第29話 アルスレイン王立学院入試に向けて
ハル領を発って三日目の昼すぎ、ようやくヴァレスト公爵領へ入った。
ここへ来るまでの街道だけでも、ハル領との差は嫌というほどわかった。
道幅が広い。
ぬかるみが少ない。
橋板は新しく、馬車の揺れも浅い。
街道脇の柵や案内板まで、ちゃんと手が入っている。
同じアルスレイン王国の中でも、ここまで違うのかと思う。
地方の小領地であるハル領と、王都に近い大貴族の領地。
持っている金も、人も、届く命令の速さも違うのだろう。
「……すごいですね」
向かいに座るミアが、馬車の窓から外を見ながら小さく言った。
ミアは俺の世話係として一緒に公爵家に滞在する為、同行している。
「うん。ちゃんと経済がまわっている感じがする」
「経済が回っている感じ?ですか」
「道が荒れてる領地って、だいたい何かが止まってるから」
人。荷。税。情報。
どれか一つじゃない。全部だ。
俺は窓の外を流れていく石畳混じりの道を見ながら、少しだけ息を吐いた。
ここは王都に近い。
つまり、王国の中心に近い。
ここから先は、ハル領のやり方だけでは通らないことも増えるんだろう。
◇
ヴァレスト公爵家の屋敷は、屋敷というより小さな城だった。
白い石壁。
広い中庭。
整えられた庭木。
門から玄関までの道だけでも、ハル家の屋敷の倍はある気がする。
馬車が止まると、使用人たちが迷いなく動いた。
慌てる気配も、無駄な声もない。
慣れている。
それだけで、この家の大きさがわかる。
「ようこそ、ヴァレスト公爵家へ」
玄関前で出迎えたのは、俺と同じ年くらいにみえる少女だった。
灰がかった金髪を後ろでまとめ、姿勢がいい。
派手ではないが、見るからに育ちがいいとわかる。
それに、ただ立っているだけじゃない。こっちを観察している目をしていた。
「リオン・ハル様ですね」
「そうです」
「私はセレナ・ヴァレスト。父から話は聞いています」
ユリウス公爵の娘か。
落ち着いた声だが、どこか張りがある。
頭の回転が速そうだ。
彼女はミアにも視線を向けた。
「あなたがミア?」
「は、はい」
「道中お疲れさま。部屋は用意してあります」
言い方が自然だった。
上から押さえつける感じがない。だが、自分の家の中をちゃんと回している人間の話し方だ。
「父は仕事で少し遅れます。先に屋敷をご案内します」
◇
セレナに案内されて屋敷の中へ入ると、外以上に差があった。
廊下は広く、床は磨かれている。
窓の位置まで計算されているのか、昼なのに暗さがない。
使用人の数も多いが、ただ多いだけじゃなく、全員が静かに役割をこなしていた。
「こちらが客間です」
通された部屋は、客間というより一人用の上等な寝室だった。
大きな机。
本棚。
暖炉。
窓際には長椅子まである。
ミアが完全に固まっている。
「……広い」
「困ることがあれば、廊下の使用人に伝えてください」
そこへ、廊下の向こうからぱたぱたと足音が近づいてきた。
「姉上! その人が例の――」
飛び込んできたのは、十歳前後の少年だった。
セレナと同じ灰がかった髪。
こちらは隠す気のない好奇心を丸出しにしている。
「ルーク、走らない」
「だって気になるんだよ」
少年は俺をじっと見た。
「ほんとに十二歳?」
「見た目はね」
「変な答えだな」
それを聞いてセレナが小さくため息をつく。
「弟のルークです」
「よろしく、ルーク」
「うん。よろしく、リオンさん」
遠慮がない。
でも嫌な感じはしなかった。
◇
夕食の席には、ユリウス公爵本人もいた。
加えて、公爵夫人クラリス。
柔らかい雰囲気の人だが、目の奥はかなり聡そうだった。
つまりこの家は、公爵、夫人、娘セレナ、息子ルークの四人家族らしい。
「道中はどうだった」
席につくなり、ユリウスが俺に聞いた。
「ハル領よりずっと道が整っていて驚きました」
「そうか」
「羨ましかったです」
そう言うと、クラリス夫人が少し笑った。
「率直なのね」
「隠しても仕方ないので」
夕食は、静かだが息苦しくはなかった。
ルークが時々口を挟み、セレナが軽くたしなめ、夫人が流れを和らげる。
ユリウスは多くを喋らないが、必要なことはちゃんと聞いてくる。
「北村の青葉草は順調か」
「試験区画は今のところ問題ありません」
「南村は」
「倉と道を整えて、損耗はかなり減りました」
「石切り場」
「まだ慎重にやってます。地上中心です」
ユリウスはそれを聞いて、小さく頷いた。
「焦って量を追わないのが良いね」
セレナがそこで初めて口を開いた。
「父は、その“焦らない”を自分にも使ってほしいのだけど」
「私は無駄を嫌うだけだ」
「それを世間では焦らせると言うのよ」
思わず少し笑ってしまった。
この家、思ったより普通に家族だな。
イメージしていた大貴族はもっと他人行儀なものだったが。
食事の途中、ルークが興味津々で聞いてきた。
「リオンさんは、学院に入ったら剣と魔法、どっちをやるの?」
「まだその段階ですらない」
「じゃあ何が得意なんだ?」
「……現場を見ることかな」
「変なの」
ルークは本当にそう思った顔をした。
でもセレナは、俺の方を少しだけ見てから、何も言わなかった。
◇
翌朝。
まだ朝露が庭に残る時間に、家庭教師が来た。
名をグレインと言った。
四十前後の痩せた男で、眼鏡こそしていないが、眼鏡が似合いそうな顔をしている。
