第296話 ハル領と他領とのつながり
6/30:グレイヴ家ですが物語の都合により「伯爵」とさせて頂きます。これまで「侯爵」でしたが、これからは「伯爵」として活躍してもらいます。
冬休みが始まった翌朝。
朝食を終えた後、俺は父上の部屋へ呼ばれた。
昨日は帰省の挨拶と期末試験の結果報告だけで終わった。
父上の体調もまだ万全ではない。領の話を深く聞くのは、もう少し落ち着いてからでもいいと思っていた。
けれど父上は、俺が部屋に入ると穏やかな顔で言った。
「リオン。昨日話したエリアス・クラムを呼んでいる」
「領都の管理を見ている文官だね」
「ああ。一年前から領都を任せている。商会との取引や、他領との帳面にも目を通している男だ」
西の森はレナードが見ている。
だが、ハル領は西の森だけで成り立っているわけではない。
領都があり、商会との取引があり、他領とのつながりがある。
少しして、扉の外から控えめな声がした。
「失礼いたします」
「入れ」
扉が開き、一人の文官が入ってきた。
年は父上より少し若いくらいだろうか。
細身で、落ち着いた顔つきをしている。服装に乱れはなく、手に持った帳面や書類の束も、きっちり角がそろっていた。
几帳面な人だ。
それが第一印象だった。
「エリアス・クラムです。リオン様、お戻りをお待ちしておりました」
「ああ。冬休みの間、いろいろ見せてもらうことになると思う」
「かしこまりました」
エリアスは深く頭を下げた。
父上が椅子を示す。
「エリアス。ここ一年の領都と外との取引について、リオンに見せてやってくれ」
「承知いたしました」
エリアスは机の上に帳面を広げた。
日付ごと。
品目ごと。
取引先ごと。
数字が細かく並んでいる。
前世で見ていた資料とは形も文字も違う。だが、書かれているものは同じだ。
何が入り、何が出ていくのか。
どこから買い、どこへ売っているのか。
数字は、領の動きを隠さない。
「まず大きな流れから申し上げます。この一年で、ハル領から外へ出る品の量が増えております」
「そうだろうね」
「はい。特に目立つのは、青輝石、街灯、青葉草です」
エリアスは帳面の一部を指で示した。
「青輝石については、ヴァレスト公爵家から卓上灯用として継続注文が入っております」
「それは良い話だ。最初に話をつないだのは俺だからね」
「はい。ですが、その後の問い合わせが増えております。
ヴァレスト公爵家で使われていることが、周囲の貴族家にも伝わったようです」
「広がり始めているのか」
「はい。ただし、数量は絞っております」
エリアスの指が、月ごとの数字を追っていく。
「採掘量と加工の安定がまだ十分ではありません。
注文を受けすぎて納期が乱れれば、信用を落とします」
「正しい判断だ」
需要が増えたからといって、すぐに全部受ければいいわけではない。
作れる量。
運べる量。
品質を保てる量。
そこを超えれば、伸びるはずの取引が逆に壊れる。
「次に街灯です」
エリアスは別のページを開いた。
「領内の工房で生産している街灯は、ヴァレスト公爵領とローヴェル領への納入が増えております」
「ローヴェル領は、国王陛下の訪問に同行していた縁だな」
「はい。その後、正式に問い合わせがあり、少しずつ納入が始まりました」
国王の訪問。
あの時の出来事が、こんな形で今につながっている。
帳面の数字を見ると、最初は少ない。
だが月を追うごとに、街灯の数は確かに増えていた。
「街灯は、売って終わりではないだろう」
「おっしゃる通りです。青輝石だけでなく、支柱、金具、設置の手順も関わります。
設置後の不具合、交換部品、扱い方の説明も必要になります」
「つまり、売れば売るほど後の対応も増える」
「はい。街灯は新しい収入源になり得ます。
ですが、同時に外との関係を継続して管理しなければならない品でもあります」
継続して管理する。
その言葉が頭に残った。
物を作るだけでは終わらない。
売るだけでも終わらない。
その後に、関係が続く。
それが外との取引なのだ。
「青葉草はどうだ」
俺が聞くと、エリアスは次の帳面を開いた。
「大きく伸びております」
青葉草。
去年の文化祭で、俺はじゃがバターに合わせる使い方を考えた。その後、ローデン商会につないだ。
だから、売り出したこと自体は知っている。
だが、帳面の数字を見ると、予想以上だった。
「ここまで伸びたのか」
「はい。ローデン商会が王都で、じゃがバターと合わせる食べ方を広めたところ、かなり評判になったようです。
王都で流行した後、各領へも広がりました。
ハル領の領都でも売られてます」
いかにもローデン商会らしい。
食べ方ごと売る。
それが広がったのだ。
「北側の村では、生産面積を広げているところもあります」
「そこまで変わっているのか」
「はい。ただ、急ぎすぎると品質が落ちます。村ごとに乾燥の仕方や束ね方が違いますので、今は統一できる部分を整えております」
外で起きた流行がここまで届き、領北側の畑の広さを変えている。
その事実に、俺は改めて驚いた。
「良い話ばかりではありません」
エリアスは、そこで少し表情を引き締めた。
「注意すべきは食料です」
「西の森と領都で、人が増えているからだな」
「はい。特に小麦の消費が大きく増えております」
エリアスは小麦や豆、保存食の帳面を開いた。
領南側では小麦などの食料を生産している。以前は、余剰分を外へ出すこともできた。
だが今は違う。
西の森で働く者が増え、領都にも出稼ぎ労働者が増えている。
働く人が増えれば、食べる量も増える。
「生産量が大きく落ちたわけではありません。むしろ、少し増えているものもあります。
