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45歳社長、転生先でハズレスキル「綻びの目」を武器に没落領地を再建する  作者: コバチ
第2章 ハル領の発展

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第28話 王都への誘い

 王都へ向かう荷車は、秋の朝の空気を切るように進んでいた。


 積んでいるのは、北村の青葉草の追加分と、南村で状態を揃えた豆と芋。

 初荷が売れたことで、レティシアの商会からすぐに次の納品の話が来たのだ。


 前の俺なら、たぶん父か使用人に任せていた。

 でも今回は、自分で行くことにした。


 王都へ持っていく品の状態を見たい。

 街道の様子も見たい。

 そして何より、ハル領の品が外でどう扱われるのかを、自分の目で確かめたかった。


「……やっぱり揺れますね」


 ミアが荷車の横を歩きながら、少しだけ眉を寄せる。


「うん。まだだいぶ悪い」


 俺は前方の道を見る。


 屋敷から王都へ向かう街道は、全体としては通れる。

 でもところどころに綻びがあった。


 《左端の轍:沈下》

 《三十歩先:橋板の割れ》

 《下り坂の右側:荷崩れ誘発》


 視界の端に浮かぶ文字を追いながら、御者へ声をかける。


「次の橋、真ん中を通らないで。左の板、割れてる」


 御者の男がすぐに手綱を引いた。


「また見えたんですか、坊ちゃん」


「うん。あと、その先の坂は少し積み直したい」


「助かりますよ。本当に」


 彼は苦笑しながらも、心底ありがたそうに言った。


 前よりずっとわかりやすい。

 ハル領の道は、まだ整っていない。

 でも、綻びが見えるだけで事故はかなり避けられる。


 御者だけじゃない。同行している商人見習いの青年も、何度目かの感嘆を漏らした。


「普通なら、どこで荷が傾くかなんて、実際に崩れてからじゃないとわかりませんからね……」


「だったら、崩れる前に避ければいい」


「それができるのがすごいんですよ」


 そう言われても、できるものはできるとしか言いようがない。


 でも、こういう小さな避け方の積み重ねが、今のハル領には大事だった。

 道が完璧じゃないなら、完璧じゃないなりに回すしかない。


 ◇


 昼を少し過ぎた頃、俺たちは王都へ入った。


 何度見ても、人の多さに圧倒される。

 通りを埋める荷車、馬、歩行者、呼び込み、店先の旗。

 田舎の領地とは空気の濃さが違う。


 レティシアの商会は、表通りから一本入った場所にあった。

 派手ではないが、倉と店舗がきちんと分かれ、出入りする人間も多い。忙しい商会だとすぐにわかる。


「ハル領の荷ですね。お待ちしていました」


 番頭らしい男に案内されて中へ入ると、すぐにレティシア本人が顔を出した。


「思ったより早かったわね」


「うん、街道の綻びが小さいうちに避けられたからね」


「綻び?」


 レティシアは一瞬だけ首を傾げたが、すぐに荷へ目を向けた。


「まあいいわ。見せて」


 彼女は青葉草の束を一本取り、乾き具合と香りを確かめる。

 次に豆袋、芋箱、麦の状態を見る。


 その目つきは相変わらず厳しい。

 でも、今回は初荷の時のような探る感じではなかった。

 最初から、商品として見ている。


「悪くない」


 短くそう言ってから、青葉草の束を戻す。


「前回と同じ水準。束ね方も崩れてない。豆も前より揃ってる」


 ミアが横でほっと息をついた。


「じゃあ……」


「買うわよ」


 レティシアは当然のように言った。


「青葉草は全部。南村の荷も予定通り引き取る」


 やっぱり、継続になる。

 この一言は重い。


 初荷がまぐれじゃなかった証明だからだ。


「ありがとう」


「礼を言うのはまだ早いわ。王都で回るかどうかは、次の先の話だもの」


 そう言いながらも、彼女の口元は少しだけ機嫌が良さそうだった。


 番頭たちが荷を運び始める。

 青葉草の束は奥の乾いた棚へ。南村の荷も、すぐに傷みを見られる場所へ運ばれていく。


 レティシアはその様子を見届けてから、俺に言った。


「納品はこれで終わり。でも、せっかく王都まで来たなら少し休んでいくといいわ」


「休む?」


「この近くにおすすめのカフェがあるの。」


 そう言って、彼女は店の外を顎で示した。


「荷の計算はこっちでやっておくから、戻るまでにまとめておくわ」


 たしかに、ここでじっと待っているより効率がいい。


