第32話 貴族の役目
翌日の午前、俺とセレナはヴァレスト家の書庫に呼ばれていた。
昨日までは魔法の訓練だったが、今日は机と椅子がきちんと並べられ、黒板代わりの板まで立てられている。
どうやら今日は座学らしい。
グレインはいつものように無駄なく前に立った。
「本日の題は、アルスレイン王国の成り立ちと、貴族の役目です」
その言葉に、俺は少しだけ姿勢を正した。
ちょうど知りたかったことだ。
ハル領を立て直し始めてから、何度も思った。
どうして地方の小領地と王都の大貴族では、ここまで持てる力が違うのか。
どうして“正しい”だけでは物事が通らないのか。
グレインは、いきなり説明を始めなかった。
「まず問います。アルスレイン王国において、貴族とは何でしょう」
そう言って、最初にセレナを見た。
セレナは迷わず答える。
「王家を支え、国を安定させる柱です」
「よろしい。ではリオン様は」
俺は少し考えてから言った。
「領地と民の責任を引き受ける者、だと思います」
グレインはすぐには答えず、板に二つの言葉を書いた。
王家を支える
領地と民の責任を引き受ける
「どちらも正しい。では、なぜそうなったのか。そこが今日の本題です」
◇
グレインは板に、アルスレイン王国の昔の地図を簡単に描いた。
「今でこそアルスレイン王国は一つの国ですが、昔は違いました」
線で区切られた小さな土地がいくつも描かれる。
「かつてこの地には、小国や有力領主が乱立していました。そこへ魔物の被害、周辺国との争い、飢饉が重なった」
板の端に、魔物、戦、飢饉と書き足される。
「当時、各地の領主たちはそれぞれ自分の土地を守っていましたが、それだけでは限界があった。そこで約250年前に初代国王が有力な諸侯をまとめ、共通の旗の下に国を作ったのです」
なるほど。
最初から完成した王国があったわけじゃない。
バラバラだったものをまとめて、一つにしたのか。
グレインはさらに続ける。
「その時、土地と兵と民を預かる者たちに爵位が与えられました。公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵。違いはありますが、共通しているのは一つ」
そこで、板の中央に大きく書いた。
守る責任
「貴族とは、偉そうに暮らすための称号ではありません。本来は、土地を守り、民を養い、税を整え、兵を備え、王家の秩序を地方へ通す責任を負う者です」
そこはかなりしっくりきた。
少なくとも、ハル領の現実とずれていない。
セレナが静かに言う。
「だから公爵家は国政に近く、子爵家は領地に近いのですね」
「その通りです」
グレインが頷く。
「公爵家や侯爵家は、建国時から王家を強く支えた大貴族です。
大きな兵力と領地を持ち、国境や要衝を守る役目も重い。一方、子爵家や男爵家は、より現場に近い場所を直接治めることが多い」
そこで、視線が俺へ向いた。
「ハル家のような子爵家は、派手な権勢は持たなくとも、領地の実務を背負う家です」
やっぱりそうか。
王都では小さい。
でも、小さいから意味がないわけじゃない。
むしろ、現場を直接持つからこその重さがある。
◇
グレインはここで、もう一つ問いを投げた。
「では、よい貴族とは何でしょう」
今度は少し難しい。
セレナが先に答える。
「王家に忠実であること。法を守り、秩序を乱さぬことです」
「正しい答えです」
グレインはそう言ってから、今度は俺を見る。
「リオン様は」
俺は少し考えた。
頭に浮かんだのは、ハル領の道だった。
北村へ続く道。南村の倉。石切り場。
道が死ねば物は流れず、物が流れなければ税も兵も食事も全部おかしくなる。
「……崩さないこと、だと思います」
セレナが少しだけ眉を動かした。
「崩さない?」
「はい」
俺はゆっくり続ける。
「王家に忠実でも、法を守っていても、領地が崩れたら意味がない。税があっても道が死ねば物は届かない。兵がいても村が痩せれば守れない。だから領主は、上から命じる人というより、下が崩れないように持たせる人じゃないかと」
書庫が少し静かになる。
セレナが口を開きかけて、少しだけ止まった。
「でも、それでは……貴族がただの管理人みたいだわ」
「管理だけじゃ足りないよ」
俺は首を振った。
「王都の命令をそのまま領地に落としても、現場が死ぬことがある。逆に現場だけ見て王都を無視しても、今度は国の中で孤立する。だから、両方を繋げるのが貴族なんだと思う」
グレインの目が少し鋭くなった。
「王都の理と、領地の現実を繋げる、と」
「はい」
「それができてこそ、よい領主であると?」
「少なくとも、片方だけじゃ足りません」
そこまで言うと、セレナが小さく息を吐いた。
「……そこまで考えたことはなかったわ」
声は小さいが、悔しさよりも納得が混じっていた。
「私はずっと、貴族は王家を支えるものだと思っていた」
「間違ってないよ」
俺はすぐに言った。
「ただ、ハル領みたいな場所だと、王家を支える前にまず村が今日を越えないといけない」
その言葉に、セレナは少し黙った。
グレインがそこで、ようやく口を開いた。
「教本の答えとしては、セレナ様の答えが正しい」
セレナが顔を上げる。
「ですが」
グレインは続ける。
「領地を背負う者の答えとしては、リオン様の方が深い」
セレナが、少しだけ気後れしたように視線を落とした。
ただ、拗ねた感じではない。
自分の答えが狭かったことを、ちゃんと飲み込もうとしている顔だった。
グレインは板に、最後の一文を書いた。
貴族とは、王都の理と領地の現実を繋ぐ責任を負う者
「これが本日の結論です」
それから俺たちを見回した。
「爵位の高さだけで貴族の価値は決まりません。何を背負い、どう治めるかで決まる。アルスレイン王国が今も形を保っているのは、その責任を果たした家があったからです」
その一言は、思っていたより深く刺さった。
ハル家は子爵家だ。
王国全体で考えるとまだまだ小さい。
でも、小さいからこそ背負う現場がある。
そして、その現場を守るためには、王都の理も知らなければいけない。
授業が終わったあと、セレナが片づけながらぽつりと言った。
「少し悔しいわ」
「何が?」
「私は王都の中からしか見ていなかった」
それから、彼女はまっすぐ俺を見た。
「でも、あなたの答えの方が、領主らしいと思った」
俺は少しだけ肩をすくめる。
「そっちはそっちで、王都の側の正しさを持ってるでしょ」
「……そうかもしれないわね」
小さく笑ったその顔は、昨日より少しだけ柔らかかった。
窓の外では、秋の光が公爵家の庭に落ちている。
アルスレイン王国。
その成り立ちと、貴族の役目。
まだ全部を掴んだわけじゃない。
でも少なくとも、自分が何を学びにここへ来たのかは、前よりずっとよくわかった。




