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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: アカメノコバチ
第16章 王立学院五年 一学期

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第345話 冷たい箱が運ぶもの

 翌日の五年Sクラスでは、朝から共通総合科目の授業が行われた。


 教壇に立つアデライン・クロフォード先生は、いつものように声を荒げない。


 ただ、黒板へ書かれた課題は、教室の空気を一瞬で変えた。


 夏季の王都周辺において、生鮮品と一部薬品の価格が上昇。


 原因を分け、どこから手を打つべきか考えなさい。


 リオンは、その文字を見つめた。


 生鮮品。


 薬品。


 価格上昇。


 昨日の研究コースで比べた二つの低温保存箱が、すぐに頭へ浮かんだ。


従来型は単純で壊れにくい。


循環型は箱の中の差を減らせる。


ただし、構造が複雑で、整備や停止時の課題も残る。

 

あの実験は、箱の中だけの話だと思っていた。


 けれど、黒板の課題を見ると、そうではない気がした。


 アデライン先生は教室を見渡した。


「価格が上がった。では、値を下げなさい。そう答えるだけでは、領地運営にはなりません」


 静かな声だった。


 だが、誰も軽く聞き流せない。


「原因が一つとは限りません。

暑さ、輸送、在庫、商隊の数、護衛費、薬師の仕入れ、王都と地方の需要差。

どこに綻びがあるのかを分けなければ、対策も誤ります」


 綻び。


 その言葉に、リオンはわずかに反応した。


 アデライン先生は続ける。


「今日の条件を追加します。王都では夏の祭礼を前に需要が増えています。

地方の薬師からは、一部薬品の到着が遅れているという報告があります。

遠方から運ばれる肉、魚、果物の価格も上昇しています。

商隊の数には限りがあり、護衛を増やせば費用も増えます」


 黒板に、条件が書き足されていく。


 王都の需要増。


 遠方品の価格上昇。


 薬品到着の遅れ。


 商隊数の限界。


 護衛費の増加。


 生徒たちはそれぞれの席で、紙に書き込み始めた。


 リオンの隣では、ミラが少し眉を寄せている。


「食材だけじゃなくて、薬もなんだね」


「うん」


 リオンは頷いた。


 食材なら、傷めば捨てるしかない。


 薬なら、もっと重い。


 届かないことで困る人が出る。


 届いても品質が落ちていれば、使えない。


 前世でも、物流はただ物を運ぶだけではなかった。


 いつ、どこへ、どんな状態で届くか。


 そこまで含めて価値だった。


 アデライン先生が言った。


「では、班ごとに原因と対策を分けなさい。まずは、思いつくものをすべて書き出すこと」


 教室のあちこちで議論が始まった。


 リオンたちの班には、いつもの八人が集まっていた。


 リオン。


 ミラ。


 ヴィクトル。


 セレナ。


 エドガー。


 ガイル。


 ナディア。


 クラウス。


 飛び級して五年Sクラスに入ってから、それぞれの選択コースは分かれた。


 だが、共通総合科目ではまた同じ卓を囲むことがある。


 最初に口を開いたのはヴィクトルだった。


「暑い時期は、遠くへ運べる品が限られる。

傷みやすい品は、近場でしか売りにくい。王都で遠方品の価格が上がるのは自然だな」


 商会の跡取りらしい言葉だった。


 ヴィクトルは紙に、輸送距離、傷み、価格、と書いた。


「商隊を増やせばいい、という話でもない。荷馬車も人も護衛も無限ではないからな」


 ガイルが腕を組む。


「護衛を増やせば、商隊は通りやすくなるんじゃないのか」


 それは騎士コースを選んだガイルらしい視点だった。


 クラウスが落ち着いて答える。


「賊や魔物が原因なら、それで改善するだろう。

ただ、荷が傷むこと自体が原因なら、剣を増やしても解決しない」


「なるほどな」


 ガイルは素直に頷いた。


