第304話 人が動く理由
領都の夜間学校について、マリウスとの相談を終えた翌日。
俺のもとには、朝からいくつかの報告が届いていた。
まず、レナードからは西の森の定住希望者についての報告だった。
定住を望んでいる者は、トーマだけではなかった。
家族を呼びたい者。
今は一人で働いているが、いずれ妻子を連れてきたい者。
元の村へ戻るより、西の森で働き続けたいと考えている者。
人数はまだ多くない。
だが、確かにいる。
レナードは、定住希望者の名簿を作り始めていた。
名前。
今の仕事。
働いた期間。
家族構成。
過去に揉め事を起こしていないか。
継続して働ける見込みがあるか。
必要な項目が、きちんと整理されている。
さらに、住宅区画の候補地についても、地面の傾き、水場までの距離、雨の日に水が溜まりそうな場所を確認すると書かれていた。
次に、ノルからは警備の報告が来た。
住宅区画を作るなら、巡回路を先に決めるべきこと。
井戸、共同の道、食堂へ向かう道には灯りが必要なこと。
木材置き場や荷車道には、子どもが近づかないよう札を立てるべきこと。
火事の時に逃げる道をふさがないようにすること。
短い報告だったが、必要なことはすべて入っていた。
そして、エリアスからは領都夜間学校の準備についての報告が届いた。
領都役場の一室は、夜間であれば使える。
参加希望者は、まず役場の下働き、倉庫の若い者、工房の見習い、商店で働く者から募る。
教師役はマリウスを中心に、エリアスと役場の者が補助する。
教材には、ローデン商会が使い終えた荷札や古い帳面を使う。
開始時期は、参加希望者を集めてから決める。
どの報告も、俺が細かく命じたものではない。
けれど、必要なことが考えられている。
それぞれが、自分の持ち場で先を見て動いていた。
俺は机に並べた報告を見ながら、しばらく黙っていた。
「……すごいな」
思わず、そうつぶやいた。
レナードは西の森の現場を見ている。
ノルは危険を先に見つけている。
エリアスは領都の仕組みを考えている。
マリウスは商会の実務を夜間学校に生かそうとしている。
誰も、ただ命じられたことだけをしているわけではない。
自分で考え、必要なものを探し、形にしようとしている。
それは、とてもありがたいことだった。
だが同時に、少し不思議でもあった。
前世で会社を経営していた頃、俺は多くの人と働いた。
優秀な人もいた。
真面目な人もいた。
こちらが何も言わなくても先を読んで動いてくれる人もいた。
けれど、そういう人ばかりではなかった。
指示を待つだけの人もいた。
責任を避ける人もいた。
表では協力的に見えても、裏では不満をためている人もいた。
そして、中には、信用して任せたはずなのに、最後には背を向けた人もいた。
人を使うことの難しさ。
人を信じることの怖さ。
前世の俺は、それを何度も味わった。
だからこそ、今の状況が当たり前ではないことが分かる。
レナードも、エリアスも、ノルも、ミアも。
みんな優秀だ。
それだけではない。
ハル領のことを考えて動いてくれている。
なぜだろう。
どうして、ここまで動いてくれるのだろう。
特別に高い給金を出しているからか。
命令しているからか。
ハル家に逆らえないからか。
それだけではないはずだ。
少なくとも、今の彼らの動きは、命令だけで出るものではない。
ハル領の給金が特別に高いということもない。
俺はレナード、エリアス、ノルからの報告をまとめると、父上の部屋へ向かった。
「父上。少しよろしいですか」
「ああ。入れ」
父上は窓際の椅子に座っていた。
俺は部屋に入り、椅子に座った。
父上は俺の顔を見て、少しだけ目を細めた。
「何か考え込んでいる顔だな」
「分かりますか」
「お前は、考えている時ほど静かになる」
父上は小さく笑った。
俺は少し迷ってから、正直に聞いた。
「父上。どうしてレナードやエリアスは、あそこまで動いてくれるのでしょうか」
父上はすぐには答えなかった。
俺の言葉の意味を確かめるように、静かにこちらを見ている。
「急にどうした」
「最近、強く感じるんです。レナードは西の森のことを自分で考えています。
エリアスは領都夜間学校を自分から提案してきました。
ノルも住宅区画の巡回路や灯りを考えてくれています」
「ああ」
「俺が細かく命じたわけではありません。でも、皆、自分の持ち場で動いている。前
自分の感覚で考えると、それは当たり前ではない気がして」
父上は少し考えるように息を吐いた。
「人は、命令だけでは動かない」
父上は静かに言った。
「命令すれば、形だけは動く。だが、それは長く続かない。
見ている者がいなければ止まる。
責任を持てと言っても、自分の仕事だと思っていなければ、いずれ逃げる」
その言葉は、妙に胸に残った。
前世でも、似たことを何度も感じた。
命令すれば動く。
給料を払えば働く。
そう思っていた時期もある。
けれど、それだけでは組織は回らない。
少なくとも、長くは続かない。
「では、どうすれば人は動くのですか」
俺が聞くと、父上は少しだけ笑った。
「それが分かれば苦労はしない」
「父上でもですか」
