第295話 帰郷
冬休み初日の王立学院は、いつもより賑やかだ。
荷物を運ぶ音。
使用人たちの声。
馬車の車輪が石畳を転がる音。
寮の前には、いくつもの馬車が並んでいた。
家の紋章が入った馬車。
商会の荷馬車。
護衛を連れた貴族家の馬車。
生徒たちは、それぞれ荷物を抱えたり、使用人に指示を出したりしながら、久しぶりに戻る家へ向かう準備をしている。
廊下にも、いつもとは違う浮ついた空気があった。
「こっちの箱も馬車に積んでおいてくれ」
「忘れ物はないか?」
「冬休み明けにまたな」
そんな声が、あちこちから聞こえてくる。
俺は寮の自室の窓から、その様子を少し眺めていた。
普通なら、俺も馬車で何日もかけてハル領へ戻るところだ。
けれど、今の俺には別の方法がある。
それを人前で使うわけにはいかないが、寮の自室からハル領の自室へなら、目立たずに移動できる。
俺は窓から離れ、机の上に並べた荷物へ目を向けた。
冬休み中に必要な服。
学院の教科書。
冬休み前に配られた予定表。
期末試験の成績表。
母上に見せるつもりの資料。
それほど多いわけではない。
けれど、普通に運べばそれなりの量になる。
俺は扉に鍵をかけ、念のため室内を確認した。
窓も閉じている。
廊下の気配も遠い。
俺は荷物に手をかざし、亜空間魔法を発動させた。
机の上に置いていた服や書類を、順番にしまっていく。
亜空間の中へ収納される感覚は、もうだいぶ慣れていた。
こういう時、亜空間魔法は便利すぎる。
荷物がほとんど片づいた自室は、急にすっきりして見えた。
俺は最後に、机の上に残した成績表を手に取る。
筆記100点。
応用100点。
実技100点。
合計300点。
父上と母上に報告したら、どんな顔をするだろうか。
そんなことを考えながら、俺は成績表も亜空間へしまった。
深く息を吸う。
王立学院の寮の自室。
ハル領の屋敷にある自分の部屋。
二つの場所を、頭の中で結ぶ。
魔力を流す。
視界が一瞬、揺れる。
足元の感覚が変わった。
次の瞬間、俺はハル領の自室に立っていた。
見慣れた机。
棚。
窓の外に見える庭。
学院の寮とは違う、屋敷の空気。
久しぶり、という感じはあまりなかった。
ついこの間、テスト前にも戻ったばかりだ。
けれど、今回は少し違う。
あの時は、顔を見に来ただけだった。
今回は、冬休みの間ここで過ごすために戻ってきた。
俺は小さく息を吐いた。
まずは父上に挨拶をしよう。
そう思い、部屋の扉を開ける。
廊下へ出ると、屋敷の中は学院とは違う静けさに包まれていた。
けれど、冬の支度をしているのか、使用人たちの足音はいつもより少し多い。
しばらく歩くと、向こうからミアがやってきた。
ミアは俺を見るなり、ぱっと顔を明るくした。
「リオン様!」
「ミア。ただいま」
「お帰りなさいませ。冬休みに入られたのですね」
「うん。今日からしばらくこっちで過ごすよ」
「はい……! 奥様も旦那様もお喜びになります」
ミアは本当に嬉しそうだった。
テスト前に戻った時ほど驚いてはいない。
あの時は突然だったが、今回は冬休みで戻る時期だ。
それでも、ミアの表情を見ると、帰ってきてよかったと思う。
「父上は起きている?」
「はい。お部屋で休んでいらっしゃいますが、今はお話しできると思います」
「じゃあ、先に父上のところへ行くよ」
「奥様にもお伝えしてまいります」
「ありがとう」
ミアは軽く頭を下げ、足早に廊下を進んでいった。
俺は父上の部屋へ向かう。
扉の前で一度息を整え、静かに声をかけた。
「父上。リオンです」
「入れ」
中から父上の声が聞こえた。
俺は扉を開ける。
父上はベッドの上で上体を起こしていた。
前に見た時より、顔色は少し良い。
けれど、まだ本調子とは程遠そうだ。
無理をすれば、すぐに疲れが出そうな雰囲気は残っていた。
「ただいま戻りました、父上」
「ああ。お帰り、リオン」
父上は穏やかに笑った。
「冬休みに入ったか」
「はい。今日からしばらくこちらで過ごします」
「そうか。それは嬉しいな」
その言葉に、胸の奥が少し温かくなる。
俺はベッドのそばへ歩み寄った。
「父上、お加減はいかがですか」
「前よりは少し良い。だが、まだ無理はできないな」
「無理はしないでください」
「分かっている」
父上はそう言ったが、少しだけ苦笑している。
「母上も心配しています」
「ああ。頭が上がらないぞ」
「俺も心配しています」
「それは……すまないな」
父上は少しだけ目を細めた。
「だが、前よりは確かに良くなっている。
医師からも、焦らず戻していくよう言われている」
「それならよかったです」
俺がそう言うと、ちょうど扉が開いた。
母上が入ってくる。
ミアが知らせてくれたのだろう。
「リオン」
「母上。ただいま戻りました」
「お帰りなさい」
母上は微笑み、俺の肩にそっと手を置いた。
「冬休みに入ったのね」