「じゃあ、少しだけ」



 ◇


 レティシアに教えられた店は、通りの喧騒から少し離れた場所にあった。


 王都のカフェ、というやつらしい。

 木の看板、落ち着いた内装、香ばしい茶葉の匂い。

 客層も市場の喧騒とは違って、声を荒げる者がいない。


 ミアは席に座るだけで少し緊張していた。


「こ、こういうところ、初めてです……」


「俺も今世では初めてだよ」


「“今世では”って、時々変な言い方しますよね」


「気にしないで」


 そう言いながら、出された茶を口に含む。

 香りはいい。少し渋いが、頭がすっきりする。


 その時だった。


「やぁ、リオン君」


 聞き覚えのある低い声に顔を上げる。


 店の入口近くに立っていたのは、ユリウス・ヴァレストだった。


 深い色の外套。静かな目。

 先日の視察以来だが、この人はやっぱり、いるだけで空気が変わる。


 ミアが固まる。


「こ、公爵閣下……」


「座ったままでいい」


 ユリウスはそう言って、俺たちの席の向かいに腰を下ろした。


「納品か」


「はい。追加分をレティシアさんのところへ」


「景気は、あの後も良さそうだな」


 その問いは軽いが、ただの世間話ではない。

 確認だ。


「少しずつですけど」


 俺は答える。


「北村の青葉草は継続で売れそうです。南村の作物も、前よりずっと値がいい。石切り場も今のところ安定してます」


「税収の見込みも上がっている」


「報告、もう見たんですね」


「王都へ出るものは、だいたい私の目にも入る」


 それはそうか。

 この人はそういう立場だ。


 ユリウスはそこで茶を一口飲み、何でもないように続ける。


「王立学院の件は考えたか」


 直球だった。


 ミアがまた固まる。

 俺は苦笑しそうになるのを抑えながら答えた。


「受ける方向で考えています」


「方向?」


「領で王立学院を受けた人が過去にいないので、入試の内容がよくわからないんです」


 ユリウスの目が、ほんの少しだけ細くなる。


「誰も受けたことがないのか」


「はい。少なくとも、うちの記録にはありません」


「なるほど」


 彼は数秒だけ黙り、それから淡々と言った。


「それなら、うちの子と一緒に準備をすればいい」


 一瞬、言葉の意味が入ってこなかった。


「……はい?」


「うちの子も来年の春、王立学院を受ける。今は家庭教師をつけて対策中だ。リオン君も一緒に受ければいい」


 ミアが小さく息を呑む。


 俺も、さすがに少し面食らった。


 いや、ありがたい話なのはわかる。

 でも、公爵家の子どもと一緒に入試対策って、だいぶ話が大きい。


 ユリウスはまったく気にした様子もなく続ける。


「王都に滞在する部屋はこちらで用意できる。食事も学習も困らせることはない」


 さらっと言うが、内容はとんでもない。


 俺は茶杯を置いた。


「……ありがとうございます。すごくありがたいです」


「だが?」


「さすがに、すぐには決められません」


 正直に言う。


「領を離れる話でもありますし、父と母に相談したいです」


 ユリウスは一瞬だけ俺を見た。

 試すような目ではなく、確認するような目だった。


「そうだな」


 思ったよりあっさり頷く。


「なら相談してみるといい」


「はい」


「返事は急がせない。だが、冬の入試まで時間は多くない」


「わかっています」


 そこで会話はいったん切れた。

 でも、不思議と気まずくはなかった。


 むしろ、変な熱さや押しつけがないぶん、この人らしい申し出だと思えた。


 ユリウスは立ち上がる。


「王都へ来るなら、地方のやり方をそのまま持ち込んでも通らない場がある。それを知るだけでも価値はある」


「……はい」


「いい返事を待っているよ」


 それだけ言って、彼は静かに店を出ていった。


 残されたミアが、しばらく固まったまま動かなかった。


「……今の、夢じゃないですよね」


「たぶん現実」


「公爵家の、お、お子様と一緒に……?」


「そういう話だったね」


 ミアは両手で茶杯を持ち上げたまま、呆然としていた。


 俺はというと、ありがたさと、妙な居心地の悪さが半分ずつだった。


 王立学院。

 公爵家で対策。

 今世の年齢からすれば自然な話でも、中身が四十五歳だと思うと、どうにも座りが悪い。


 前世なら、家庭教師をつけてもらう側じゃなくて、費用対効果を考える側だったんだけどな――などと考えて、少しだけ苦笑した。


 ◇


