第31話 最初の火
翌朝。
庭には、また昨日と同じ道具が並んでいた。水晶板、銀線の台、簡易的な的。
違うのは、俺の中に「やり方を変える」という意識があることくらいだ。
グレインが淡々と言う。
「本日は火属性に絞ります。まずは通常通り一度」
俺は的の前に立ち、詠唱する。
指先へ意識を集める。
火を灯す。
――やっぱり駄目だ。
何も出ない。
熱も、光も、火花もない。
「もう一度」
もう一度。
やはり出ない。
セレナは黙って見ている。
ミアは少し離れたところで祈るような顔をしていた。
グレインが言う。
「やはり、この訓練では効果が出ないようですね」
俺は一歩下がった。
「少し、やり方を変えてもいいですか」
「どのように」
「火を“出す”んじゃなくて、“つける”イメージでやってみたいです」
グレインは一瞬だけ黙ったが、止めはしなかった。
「構いません。試してください」
◇
深く息を吸い、昨日《綻びの目》で見た自分の文字を思い出す。
《魔力流路:分散》
《出力点:不安定》
《火属性出力適性:低》
《観測適性:高》
大きく出そうとするのは駄目だ。
必要なのは一点。小さな火種だけ。
前世の記憶を引っ張り出す。
ライター。
金属を弾いて火花を散らし、そこから小さな火がつく。
火は、最初から大きく燃えるわけじゃない。
俺は指先を見つめた。
「火球なんていらない。火種だけでいい」
集中する。
散らないように。広げないように。
火花。着火。小さな熱。
視界の端に、文字がちらついた。
《出力点:指先先端》
《集束:微改善》
《熱源維持:短》
《火種生成:可能性》
来た。
その瞬間――
ポッ
米粒ほどの火が、指先に灯った。
小さい。
頼りない。
でも、確かに出た。
ミアが息を呑む。
「で、出ました……!」
セレナが目を見開く。
「今の……」
だが次の瞬間、グレインが一歩前へ出た。
「……今、詠唱を省きましたか」
その声は、昨日よりずっと低かった。
俺は少し迷ってから答える。
「考えるのに邪魔だったので」
沈黙が落ちた。
セレナが言う。
「待って。今、言葉なしで出したの?」
「たぶん、そうなる」
「無詠唱……?」
グレインがすぐに切る。
「軽々しく口にしないでください」
ミアがびくりとする。
グレインは俺をまっすぐ見た。
「もう一度。今度は最初から、一言も発さずに」
俺は頷き、もう一度指先を見る。
火花。着火。一点だけ。
さっきより流れが少しだけわかる。
散りそうな魔力を、無理やり先端へ寄せる。
ポッ
また出た。
今度は二呼吸ぶんほど灯り、すぐに消えた。
グレインはしばらく黙ったあと、慎重に口を開いた。
「私は長く魔法教育に関わってきましたが……初学者が無詠唱で出力した例は、少なくとも記憶にありません」
そんなに珍しいのか、とそこでようやく実感した。
だがグレインはすぐに続ける。
「もっとも、出力は弱い。維持も短い。実戦性は皆無です。火種が一瞬灯っただけで、王立学院の実技を超えられるわけではありません」
それでも十分だった。
ゼロじゃなくなった。
今の俺には、それだけで大きい。
セレナが腕を組んだまま言う。
「今まで何も出なかったのに、急に?」
「急じゃないよ。やり方を変えただけ」
「どう変えたの?」
「火を出すんじゃなくて、火をつける感じにした」
セレナは首を傾げたが、グレインは考え込んでいた。
「……感覚ではなく、構造で捉えたのですね」
俺は頷く。
「たぶん、自分は感覚で出すのに向いてないかもしれません」
グレインは長く息を吐いた。
「通常の感覚型魔法訓練に適しない、という判断は変わりません。ですが、現象理解を補助線にした場合、微細出力には反応が出る可能性があります」
そして、すぐに教師の顔へ戻る。
「この件は、ひとまずここだけの話にしてください」
ミアがきょとんとする。
「え?」
「無詠唱という言葉が独り歩きすれば面倒を招きます。現時点では火種が短く灯るだけ。広める段階ではありません」
セレナが静かに頷いた。
「わかったわ」
俺も頷く。
「自分もそのつもりです」
グレインは記録紙に何かを書きつけた。
「今後三日は、火種のみを反復します。次のステップはその後です」
「わかりました」
◇
自室へ戻る途中、窓の外には秋の光が落ちていた。
指先を見下ろす。
さっき火が灯った場所に何かが残っているわけじゃない。
でも、たしかにあそこから出た。
「……ライターか」
前世ではただの道具だった。
けれど今は、その仕組みを思い出したことで、俺は初めてこの世界の火に触れた。
窓ガラスに、自分の顔がうっすら映る。
十二歳の顔。その奥に四十五年分の記憶。
感覚で駄目なら理屈で行く。
理屈だけで足りないなら、今度はそれを感覚へ寄せていく。
入試まで三か月。
まだピンチなのは変わらないが昨日よりか気分は良い。




