第307話 手土産
トラウゼン侯爵家へ向かう日が少しずつ近づいている。
西の森では、住宅区画の準備が進んでいた。
レナードからは、定住希望者の名簿と、候補地の確認について報告が届いている。
領都では、夜間学校の参加希望者を集め始めていた。
エリアスとマリウスが、役場や倉庫、工房に声をかけているらしい。
俺はその報告を受けながら、母上との礼儀稽古も続けていた。
どれも少しずつ慣れてきた気はする。
だが、母上から見れば、まだまだらしい。
「リオン。今日は手土産について考えましょう」
その日の稽古の途中、母上がそう言った。
「手土産ですか」
「ええ。トラウゼン侯爵家へ伺うのですから、何も持たずに行くわけにはいきません」
「父上とエリアスが、贈り物について相談していると聞いています」
「もちろん、それも大切です。でも、あなた自身が何を持っていくのか、考えておくことも大切です」
俺自身が持っていくもの。
そう言われると、少し難しい。
青輝石の卓上灯は、良い品だ。
だが、最初の挨拶に持っていくには重いかもしれない。
高価すぎれば、何かを求めているように見える。
青葉草はハル領らしさがある。
けれど、侯爵家への手土産としては少し軽い気もする。
街灯はそもそも手土産ではない。
「難しいですね」
俺が正直に言うと、母上は小さく笑った。
「そうね。贈り物は、高ければよいというものではありません」
「重すぎても、軽すぎてもいけない」
「ええ。相手との距離に合うものを選ぶのです」
母上の言葉を聞きながら、俺は考えた。
重すぎず、軽すぎず。
売り込みに見えず、けれど印象には残るもの。
相手の家で使えるもの。
できれば、会話のきっかけになるもの。
そこで、ふと前世の記憶が浮かんだ。
白と黒の石。
八×八の盤。
挟んだ石を裏返していく遊び。
リバーシ。
前世では、誰でも一度は見たことがあるような遊びだった。
ルールは簡単だ。
短時間で遊べる。
子どもでも大人でもできる。
それでいて、考え始めると奥が深い。
この世界にも、祭りや歌、酒場の遊び、子どもの遊びはある。
だが、屋敷の応接室や客間で、短い時間に遊べる娯楽は少ないように感じていた。
「母上」
「何か思いついたの?」
「遊び道具を手土産にするのは、失礼でしょうか」
「遊び道具?」
母上は少し意外そうな顔をした。
「どのようなものかしら」
「盤と石を使う遊びです。二人で向かい合って遊びます。
ルールは簡単で、短い時間でもできます」
「賭け事ではないのね」
「違います。ただの遊びです」
母上は少し考えた。
「品の作りが粗末でなければ、面白いかもしれません。
重すぎず、軽すぎず、話題にもなりそうね」
「工房で試作してみてもいいですか」
「ええ。ただし、侯爵家へ持っていくなら、見た目も大切です」
「分かっています」
「では、試作品ができたら見せてちょうだい」
「はい」
母上の許可を得て、俺は領内の工房へ向かった。
◇
工房では、木材の香りがしていた。
職人たちが机や棚、箱、荷車の部品などを作っている。
西の森や領都で必要なものが増えたせいか、以前よりも忙しそうだ。
工房長に声をかけると、彼はすぐに手を止めて頭を下げた。
「リオン様。今日はどうされましたか」
「少し作ってほしいものがある」
「何を作ればよろしいでしょう」
「盤と駒だ」
「盤と駒、ですか」
工房長は首を傾げた。
俺は木板を借り、簡単に図を描いた。
「八つずつ線を引いて、六十四の区画を作る。そこに丸い駒を置いて遊ぶ」
「六十四……細かいですね」
「盤はそれほど大きくなくていい。持ち運べる大きさで十分だ」
「駒は?」
「丸い駒を六十四個。表と裏で色を変えたい。片面は白っぽく、もう片面は黒っぽく」
工房長は少し考えた後、近くの棚へ歩いていった。
そこには、家具や箱を作った時に出た端材がまとめられている。
「これなら、余り材で作れます」
「余り材で?」
「はい。大きな家具を作る時に出る端材は、燃料に回すことも多いのですが、この程度の盤や駒なら十分に取れます」
工房長は、色の違う木片をいくつか手に取った。
「盤は薄い板を使えばよいでしょう。
駒は丸く削り、片面を焼いて黒くするか、色の濃い木を薄く貼る方法もあります」
「難しいか」
「作ること自体は難しくありません」
余った木材で作れる。
それなら高価すぎない。
けれど、職人が丁寧に仕上げれば、粗末にもならない。
母上が言っていた、重すぎず、軽すぎず。
それに近いかもしれない。
「まずは試作品を作れるか」
「すぐに作れます」
工房長は近くの職人に声をかけた。
職人たちは少し不思議そうにしながらも、手早く動き始めた。
薄い板を選び、表面を整える。
線を引く位置を測る。
余った丸棒を輪切りにし、駒の形を作る。
片面を軽く焼き、黒くする。
もう片面は木の白さを残す。
しばらくすると、簡単な試作品ができあがった。
盤はまだ粗い。
線も仮のものだ。
駒も形が完全にそろっているわけではない。
だが、遊ぶには十分だった。
「これは、どう使うのですか」
若い職人が興味深そうに聞いた。
「試しにやってみよう」
「私たちが、ですか」
「遊んでみないと、使いやすいか分からないだろう」
職人たちは顔を見合わせた。
リオン様と遊ぶなど、と言いたげな顔をしている。
「これは試作品だ。遠慮はいらない」
俺がそう言うと、工房長が苦笑した。
「では、私がお相手いたします」
「ルールは簡単だ」
俺は盤の中央に四つの駒を置いた。
白と黒を斜めに並べる。
「交互に駒を置く。自分の色で相手の色を挟んだら、その間の駒を裏返す。
