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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: アカメノコバチ
第16章 王立学院五年 一学期

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第346話 翻訳された魔法理論

 研究コースの授業が終わった後、リオンは机の上に広げた記録用紙をまとめていた。


 前回までの実験で、循環型には明確な利点があると分かった。


 だが、完成にはまだ遠い。


「リオン、先に出てるね」


 ミラが鞄を持って立ち上がる。


「うん。俺もすぐ行く」


 ヴィクトルも資料を片付けながら言った。


「明日は、革帯の固定方法を考えないとな」


「そうだね」


 リオンが頷いた時、教壇の方から声がした。


「ハル。少し残れますか」


 クラリッサ先生だった。


 リオンは顔を上げる。


「はい」


 ミラが少しだけ心配そうにリオンを見た。


「大丈夫?」


「たぶん。記録のことだと思う」


 リオンがそう言うと、ヴィクトルは一瞬だけクラリッサ先生の方を見た。


「いや、研究所絡みかもしれないな」


「研究所?」


 リオンが聞き返す前に、ヴィクトルは軽く肩をすくめた。


「何となくだ。じゃあ、先に行く」


 ミラとヴィクトルが教室を出る。


 研究室には、リオンとクラリッサ先生だけが残った。


 クラリッサ先生は、リオンの記録用紙をちらりと見てから、静かに口を開いた。


「ハル。アルベルト先生から、例の本のことで研究所に来てくれないか、と話がありました」


 リオンは一瞬、言葉の意味をつかめなかった。


「アルベルト先生、ですか?」


 聞き覚えがない。


 少なくとも学院の教師ではないはずだ。


 クラリッサ先生は、そこで小さく苦笑した。


「あぁ、すみません。所長のことです。アルベルト・ヴァイス所長」


「ヴァイス所長……」


 その名前なら、リオンにも分かった。


 王立研究所の所長。


 以前、あの古い本を預けた相手。


 クラリッサ先生は続けた。


「私が王立研究所で働いていた時の上司でしたので、つい昔の呼び方が出ました」


「先生は、王立研究所で働いていたんですか」


「ええ。今は学院にいますが、以前は応用魔道具の研究に関わっていました」


 リオンは思わず納得した。


 クラリッサ先生の授業が、ただ魔道具を作るだけではなく、記録、条件、安全性、使う者まで見ようとする理由が少し分かった気がした。


 だが、すぐに別の言葉が頭に残る。


 例の本。


 それだけで、リオンには何のことか分かった。


 福嶋亮太の魔法理論。


 異世界から来た人物が残した古い本。


「翻訳が進んだんですか」


 リオンが聞くと、クラリッサ先生は頷いた。


「ひとまず、一段落したそうです」


 リオンは息を呑んだ。


 あの本の中身が、ついに読める形になったのか。


 それだけで、背筋が少し伸びる。


「学院長にも話は通っています。指定された日の放課後に、王立研究所へ向かってください」


「はい」


「それと」


 クラリッサ先生は、リオンの記録用紙へ目を落とした。


「低温保存箱の記録も、所長の耳に入っています」


「え、あれもですか」


 リオンは思わず聞き返した。


 あれは、まだ授業の中の実験だ。


 完成品でもない。


 むしろ、課題の方が多い。


 クラリッサ先生は穏やかに言った。


「研究所は、完成したものだけを見る場所ではありません。

既存の道具をどう見直すか。どの条件で比べるか。そこにも価値があります」


 リオンは黙って頷いた。


 冷気を巡らせる。


 その考えが、王立研究所の所長の耳に入っている。


 嬉しいより先に、少し怖かった。


 自分が書いた記録が、教室の外へ出ていく。


 それを、強く感じた。


 ◇


 数日後の放課後。


 リオンは学院長から渡された外出許可状を持って、王立研究所へ向かった。


 受付で許可状を見せると、奥から見覚えのある人物が歩いてきた。


 白髪交じりの髪。


 鋭い目。


 けれど、口元にはどこか楽しげな笑みがある。


 アルベルト・ヴァイス所長だった。


