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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: アカメノコバチ
第14章 王立学院三年 二学期

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第318話 予定より早い出発

 浮遊魔法の練習は、それからも続けていた。


 毎日、長い時間を取れるわけではない。


 領の報告を確認し、父上に顔を出し、工房や西の森から届く書面に目を通す。


 その合間に、少しだけ裏庭の奥へ向かった。


 もう少し高く。


 もう少し速く。


 そして、ちゃんと止まる。


 最初は、体が地面から離れるだけで余計な力が入っていた。


 けれど、空中にある感覚に慣れてくると、思ったより上達は早かった。


 低い位置なら、前後左右だけでなく、斜めにも動けるようになってきた。


 速度を上げすぎなければ、狙った場所の近くで止まることもできる。


 着地も、膝に負担をかけずに下りる感覚が少しずつ分かってきた。


 もちろん、まだ自由に空を飛べるわけではない。


 長い距離を飛ぶのは無理だ。


 高く上がれば、まだ体が固くなる。


 速く動けば、止まる時に魔力の調整が乱れる。


 それでも、ただ浮いているだけの段階は少し抜けた気がした。


 そんなふうに冬休みの残りを過ごしているうちに、王都へ戻る日が近づいてきた。


 本来なら、もう少しハル領にいる予定だった。


 西の森の住宅区画も気になる。


 リバーシの今後も気になる。


 大街道の構想も、まだ頭の中でぼんやりしているだけだ。


 だが、学院へ戻る日は決まっている。


 ハル領にいたいからといって、いつまでも残れるわけではない。


 その日の朝、エリアスが俺の部屋へ来た。


 手には、いつもの書類袋を持っている。


「リオン様。トラウゼン侯爵家へお届けするリバーシ十組の準備が整いました」


「ありがとう。問題なくできた?」


「はい。盤、駒、箱、説明書、すべて検品済みです」


 エリアスは書面を一枚差し出した。


 そこには、十組分の内容が丁寧に記されていた。


 盤。


 駒六十四個。


 駒入れ。


 説明書。


 予備の駒。


 箱の状態。


 ひとつずつ確認欄がある。


「ずいぶん細かく見てくれたんだな」


「侯爵家へお届けする品です。初回分で不備を出すわけにはまいりません」


「たしかに」


 遊び道具とはいえ、これはただの遊び道具ではなくなっている。


 トラウゼン侯爵家へ渡す十組は、ハル領の品として外へ出る最初のまとまった数だ。


 ここで雑なものを届ければ、リバーシそのものだけではなく、ハル領の印象にも関わる。


「それで、届け方ですが」


 エリアスは落ち着いた声で続けた。


「リオン様が王都へ戻られる際、トラウゼン侯爵閣下へ直接お渡しされるのがよいかと存じます」


「直接?」


「はい。トラウゼン侯爵家には、すでに連絡を済ませております」


「早いな」


「先に動けるところは、動いておきました」


 エリアスは淡々としている。


 だが、やっていることは早い。


 こちらが王都へ戻る時期を見越して、すでに先方へ話を通している。


 俺が行くかどうかを決める前に、失礼にならない形だけ先に整えていたのだろう。


「トラウゼン侯爵家からは?」


「お立ち寄りいただけるのであれば歓迎する、とのことです。

長くお時間を取らせる形ではなく、品をお渡しし、ご挨拶する程度でよろしいかと」


「なるほど」


 たしかに、トラウゼン侯爵家へ直接渡すのは良い。


 夜会であれだけ盛り上がった品だ。


 注文を受けて、きちんと用意し、直接届ける。


 その方が、礼にもかなう。


「分かった。父上と母上に話してくる」


「お願いいたします」


「エリアスは同行する?」


「いえ。私はハル領に残ります」


 エリアスは即答した。


「リバーシの次の製造分、各家への返書、工房との調整があります」


「そうだよな」


「トラウゼン侯爵家へお渡しする十組については、納品書と説明書、父上様の返書を添えております。

リオン様にお持ちいただければ十分です」


「任せてばかりで悪いな」


「任されるためにおります」


 エリアスは、いつもの落ち着いた顔でそう言った。


 その言葉に、少しだけ胸が軽くなる。


 俺がいなくても、ハル領の仕事は進む。


 それは少し寂しくもあるが、本来は良いことだ。


 俺が全部を抱え込む必要はない。


 むしろ、抱え込んではいけない。


 エリアスにはエリアスの仕事がある。


 レナードにはレナードの仕事がある。


 父上も、母上も、工房長も、ノルも、ミアも、それぞれの役割で動いている。


 俺は父上と母上のもとへ向かった。


 父上は、いつもの椅子に座っていた。


 以前より顔色は安定しているが、まだ長く話し込ませるのは避けた方がいい。


 母上も同席していた。


「父上、母上。王都へ戻る日を少し早めようと思います」


 父上が俺を見る。


「理由は」


