第343話 揺れではなく回転
研究コースの次の授業で、リオンたちの卓には、低温保存箱ではなく小さな実験台が置かれていた。
模擬荷車台。
純石の小片。
風を起こす小さな魔石。
細い回転軸。
木枠に固定された小さな羽根。
前回、リオンは記録用紙の端にこう書いた。
揺れを、冷風に変える。
その仮説を、今日は小さく試すことになった。
もちろん、いきなり低温保存箱につなげるわけではない。
クラリッサ先生は、授業の始めにそう念を押した。
「今日は、冷却核にはつなげません。
純石が揺れを受けた時、風魔石にどのような影響が出るのか。それだけを見ましょう」
リオンは頷いた。
前回の食材保存では、箱の中で冷え方に差が出た。
冷たい空気は、ただそこにあるだけではない。
下にたまり、逃げ、偏る。
だから空気を動かす必要がある。
そして、移動中の馬車には揺れがある。
車輪の回転がある。
その動きで風を起こせないか。
そう考えた。
ミラは小さな羽根を覗き込んでいる。
「これなら、風が起きたか分かりやすいね」
「羽根が回れば、少なくとも風魔石に何かしらの反応があったとは分かる」
ヴィクトルは木枠の固定具を見ていた。
「ただ、箱の中に入れるなら、もっと小さくしないと邪魔になるな」
「今日は反応を見るだけだから」
リオンは純石を木枠の近くに置いた。
透明で、わずかに白く濁った石。
青輝石のように光るわけではない。
魔力を直接通す石でもない。
けれど、振動や回転に反応する。
リオンは足踏み砥石のそばで見た、あのわずかな明滅を思い出した。
「始めるぞ」
ヴィクトルが模擬荷車台を押した。
がたん。
がたん。
凹凸のある板の上を、車輪が進む。
純石が小さく震える。
羽根は動かない。
リオンは記録用紙に、最初の状態を書き込んだ。
揺れ一回目。
反応なし。
二回目。
反応なし。
三回目。
風魔石、変化なし。
焦らない。
純石は、一度強く叩けば反応する石ではない。
細かな動きが続いた時に、ようやく変化が出る。
ヴィクトルが同じ速度で台を押し続ける。
がたん。
がたん。
がたん。
その時、ミラが息を呑んだ。
「……動いた」
羽根が、ほんのわずかに揺れた。
回った、というには弱い。
だが、確かに羽根の向きが変わった。
リオンは思わず身を乗り出す。
また、揺れる。
羽根が、今度は少しだけ回った。
強い風ではない。
冷風と呼べるものでもない。
それでも、紙の上にあった仮説が、初めて目の前で動いた。
「反応してる……」
リオンの声は小さかった。
ミラの顔が明るくなる。
「本当に動いたね」
ヴィクトルも目を細めた。
「まだ弱い。だが、何もないわけではないな」
リオンは急いで記録した。
純石あり。
連続した揺れ。
風魔石、微反応。
羽根、微小回転。
その時、ヴィクトルがもう一度、少し強めに模擬荷車台を押した。
がたん。
台が大きく跳ねる。
羽根が急に不規則に回った。
リオンの視界に、文字が浮かぶ。
《純石:反応乱れ》
《風魔石:出力偏り》
《回転軸:緩み》
《羽根固定部:破断寸前》
《破片飛散:予兆》
「止めて!」
リオンの声が飛んだ。
ヴィクトルが反射的に手を止める。
ミラも羽根の方へ伸ばしかけた手を引いた。
直後、かちん、と小さな音がした。
羽根を留めていた金具が緩み、机の上に落ちた。
羽根は外れなかった。
破片も飛ばなかった。
だが、もう一度同じ揺れが加わっていれば、固定具は壊れていたかもしれない。
教室が静まり返った。
クラリッサ先生が近づいてくる。
声は荒くない。
だが、教室の空気は一気に張り詰めていた。
「ハル。どうしましたか?」
リオンは、まだ胸が早く動いているのを感じながら答えた。
「純石の反応が乱れました。風魔石の出力が偏って、回転軸が緩みました。
羽根の固定部が壊れかけて、破片が飛ぶ予兆が出ました」
「では、それも記録しなさい」
リオンは一瞬、顔を上げた。
「これも、ですか」
「当然です」
クラリッサ先生は落ちた金具を指した。
「動いたことだけが結果ではありません。
壊れかけたことも、危険が出たことも、研究の結果です。
記録しなければ、次も同じ危険を繰り返します」
リオンは頷き、すぐに記録用紙へ書き込んだ。
強い揺れ。
純石、反応乱れ。
風魔石、出力偏り。
回転軸、緩み。
羽根固定部、破断寸前。
破片飛散の予兆。
怪我は起きなかった。
けれど、起こり得る危険は見えた。
それをなかったことにしてはいけない。