「当然だ。私も何度も失敗している」
父上は窓の外へ視線を向けた。
「ただ、一つ言えるのは、人は自分の仕事が誰かの役に立っていると思えた時、自分で考え始めるということだ」
「役に立っていると思えた時……」
「レナードは、西の森で自分の仕事が人の暮らしに直結していると知っている。
だから考える。
エリアスは、帳面の数字が領都や他領との関係を支えていると知っている。
だから考える。
ノルは、自分の巡回一つで事故や揉め事を減らせると知っている。
だから考える」
父上の声は穏やかだった。
「彼らは、最初から今のようだったわけではない。
任され、失敗し、考え、少しずつ今の形になった」
「任せることが大事なのですか」
「任せるだけではだめだ。任せて、見て、失敗した時には支える。
成果が出た時には認める。それを続けるしかない」
父上は俺を見た。
「人を使い捨てにすれば、人は使い捨ての働きしかしない」
その言葉は重かった。
俺は前世のことを思い出す。
忙しさに追われて、人を役割としてしか見ていなかった時期がある。
この人は営業。
この人は管理。
この人は現場。
そうやって割り振ることは必要だ。
けれど、そこにいるのは役割ではなく人だった。
それを忘れた時、組織のどこかが少しずつ歪んでいく。
「ハル家は、彼らを使い捨てにしてこなかったということですか」
「少なくとも、そうしないようにしてきたつもりだ」
父上は少し苦笑した。
「もちろん、十分だったとは言えない。私も領主として至らないところは多い。
だが、領民や仕える者を粗末にしてよいとは思ってこなかった」
「だから、皆が動いてくれる」
「それだけではない」
父上は首を振った。
「お前が話を聞いているからでもある」
「俺が、ですか」
「ああ。レナードの話を聞く。エリアスの提案を聞く。
ノルの警備の見方を取り入れる。
そういうことを続ければ、相手は自分の考えを出しやすくなる」
俺は少し黙った。
自分では、ただ必要だから聞いていただけだった。
西の森を知るにはレナードの話を聞く必要がある。
領都を知るにはエリアスの帳面を見る必要がある。
安全を考えるにはノルの視点がいる。
それだけだと思っていた。
けれど、聞くこと自体にも意味があるのかもしれない。
「人は、どうせ聞いてもらえないと思えば、考えるのをやめる」
父上は続けた。
「逆に、考えたことを聞いてもらえると思えば、次も考えるようになる」
その言葉を聞いて、胸の奥が少し熱くなった。
俺が何か特別なことをしているわけではない。
ただ、聞く。
任せる。
認める。
それだけでも、人は動き方を変えるのかもしれない。
「父上」
「何だ」
「俺は、ハル領を自分一人で動かしているつもりになっていたかもしれません」
父上は何も言わず、俺を見た。
「でも、違いました。
レナードも、エリアスも、ノルも、ミアも、マリウスも、それぞれが考えて動いています」
「ああ」
「俺は、その上に立っているのではなく、その中にいるのかもしれません」
父上はゆっくりと頷いた。
「それに気づけたなら、悪くない」
その一言だけで、少し肩の力が抜けた。
父上と長く話しすぎるのはよくない。
俺は礼を言って、部屋を出た。
廊下に出ると、ミアが温かい飲み物を持って立っていた。
「あ、リオン様」
「ミア。父上に?」
「はい。奥様から、旦那様にお持ちするようにと」
ミアは盆を抱えたまま、少し俺の顔を見た。
「何か、難しいお話をされていたのですか」
「少しね」
「リオン様、最近よく考え込んでいらっしゃいます」
「そんなに分かるかな」
「分かります」
ミアは迷いなく頷いた。
「でも、皆さま嬉しそうです」
「皆が?」
「はい。リオン様が戻られてから、屋敷も西の森も少し賑やかです。
レナード様も、エリアス様も、ノル様も、忙しそうですけれど、嫌そうではありません」
「忙しいのに?」
「はい」
ミアは少し笑った。
「きっと、リオン様が皆さまの話をちゃんと聞いてくださるからだと思います」
父上と同じようなことを言われて、俺は少し驚いた。
「俺は、そんなに大したことはしていないよ」
「そうでしょうか」
ミアは首を傾げた。
「話を聞いてもらえるだけで、嬉しいこともあります」
その言葉は、静かに胸に残った。
ミアは父上の部屋へ入っていった。
廊下に一人残り、俺は窓の外を見た。
冬の空は薄く曇っている。
庭の木々は葉を落とし、風が冷たそうだった。
前世で俺は、人を動かすことの難しさを知った。
命令しても、人は本当の意味では動かない。
金を払っても、心まで買えるわけではない。
信じた相手に背を向けられることもある。
それでも、今のハル領には、自分の持ち場で考え、動いてくれる人たちがいる。
それは当たり前ではない。
父上と母上が長い時間をかけて積み上げてきた信頼。
そこに、俺が少しずつ新しい道を足している。
ハル領を動かしているのは、俺一人ではない。
そのことに気づけたことが、この冬休みで一番大きな学びになるのかもしれなかった。
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