第329話 才能の扱い方
実技の授業が終わると、生徒たちはそれぞれ木剣を片付け始めた。
ガイルはまだ少し物足りなさそうにしていたが、ベルンハルト先生に視線を向けられると、素直に木剣を戻した。
「リオン。次はもっとやるぞ」
「軽くならね」
「それは分からん」
「分かっていてほしい」
ガイルはにやりと笑い、エドガーたちと一緒に訓練場を出ていった。
ミラは最後にこちらを振り返る。
「リオン、無理しないでね」
「分かってる」
ミラも訓練場を後にした。
少しずつ人の気配が減っていく。
木剣が片付けられる音。
遠ざかる足音。
扉が閉まる音。
やがて訓練場には、俺とベルンハルト先生だけが残った。
先生は腕を組んだまま、しばらく何も言わなかった。
その沈黙が、逆に重い。
「リオン・ハル」
「はい」
「このまま少し残れるか」
「大丈夫です」
「なら、確認しておきたいことがある」
何を聞かれるかは、だいたい分かっていた。
先生は俺の足元を見る。
さっきの実技で、俺の動きは明らかに変わっていた。
ガイルも、エドガーも、セレナも気づいた。
けれど、理由までは知らない。
知っているのは、ベルンハルト先生だけだ。
「浮遊魔法だ。今、どこまで使える」
やはり、その話だった。
俺は少し考えてから答える。
「大きく分けると、二つの使い方をしています」
「二つ?」
「はい。一つは、普通に浮いて移動する使い方です。
もう一つは、地面に足をつけたまま、体を少し軽くして動きを速くする使い方です」
ベルンハルト先生の眉がわずかに動いた。
「見せてみろ。ただし、無理はするな」
「はい」
俺は訓練場の中央へ移動した。
足元に魔力を流す。
体がゆっくりと地面から離れた。
腰の高さ。
胸の高さ。
そして、人二人分くらいの高さまで浮く。
天井まではまだ余裕がある。
俺はそのまま、ゆっくり前へ進んだ。
右へ。
左へ。
斜め前へ。
止まる。
少し下がる。
速度はそれほど出していない。
だが、以前のようにただ浮いているだけではない。
自分の意思で向きを変え、止まり、また動く。
訓練場の中を、音もなく移動する。
森の中では枝や幹が邪魔だったが、ここは開けている。
だから、ずっと動きやすかった。
俺は一度ゆっくり下降し、地面に足をつけた。
「今のが一つ目です。高さは、今のところこれくらいなら安定します。
速く動くと止まりにくくなるので、まだあまり速度は出せません」
ベルンハルト先生は口元に手を当てていた。
顔にはあまり出していない。
だが、目はかなり真剣だった。
「二つ目を見せます」
俺は木剣を持たず、体の動きだけを示すことにした。
地面に足をつける。
今度は完全に浮かない。
ただ、体にかかる重さを少しだけ軽くする。
足で地面を蹴る。
同時に、体を前へ運ぶ。
一歩。
もう一歩。
通常の踏み込みより、少し速い。
足を強く蹴りすぎなくても、体が前に出る。
次に横へ動く。
斜め後ろへ下がる。
また前へ出る。
浮いているわけではない。
だが、体が軽い分、移動の始まりが早くなる。
止まる時は、さっき先生に言われたことを意識した。
地面を捉える。
足の裏を忘れない。
軽さに逃げない。
数度動いてから、俺は先生の前に戻った。
「今のが二つ目です。戦闘中は、こっちの方が使いやすいです。
完全に浮くと姿勢が不安定になりますが、地面に足をつけていれば剣にもつなげやすいので」
ベルンハルト先生は、ついに片手で額を押さえた。
「……たった二ヶ月で、ここまで使いこなすか」
「使いこなすというほどでは」
「未知の魔法をここまで使いこなすとは…」
先生の声には、呆れと驚きが混じっていた。
怒っているわけではない。
けれど、純粋に喜んでいるわけでもない。
その表情は、難しいものを見てしまった大人の顔だった。
「魔力はどうだ。消費は大きいか」
「最初はかなり使っていました。でも、慣れてきてからは減りました。
無駄に力を入れない方が安定するので、その分、消費も少ないです」
「体への負荷は」
「今の高さと速度なら、ほとんどありません。
長く続ければ疲れますが、普通の訓練と同じくらいです」
「頭痛や吐き気は」
「ありません」
「魔力切れの兆候は」
「この程度ならないです」
先生は黙った。
そして、深く息を吐いた。
「だからこそ、危ないな」
「危ない、ですか?」
「危ない。悪いという意味ではない。むしろ、能力としては極めて優れている。
探索にも戦闘にも使える。お前が考えているより、ずっと使い道が広い」
先生は俺をまっすぐ見た。
「だが、優れている力ほど、見せる相手を選べ」
その言葉は、静かだった。
だが、重かった。
「この魔法は、ただ珍しいだけではない。壁を越えられる。足場を無視できる。
間合いを狂わせられる。音を消して動ける。初見で対応できる者は少ない」
「はい」
「それを人前で使えば、どうなると思う」
俺はすぐには答えられなかった。
先生は続ける。
「王宮が興味を持つ。騎士団が興味を持つ。貴族が興味を持つ。他国も興味を持つかもしれん」
今日の教室での会話が頭をよぎった。