ですが、消費量の伸びの方が大きい」
「つまり、外へ出す余裕が減っている」
「はい。特に小麦については、輸出に回す余裕はほとんどありません。
現在はローデン商会を通じて、ハル領南側の王都直轄領から一部を入れております」
「王都直轄領からか」
「はい。道と商会の手配が比較的安定しているためです」
俺は帳面を見つめた。
青輝石、街灯、青葉草は外へ出ている。
一方で、小麦などの食料は外から入っている。
それは、ハル領が成長している証でもある。
仕事が増え、人が増え、領内の消費が増えている。
だが、良いことだけではない。
人が増えるということは、食べる人が増えるということだ。
働く場所が増えるということは、そこへ食料を運ばなければならないということだ。
発展は、消費も増やす。
「このまま西の森や領都が拡大すれば、食料の輸入はもっと増えるか」
「可能性は高いです」
エリアスはすぐに答えた。
「領内でまかなう分を増やす努力は必要です。
ですが、外から入れる道も確保しておかなければなりません」
「ローデン商会以外の道は?」
「いくつかあります。ただ、安定して使える道は限られます」
「グレイヴ伯爵領方面は」
俺が聞くと、エリアスは少し間を置いた。
「取引がないわけではありません。ですが、あちらとの関係は良好とは言い難く、条件もこちらにとって良いものばかりではありません」
やはり、そこは問題になる。
近いから便利。
それだけでは済まない。
相手との関係が悪ければ、近さはかえって不安定さにもなる。
「王都方面は、トラウゼン侯爵領を通る道が重要になります」
「だが、関係が深いわけではない」
「はい。通行に大きな問題はありませんが、継続して相談できるほどの関係とは言えません」
帳面の数字が、急に別の意味を持ち始めた。
品を外へ出す。
食料を外から入れる。
そのためには道がいる。
商会がいる。
他領との関係がいる。
ただ作ればいいわけではない。
ただ買えばいいわけでもない。
「エリアス。この一年で一番変わったことは何だと思う」
俺が聞くと、エリアスは帳面に視線を落としたまま答えた。
「ハル領が、領内だけで完結しなくなったことです」
静かな言葉だった。
「以前から他領との取引はありました。
ですが、以前は余ったものを外へ出し、足りないものを時々外から入れる程度でした」
エリアスはページをめくる。
「今は違います。青輝石や街灯は、外の需要を見ながら生産を考える必要があります。
青葉草は、王都での流行が北側の村の作付けを変えました。
食料は、領内の人の増加に合わせて外から入れる道を考えなければなりません」
領内の成長が、外との関係を必要とする。
その言葉は、今のハル領をよく表していた。
「よく分かった」
俺は静かに言った。
「西の森や領都が今後拡大するためには、外部との接点が必要なんだな」
「はい。内側だけを整えても、外とのつながりが細ければ、いずれ詰まります」
「逆に、外とのつながりを広げすぎても危ない」
「その通りです。注文を受けすぎれば生産が乱れます。
輸入に頼りすぎれば、道が止まった時に困ります。
相手を選ばず取引を広げれば、条件の悪い取引に巻き込まれることもあります」
エリアスの口調は淡々としていた。
だが、その言葉には重みがあった。
帳面を見ている人間の言葉だ。
「今のハル領で一番注意すべきものは何だ」
「食料です」
答えは早かった。
「青輝石や街灯は伸びています。ですが、それらは食べられません。青葉草は主食にはならないですからね」
「どれほど収入が増えても、領内で働く者が食べられなければ意味がない」
「はい。西の森や領都に人を呼び込むなら、その人たちが食べ、休み、働き続けられる形を整えなければなりません」
俺は帳面へ視線を戻した。
数字の列。
品目。
取引先。
月ごとの増減。
それらは、ただの記録ではなかった。
ハル領が外へ伸ばし始めた手の記録だった。
そして同時に、外に頼らなければならなくなっている部分の記録でもあった。
「エリアス、よく分かった。冬休み中、また帳面を見せてくれ」
「もちろんでございます」
エリアスは深く頭を下げた。
父上は静かに俺たちの話を聞いていたが、少し疲れが見える。
俺は帳面を閉じた。
「父上、今日はここまでにしましょう」
「気を遣わせたな」
「無理はしないでください。母上にも言われています」
「それは逆らえないな」
父上は小さく笑った。
「リオン」
「はい」
「外との関係は、急に広げればいいものではない。
だが、見ないままでいていい状況でもない」
父上の声は静かだった。
「エリアスの帳面から学べることは多いはずだ」
「はい。今日、少し分かりました」
俺は机の上の帳面を見る。
「ハル領は、もう領の中だけで動いているわけではないんですね」
「ああ」
父上は頷いた。
「それをどう支えるかが、これからの課題だ」
その言葉を胸に刻み、俺は父上の部屋を出た。
廊下に出ると、冬の冷たい空気が少しだけ頬に触れた。
帳面の中に並んでいた名前と数字が、まだ頭の中を回っている。
俺はようやく分かった。
ハル領と外とのつながりは、これから考えるものではない。
もう、始まっている。
問題は、そのつながりをどう整え、どう守り、どう広げていくかだ。
西の森も、領都も、内側だけを見ていれば広げられるものではない。
外とどうつながるか。
その形を間違えれば、領の成長そのものが止まる。
エリアス・クラムの帳面は、ただの数字の集まりではなかった。
それは、ハル領が外へ伸ばし始めた手の記録だった。
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