第347話 福嶋亮太の王国史
短編で「元最強探索者、ダンジョン救助員になる(https://ncode.syosetu.com/n5300ml/)」を書きました。
所長は魔法関連の紙を机の上に置いたまま、別の紙束へ手を伸ばした。
「ハル。一つ確認しておきたいことがある」
「確認、ですか」
「ああ」
「君は王立学院で、アルスレイン王国の建国をどう学んだ?」
思っていた問いと違い、リオンは少しだけ戸惑った。
「建国、ですか」
「そうだ。学院で学んだ内容でよい」
リオンは記憶をたどる。
王国史は、一年生の時から学んでいる。
最初は通史として。
学年が上がるにつれて、地理、制度、外交、貴族家の役割まで含めて、少しずつ詳しくなっていった。
だが、建国の大きな流れは変わらない。
「二百年以上前、エルディア大陸は戦乱の時代だったと学びました」
リオンはゆっくり答えた。
「各地の諸侯や小国、有力家門が争い、街道や河港、鉱山をめぐって戦いが続いていた。
その中でアルスレイン家が台頭し、諸侯をまとめ、戦乱を収めて王国を建国した」
所長は黙って聞いている。
リオンは続けた。
「建国後、アルスレイン王国は東のセルヴァン王国、北のドラン帝国と長く戦争状態に入りました」
「セルヴァン王国との戦争については?」
「ラグナ河を挟んで、長く戦いが続いたと学びました。
河岸の砦、渡河点、橋、河港が重要な場所になったと」
「その後は」
「百五十年前、長期の休戦を経て、セルヴァン王国とは平和条約が結ばれました。
東方国境を守っていたベイルン家が、その終戦に大きく貢献したとも学んでいます」
リオンは少し言葉を切った。
ガイルの顔が頭に浮かぶ。
武の名門。
ただ強いだけではなく、国境を守り、戦争を終わりに持ち込んだ家。
王国史の授業で何度も出てきた名前だった。
「ドラン帝国とは、セルヴァン王国との戦争が終わった後も戦争状態が続きました。
三十年前の大規模な戦闘を最後に、今は休戦状態です。
ただ、正式な平和条約はまだ結ばれていません」
そこまで答えると、所長は小さく頷いた。
「学院で教える内容としては、正しい」
リオンは少し眉を寄せた。
「としては、ですか」
「そうだ。正しい。少なくとも、王国が公式に教えている建国史としてはな」
所長は、机の上にある一束の紙をリオンの方へ寄せた。
そこには、魔法陣ではなく、文章が続いていた。
ところどころに翻訳者の注釈がある。
古い人名。
地名。
ラグナ河。
河港。
東方諸侯。
避難民。
補給。
リオンは、その中のいくつかの言葉に見覚えがあった。
以前、古い本を少し読んだ時、意味が分かる部分だけ拾った覚えがある。
だが、その時のリオンは、それを王国史として深く考えてはいなかった。
「これは、福嶋亮太が書いたと見られる建国期の記録だ」
所長が言った。
「日記に近い。研究記録でもあり、移動記録でもあり、時にはただの覚え書きのようでもある。
だから、これだけで王国史を断定することはできない」
「はい」
「だが、問題は、そこに学院で教える建国史だけでは説明できない内容が含まれていることだ」
リオンは紙束を見つめた。
所長はゆっくり言葉を続ける。
「福嶋亮太の記録によれば、建国初期の戦乱を収める過程で、アルスレイン家だけが動いていたわけではない」
「アルスレイン家だけではない……」
「ああ。ラグナ河沿いの諸侯、商業都市、国境武門。
そして、後にセルヴァン王国側へ組み込まれる東方勢力の一部。
そうした者たちが、一時的に協力していた形跡がある」
リオンはすぐに言葉を返せなかった。
後にセルヴァン王国側へ組み込まれる東方勢力。
その言葉の意味は分かる。
だが、それだけで王国史が揺らぐと判断するには、まだ早い気がした。
福嶋亮太が嘘を書いたとは思わない。
だが、一人が見た景色が、出来事の全体とは限らない。
前世で、リオンは何度もそういう場面を見てきた。
担当者の報告。
帳簿の数字。
取引先の説明。
どれも一つだけなら、それらしく見える。
だが、在庫表、入金記録、現場の声、契約書を突き合わせると、まったく別の流れが見えることがあった。
だから、リオンは慎重に口を開いた。
「ですが、所長」
「何だ」
「これは、福嶋亮太という一人の人物が残した記録ですよね」
「ああ」
「なら、それだけで王国史の見え方が変わると判断するのは危ういと思います。
福嶋亮太が間違っているという意味ではありません。
ただ、一人が見たものは、その人がいた場所から見えたものに限られます」
所長の目が、わずかに細くなった。