「守る相手が無事でも、荷が駄目になったら意味がないってことか」


 ミラが紙を覗き込みながら言う。


「箱の中で傷むなら、道を急がせても駄目だよね。

届いた時に使えないなら、運んだことにならないと思う」


 リオンはその言葉に頷いた。


 運んだことにならない。


 それは、前世でも何度も見た考え方だった。


 納品した。


 届けた。


 数字の上では完了している。


 でも、現場で使えない状態なら、仕事は終わっていない。


 エドガーが少し考えてから言った。


「薬品が不足するなら、行政としては優先順位を決める必要があるだろう。

王都、地方、軍、救護所。すべてを同時には満たせない」


 セレナがすぐに続ける。


「王都の大口需要を放置すれば、市場の品はすぐに吸い上げられるわ。

けれど、貴族にだけ制限をかければ反発も出るでしょうね」


 ナディアは穏やかな声で補った。


「国境を越える品なら、検問で止まる時間も考えなければなりません。

運んでいる時間だけではなく、待たされる時間も保存に影響します」


 リオンは、皆の言葉を紙にまとめていった。


 暑さ。


 輸送距離。


 商隊数。


 護衛費。


 需要の集中。


 薬品の優先順位。


 検問での停止時間。


 荷の傷み。


 書けば書くほど、問題は一つではないと分かる。


 その時、アデライン先生が卓のそばに立った。


「ハル」


「はい」


「あなたは研究コースで、低温保存箱について扱っているそうですね」


 リオンは少しだけ驚いた。


 アデライン先生がその話を知っているとは思わなかった。


 おそらく、クラリッサ先生から共有されたのだろう。


「はい。従来型の低温保存箱と、冷気を巡らせる案を比べました」


「では、保存箱が変われば、何が変わりますか」


 リオンはすぐに答えようとして、止まった。


 食材が傷みにくくなる。


 薬品が保ちやすくなる。


 それは間違いではない。


 だが、アデライン先生が求めている答えは、それだけではない気がした。


 リオンは、ゆっくり口を開いた。


「運べる距離が変わります」


 教室の中で、何人かが顔を上げた。


「距離が変われば、売れる場所が変わります。

売れる場所が変われば、価格も変わります。

薬品なら、届く場所が変われば、助かる人も変わると思います」


 アデライン先生は静かに聞いていた。


「保存箱は、ただ中の物を冷やすだけではありません。

遠くへ運べる状態を保つための道具です」


 言い終えてから、リオン自身もその言葉の意味を感じていた。


 アデライン先生が頷いた。


「道具は、作っただけでは政策になりません。

どこへ配り、誰に使わせ、何を優先して運ばせるか。

そこまで決めて初めて、領地運営になります」


 リオンはその言葉を書き留めた。


 道具は、作っただけでは政策にならない。


 どこへ配るか。


 誰に使わせるか。


 何を優先して運ばせるか。


 ヴィクトルが小さく笑う。


「リオン、あの箱を全部の荷に使おうとしたら、商会は嫌がるぞ」


「全部には使わないよ」


「ならいい。最初に使うなら、高い品からだ」


 リオンはヴィクトルを見た。


「高い品?」


「薬品、香辛料、傷みやすい高級食材。

安い野菜を全部あの箱で運ぶには、まだ費用が合わない」


 ヴィクトルは商人らしく淡々と言う。


「だが、傷めば大きな損になる品なら、多少高い箱でも使う理由がある。

商人は道具そのものに金を払うんじゃない。損を減らせることに金を払う」


 リオンは、その言葉を記録した。


 損を減らせることに金を払う。


 これは前世の会社でも同じだった。


 便利なだけでは売れない。


 誰の何を減らすのか。


 損失か。


 手間か。


 時間か。


 危険か。


 そこが見えなければ、道具は広がらない。


 ミラが少し考えてから言った。


「でも、最初は使える場所が限られそうだね。

みんなが毎日使う食材まで届くには、まだ遠いのかな」


 その言葉に、リオンはすぐ答えられなかった。

 

