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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: アカメノコバチ
第16章 王立学院五年 一学期

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第344話 冷気を巡らせる箱

 次の研究コースの授業で、クラリッサ先生は教壇の前に二つの木箱を並べた。


 一つは、これまで使ってきた低温保存箱。


 もう一つは、同じ大きさの箱だったが、側面に小さな穴の開いた板がはめ込まれ、内側には細い通路のような仕切りが作られていた。


 リオンはその二つを見比べた。


 前世で言う冷蔵庫に似たものは、この世界にもある。


 貴族の屋敷や薬師の保管庫、大きな商会の倉庫では、冷却核を入れた木箱が使われている。


 仕組みは単純だ。


 箱の中に冷却核を置く。


 蓋を閉める。


 冷気を逃がさない。


 それで中の品を冷やす。


 だから、低温保存箱でまず重視されるのは、冷却核の性能と箱の密閉性だった。


 冷えなければ、冷却核を強くする。


 長く保たせたければ、魔力消費の少ない冷却核を使う。


 冷気が逃げるなら、箱の隙間を減らす。


 それは間違っていない。


 むしろ、長く使われてきた正しい考え方だった。


 クラリッサ先生は、二つの箱の前で静かに言った。


「今日は、従来の低温保存箱と、ハルたちの案を比べます」


 教室の空気が少し変わった。


 リオンは思わず背筋を伸ばす。


 ハルたちの案。


 それは、前回リオンたちが試した、車輪の回転で羽根を回す考え方だった。


 冷却核で冷気を作り、箱の中の羽根でその冷気を巡らせる。


 ただし、まだ粗い。


 革帯は外れやすい。


 羽根も小さい。


 風の通り道も、まだ紙の上の図に近い。


 隣の卓にいた五年生の一人が、手を上げた。


「先生。低温保存箱は、冷気を逃がさないための箱です。

中で風を起こせば、かえって冷気が乱れるのではありませんか」


 その声に、何人かが頷いた。


 リオンは反射的に言い返しかけて、止めた。


 その疑問は正しい。


 箱の中で風を起こせば、葉野菜を乾かすかもしれない。


 薬瓶の札を濡らすかもしれない。


 羽根や革帯が増えれば、壊れる場所も増える。


 冷やしたいだけなら、冷却核を強くすればいい。


 そう考えるのは自然だった。


 クラリッサ先生はその五年生を見て、頷いた。


「よい疑問です。従来の考え方では、低温保存箱は冷気を閉じ込めるための箱です。

中で風を起こすという発想は、普通はしません」


 先生の視線が、リオンへ移る。


「ハル。あなたの仮説は何ですか」


 リオンは一度、二つの箱を見た。


 そして答えた。


「冷気は、箱の中に均一に満ちるわけではないと思います。

下にたまったり、冷却核の近くだけ強く冷えたり、離れた場所には届きにくかったりします」


 前回の食材保存で見えたことを思い出す。


 冷却核の近くは、冷えすぎる。


 箱の上側は、思ったほど冷えない。


 底には水滴が集まる。


 同じ箱の中なのに、場所によって結果が違った。


「だから、風を当てたいのではなく、冷気の偏りを減らしたいんです」


 クラリッサ先生は表情を変えずに聞いていた。


「つまり、冷気を閉じ込めるだけでなく、巡らせる必要がある。

そう考えているのですね」


「はい」


「では、比べましょう」


 先生の言葉で、授業が始まった。


 二つの箱は、同じ模擬荷車台の上に並べられた。


 大きさは同じ。


 中に入れる冷却核も同じ。


 食材も同じ。


 葉野菜。


 薄切りの肉。


 小さな果物。


 それぞれ同じ量を、箱の中の同じ位置に置く。


 測定用の札も入れた。


 箱の下側。


 上側。


 冷却核の近く。


 反対側。


 さらに、湿り具合を見るための薄い紙片も置く。


 リオンたちの案の箱には、車輪の回転を伝える細い革帯がつけられていた。


 革帯は小さな軸につながり、その先で羽根を回す。


 羽根の前には、穴の開いた薄い仕切り板を置いた。


 風が直接食材に当たりすぎないようにするためだ。


 ミラが仕切り板を見て、少し首を傾げる。


「穴は、全部同じ大きさでいいのかな」


「今はそろえた方が比べやすいと思う」


 リオンが答えると、ミラは頷いた。


「でも、食材によっては、穴の大きさを変えた方がよさそう」


 その言葉を、リオンはすぐに記録用紙の端に書いた。


 穴の大きさ。


 食材ごとに変更の余地。