「続けなさい」
「帳簿や報告でも、一つだけでは判断できません。
現場の報告、保管記録、取引の記録、関係者の証言。それらを突き合わせないと、見えているものが事実なのか、ただの一面なのか分からない」
リオンは机の上の紙束を見た。
「福嶋亮太の記録以外にも、同じことを示す史料はあるんですか」
ヴァイス所長は、そこで初めて満足げに頷いた。
「その問いが出るなら、君に読ませる意味がある」
「え?」
「この一冊だけなら、奇妙な日記で済ませることもできた。
だが、問題は他の史料と噛み合い始めたことだ」
所長は、別の紙束を取り上げた。
「ラグナ河沿いの古い河港記録。いくつかの商業都市の帳簿。神殿に残る救護記録。
ベイルン家に残る古い軍務記録。その断片に、福嶋亮太の記述と重なるものがある」
リオンは息を呑んだ。
「他にも、あるんですね」
「ああ。ただし、どれも単独では決め手にならなかった」
所長は一枚の写しをリオンの前に置いた。
「例えば、ある神殿の救護記録には、ラグナ河東岸から来た負傷者を受け入れた記述がある」
「東岸……セルヴァン側ですか」
「後にそう呼ばれる側だ。当時はまだ、現在の国境ほどはっきり分かれていない。
だが、王国正史では、すでに敵対が始まっていた時期に近い」
所長は次の紙を示す。
「商業都市の帳簿には、ラグナ河を越えて麦と薬を運んだ記録がある。
輸送先は、アルスレイン側の拠点だけではない。東方の河港名も出てくる」
「それが、福嶋亮太の記録と重なるんですか」
「そうだ。福嶋亮太の記録には、同じ時期、同じ河港と思われる場所で、負傷者の搬送と食料輸送を手伝った記述がある」
リオンは紙束を見つめた。
ばらばらだった断片が、一冊の本によってつながり始めている。
それは研究所が騒ぐ理由として、十分だった。
「ベイルン家の記録にも、何かあるんですか」
「古い軍務記録に、渡河点の防衛だけでなく、避難路の確保に関わったと思われる記述がある」
「避難路……」
「今の正史では、ベイルン家は東方国境を守る武門として語られる。それは間違いではない。
だが、初期の記録を読む限り、彼らはただ敵を退けていたわけではない可能性がある」
所長は静かに言った。
「人を通す場所を守っていたのかもしれん」
リオンは、ガイルの顔を思い出した。
守ればいいだけなら分かりやすい。
以前、ガイルはそんなふうに言っていた。
だが、何を守るのか。
誰を通し、誰を止めるのか。
それは、思っているほど単純ではないのかもしれない。
リオンはもう一つ、気になっていたことを口にした。
「セルヴァン王国側には、同じ時代の記録は残っていないのでしょうか」
所長の表情が引き締まった。
「おそらく残っている」
「では、確認を取るべきでは」
「研究所が勝手にできることではない」
所長の声は低かった。
「セルヴァン王国は友好国だ。だからこそ、扱いを誤れば外交問題になる」
リオンは黙った。
友好国だから、すぐ聞けるわけではない。
友好国だからこそ、正式な手順が必要になる。
セルヴァン側にも同じような記録があるのか。
あるなら、なぜ今まで表に出ていないのか。
記録の解釈は、アルスレイン側と同じなのか。
それとも、まったく違うのか。
どれも、研究所だけで判断してよいことではない。
「だから、王へ報告するのですね」
「そうだ」
所長は頷いた。
「これは古文書の解釈だけで済む話ではない。
王家、セルヴァン王国、ベイルン家、ラグナ河沿いの諸侯。関わる者が多すぎる」
リオンは紙束に目を落とした。
王国史。
そう言えば、遠い過去の話に聞こえる。
だが、これは今も続く関係に触れている。
エドガー。
アルスレイン王国第二王子。
王家の正史に関わる立場だ。
ナディア。
セルヴァン王国の王女。
セルヴァン側が最初から敵だったわけではないという記録は、彼女の国にも関わる。
ガイル。
ベイルン辺境公家の嫡男。
ラグナ河を挟んだ戦争と、その終結に深く関わった家の者だ。
これは、自分だけの話ではない。
古い本の中の話でもない。
今、同じ教室にいる仲間たちの立場にも触れる話だった。
所長は改めて、最初の紙束を指で押さえた。
「福嶋亮太の記録によれば、建国初期のラグナ河は、単なる国境ではなかった」
「単なる国境ではない……」
「正史では、ラグナ河はセルヴァン王国との戦争における防衛線として語られる。
渡河点、橋、河港、砦。どれも軍事上の要地だ」
「はい。そう学びました」
「だが、福嶋亮太は同じ川を違う言葉で書いている」
所長は一枚の紙をリオンの前に置いた。