「来たか、ハル」


 リオンは深く頭を下げた。


「お招きいただき、ありがとうございます」


「そう固くならんでよい。今日は、少し長い話になる」


 所長はそう言って、廊下の奥へ歩き始めた。


 リオンはその後に続く。


 廊下の両側には、研究室の扉が並んでいた。


 どこかで金属が打ち合う音がする。


 別の部屋からは、低く唸るような魔力の気配が漏れている。


 リオンが周囲を見ていると、所長が前を向いたまま言った。


「クラリッサから聞いたぞ。研究コースでも、さっそくやっているそうだな」


 リオンは少し身構えた。


「何の話でしょう?」


 所長は小さく笑った。


「冷気を巡らせる、という考えにたどり着いたことだ。クラリッサも驚いておったぞ」


「あれは、俺一人で考えたわけではありません」


 リオンはすぐに言った。


「ミラが食材の状態に気づいて、ヴィクトルが商隊用として見てくれて、先生方や上級生の指摘もありました。

俺だけなら、たぶん冷却核のことばかり見ていたと思います」


 所長は足を止めずに言った。


「そういうことにしておこう」


 その言い方に、リオンは少しだけ返答に困った。


 所長は続ける。


「よい研究は、一人の思いつきでは終わらん。

他人の指摘で形を変え、記録され、比べられて初めて残る。

君がそれを学んでいるなら、クラリッサが研究コースをみている意味もある」


 リオンは小さく頷いた。


 教室での実験。


 ミラの気づき。


 ヴィクトルの現実的な指摘。


 クラリッサ先生の問い。


 どれか一つ欠けていれば、冷気を巡らせる箱という考え方は今の形にはならなかった。


 所長は一つの扉の前で立ち止まった。


「さて、本題はこちらだ」


 扉が開く。


 中に入った瞬間、リオンは思わず足を止めた。


 紙の束。


 机の上にも、棚の上にも、壁際の台にも、紙の束が積まれていた。


 古い文字を書き写したもの。


 翻訳された文章。


 魔法陣らしき図。


 注釈が細かく書き込まれた紙。


 それらが、部屋のあちこちに置かれている。


「これが、あの本の……」


「そうだ」


 所長は机の上の一束を軽く叩いた。


「ひとまず、翻訳は終わった」


 リオンは息を止めた。


 翻訳が終わった。


 それは、あの本の内容が読める形になったということだ。


 だが、所長はすぐに釘を刺すように言った。


「読める形にはなった。だが、理解できたとはまだ言えん」


「理解できたとは、言えない……」


「独特な言い回しも多い。福嶋亮太本人の癖と思われる。

理論として読める部分と、日記のように書かれた部分が混ざっている。

翻訳したからといって、すべてが明らかになったわけではない」


 リオンは頷いた。


 読めることと、理解することは違う。


 所長は紙束を三つに分けた。


「魔法理論として大きいのは、この三つだ」


 指が、一つ目の束を示す。


「浮遊魔法」


 二つ目。


「転移魔法」


 三つ目。


「亜空間収納」


 リオンは、その言葉でわずかに反応してしまった。


 どれも、自分が使っている魔法だ。


 所長は、そのわずかな反応を見逃さなかった。


「そこに反応するか」


 リオンは言葉を選んだ。


「内容はどうだったんですか?」


 所長は転移魔法の束を手に取った。


「福嶋亮太は、例えば転移魔法を単なる移動手段としては書いていない。

座標の固定、帰還地点の安定化、魔力負荷、失敗時の危険。

そういったものを、かなり細かく記している」


 帰還地点の安定化。


 その言葉が、リオンの胸に残った。


 学院の寮の自室。


 ハル領。


 転移先。


 戻る場所。


 所長は次に、亜空間収納の束へ手を置いた。


「こちらも厄介だ」


「亜空間収納、ですか」


「ああ。物を別の空間に保管する魔法だ。もし実用化できれば、物流の考え方そのものが変わる」


 物流。


 保存は、物流を変える。


 物流が変われば、暮らしが変わる。


 低温保存箱ですら、運べる距離や届く量を変えるかもしれない。


 もし亜空間収納が本当に使えるなら、それどころではない。


 荷馬車の数。


 商隊の速度。


 保管場所。


 傷む荷。


 盗難。