確かに、最初に使われるのは高価な品かもしれない。


 限られた範囲で終われば、領民の暮らしとは遠い。


 ナディアが柔らかく言う。


「最初は限られた品でも、壊れにくくなり、扱いやすくなれば、少しずつ広げられるかもしれません」


 エドガーも頷いた。


「行政が使うなら、救護所や遠方の薬師への輸送を優先することもできるだろう」


 セレナが腕を組んだ。


「ただし、誰に先に使わせるかで揉めるわね。

王都の大商会だけが使えば、地方は不満を持つでしょう」


「なら、配る順番も決めないといけない」


 リオンは言った。


 道具を作るだけでは足りない。


 広げ方を間違えれば、便利なものが不満の種になる。


 アデライン先生の言葉が、もう一度頭に浮かぶ。


 作っただけでは政策にならない。


 ガイルが、少し難しい顔をして言った。


「俺は、こういうのは苦手だな。守ればいいだけなら分かりやすいんだが」


 クラウスが静かに答える。


「だが、何を守るかを決めるには必要だ」


「……そうだな」


 ガイルは短く頷いた。


 アデライン先生が全体へ向けて言った。


「時間です。各班、対策を一つに絞らず、優先順位をつけなさい」


 リオンたちの卓でも、紙の上に線が引かれていく。


 一つ目。


 薬品の優先輸送。


 救護所、地方の薬師、軍用を分ける。


 二つ目。


 生鮮品は高価な品から循環型保存箱を試す。


 三つ目。


 商隊の停止時間を記録する。


 検問、休憩、荷下ろし。


 四つ目。


 護衛不足か、保存不足か、原因を分ける。


 五つ目。


 価格上昇を抑えるには、輸送量だけでなく、廃棄される荷を減らす。


 ミラが指で紙を押さえた。


「廃棄される荷を減らすって、いいね。

運んだけど使えないものが減るってことだよね」


「うん」


 リオンは頷いた。


「運べる量を増やせなくても、駄目になる量を減らせば、届く量は増える」


 ヴィクトルが満足そうに笑う。


「商会でも同じだ。仕入れを増やせなくても、損を減らせば利益は残る」


 セレナが少しだけ目を細めた。


「つまり、派手な対策ではないけれど、効くところには効くということね」


「そうだと思う」


 リオンは答えた。


 派手ではない。


 一気にすべてを変えるわけでもない。


 けれど、箱の中の冷気の偏りを減らすことが、荷の廃棄を減らす。


 荷の廃棄が減れば、市場に届く品が増える。


 品が増えれば、価格の上がり方を抑えられるかもしれない。


 薬が届けば、救える人がいるかもしれない。


 それは、ただの木箱の話ではなかった。


 授業の終わりに、アデライン先生は各班の紙を見て回った。


 リオンたちの班の紙の前で、先生は少しだけ足を止める。


「廃棄される荷を減らす、ですか」


「はい」


 リオンは答えた。


「商隊を増やすことや護衛を増やすことだけではなく、届いた時に使える状態の荷を増やすことも必要だと思いました」


 アデライン先生は頷いた。


「よいです。運ぶ量と、届いて使える量は同じではありません。

その差を見られる者は、現場を誤りにくい」


 リオンは胸の奥が少し熱くなるのを感じた。


 運ぶ量と、届いて使える量は違う。


 前世でも、この世界でも、そこに綻びは生まれる。


 帳面の上では足りている。


 馬車の数も足りている。


 護衛もついている。


 だが、届いた時に使えないなら、足りていないのと同じだ。


 アデライン先生は教壇へ戻り、全体に向けて言った。


「今日の課題で覚えておくべきことは一つです。

物は、存在するだけでは人を救いません。

必要な時に、必要な場所へ、使える状態で届いて初めて意味を持ちます」


 教室が静かになった。


「それを整えるのが、領地運営です」


 授業が終わる鐘が鳴った。


 生徒たちが席を立ち始める。


 リオンはすぐには立たなかった。


 紙の端に、もう一度ペンを置く。


 保存は、物流を変える。


 その下に、さらに書き足した。


 物流が変われば、暮らしが変わる。


 ミラが隣から覗き込む。


「それ、いいね」


「まだ、分からないことだらけだけど」


「でも、つながった感じはする」


 ミラの言葉に、リオンは頷いた。


 研究コースで見ていたのは、箱の中だった。


 けれど、その先の話がある。


 低温保存箱は、まだ小さな木箱にすぎない。


 けれど、その箱の先には人の暮らしが続いていた。



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