ◇


 昼を過ぎても、家の中はどこか静かだった。


 いつも通り座学の復習をし、面接で聞かれそうな問いを整理し、礼の作法を確認する。

 やっていることは昨日までと大きく変わらない。


 でも、明日が本番だと思うだけで、同じ紙の重さが少し違って感じた。


 夕方、訓練を終えた後。

 俺は庭の端で一人、水を飲んでいた。


「隣、いいかしら」


 振り向くと、セレナが立っていた。


「どうぞ」


 彼女は少し距離を空けて座る。

 夕日が庭の芝を赤く染めていた。


 しばらく沈黙が続く。


 先に口を開いたのは、セレナだった。


「明日ね」


「うん」


「変な感じだわ。ずっと先だと思っていたのに、気づいたらもう前日」


「それはわかる」


 準備している時間は長いのに、本番の前日だけ急に近く感じる。そういうものなんだろう。


 セレナは膝の上で手を組んだ。


「最初は、あなたが来るの、少し面倒だと思ってたのよ」


「ひどいな」


「本当だもの」


 でも、その声音は少し笑っていた。


「王都の外から来た子が、いきなり父に気にかけられて、家庭教師まで一緒に受けるって聞いて……落ち着かなかったの」


「それはわかる」


「けれど」


 そこで、彼女は少しだけ視線を落とした。


「あなたが来なかったら、ここまで本気になっていなかったかもしれない」


 その言葉は、思っていたより真っ直ぐだった。


 俺は少しだけ肩をすくめる。


「こっちも同じだよ。たぶん、セレナがいなかったら、もっと甘えてた」


「甘える?」


「自分だけなら、“まあ今日はここまででいいか”ってなってたかもしれない」


 セレナがくすっと笑う。


「それは少し意外ね」


「自分でもそう思う」


 風が吹いて、庭木がわずかに揺れた。


「明日、緊張してる?」


 そう聞くと、セレナは少しだけ黙ってから答えた。


「してるわ」


「正直だ」


「あなたは?」


「してる」


 すると彼女は、ほんの少しだけ目を丸くした。


「そう見えなかった」


「落ち着いてるように見えるだけだよ」


「そう」


 短く答えてから、セレナは立ち上がった。


「でも、まあ」


「うん?」


「ここまでやったんだもの。あとはやるだけね」


「そうだね」


「明日、変に気を抜かないでよ」


「そっちこそ」


 彼女は軽く手を振って屋敷へ戻っていった。


 その背中を見送りながら、少しだけ気持ちが整うのを感じた。


 ◇


 夜。


 自室へ戻ると、ミアが明日の服と持ち物をきちんと整えてくれていた。


「確認、お願いします」


「ありがとう」


 机の上には受験票、筆記具、他。

 全部揃っている。


 ミアは少しだけそわそわしていた。


「わ、私のほうが緊張してるかもしれません」


「それは困るな」


「だって、ここまでずっと見てきたので……」


 その言葉に、少しだけ胸が温かくなる。


「大丈夫だよ」


「はい。……はい、きっと大丈夫です」


 言い聞かせるように二度うなずいてから、ミアは「おやすみなさい」と部屋を出ていった。


 一人になる。


 窓の外には王都の夜の灯りが見えた。

 ハル領とは違う、密度のある明かりだ。


 俺は静かに指先を見た。


 ここまで来るのに、いろんなものに助けられた。


 快く送り出してくれた父と母。

 場を与えてくれたユリウス公爵。

 容赦なく鍛えてくれたグレイン。

 隣で伸び続けたセレナ。

 ずっと支えてくれたミア。


 ここに来た意味を、ちゃんと持って帰りたいと思う。


 小さく息を吸う。


 指先に意識を集める。

 火花。着火。一点。


 ポッ


 小さな火が灯った。


 前より少し安定している。

 でも、まだ大きくはない。


 それでいいと思った。


 今の俺に必要なのは、見せつける炎じゃない。

 明日、確実に届く火だ。


 火を消す。


 部屋はまた静かになった。


 入試は明日だ。

 でも、明日で終わりじゃない。


 ここまで積み上げてきたものを試して、その先へ行くための一日だ。


 俺は窓の外の灯りを見ながら、静かに目を閉じた。


 明日は、やるだけだ。

はじめてコメントを頂けて嬉しい気持ちと同時に今まで以上に創作意欲が湧いてきました。

とてもありがたいです。

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