第322話 学院寮への帰還
熊型の魔物を討伐してから、二日が経った。
あの後、食品を運んでいた荷車は無事に街道へ戻り、俺たちも王都へ向かう道へ戻った。
怪我をしていた男の状態は気になったが、応急処置は済ませた。
王都に着いたら医者に診せるようにも伝えてある。
あとは、本人たちが無理をしないことを祈るしかない。
その後の道中では、大きな問題は起きなかった。
◇
王都の門が見えた時、ミアが小さく息を吐いた。
「まもなく到着ですね」
「ああ」
高い城壁。
門の前に並ぶ馬車。
荷を確認する兵士。
王都へ入ろうとする商人や旅人。
ここへ向かって、多くの街道がつながっている。
あの食品を運んでいた荷車も、この流れの一部だったのだろう。
門を抜けると、王都の通りに入った。
建物が並び、店先には人の声が響いている。
馬車は学院へ向かう道を進んだ。
王立学院の建物が見えてくる。
広い敷地。
整えられた道。
冬休み前まで毎日のように見ていた場所なのに、少し久しぶりに感じた。
馬車が学院寮の前で止まる。
ようやく着いた。
王立学院の寮。
寮長に挨拶を済ませ、ミアと護衛に荷を下ろしてもらう。
学院へ持ち帰った衣類。
書物。
冬の間にまとめた書面。
母上が持たせてくれた小物。
トラウゼン侯爵家へ届けるリバーシ十組は、すでに渡し終えている。
その分、荷は少し軽くなっていた。
だが、旅の終わりの疲れは、体にしっかり残っている。
ミアはいつも通り、手際が良い。
俺は二人を見て、少しだけ胸の奥が重くなった。
ここで別れるのだ。
ハル領を出てから、トラウゼン侯爵領へ行き、王都まで来た。
だが、ミアとノルはこのままハル領へ戻る。
俺だけが、学院寮に残る。
寮の部屋へ入ると、以前と同じ机、同じ棚、同じ寝台があった。
窓の外には、学院の庭が見える。
ここでの日々が、また始まる。
ミアは部屋へ入るなり、窓を開けて空気を入れ替えた。
それから、荷を一つずつ確認していく。
「上着はこちらに。書物は机の横でよろしいでしょうか」
「うん」
「冬用の外套は、まだ使うと思いますので、取り出しやすい場所に置いておきます」
「ありがとう」
「お母様から預かった小物は、こちらの箱へ」
「助かるよ」
ミアは普段通りに動いている。
だが、どこか少しだけ、手がゆっくりだった。
いつもなら、もっと迷いなく整えていく。
今日のミアは、ひとつひとつを確かめるように荷を置いていた。
「ミア」
「はい」
「大丈夫?」
ミアは一瞬だけ手を止めた。
それから、少し困ったように笑った。
「大丈夫です。ただ……」
「ただ?」
「次にリオン様がハル領へ戻られるのは、夏休みなのですよね」
「ああ。その予定だね」
冬休みは終わる。
学院の授業が始まれば、簡単にはハル領へ戻れない。
表向きには、俺は王立学院の生徒だ。
転移魔法でこっそり戻ることはできるかもしれない。
だが、次に正式にハル領へ戻れるのは、夏休みになる。
半年ほど先だ。
「半年近く、お会いできないのですね」
ミアは小さく言った。
「そうなるね」
「ハル領では、皆さまがお待ちになると思います」
「ミアも?」
俺がそう聞くと、ミアは少しだけ目を伏せた。
「……もちろんです」
その声が思ったより小さくて、胸が少し痛くなった。
ミアは、俺の身の回りの世話をしてくれる侍女だ。
けれど、それだけではない。
旅の間、ずっとそばにいてくれた。
俺が学院に残るということは、その時間がしばらく途切れるということでもある。
「手紙を書くよ」
「本当ですか」
「うん。学院でのことも、王都で見たことも書く」
「必ずですよ」
「必ず」
ミアは少しだけ安心したように頷いた。
「では、私もハル領のことを書きます。奥様のこと、旦那様のこと、屋敷のこと。
分かる範囲で、西の森のことも」
「それは助かる」