 ヴィクトルは革帯の張りを確かめていた。


「これ、商隊で使うなら、調整する者が必要だな」


「そこは課題だと思う」


「だが、冷却核を増やさずに箱全体を冷やせるなら、価値はある」


 ヴィクトルはそう言って、手を離した。


 クラリッサ先生が砂時計を置く。


「条件をそろえます。同じ時間、同じ台、同じ揺れ、同じ開閉回数です。

途中で箱を開けるのは、こちらが指示した時だけ。よいですね」


「はい」


 リオンたちは頷いた。


 模擬荷車台が押される。


 車輪が回る。


 従来型の箱は、そのまま静かに揺れる。


 リオンたちの箱では、車輪につながった革帯が動き、小さな羽根が回り始めた。


 強い風ではない。


 だが、箱の中の冷気を動かすには十分かもしれない。


 がたん。


 がたん。


 台が凹凸の上を進む。


 リオンは羽根の音を聞いていた。


 細い革帯がこすれる音。


 小さな軸が回る音。


 低温保存箱の中で、見えない冷気が動いているはずだった。


 一定時間が過ぎ、クラリッサ先生が言った。


「止めてください。まずは従来型から確認します」


 蓋が開けられた。


 白い冷気が、わずかにこぼれる。


 従来型は、確かに冷えていた。


 冷えていないわけではない。


 冷却核の周りは十分に冷たい。


 箱の下側の札も、温度が下がっていることを示していた。


 だが、ミラがすぐに気づいた。


「あ……こっちだけ、水気が多い」


 冷却核に近い葉野菜の端に、細かな水滴がついていた。


 葉そのものが傷んだわけではない。


 しおれたわけでもない。


 けれど、同じ葉野菜でも、置いた場所によって表面の状態が違っている。


 冷却核に近い葉は、葉先がわずかに丸まっていた。


 一方で、箱の上側に置いた肉の札は、下側ほど色が変わっていない。


 ヴィクトルが眉を寄せる。


「上の方は冷えが弱いな」


 果物のそばに置いた紙片は、ほとんど変化していなかった。


 反対に、箱の底に置いた紙片は湿っている。


 リオンは記録した。


 従来型。


 冷却核付近、強く冷える。


 葉野菜の端、水滴あり。


 葉先、わずかに丸まり。


 下側、水滴多い。


 上側、冷え弱い。


 冷えている。


 だが、箱の中で差がある。


 五年生の一人が覗き込み、静かに言った。


「従来型としては、悪くない」


 リオンも頷いた。


 その通りだった。


 これは失敗ではない。


 従来型の低温保存箱は、ちゃんと役目を果たしている。


 ただし、商隊で複数の品を同じ箱に入れて運ぶなら、この差は問題になる。


 次に、リオンたちの箱が開けられた。


 同じように冷気がこぼれる。


 リオンは息を止める。


 測定札を見る。


 下側。


 上側。


 冷却核の近く。


 反対側。


 従来型より、札の色の差が小さい。


 完全に同じではない。


 だが、明らかに差は減っていた。


「上にも冷気が届いてる」


 ミラが言った。


 ヴィクトルも札を見比べる。


「下だけが強く冷えているわけではないな」


 葉野菜の表面も、従来型より場所ごとの差が小さかった。


 冷却核の近くにある葉にも、水滴はついている。


 だが、一か所だけが極端に湿っているわけではない。


 肉の札も、上側で従来型より色が変わっている。


 果物の周りも、少し冷えている。


 リオンは胸の奥が熱くなるのを感じた。


 冷気は、巡っている。


 ただし、良いことばかりではなかった。


 ミラが羽根の近くの葉を見て、指先を止めた。


「ここ、少し乾いてる」


 羽根に近い場所の葉野菜は、表面の水気がほかより少なかった。


 張りが失われたわけではない。


 けれど、指で触れると、そこだけ少し乾いた感じがある。


 穴あきの仕切り板を入れても、風が当たりやすい場所はできる。


 革帯も少しずれていた。


 あと何度か揺れれば、外れていたかもしれない。


 リオンはその二つも記録した。


 循環型。


 温度差、小さい。


 上側まで冷気が届く。


 下側の水滴、従来型より少ない。


 ただし、羽根近くの葉、表面の水気が少ない。


 革帯、ずれあり。


 停止時は未確認。


 教室の中がざわついた。


 さっき反論した五年生も、測定札を見比べている。


「差が小さい……」


 その声には、驚きが混じっていた。


 リオンは何も言わなかった。


 勝った、とは思わなかった。


 従来型の考え方が間違っていたわけではない。


 冷気を逃がさないことは大事だ。


 箱がすぐ温まるなら、そもそも保存箱として使えない。


 けれど、閉じ込めるだけでは、箱の中に差ができる。


