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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: アカメノコバチ
第14章 王立学院三年 二学期

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第309話 最初の挨拶

馬車は、トラウゼン侯爵家の門の前でゆっくりと停まった。


 窓の外には、高い塀と大きな門。


 門の両側には、姿勢を正した門番が立っている。


 ハル家の屋敷とは違う。


 ただ大きいだけではない。


 道幅が広く、馬車の通る位置も決まっている。


 門の前で止まる馬車。


 荷を確認する使用人。


 客を案内する者。


 それぞれの動きに無駄がない。


 王都方面の街道を押さえる家。


 人と荷の流れを扱う家。


 その言葉を、屋敷の前に来ただけで少し理解した気がした。


「リオン様。到着いたしました」


 エリアスが静かに言った。


「ああ」


 返事をしてから、俺は一度だけ息を吐いた。


 言葉を急がない。


 目線を落としすぎない。


 礼を尽くす。


 母上の声を思い出す。


 馬車の扉が開く。


 外にいたノルが、周囲を確認してから小さく頷いた。


 俺は馬車を降りた。


 冷たい空気が頬に触れる。


 その後ろからエリアスとミアが降りる。


 ミアはすぐに俺の上着の裾を確認し、目立たない動きで整えた。


「大丈夫です」


 小さな声だった。


 それだけで少し落ち着く。


 門の内側から、年配の男が歩いてきた。


 服装はきちんとしている。


 動きに無駄がなく、こちらを見る目も落ち着いていた。


 おそらく家令だろう。


「ハル家ご嫡男、リオン様でいらっしゃいますね」


「はい。リオン・ハルです」


 俺は軽く頭を下げた。


「本日はお招きいただき、ありがとうございます」


 家令らしき男は、深く礼を返した。


「ようこそお越しくださいました。トラウゼン侯爵がお待ちでございます」


「お取り次ぎ、ありがとうございます」


 使用人にも失礼のないように。


 母上に何度も言われた言葉だ。


 俺がそう答えると、家令の目がわずかに柔らかくなった気がした。


 気のせいかもしれない。


 だが、少なくとも悪い反応ではなさそうだった。


 門をくぐると、屋敷まで続く道がまっすぐ伸びていた。


 左右には冬の庭が整えられている。


 派手な花は少ない。


 けれど、枝の形や石の配置まで計算されているように見えた。


 屋敷の前には、すでに何台かの馬車が止まっている。


 家紋の入った馬車。


 商会の印が入った荷馬車。


 小さな従者用の馬車。


 今夜の集まりに来ている家々のものだろう。


 俺は歩きながら、その動きを見た。


 荷物を下ろす者。


 客を案内する者。


 馬の世話をする者。


 誰も大声を出していないのに、全体が止まらず動いている。


 領都の工房や西の森の仮役場とはまったく違う。


 だが、仕組みとして整っているという点では似ている。


 人が多い場所ほど、流れを作らなければ混乱する。


 侯爵家の屋敷は、その流れがよく作られていた。


 屋敷の中に入ると、広い玄関広間に通された。


 高い天井。


 磨かれた床。


 壁にかけられた絵。


 窓から入る外光で明るすぎず、暗すぎず。


 ここでも、ちょうどよく、か。


 思わずそんなことを考えた。


「こちらへ」


 家令に案内され、俺たちは屋敷の奥へ進んだ。


 エリアスは一歩後ろで書簡と目録を持っている。


 ミアは手土産の箱を丁寧に持っている。


 ノルはさらに後ろで、周囲を静かに見ていた。


 扉の前で家令が立ち止まった。


「侯爵。ハル家ご嫡男、リオン様がお見えでございます」


 中から落ち着いた声が返ってきた。


「どうぞ」


 扉が開かれる。


 俺は一度だけ息を整え、中へ入った。


 部屋の奥に、トラウゼン侯爵がいた。


 年齢は父上より少し上だろうか。


 背筋が伸びていて、穏やかな表情をしている。


 だが、目は鋭い。


 強く睨まれているわけではない。


 それでも、こちらの言葉や動きを見落とさないような目だった。


 俺は、母上に教わった通りの位置で立ち止まった。


 近すぎず、遠すぎず。


 そして、深く頭を下げる。


「このたびは、ハル家を冬の集まりへお招きいただき、誠にありがとうございます」


 言葉を急がない。


 一つずつ置く。


「体調が整わず参ることが叶わぬ父に代わり、ハル家嫡男として参りました。

リオン・ハルです。本日は、どうぞよろしくお願いいたします」


 言い終えてから、ゆっくり顔を上げる。


 トラウゼン侯爵は、しばらく俺を見ていた。


 ほんの数秒。


 だが、長く感じた。


「よく来られた、リオン殿」


 侯爵は穏やかに言った。


「父君の体調はいかがかな」


「お気遣いいただき、ありがとうございます。

まだ長く外に出ることは控えておりますが、日々少しずつ落ち着いております」


 長く話しすぎない。


 詳しく話しすぎない。


 母上に言われた通り、そこで言葉を止めた。


 侯爵は頷いた。


「それは何よりだ。父君には、くれぐれも無理をなさらぬよう伝えてほしい」


「はい。必ず伝えます」