「トラウゼン侯爵家へお届けするリバーシ十組が整いました。

エリアスから、王都へ戻る途中で直接お渡しするのが良いのではないかと提案されました。

私も良い考えだと思います」


 父上は小さく頷いた。


「直接届けるなら、礼にもかなう」


「はい。そのままトラウゼン侯爵領を経由して、王都へ向かいます」


「出発は」


「予定より早めに出ようと思います」


 母上が少しだけ寂しそうな顔をした。


「もう少し、ハル領にいられると思っていたのですけれど」


「私もそう思っていました」


 それは本音だった。


 西の森も見たい。


 裏庭での魔法の練習も続けたい。


 工房の状況も確認したい。


 父上と話す時間も、母上と過ごす時間も、まだ足りない気がする。


 けれど、全部は選べない。


「ですが、トラウゼン侯爵家へ直接お渡しするなら、早めに出る方がよいと思います」


「分かっています」


 母上は柔らかく微笑んだ。


「寂しくないと言えば嘘になりますが、それもあなたの役目です。準備をしましょう」


「ありがとうございます」


 父上は少しだけ姿勢を正した。


「リオン」


「はい」


「王都へ戻っても、引き続き学院での研鑽を怠らないように」


「はい」


「領のことを考えるのはよい。だが、学院で学ぶことも、今のお前にとって大切な務めだ」


「承知しています」


 父上の言葉は短い。


 だが、重い。


 ハル領に戻ってから、俺は領の仕事ばかり見ていた。


 西の森。


 工房。


 リバーシ。


 街灯。


 他領との関係。


 どれも大事だ。


 だが、俺はまだ王立学院の生徒でもある。


 学院で学ぶことを軽く見てはいけない。


 母上は、俺の服装を確認するように視線を動かした。


「道中、体を冷やさないように。トラウゼン侯爵家へ立ち寄るなら、服も整えておきましょう。

礼を忘れず、けれど無理に大きく見せようとしないこと」


「はい」


「それから、王都へ着いたら無事を知らせなさい」


「分かりました」


 母上らしい言葉だった。


 心配と礼儀が、きちんと混ざっている。


 出発の準備は、そこから一気に進んだ。


 馬車に積む荷が整理される。


 学院へ持っていく衣類。


 書物。


 冬の間にまとめた書面。


 母上が用意してくれた小物。


 そして、トラウゼン侯爵家へ届けるリバーシ十組。


 リバーシの箱は、ひとつずつ布で包まれていた。


 木の箱は、工房長がかなり気を遣ったらしい。


 盤の線は揃っている。


 駒もきちんと数えられている。


 説明書は、エリアスが写し手を手配して複数用意したものだ。


 納品書と父上の返書は、別の革袋に入れられている。


 ノルは護衛の確認をしていた。


 今回は、トラウゼン侯爵領を経由して王都へ向かう。


 道中の宿場も、以前とは少し違う経路になる。


 護衛の数、馬の状態、荷の積み方。


 ノルは一つ一つ確認している。


 ミアは、俺の身の回りの荷を整えていた。


 学院へ戻る準備と、トラウゼン侯爵家へ立ち寄る準備。


 どちらも必要なので、いつもより荷が少し複雑になっている。


「リオン様。こちらの服は、トラウゼン侯爵家へご挨拶される時にすぐ出せるようにしておきます」


「ありがとう」


「王都へ着いてから必要なものは、奥にまとめてあります」


「助かるよ」


 ミアは少し寂しそうに見えたが、手は止めなかった。


 エリアスは最後に、俺へ書類を渡した。


「こちらが、トラウゼン侯爵家へお渡しする書面です。

父上様の返書、納品書、説明書の控えが入っております」


「分かった」


「道中で開かれる必要はございません。トラウゼン侯爵家の家令にお渡しいただければ伝わるようにしてあります」


「本当に、全部整えてくれたんだな」


「できる範囲を整えただけです」


「エリアス」


「はい」


「ハル領のこと、頼む」


 エリアスは静かに頭を下げた。


「お任せください。リオン様が王都におられる間も、こちらの仕事は進めておきます」


 その言葉は心強かった。


 同時に、少しだけ不思議な気持ちにもなった。


 俺がいない間にも、ハル領は動いていく。


 それは当然のことなのに、以前よりも強く実感する。


 出発の日。


 空はよく晴れていた。


 冬の空気は冷たいが、馬車の周りには慌ただしさがある。


 荷が積まれ、護衛が並び、馬が鼻を鳴らす。


 俺は玄関前で父上と母上に向き直った。


「行ってまいります」


「気をつけて行きなさい」


 母上が言った。


「はい」


 父上は静かに頷く。


「トラウゼン侯爵への礼を忘れるな。学院でも、引き続き励むように」


「はい。必ず」


 俺は深く頭を下げ、馬車に乗り込んだ。


 馬車がゆっくりと動き出した。


 屋敷が少しずつ遠ざかる。


 母上が小さく手を振っている。


 父上はその隣で、静かに見送っていた。


 俺は馬車の揺れに身を任せながら、王都へ続く道を見つめた。



最後まで読んでいただきありがとうございます!

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