 運べる量。


 それらの前提が変わる。


 所長は、リオンの表情を見ながら言った。


「誤解するな。読めたからといって、すぐに使えるわけではない。むしろ、危険な記述も多い」


「危険、ですか」


「空間を扱う魔法だ。失敗すれば、物が消えるだけでは済まん可能性がある」


 リオンは静かに息を吸った。


 便利な魔法ほど、扱いを間違えれば危ない。


 研究コースで羽根が壊れかけた時と同じだ。


 所長は三つの束を横へ寄せ、別の紙束を机に置いた。


「だが、この本の価値は魔法理論だけではない」


 リオンは顔を上げた。


「まだ、あるんですか」


「後半は、理論書というより日記に近い」


「日記、ですか」


「ああ。福嶋亮太が見た出来事、会った人物、当時の混乱。

そして、アルスレイン王国が成立していく過程が書かれている」


 リオンは思わず紙束を見つめた。


 アルスレイン王国が成立していく過程。


 それは、魔法理論とはまったく別の重さを持つ言葉だった。


 所長は淡々と続ける。


「王国成立前の混乱。いくつかの勢力の争い。建国に関わった人物。

福嶋亮太が異邦人として何を見て、何に関わったのか。

まだ精査は必要だが、王国史の資料としても極めて価値が高い」


 リオンは、あらためて本の重さを感じた。


 それは、研究所だけで抱えていてよいものではなかった。


 所長は静かに言った。


「近いうちに、王へ報告に上がる」


 リオンは目を見開いた。


「王へ、ですか」


「当然だ。この本は、研究所だけで扱ってよいものではない。建国期の記録が含まれている以上、王家に報告する必要がある」


 リオンの胸が重くなる。


 王。


 国の中枢。


 そこに、自分が見つけた本の話が届く。


 所長はリオンを見た。


「そして、君の名も出る」


「自分の名、ですか」


「本を持ち込んだ者としてだ。もちろん、余計なことまで話すつもりはない。

だが、完全に無関係にはできん」


 リオンは言葉を失った。


 ただの学院生でいるつもりだった。


 いや、すでにそれが難しいことは分かっている。


 それでも、自分はまだ子爵家の息子で、学院生だと思っていた。


 だが、福嶋亮太の本は、王国の歴史に触れていた。


 その本を持ち込んだ者として、自分の名も王へ届く。


 所長は、リオンの沈黙を急かさなかった。


 少し間を置いてから、穏やかに言う。


「今すぐ何かを決めろと言っているのではない」


「はい」


「ただ、この本を読む時、君には魔法の術式だけを見てほしくない」


 リオンは顔を上げた。


「術式だけを、ですか」


「この本には、魔法が何に使われ、誰を助け、何を変えたのかが書かれている。

理論だけを抜き出せば危険だ。使われた場面ごと見なければならん」


 リオンは、昨日のアデライン先生の言葉を思い出した。


 道具は、作っただけでは政策にならない。


 物は、存在するだけでは人を救わない。


 必要な時に、必要な場所へ、使える状態で届いて初めて意味を持つ。


 魔法も同じなのかもしれない。


 術式だけでは意味を持たない。


 誰が使うのか。


 何のために使うのか。


 どこへ届くのか。


 何を変えてしまうのか。


 そこまで見なければ、危うい。


「分かりました」


 リオンは静かに答えた。


「魔法そのものだけでなく、それが使われた場所も見ます」


 所長は満足げに頷いた。


「よろしい」


 そして、一枚の紙をリオンの前に置いた。


 翻訳された紙だった。


 細かな注釈がついている。


 だが、リオンの目は、上部に書かれた見出しに吸い寄せられた。


 転移魔法における座標固定と帰還地点の安定化。


 リオンの胸が、静かに鳴った。


 自分が使っている魔法に、深く関わる言葉だった。



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― 新着の感想 ―
魔法と魔石がある世界だからか前世の何百年~千年くらい遅れている感じがする化学と物理が無いみたいだから この世界の人に福嶋亮太の本の説明は難しいよ 一部の人には進んだ前世の世界の記憶がぼんやりとあると言…
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