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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: コバチ
第2章 ハル領の発展

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番外編① あの子が作った流れ ~リオン父~

 最近、少しだけ身体が軽い。


 朝、目を開けた時の息苦しさが前より薄い。

 階段を上がっただけで胸が焼けるように痛むことも減った。

 侍医は、食事が良くなったことと、無理な気苦労が減ったことが大きいのだろうと言っていた。


 それを聞いた時、私は思わず苦笑した。


 気苦労が減った。

 まったく、その原因を取り除いたのが十二歳の息子だというのだから、領主として情けないにもほどがある。


 窓の外では、屋敷の中庭を風が抜けていく。

 少し前までなら、その音を聞くだけで胃の奥が重くなった。


 税は足りない。

 倉は減る。

 村は痩せる。

 自分の身体はいうことを聞かない。


 何かが狂っているとわかっていても、それがどこから崩れているのか見えなかった。

 領主でありながら、自分の領地の綻びを掴めないでいたのだ。


 だが今は違う。


 北村には若い者が戻り、南村の倉から腐臭が薄れた。

 石切り場は、前のような死んだ目の労働場ではなくなった。

 帳面の数字も、わずかずつだが確かに変わり始めている。


 それは私が作った流れではない。


 あの子が作った流れだ。


 ◇


 リオンは、生まれた時から妙に静かな子だった。


 よく泣かない子だった、という意味ではない。

 赤子らしく泣きもしたし、熱を出せば苦しそうにもした。


 だが、何というか――目が違った。


 こちらを見る目が、赤子のそれではなかった。

 じっと、何かを確かめるように見るのだ。


 最初にそれを口にした時、エマは笑った。


「あなた、親ばかが早すぎるわ」


 そう言われて、私も笑った。

 笑ったが、心のどこかに違和感は残っていた。


 一歳になるころには、本を触りたがるようになった。


 もちろん読めるわけではない。

 だが絵本ではなく、私が机に置いていた領地記録や古い家系書のほうへ手を伸ばす。

 乳母が慌てて取り上げようとすると、ひどく不満そうな顔をしたものだった。


 五歳になるころには、その違和感はもうはっきりしていた。


 大人の会話を聞いている。

 しかも、ただ音として聞いているのではない。意味を取っている。


 ある日の夕食で、家臣の一人が「北倉庫の塩がまた減っておりますな」と軽くこぼしたことがあった。

 その時、隣でスープを飲んでいたリオンが何でもない顔で言った。


「減ってるなら、誰が出したか見ればいいのに」


 食卓が、一瞬止まった。


 もちろん、子どもの口出しだ。

 その場では皆、笑って流した。


 だが私はその夜、妙に寝つけなかった。

 子どもらしい無邪気さというより、話の芯を先に掴む物言いだったからだ。


 庭師が手を抜いていること。

 使用人同士のぎこちない空気。

 家臣の一人が妙に父親らしい顔で私に近づいてくる時と、そうでない時の差。


 リオンは、幼いころからそういうものによく気づいていた。


 頼もしいと思った。

 同時に、少しだけ怖くもあった。


 子どもらしくない、というのは、親にとって必ずしも喜ばしいことばかりではない。

 この子は何を見ているのだろう。

 どこまでわかっているのだろう。


 そう考えることが、一度や二度ではなかった。


 ◇


 私が自分の身体に不安を覚えるようになったのは、リオンがまだ小さい頃からだ。


 元から丈夫な方ではなかった。

 だが、年を追うごとに疲れが抜けにくくなり、冬を越えるたびに何かが削れていく感覚があった。


 領主の仕事は待ってくれない。

 村は季節ごとに問題を起こし、家臣は判断を求め、王都からの書状は遅れた分だけ面倒を連れてくる。


 身体が思うように動かなくなるたび、私は一つの考えを振り払えなくなった。


 ――もしかしたら、リオンが若いうちにこの座を渡すことになるかもしれない。


 それは本来、父として願うような未来ではなかった。

 だが現実として、考えざるを得なかった。


 だからこそ、私はあの子に期待していた。


 賢い。

 落ち着いている。

 人を見る目もあるように見える。


 領地を背負うには、剣の腕だけでは足りない。

 頭が要る。

 耐える力が要る。

 見誤らない目が要る。


 そういう意味で、リオンには確かな素質があると思っていた。


 それだけに――スキル授与の日の落胆は大きかった。


 《綻びの目》。


 神官にその名を告げられた瞬間、私は胸の奥から冷たいものが落ちるのを感じた。


 知っていたからだ。

 そのスキルが、不遇とされてきたことを。