 ここで、エリアスが一歩前へ出た。


 出すぎない。


 だが、必要な時に必要なものを差し出す。


「トラウゼン侯爵閣下。ハル家よりの書簡と、贈り物の目録でございます」


 エリアスが丁寧に差し出すと、家令が受け取った。


 続いて、ミアが布に包まれた箱をそっと前に出す。


 俺は箱に視線を向けてから、侯爵へ向き直った。


「また、心ばかりではございますが、ハル領の工房で作らせた遊び道具をお持ちいたしました」


「遊び道具?」


 侯爵の眉がわずかに動いた。


 興味を持ったようだ。


「はい。リバーシと申します。

二人で盤を挟んで遊ぶもので、短い時間でも楽しめます。

皆様でお楽しみいただければ幸いです」


 説明しすぎない。


 最初から長く話すと、売り込みのようになる。


 俺はそこで言葉を止めた。


 侯爵は家令に目を向ける。


 家令が布を少し開き、箱と説明書を確認した。


「ほう。これは珍しい」


 侯爵は少しだけ口元を緩めた。


「ハル領は、青輝石や街灯だけでなく、このようなものも作るのか」


「高価なものではありませんが、職人たちが丁寧に仕上げました」


「そうか、そうか」


 侯爵の目がわずかに細くなった。


 値段ではなく、使い方を見られている。


 そう感じた。


「面白そうだな。ありがたく受け取ろう」


「ありがとうございます」


 俺はもう一度頭を下げた。


 最初の挨拶。


 父上の体調への返答。


 手土産の受け渡し。


 ここまでは、大きく崩れていないはずだ。


 そう思ったところで、侯爵が言った。


「それにしても、リオン殿の王立学院の活躍は私の耳にも入っている」


 心臓が少しだけ跳ねた。


 俺の学院でのことを知っているのか。


「主席で入学し、一年から三年へ飛び級で進んだと聞いている。

三年でも随分と良い成績を収めているそうだな」


 侯爵の声は穏やかだった。


 だが、ただ褒めているだけではない。


 反応を見られている。


 そう思った。


「ありがたいことに、先生方や周囲に恵まれております。

日々学ぶことばかりです」


 調子に乗らない。


 へりくだりすぎない。


 侯爵は少し笑った。


「なるほど。父君の代理として来るだけのことはある」


「いえ。まだ代理として十分とは申せません。

今日は、学ばせていただくつもりで参りました」


「学ぶ、か」


 侯爵はゆっくり頷いた。


「よい心がけだ」


 それから侯爵は、部屋の横に立つ家令へ目を向けた。


「今夜の集まりについて、リオン殿に説明しておくように」


「かしこまりました」


 家令が一礼する。


 侯爵は俺に向き直った。


「今夜の冬の集まりは、トラウゼン侯爵領と周辺領の家々が毎年顔を合わせる場だ」


「周辺領の家々、ですか」


「そうだ。王都方面へ向かう道は、多くの領と商会が使う。

冬の間に顔を合わせ、春以降の通行や物資の流れについて、互いの様子を知っておく必要がある」


 ただの夜のパーティーではない。


 周辺領の家々が、毎年集まる場。


 顔つなぎ。


 情報交換。


 どの家がどの家と近いかを見る場。


 父上が言っていた「場を見る」という言葉が、急に重くなった。


「今年は、ハル家にも声をかけさせてもらった」


 侯爵は静かに言った。


「近ごろ、ハル領の名を耳にする機会が増えたのでな」


 エリアスが言っていた言葉を思い出す。


 今回の招待は、ただの親切ではない。


 ハル家が、周辺領の輪に入り始めたということなのだ。


「お招きいただき、光栄です」


 俺は慎重に答えた。


「まだ至らぬことも多いかと思いますが、なにとぞ、宜しくお願いします」


「うむ」


 侯爵は満足したように頷いた。


「今夜は、まず多くを見るといい。若い目で見るものもあるだろう」


「はい」


 その後、俺たちは控えの部屋へ案内された。


 侯爵の部屋を出て、扉が閉まる。


 そこでようやく、少しだけ息を吐いた。


 少なくとも、母上に叱られるほどの失敗はしていないはずだ。


「リオン様」


 ミアが小声で言った。


「今のご挨拶、とてもよかったと思います」


「本当に?」


「はい」


 エリアスも静かに頷いた。


「長く話しすぎず、失礼にもならず、良い距離だったかと」


「それならよかった」


 ノルは周囲を見た後、淡々と言った。


「今のところ、危険はありません」


「そこを見るんだね」


「はい」


 ノルらしい答えだった。


 少しだけ肩の力が抜ける。


 控えの部屋へ通されると、窓の外にはトラウゼン侯爵家の庭が見えた。


 整えられた道。


 行き交う使用人。


 遠くに見える、今夜使われるであろう広間の灯り。


 最初の挨拶は終わった。


 だが、本番はまだ始まっていない。


 今夜の集まりには、周辺領の家々が来る。


 そこで何を話し、誰が誰と近く、どの話題で空気が変わるのか。


 父上が言っていた「場を見る」という言葉の意味を、俺はこれから知ることになる。



最後まで読んでいただきありがとうございます!

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― 新着の感想 ―
思わず息を詰めて読み進めていました。ひとまず第一関門クリアですね。次話も楽しみにしています。
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