「エリアス様やレナード様から届く書面ほど詳しくは書けないと思いますが」
「ミアの目で見たことが知りたいんだ」
ミアは少し驚いたように俺を見た。
「私の目で、ですか」
「うん。数字や報告書とは違うこともあるだろう?」
ミアは静かに頷いた。
「分かりました。私が見たことを、できるだけ書きます」
「ありがとう」
荷の整理が終わる頃、ノルが部屋の入口に立った。
「リオン様」
「ノル」
「馬車と護衛の準備は整いました。ミア殿を乗せ次第、ハル領へ戻れます」
「分かった」
ノルはいつも通りだった。
表情も声も変わらない。
寂しさを見せるわけでもない。
だが、その普段通りの姿を見ると、逆に安心する。
「道中、本当に助かった」
「護衛として当然のことをしたまでです」
「魔物の時も」
「リオン様が前へ出すぎただけです」
「そこは、もう少し褒めてもいいんじゃないかな」
「討伐の腕前は見事でした」
「ありがとう」
「ですが、前へ出すぎです」
結局そこに戻るのか。
ミアが少しだけ笑った。
ノルは真顔のままだ。
「リオン様」
「はい」
「学院内でも、油断はなさいませぬよう」
「学院で?」
「危険は、森にだけあるわけではありません」
ノルの言葉は短い。
だが、妙に重かった。
魔物は森にいる。
だが、人の多い場所には、人の多い場所なりの危険がある。
確かに、油断していい場所ではない。
「分かった。気をつける」
「お願いいたします」
ノルは深く頭を下げた。
ミアも荷をまとめ終え、俺の前に立った。
「リオン様。お体に気をつけてください」
「うん」
「食事を抜かないでください」
「分かってる」
「夜更かしも、できるだけ控えてください」
「努力する」
「無茶も、できるだけ控えてください」
「それも努力する」
「本当に本当ですよ」
ミアが少しだけ強く言った。
俺は苦笑した。
「約束する。できるだけ無茶はしない」
「リオン様らしいです」
ミアは小さく息を吐いた。
それから、丁寧に頭を下げた。
「では、行ってまいります」
「ああ。ハル領まで気をつけて」
「はい」
ノルも頭を下げる。
「ノルも、ミアを頼む」
「承知しました」
二人は部屋を出ていった。
俺も寮の入口まで見送ることにした。
馬車の前で、ミアがもう一度振り返る。
「リオン様。お手紙、待っています」
「うん。俺も待ってる」
ミアは少しだけ笑って、馬車に乗った。
ノルは最後まで周囲を確認してから、馬に乗る。
馬車がゆっくりと動き出した。
学院寮の前の道を進み、角を曲がり、少しずつ遠ざかっていく。
見えなくなるまで、俺はその場に立っていた。
やがて馬車の姿が完全に消えた。
寮の前に残ったのは、俺一人だった。
部屋へ戻る。
さっきまでミアが整えてくれていた部屋は、きちんと片付いていた。
上着は取り出しやすい場所にある。
書物は机の横に並んでいる。
母上からの小物は、箱の中に収まっている。
すべて整っている。
だからこそ、少し静かだった。
俺は机の前に座った。
ハル領のことが頭に浮かぶ。
父上。
母上。
エリアス。
レナード。
西の森。
工房。
街灯。
リバーシ。
トラウゼン侯爵家。
冬休みの間に見たものは、思っていたより多かった。
だが、父上は言っていた。
領のことを考えるのはよい。
だが、学院で学ぶことも、今のお前にとって大切な務めだ。
俺は机の上に置かれた教本を見た。
王都にいる間、俺がやるべきことは多い。
学院で学ぶ。
人を見る。
王都を見る。
必要なら、力も磨く。
次にハル領へ戻る夏までに、俺はどれだけ成長できるだろうか。
窓の外では、学院の庭を冬の風が抜けていった。
冬休みは終わった。
また、学院での日々が始まる。
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