 領へ戻ったのは、翌日だった。


 父ガルドと母エマは、すぐに応接室へ来てくれた。

 初荷の追加納品の結果と、レティシアの継続取引の話を先に報告すると、父は静かにうなずき、母はほっとしたように微笑んだ。


「よかった……」


「これで北村も南村も、次へ進めるな」


「うん」


 そこまでは順調だった。


 問題は次だ。


「あと、もう一つ」


 俺がそう言うと、父がわずかに眉を動かす。


「何だ」


「王都で、ユリウス公爵に会った」


 母が目を丸くした。


「まあ」


「それで、学院の件で話があった」


 そこから、王都の店で会ったこと。

 王立学院の入試を受けるなら、公爵家で家庭教師の対策に加わってもいいと言われたこと。

 部屋も用意できると言われたことを、順番に話した。


 全部聞き終えたあと、父と母はしばらく黙っていた。


 最初に口を開いたのは母だった。


「……本当に、そこまで言ってくださったの?」


「うん」


 母は小さく息を吐いた。


「それだけ、あなたを見込んでるのね」


 父は深く背もたれに体を預けたまま、しばらく天井を見ていた。

 前より顔色がいい。完全ではないが、最近は確かに体調が戻り始めている。


「父上?」


「悪くない話だ」


 低い声だった。


「むしろ、かなり良い」


 そう言ってから、今度はまっすぐ俺を見る。


「リオン。今のハル領は、お前が流れを変えた。だが、その流れを固定するためには、次の力が要る」


「王都の知識と人脈?」


「そうだ」


 母も頷く。


「せっかくの機会よ。学べるだけ学んできなさい」


 俺は少しだけ黙った。


「……でも、領を離れるのは少し気になる」


 それは本音だった。


 流れはでき始めた。

 石切り場も、北村も、南村も、まだ完成じゃない。

 ここで俺が抜けて大丈夫なのかという感覚はある。


 父がそれを聞いて、少しだけ笑った。


「そこまで考えるようになったか」


「そりゃ考えるよ」


「なら言っておく」


 父は指を組み、落ち着いた声で続けた。


「最近、お前のおかげで私の体調は前よりずっと良い」


 母が静かに頷く。


「ええ。本当に」


「今の流れなら、私が止めない。いや、止めさせない」


 父のその言葉には、以前よりもずっと領主としての芯があった。


「お前が作った流れを、今度は私たちが受け継ぐ番だ。だから、お前は次を学んでこい」


 その一言で、少しだけ肩の力が抜けた。


 そうか。

 俺一人で全部を抱える必要はないのか。


 母が優しく言う。


「あなたがいない間も、北村も南村も止めたりしないわ。ミアもいるし、ノルもいるし、お父様も前よりずっと元気よ」


 ミアは急に名前を出されて少し慌てたが、すぐに小さくうなずいた。


「……はい。私も、できることは全部やります」


 その顔を見て、思わず少しだけ笑った。


 たしかに、前よりずっと動ける人が増えている。

 それはハル領が少しずつ変わっている証拠でもある。


「わかった」


 俺はゆっくり言った。


「じゃあ、行く」


 母の表情がぱっと明るくなる。


 父も、今度ははっきりとうなずいた。


「それでいい」


 ◇


 翌朝。

 俺は机に向かい、ユリウス公爵宛ての手紙を書いていた。


 王都での申し出への感謝。

 王立学院の入試まで、ご厚意に甘えさせてもらいたいこと。

 領主家とも相談の上で決めたこと。


 前世では、こういう手紙は何通も書いてきた。

 でも今回は、少しだけ感覚が違う。


 これは仕事の提案書でも、取引先への返答でもない。

 たぶん、次の人生の扉を開けるための一通だ。


 最後の一文を書き終え、封をする。


 窓の外では、秋の風が屋敷の木々を揺らしていた。


 王都。

 学院。

 公爵家。


 正直、まだ座りの悪さはある。

 四十五歳だった自分が、十二歳として受験対策のために公爵家へ世話になるのだから、妙な気分になるなと言うほうが無理だ。


 でも、それでも行く価値はある。


 この領地を守るための次の一手だ。


 俺は封を持ち上げ、待っていた使者へ渡した。


「お願いします」


「承知しました」


 使者が出ていくのを見送ってから、俺は小さく息を吐いた。


 これで、決まった。


 ハル領発展の道はでき始めた。

 次は、その流れを止めないために、俺自身がもう一段上へ行く番だった。

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