エドガー。
セレナ。
ガイル。
クラウス。
ナディア。
リバーシだけでも、話は一気に広がった。
そこに浮遊魔法まで加わったら。
俺は少しだけ背筋が冷えた。
「才能は、見せれば武器になる。だが、見せる相手を間違えれば、鎖にもなる」
先生の言葉に、胸の奥が重くなった。
分かる。
分かってしまう。
前世で会社を経営していた時もそうだった。
できる人間には仕事が集まる。
便利な仕組みを作れば、当然のように次も求められる。
一度「あいつならできる」と思われれば、本人の都合とは関係なく、期待も責任も増えていく。
才能も、技術も、成果も、見せれば武器になる。
だが、時には鎖にもなる。
ベルンハルト先生の言葉は、四十五歳だった俺なら、何の疑問もなく頷けるものだった。
けれど。
今の俺は十四歳だ。
体は軽い。
魔力は流れる。
空に浮く感覚を覚えてしまった。
地面から離れ、風を受け、自分の意思で前へ進む感覚を知ってしまった。
もっと試したい。
もっと高く。
もっと速く。
この力で、どこまで行けるのか知りたい。
そう思ってしまう自分も、確かにいる。
分かっているのに、抑えきれない。
四十五歳の俺が危ないと判断しても、十四歳の俺が胸の奥で前へ出たがっている。
それが、自分でも少し怖かった。
「先生」
「何だ」
「言っていることは分かります。分かるんですけど……試したくなります」
正直に言った。
ベルンハルト先生は、少しだけ目を細めた。
怒るかと思った。
だが、先生は怒らなかった。
「それでいい」
「いいんですか?」
「試したくならない者は伸びん。
新しい動きも、新しい魔法も、試したいと思うから身につく」
先生は静かに言った。
「だが、試す場所を選べ。試す相手を選べ」
その言葉に、俺は黙って頷いた。
「力を伸ばすなとは言わん。勝手に危ない場所で伸ばすなと言っている」
「……はい」
「お前は放っておくと、森で試すだろう」
「否定しづらいです」
「否定しろ、そこは」
「すみません」
先生は呆れたように息を吐いた。
だが、その表情は少しだけ柔らかかった。
「今後、訓練場を使う時は俺に一言入れろ。人目のない時間を調整する」
「先生が見てくださるんですか?」
「見ないと危ないだろう」
「そこまでですか」
「そこまでだ」
即答だった。
「それに、通常の剣術訓練も怠るな。浮くな。まず立て」
「はい」
「お前の今の課題は、浮くことではない。浮けるようになった上で、どれだけ地面を忘れずにいられるかだ」
その言葉は、さっきの実技の指導ともつながっていた。
軽く動けることと、浮つくことは違う。
地面を失えば、剣も軽くなる。
浮遊魔法は俺の戦い方を広げる。
だが、足元を失えば、その広がりは隙になる。
「分かりました。人前では使いません。訓練も、先生に相談してからにします」
「それでいい」
先生は少しだけ頷いた。
そして、ふと声を落とした。
「リオン・ハル」
「はい」
「くどいようだが、才能があることは、悪いことではない。
努力で伸ばした力なら、なおさらだ。
だが、才能は持っている本人より、周囲の方が都合よく見たがる」
先生の声には、少しだけ過去の重みがあった。
「強い者は、強い敵の前に立たされる。速い者は、速さが必要な場所へ送られる。
飛べる者は、飛ばなければ届かない場所へ行かされる」
俺は黙って聞いていた。
「それが必要な時もある。逃げるべきではない場面もある。
だが、選ぶ前に背負わされるのは違う」
ベルンハルト先生は、元騎士団の人だ。
きっと、そういう場面を見てきたのだろう。
才能のある若者が、早く危険な場所へ送られる。
期待され、任され、断れなくなる。
先生の言葉には、そういうものを知っている人の苦さがあった。
「だから、今は隠せ。隠しながら鍛えろ。
使うべき時が来たら、その時に使えるようにしておけ」
「はい」
「それが、才能の扱い方だ」
才能の扱い方。
俺はその言葉を、胸の中で繰り返した。
力を伸ばすことは、悪いことではない。
試したいと思うことも、間違いではない。
けれど、どこで試すか。
それを考えられなければ、才能はいつか自分を縛る。
四十五歳の俺は、それを理解していた。
十四歳の俺は、それでも空を見上げてしまう。
だからこそ、今は一人で決めてはいけない。
ベルンハルト先生のように、止めてくれる大人がいる場所で、この力を鍛えるべきなのだと思った。
「今日はここまでだ」
「ありがとうございました」
「明日からは普通に授業を受けろ。三学期初日から目立ちすぎるな」
「努力します」
「努力ではなく、実行しろ」
「……はい」
先生は最後にもう一度、俺を見た。
「リオン。浮く前に、まず立て」
「はい」
俺は深く頷いた。
訓練場を出る時、窓の外に冬の空が見えた。
高く、澄んだ空だった。
見上げれば、まだ飛びたいと思う。
けれど、俺は足元を見た。
まずは、地面に立つこと。
空へ行くのは、それからでいい。
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