「この部分を読めるか」
リオンは紙を受け取り、翻訳された文を目で追った。
そこには、短い一節があった。
ラグナ河は、国を分ける線ではなかった。
あの頃の私たちにとって、あれは人を逃がし、薬を運び、飢えた村へ麦を届けるための道だった。
リオンは、その一文から目を離せなかった。
ラグナ河。
王立学院では、セルヴァン王国との戦争で最も重要な国境線として学んだ。
だが、福嶋亮太はその川を、国境線ではなく道として書いていた。
人を逃がす道。
薬を運ぶ道。
飢えた村へ麦を届ける道。
「福嶋亮太は、魔法を戦闘だけに使っていたわけではないのですね」
リオンが呟くと、所長は頷いた。
「記録を見る限り、彼が重視していたのは補給、救護、避難だ。
浮遊魔法は荷を動かすため。転移魔法は緊急連絡や負傷者の移動。
亜空間収納は薬や食料を失わず運ぶために使われていた可能性が高い」
リオンは、三つの魔法名を思い出した。
どれも、自分が使っている魔法だ。
便利な魔法。
そう思っていた。
だが、福嶋亮太にとっては、戦乱の中で人を生かすための手段だったのかもしれない。
所長は静かに言った。
「この記録が厄介なのは、王国を貶めるものではないことだ」
「貶めるものではない……」
「ああ。アルスレイン家が何もしていなかった、とは書かれていない。
むしろ、当時のアルスレイン家が戦乱を終わらせようとしていたことは、記録からも読み取れる」
「それなら」
「だからこそ、扱いが難しい」
所長はリオンの言葉を受けて、すぐに続けた。
「完全な嘘なら否定すればよい。悪意ある記録なら退ければよい。
だが、これは違う。
王国史を壊すというより、王国史の奥に隠れていた複雑さを見せている」
リオンは黙った。
王国史の奥に隠れていた複雑さ。
その言葉は、リオンの中に重く沈んだ。
「この記録を読んだからといって、すぐに誰かへ話してはならん」
「はい」
「だが、見なかったことにしてよいものでもない」
リオンは小さく頷いた。
「分かります」
「本当に分かるのは、これからだ」
所長はそう言って、少しだけ表情を緩めた。
「君は研究コースで、観察と推測と判断を分けることを学んでいるはずだ」
「はい」
「この記録も同じだ。福嶋亮太が見たこと。彼が考えたこと。
他の史料で裏付けられること。後の者が推測できること。
王国として判断すべきこと。それらを混ぜてはならん」
リオンは、クラリッサ先生の言葉を思い出した。
あなたが何を見て、どこからそう考えたのか。
それを残さなければ、研究ではなく感想になります。
歴史も同じなのだ。
誰が何を見たのか。
何を記録したのか。
何が別の史料と重なるのか。
何を後の人間が意味づけたのか。
それを分けなければ、過去を正しく扱うことはできない。
「自分は、何をすればいいのでしょうか」
リオンが尋ねると、所長は少しだけ考えた。
「今は、読め」
「読む、ですか」
「ああ。ただし、魔法理論としてだけではなく、王国史の記録として読む。
福嶋亮太が何を見て、何を残そうとしたのか。それを追いなさい」
「自分が読んでいいんですか」
「君はこの本を見つけ、持ち込んだ者だ。
そして、奇妙なことに、福嶋亮太の記述に反応できる」
所長の目が、リオンを真っ直ぐ見た。
「だからこそ、読ませる。ただし、判断するのは君ではない。
判断は王と、王国が行う」
「はい」
リオンは静かに答えた。
自分が判断してよいものではない。
だが、何も見ないままでいることもできない。
リオンはもう一度、先ほどの一文へ目を落とした。
ラグナ河は、国を分ける線ではなかった。
あの頃の私たちにとって、あれは人を逃がし、薬を運び、飢えた村へ麦を届けるための道だった。
同じ川を見ているはずなのに、記録に残された意味はまるで違っていた。
学院で学んだラグナ河は、国境であり、戦線だった。
福嶋亮太が書き残したラグナ河は、人と物が行き交う道だった。
その二つは、どちらか一方だけが正しいわけではないのかもしれない。
けれど、片方だけを見ていれば、見えないものがある。
リオンは紙を両手で持ったまま、静かに息を吐いた。
福嶋亮太の本は、王国が、どのように生まれたのか。
敵と味方が、いつ分かれたのか。
国境になる前の川で、誰が何を運んでいたのか。
それを記した、もう一つの王国史だった。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
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