ひと目で「手厳しい先生だな」とわかるタイプだった。
「では、王立学院入試の基礎確認を行います」
挨拶もそこそこに、グレインは机へ紙を並べた。
俺とセレナが向かい合って座る。
ミアは部屋の隅で見学。ルークは最初だけ顔を出したが、すぐに退屈して消えた。
「まず、入試の内容から説明します」
グレインは淡々と話し始めた。
「アルスレイン王立学院の入試は、大きく三つ。学科、面接、実技です」
やっぱりその三本か。
「学科では、読み書き、算術、基礎歴史、王国地理、貴族社会の基礎常識を問います。面接では志望理由、考え方、礼節。実技は年によって変動がありますが、魔力測定と魔法基礎運用はほぼ確実、場合によっては体術や状況判断課題もあります」
思ったより幅広い。
だが、学科に関してはそこまで難しそうには聞こえない。
グレインは紙束を二つに分けた。
「まずは確認です。模擬試験を行います」
試験問題を受け取って、ざっと目を通す。
読み書き。
算術。
王国の主要河川と領地。
貴族の席次や礼式の基礎。
なるほど。
前世の感覚で言えば、かなり基礎寄りだ。
現世の日本で言えば、公立中学一年の最初の方に近い。もちろん歴史や礼式はこっちの世界の知識が必要だが、それは実家の本などを読み漁ったから大体覚えていると言えるだろう。
「始めてください」
グレインの一声で、部屋が静かになる。
ペンを走らせながら、少しだけ安心した。
少なくとも、学科で詰むことはなさそうだ。
◇
一時間後。
グレインは答案を回収し、無駄のない手つきで採点を始めた。
セレナは落ち着いている。
たぶん、自分の出来がある程度わかっている顔だ。
俺も同じだった。
「セレナ様。九十一点」
「悪くないわね」
「十分に合格圏です」
さすがだな。
学科はかなり仕上がっている。
グレインは次に、俺の答案を見た。
ほんの一瞬だけ、手が止まる。
「……リオン様」
「はい」
「百点です」
今度は部屋の空気が一瞬だけ止まった。
ミアが小さく「えっ」と声を漏らす。
セレナが初めて少しだけ目を見開いた。
「思った以上に取るのね」
「まぁ、これくらいならね」
正直に言うと、グレインが眉をひそめた。
でも怒ったわけではない。
「学科に関しては、問題ありません」
その言い方が、逆に嫌な予感を呼ぶ。
「問題は次です」
来たな。
◇
庭の一角に移動すると、そこには魔力測定用の水晶板と、簡単な魔法運用の的が並んでいた。
セレナが一歩前へ出る。
「先に私でよろしいですか」
「どうぞ」
彼女は深く息を吸い、水晶板へ手をかざした。
淡い光がじわりと広がり、そのまま安定して明るくなる。
続いて的の前へ立つ。
短く詠唱し、指先から細い火の線を走らせた。
火はぶれずに的の中央近くへ当たる。
グレインが頷く。
「良好です。精度、出力ともに年齢相応以上」
セレナは軽く礼をしただけだった。
慣れている。
一方で、俺はまったく慣れていない。
「次、リオン様」
「……はい」
水晶板の前へ立つ。
手をかざす。
何も起きない。
いや、正確には、わずかに鈍い光が揺れただけで終わった。
グレインが眉を寄せる。
「魔力そのものが皆無ではない……が、かなり薄い」
嫌な言い方をする。
「では基礎運用を。もっとも簡単な火種で構いません。詠唱を」
詠唱は昨日のうちに教わった。
短い言葉だ。覚えるのも難しくはない。
問題は――
まったく使える気がしないことだ。
この世界に魔法があるのは理解している。
青輝石も、スキルも、目の前で見てきた。
でも、自分がそれを使う側だという感覚が、まるでない。
詠唱を終えても、指先には小さな煙すら出なかった。
沈黙。
ミアが気まずそうに視線を泳がせる。
セレナは、意外そうではあるが笑わない。
グレインは完全に教師の顔で言った。
「……非常に厳しいですね」
それは、そうだろう。
グレインは別の簡易課題も試させたが、結果は同じだった。
魔力がないわけではない。
ただ、運用の感覚が壊滅的にない。
セレナが終わった後、彼女の火があまりにも自然に出ていたぶん、差が余計にきつい。
グレインは紙へ何かを書きつけたあと、はっきりと言った。
「学科だけなら、今すぐでも十分です」
そして、一拍置く。
「ですが、王立学院は学科だけでは通りません」
来たか。
俺は空を見上げた。
秋の空は高い。
嫌になるほど高い。
セレナが少しだけ気遣うように言う。
「……三か月あるわ」
「三か月しかない、とも言える」
「それはそうね」
変に慰めてこないのは助かる。
でも、これは本当にまずい。
この世界は、魔法のある世界だ。
魔法を使える人はごくごく限られた人だけなので、
使えないのが当たり前といえばそうなる。
そして俺は、その“当たり前”の中の一人だ。
庭の隅でミアが、ものすごく言いにくそうに小声で呟いた。
「り、リオン様……大丈夫ですか」
「大丈夫じゃないね」
正直に言う。
グレインがそこで冷静に告げた。
「入試まで三か月。やることは明確です」
筆記満点。
魔法壊滅。
極端にもほどがある。
俺は小さく息を吐いた。
王都の制度も、人脈も、学院も必要だと思った。
その判断は間違っていない。
ただ、その入口である入試が、こんな形で牙をむいてくるとは思っていなかった。
――三か月。大ピンチだ。