「はい。しばらく屋敷にいます」
「嬉しいわ。でも、学院から戻ったばかりで疲れていない?」
「大丈夫です」
父上が俺を見る。
「そういえば、期末試験の結果はどうだった」
来た。
俺は亜空間から直接出すわけにはいかないので、懐に入れていたように見せながら成績表を取り出した。
こういう時のために、すぐ出せる位置へ移しておいた。
「はい。こちらです」
父上に成績表を渡す。
父上は紙に目を落とした。
少しの間、沈黙する。
そして、ゆっくり顔を上げた。
「300点か」
母上が目を丸くする。
「300点……満点ということ?」
「はい」
俺は少し照れくさくなりながら答えた。
「筆記、応用、実技、すべて100点でした」
母上は両手を口元に添えた。
「まあ……本当に頑張ったのね」
ミアも部屋の端で目を輝かせている。
「さすがリオン様です!」
「ありがとう、ミア」
父上はもう一度、成績表へ目を落とした。
嬉しそうではある。
けれど、ただ浮かれているわけではなかった。
「よくやった」
「ありがとうございます」
「これ以上ない結果だな」
「はい」
「だが、その結果で何を選ぶかは、これからだ」
父上らしい言葉だった。
俺は頷く。
「分かっています。飛び級するかどうかは、冬休みの間に考えるつもりです」
「それでいい。急いで決める必要はない。だがしっかり考えるんだぞ」
「はい」
ベルンハルト先生にも、似たようなことを言われた。
父上にも同じことを言われると、その重みが増す。
選べる立場になった。
だからこそ、選ばなければならない。
母上は成績表を受け取り、優しく目を細めた。
「リオンが頑張っていることは分かっていたけれど、こうして形になると、やはり嬉しいわ」
「母上」
「でも、無理はしないでね。結果が良いほど、周りから求められることも増えるでしょう」
「はい」
母上の言葉は柔らかい。
けれど、その中には心配がある。
俺はそれも受け止めるように頷いた。
しばらく試験の話をした後、父上がふと思い出したように言った。
「冬休み中に、領のことも少し見ておくといい」
「はい。そのつもりです。西の森や夜間学校の様子も見たいと思っています」
「西の森はレナードがよく見てくれている。お前も話を聞くといい」
「はい」
「それから、領都の管理や他領、商会との帳面は、エリアス・クラムが担当している」
「エリアス・クラム、ですか」
名前は聞いたことがある。
だが、直接深く話したことはほとんどない。
「一年前から領都の管理を任せている文官だ。
他領や商会との取引内容にも目を通している。冬休み中に、必要なら話を聞いてみるといい」
「分かりました」
外との帳面。
他領や商会との取引。
昨日まで学院で考えていたことが、少しだけ形を持った気がした。
ただ、今はその話を深く聞く時ではない。
父上はまだ病み上がりだ。
帰ってすぐに、重い話を切り出すことでもない。
まずは挨拶と報告。
それで十分だ。
「詳しい話は、また改めて聞かせてください」
「ああ。今日は戻ったばかりだ。まずは休め」
「はい」
父上は成績表を母上へ返し、穏やかに笑った。
「冬休みの間、屋敷が少し賑やかになるな」
「リオンがいるだけで、空気が明るくなりますもの」
母上が言う。
ミアも大きく頷いていた。
「はい!」
「ミア、声が大きいわ」
「申し訳ありません。でも、本当に嬉しくて」
そのやり取りに、父上が小さく笑う。
前よりは少し笑えるようになっている。
それだけでも、戻ってきてよかったと思った。
父上の部屋を出た後、俺は母上と少し話し、それから自室へ戻った。
扉を閉めると、部屋の中は転移してきた時と同じように静かだった。
俺は机の前に立ち、亜空間から荷物を取り出していく。
学院の教科書。
服。
冬休みの予定表。
筆記用具。
母上に見せるつもりだった資料。
それらを一つずつ机や棚に置いていく。
亜空間にしまえば一瞬で片づく。
取り出すのも簡単だ。
けれど、こうして自分の部屋に物を置いていくと、ようやく戻ってきた実感が出てきた。
テスト前にも一度戻っているから、久しぶりという感じはあまりない。
でも、今回は違う。
ただ顔を見に戻ったのではない。
冬休みの間、俺はここで過ごす。
父上の体調。
母上の負担。
西の森の様子。
夜間学校。
レナードが見ている役場の形。
そして、エリアス・クラムが見ているという領都と外との帳面。
見るべきものは多い。
飛び級するのか。
四年Sクラスで学ぶのか。
その答えを考えるためにも、学院の外で見られるものを見なければならない。
俺は机の上に冬休みの予定表を広げた。
長い冬休みが、ここから始まる。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
続きが気になったら、ブックマークで応援いただけると執筆の励みになります!