最後に多い方が勝ち」
「挟めばよいのですか」
「ああ。縦、横、斜め、どれでもいい」
「なるほど……」
工房長はまだ半信半疑の顔をしていた。
最初の数手は、俺が説明しながら進めた。
「ここに置くと、この黒が白になる」
「では、こちらに置くと……」
「そうだ。その間が裏返る」
「ほう」
工房長の目が少し変わった。
見ていた職人たちも、少しずつ盤に近づいてくる。
「それなら、ここに置けばよいのでは?」
「いや、そこは置けない。相手の駒を挟まないといけない」
「なるほど、置ける場所が決まっているのですね」
最初は遠慮していた職人たちが、だんだん口を出し始める。
盤の上の駒が増えるにつれて、白と黒が何度も入れ替わる。
工房長は真剣な顔になっていた。
「リオン様、これは思ったより難しいですね」
「ルールは簡単だけど、勝つのは少し考える必要がある」
「先ほど有利だと思ったのに、すぐにひっくり返されました」
「そういう遊びだ」
俺が角に駒を置くと、工房長が声を上げた。
「えっ、そこに置かれると、こちらは困ります」
「角は強い」
「先に言ってください」
「それも含めて試作だ」
周囲の職人たちが笑った。
工房の空気が、少し柔らかくなる。
仕事の手を止めすぎるわけにはいかない。
けれど、皆が盤を見て、次の手を考えている。
「もう一回、やってみてもよろしいですか」
工房長が言った。
「もちろん」
「今度は、角を取られないようにします」
その言葉に、また職人たちが笑った。
二回目は、若い職人が工房長の後ろから口を出し続けた。
「そこです、そこに置けば挟めます」
「いや、待て。こっちの方が多く返せる」
「多く返せばよいというものでもないらしいぞ」
いつの間にか、盤の周りに人が集まっていた。
俺はそれを見ながら、少し驚いていた。
思った以上に、反応がいい。
リバーシは、ただの遊びだ。
だが、人を集める。
会話が生まれる。
初めて見る者でも、すぐにルールを理解できる。
短い時間でも遊べる。
これは、手土産としてかなり良いかもしれない。
トラウゼン侯爵家で、いきなり遊んでもらう必要はない。
ただ、家族や客人で楽しめるものとして渡せばいい。
珍しいが、高価すぎない。
ハル領の工房で作れる。
売り込みには見えにくい。
それに、話題にもなる。
「工房長」
「はい」
「これを侯爵家への手土産にしたい。試作品ではなく、きちんと仕上げたものを作れるか」
「もちろんです」
工房長はすぐに頷いた。
「盤の角を整え、線は彫り込みにしましょう。
駒は形をそろえ、片面をきれいに焼きます。箱も必要ですね」
「箱?」
「駒をなくさないようにするためです。
持ち運ぶなら、盤と駒を一緒に収められる箱があった方がよいでしょう」
「それは助かる」
「余り材でも作れます。
ただ、外側は少し見栄えのよい板を使った方が贈り物らしくなります」
「任せる」
工房長は嬉しそうに頭を下げた。
「ありがとうございます。こういう品は、作っていて面白いです」
「面白い?」
「はい。家具や箱とは違います。使う人が遊ぶものですから」
その言葉に、俺は少し頷いた。
使う人が遊ぶもの。
たしかにそうだ。
暮らしに必要なものではない。
けれど、暮らしにあれば少し楽しくなるものだ。
この世界には、そういうものがまだ少ないのかもしれない。
◇
工房での試作を終えた後、俺は試作品を持って屋敷へ戻った。
母上に見せるためだ。
応接室で待っていた母上は、盤と駒を見ると、少し驚いた顔をした。
「これが、あなたの言っていた遊び道具?」
「はい。リバーシといいます」
「リバーシ」
「前……ではなく、昔知った遊びです」
危うく前世と言いそうになり、言い直した。
母上はそこには触れず、盤を見つめた。
「白と黒の駒を置くのね」
「はい。挟んだ駒を裏返します。最後に多い方が勝ちです」
「ルールは簡単そうね」
「短い時間でも遊べます」
「工房で試したの?」
「はい。思ったより盛り上がりました」
母上は駒を一つ手に取り、表と裏を見た。
「面白いわね」
「手土産として、どうでしょうか」
母上はしばらく考えた。
「悪くないわ。高価すぎず、軽すぎず、話題にもなる。
売り込みにも見えにくい」
「よかった」
「ただし」
母上は駒を置いた。
「侯爵家へ持っていくなら、仕上げは丁寧にしましょう。
箱も必要です。簡単な遊び方を書いた札も添えた方がいいわ」
「説明書ですね」
「ええ。口で説明しなくても、相手の家で後から遊べるように」
「なるほど」
「それから、ハル家の紋章を大きく入れすぎないこと」
「なぜですか」
「押しつけがましくなるからです」
母上は当然のように言った。
「小さく、控えめに。これはハル家の品です、と分かる程度で十分です」
ここでも距離感だ。
大きすぎてもいけない。
小さすぎてもいけない。
本当に何でも同じだと思った。
「分かりました」
「リオン」
「はい」
「良い手土産だと思います」
母上は柔らかく微笑んだ。
「物だけではなく、相手の家で過ごす時間を贈るものですから」
「時間を贈る……」
「ええ。これは、遊ぶ時間と会話のきっかけを贈るものです」
物を贈るのではなく、時間を贈る。
会話のきっかけを贈る。
それなら、このリバーシは確かに手土産に向いているのかもしれない。
トラウゼン侯爵家へ向かう日まで、あと少し。
俺が持っていく手土産の形が、ようやく見えてきた。
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