 見えるだけ。

 役に立たない。

 人に疎まれる。

 そういう話ばかりを聞いてきた。


 領地は傾き、私の身体は弱り、ようやく見出した希望の先で、息子が「ハズレ」を引いた。

 あの時の私は、父親である前に、弱った領主だったのだと思う。


 だから、口にしてしまった。


 これでハル家も終わりか、と。


 今でも、あの一言は胸に刺さっている。


 息子は何も悪くない。

 むしろ、自分の力で立つ前の子どもに対して、私は先に膝を折ったのだ。


 あの時のリオンの顔を、私はよく覚えている。

 悲しみも、怒りも、驚きもなかった。


 ただ静かに、何かを決めたような顔をしていた。


 それが後になって思えば、あの子が動き始めた瞬間だったのだろう。


 ◇


 毒のことを聞かされた時、最初は信じられなかった。


 自分は病で弱っているのだと思っていた。

 食が細くなり、身体が重くなり、息が切れる。

 全部、自分の弱さと年齢のせいだと思っていた。


 それを、息子が見抜いた。


 しかも、ただ「おかしい」と言うだけではなかった。

 倉の横流し。

 帳簿の綻び。

 家臣バスクの不正。

 それらが一本につながっているところまで見ていた。


 私が長年そばに置き、頼りにしていた男の裏を、十二歳の息子が先に見抜いたのだ。


 情けなかった。

 悔しかった。

 同時に、救われた。


 あの時、私は初めてはっきり理解した。

 《綻びの目》はハズレではなかった。


 ハズレだったのは、その目の意味を理解できなかった大人たちの方だ。


 リオンは、スキルを授かってから一度も悲観しなかった。

 それどころか、まるで前からそう決めていたかのように、次々と動き始めた。


 北倉庫。

 石切り場。

 北村。

 南村。

 青葉草。

 初荷。

 王都。


 あの子は、一つ綻びを見つけるたび、その先へ進んだ。

 ただ悪を暴くだけではなく、暴いた後にどう立て直すかまで考えていた。


 私はその背中を見ながら、何度も思った。


 私は、本当にこの子の父親なのか、と。


 血筋としてではない。

 器としてだ。


 だが、だからこそ立ち止まるわけにはいかなかった。


 息子が作った流れを、父である自分が絶やすわけにはいかない。


 ◇


 最近は、食卓に並ぶものも少しずつ変わった。


 以前より、まともな肉と野菜が出る。

 南村から届く豆の質も良くなった。

 青葉草で香りをつけた肉料理が出た日には、思わず箸が進んだ。


 侍医は「栄養が戻れば体も応えます」と言った。

 たしかにその通りなのだろう。


 だが私は知っている。

 食生活だけではない。


 領地の流れそのものが少しずつ良くなっているから、私の身体も前よりましになっているのだ。


 人は、食うもので生きる。

 だが、何を背負っているかでも生きる。


 終わる領地の領主でいるのと、立て直し始めた領地の領主でいるのとでは、同じ身体でも重さが違う。


 私は今、ようやくもう一度立てるところまで戻ってきた。


 リオンが、そこまで引き上げた。


 だとしたら次は、私の番だ。


 あの子はいずれ王立学院へ行くかもしれない。

 王都で学び、もっと大きな理を知ることになるだろう。


 それはハル領にとって必要なことだ。

 だが同時に、あの子が領を離れる時間でもある。


 だからこそ、その間に流れを止めないだけの土台を、私が作らなければならない。


 あの子が作ったこの勢いを、絶やさない。

 領主として。

 そして父として。


 窓の外では、北村から届いた青葉草が中庭の一角で干されている。

 風が吹くたび、青い香りが少しだけ執務室まで届いた。


 あの草も。

 石切り場の青輝石も。

 南村の倉も。

 全部、息子が動かした流れの中にある。


 私は椅子からゆっくり立ち上がる。


 まだ、少し足は重い。

 だが以前のように、立つこと自体が億劫ではなかった。


「ガルド様?」


 入ってきた使用人が、少し驚いた顔をする。


「どうされましたか」


「いや」


 私は中庭の方を見たまま答えた。


「今日の帳面をもう一度持ってきてくれ」


 使用人がうなずき、すぐに下がる。


 私にはもう、ただ息子を眺めているだけの時間はない。


 あの子が作った流れを、領地の川に変える。

 細い糸のような変化で終わらせず、誰にも簡単には止められない流れにする。


 それが、今の私の役目だ。


 リオンは確かに、子どもらしくない。

 だが、それでいい。


 あの子が子どもらしくなく立ったのなら、父である私は、父親らしく甘えるのではなく、領主らしく立たなければならない。


 私は小さく息を吐き、胸の奥で一つだけ言葉を固めた。


 ――あの子が作った流れを、絶対に絶やさない。

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