隣の卓にいた既存五年生の一人が、静かに言った。
「揺れ方が毎回違うなら、反応の比較ができない」
嫌味ではなかった。
ただ、研究として当然の指摘だった。
リオンは模擬荷車台を見た。
揺れは、道によって変わる。
速度によって変わる。
荷の重さによっても変わる。
今の実験でも、少し強く押しただけで反応が乱れた。
馬車の揺れをそのまま使えば、風も乱れる。
それどころか、装置そのものが壊れる。
ミラが羽根を見ながら言った。
「風が急に強くなったり弱くなったりしたら、食材にもよくなさそう」
ヴィクトルも頷く。
「商隊用なら、道が悪いほど風が乱れる道具になる。それは売りにくい」
「うん」
リオンは頷いた。
揺れは使えそうに見えた。
だが、そのままでは荒すぎる。
リオンは、模擬荷車台の車輪へ目を向けた。
車輪は、進んでいる間、回り続ける。
もちろん、速さは完全に一定ではない。
坂道もある。
馬の歩調も変わる。
それでも、跳ねる揺れよりは扱いやすい。
揺れではない。
回転だ。
「……使うべきなのは、揺れそのものじゃない」
ミラが顔を上げた。
「え?」
リオンは車輪を指した。
「車輪の回転だ。風魔石で風を作るんじゃなくて、車輪の回転を革帯か小さな軸で羽根に伝える」
ヴィクトルの目が細くなった。
「馬車が進んでいる間だけ、羽根が回るということか」
「うん。冷却核で冷やして、車輪で羽根を回す。そうすれば、風を起こすための魔力は増やさなくて済むかもしれない」
ミラが少し考えてから言った。
「でも、速く走ったら羽根も速く回るよね。風が当たりすぎる場所ができるかも」
「そこは、風の通り道を作る必要があると思う」
リオンは記録用紙に新しい図を描いた。
車輪。
革帯。
小さな軸。
羽根。
低温保存箱。
冷却核。
純石は、その横に別の印で残した。
車輪の回転を風に使う。
純石は、冷却核の補助に使えるか、別に調べる。
混ぜてはいけない。
だが、捨ててもいけない。
クラリッサ先生が図を見て、静かに頷いた。
「揺れをそのまま使うのではなく、扱いやすい動きに変える。
そこに気づいたのは良いですね」
「はい」
「ただし、車輪の回転にも課題はあります」
「速度の差、ですか」
「それもあります。ほかには?」
リオンは考えた。
「革帯が外れるかもしれません。軸が摩耗するかもしれない。
羽根の風が一か所に当たりすぎるかもしれない。
馬車が止まれば、羽根も止まります」
「その通りです」
クラリッサ先生は落ちた小さな金具を拾い上げた。
「動かすなら、止まる時のことも考える。回すなら、外れる時のことも考える。
研究とは、うまく動いた瞬間だけを見るものではありません」
リオンは頷いた。
「もう一度、試してもいいですか」
クラリッサ先生は少しだけ考えた。
「簡易の革帯で、車輪から羽根へ回転を伝えるところまでなら許可します。
冷却箱にはまだ入れません。風が起きるかだけを見なさい」
「はい」
リオンたちは、模擬荷車台の車輪に細い革帯をかけた。
それを小さな軸へつなぎ、羽根へ伝える。
完璧な装置ではない。
革帯は細く、少しでも角度がずれれば外れそうだった。
ヴィクトルがゆっくりと台を押す。
車輪が回る。
革帯が動く。
小さな軸が回り、羽根がゆっくりと回転した。
先ほどよりも、乱れが少ない。
強い風ではない。
だが、羽根は確かに回っている。
「さっきより安定してる」
ミラが言った。
「風が急に跳ねる感じが少ないね」
ヴィクトルも頷いた。
「車輪が回る限り、羽根も回る。商隊用なら、こちらの方が筋がいい」
リオンは、羽根の動きを見つめた。
仮説は、また少しだけ形を変えた。
揺れをそのまま使うのではない。
より扱いやすい回転に変える。
そこから風を作る。
リオンは記録用紙に書いた。
揺れ。
不安定。
純石、反応乱れ。
風魔石、出力偏り。
危険あり。
車輪の回転。
揺れより安定。
革帯で羽根へ伝達可能。
課題。
速度差。
革帯外れ。
軸の摩耗。
風の通り道。
停止中の冷気循環。
その下に、最後の一行を書き加える。
揺れではなく、回転。
羽根は、まだ頼りなく回っているだけだった。
けれど、さっきのような乱れは少ない。
失敗の原因だった揺れから、より扱いやすい回転を取り出す。
リオンは、記録用紙の上に新しい線を引いた。
冷風の仮説は、まだ形になったばかりだった。
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