 冷えすぎる場所と、冷えにくい場所ができる。


 湿りやすい場所と、乾きやすい場所ができる。


 それを減らすには、冷気を巡らせる必要がある。


 クラリッサ先生が二つの箱の前に立った。


「従来型の箱は、冷気を閉じ込めることに優れています。

作りも単純で、壊れにくい。扱う者も迷いにくいでしょう」


 先生はそこで、リオンたちの箱を見る。


「一方、ハルたちの案は、冷気を巡らせることで、箱の中の差を減らそうとしている。

今回の条件では、従来型より温度の偏りが小さくなりました」


 リオンは小さく息を吐いた。


 クラリッサ先生は続ける。


「商隊用として、複数の品を同じ箱で運ぶなら、この差は大きいですね」


 ヴィクトルが頷いた。


「高い薬品や傷みやすい食材なら、多少高くてもこちらを選ぶ商人はいると思います」


「多少高くても?」


 ミラが聞く。


 ヴィクトルは測定札から目を離さずに答えた。


「届いた時に中身が傷んでいたら、商人は損をする。

安い箱で品を駄目にするより、高い箱で無事に運べる方がいい場合もある」


 リオンはその言葉を記録した。


 価格だけではない。


 損失を減らせるか。


 品質を保てるか。


 運んだ後に、受け取る者が安心できるか。


 商隊用の道具として見るなら、それも性能だった。


 だが、クラリッサ先生はそこで話を終わらせなかった。


「ただし、ハルたちの案には課題があります」


「はい」


 リオンは頷いた。


「構造が複雑です。革帯はずれています。羽根の近くは乾きやすい。

止まっている時に冷気がどう動くかも、まだ見ていません」


「その通りです」


 クラリッサ先生は、落ち着いた声で言った。


「優れている、という言葉は便利です。

ですが、何に対して優れているのかを決めなければなりません」


 その言葉は、最初の授業でも聞いた。


 リオンはペンを握り直す。


「従来型は、単純さと壊れにくさに優れている」


 クラリッサ先生が言う。


「ハルたちの案は、箱の中の差を減らすことに優れている」


 リオンが続けた。


 先生は頷いた。


「では、次に見るべきことは?」


 リオンは記録用紙を見下ろした。


 答えは一つではない。


 革帯の外れにくさ。


 羽根の大きさ。


 風の通り道。


 穴の大きさ。


 停止中の冷気の偏り。


 食材ごとの置き場所。


 箱を開けた時の温度の戻り方。


 多すぎる。


 だが、見えていないわけではない。


 見る場所が増えただけだ。


「まず、風が直接当たりすぎる場所を減らします」


 リオンは言った。


「それから、止まっている時に冷気がどう偏るかを見ます。

商隊用なら、走っている時間だけでなく、休憩中や荷下ろし中も考えないといけません」


 ミラが頷く。


「食材ごとに、置く場所も変えた方がいいと思う。

葉野菜と肉を同じ扱いにしない方がいい」


 ヴィクトルも言った。


「革帯は、商隊の者が直せる形でないと駄目だな。

壊れたら学院に持ってこい、では商品にならない」


 リオンは二人の言葉を足していく。


 風の当たりすぎ。


 停止中。


 食材ごとの位置。


 現場で直せる構造。


 記録用紙の余白が、どんどん埋まっていく。


 クラリッサ先生がそれを見て、少しだけ目を細めた。


「よいですね。今日分かったのは、ハルたちの案が従来型をすべて上回った、ということではありません」


 リオンは顔を上げる。


「はい」


「従来型には従来型の良さがあります。

ですが、商隊で複数の品を運ぶという条件では、冷気を巡らせる考え方に明確な利点がありました」


 教室の中が静かになった。


 さっきまで疑っていた五年生も、今は二つの箱を見比べている。


 冷気を閉じ込める箱。


 冷気を巡らせる箱。


 同じ低温保存箱でも、見ているものが違う。


 リオンは記録用紙の下に線を引いた。


 従来型。


 冷気を閉じ込める。


 単純。


 壊れにくい。


 扱いやすい。


 ただし、箱の中で冷え方に差が出る。


 循環型。


 冷気を巡らせる。


 温度差を減らせる。


 商隊用、混載用に向く可能性。


 ただし、構造、整備、乾燥、停止時に課題。


 そして最後に、もう一行を書いた。


 冷気を閉じ込める箱から、冷気を巡らせる箱へ。


 リオンはペンを止めた。


 発明が完成したわけではない。


 むしろ、課題は増えた。


 けれど、前に進んだ。


 従来の考え方を否定したのではない。


 その上に、新しい見方を重ねた。



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