第28話 王都への誘い
王都へ向かう荷車は、秋の朝の空気を切るように進んでいた。
積んでいるのは、北村の青葉草の追加分と、南村で状態を揃えた豆と芋。
初荷が売れたことで、レティシアの商会からすぐに次の納品の話が来たのだ。
前の俺なら、たぶん父か使用人に任せていた。
でも今回は、自分で行くことにした。
王都へ持っていく品の状態を見たい。
街道の様子も見たい。
そして何より、ハル領の品が外でどう扱われるのかを、自分の目で確かめたかった。
「……やっぱり揺れますね」
ミアが荷車の横を歩きながら、少しだけ眉を寄せる。
「うん。まだだいぶ悪い」
俺は前方の道を見る。
屋敷から王都へ向かう街道は、全体としては通れる。
でもところどころに綻びがあった。
《左端の轍:沈下》
《三十歩先:橋板の割れ》
《下り坂の右側:荷崩れ誘発》
視界の端に浮かぶ文字を追いながら、御者へ声をかける。
「次の橋、真ん中を通らないで。左の板、割れてる」
御者の男がすぐに手綱を引いた。
「また見えたんですか、坊ちゃん」
「うん。あと、その先の坂は少し積み直したい」
「助かりますよ。本当に」
彼は苦笑しながらも、心底ありがたそうに言った。
前よりずっとわかりやすい。
ハル領の道は、まだ整っていない。
でも、綻びが見えるだけで事故はかなり避けられる。
御者だけじゃない。同行している商人見習いの青年も、何度目かの感嘆を漏らした。
「普通なら、どこで荷が傾くかなんて、実際に崩れてからじゃないとわかりませんからね……」
「だったら、崩れる前に避ければいい」
「それができるのがすごいんですよ」
そう言われても、できるものはできるとしか言いようがない。
でも、こういう小さな避け方の積み重ねが、今のハル領には大事だった。
道が完璧じゃないなら、完璧じゃないなりに回すしかない。
◇
昼を少し過ぎた頃、俺たちは王都へ入った。
何度見ても、人の多さに圧倒される。
通りを埋める荷車、馬、歩行者、呼び込み、店先の旗。
田舎の領地とは空気の濃さが違う。
レティシアの商会は、表通りから一本入った場所にあった。
派手ではないが、倉と店舗がきちんと分かれ、出入りする人間も多い。忙しい商会だとすぐにわかる。
「ハル領の荷ですね。お待ちしていました」
番頭らしい男に案内されて中へ入ると、すぐにレティシア本人が顔を出した。
「思ったより早かったわね」
「うん、街道の綻びが小さいうちに避けられたからね」
「綻び?」
レティシアは一瞬だけ首を傾げたが、すぐに荷へ目を向けた。
「まあいいわ。見せて」
彼女は青葉草の束を一本取り、乾き具合と香りを確かめる。
次に豆袋、芋箱、麦の状態を見る。
その目つきは相変わらず厳しい。
でも、今回は初荷の時のような探る感じではなかった。
最初から、商品として見ている。
「悪くない」
短くそう言ってから、青葉草の束を戻す。
「前回と同じ水準。束ね方も崩れてない。豆も前より揃ってる」
ミアが横でほっと息をついた。
「じゃあ……」
「買うわよ」
レティシアは当然のように言った。
「青葉草は全部。南村の荷も予定通り引き取る」
やっぱり、継続になる。
この一言は重い。
初荷がまぐれじゃなかった証明だからだ。
「ありがとう」
「礼を言うのはまだ早いわ。王都で回るかどうかは、次の先の話だもの」
そう言いながらも、彼女の口元は少しだけ機嫌が良さそうだった。
番頭たちが荷を運び始める。
青葉草の束は奥の乾いた棚へ。南村の荷も、すぐに傷みを見られる場所へ運ばれていく。
レティシアはその様子を見届けてから、俺に言った。
「納品はこれで終わり。でも、せっかく王都まで来たなら少し休んでいくといいわ」
「休む?」
「この近くにおすすめのカフェがあるの。」
そう言って、彼女は店の外を顎で示した。
「荷の計算はこっちでやっておくから、戻るまでにまとめておくわ」
たしかに、ここでじっと待っているより効率がいい。
「じゃあ、少しだけ」
◇
レティシアに教えられた店は、通りの喧騒から少し離れた場所にあった。
王都のカフェ、というやつらしい。
木の看板、落ち着いた内装、香ばしい茶葉の匂い。
客層も市場の喧騒とは違って、声を荒げる者がいない。
ミアは席に座るだけで少し緊張していた。
「こ、こういうところ、初めてです……」
「俺も今世では初めてだよ」
「“今世では”って、時々変な言い方しますよね」
「気にしないで」
そう言いながら、出された茶を口に含む。
香りはいい。少し渋いが、頭がすっきりする。
その時だった。
「やぁ、リオン君」
聞き覚えのある低い声に顔を上げる。
店の入口近くに立っていたのは、ユリウス・ヴァレストだった。
深い色の外套。静かな目。
先日の視察以来だが、この人はやっぱり、いるだけで空気が変わる。
ミアが固まる。
「こ、公爵閣下……」
「座ったままでいい」
ユリウスはそう言って、俺たちの席の向かいに腰を下ろした。
「納品か」
「はい。追加分をレティシアさんのところへ」
「景気は、あの後も良さそうだな」
その問いは軽いが、ただの世間話ではない。
確認だ。
「少しずつですけど」
俺は答える。
「北村の青葉草は継続で売れそうです。南村の作物も、前よりずっと値がいい。石切り場も今のところ安定してます」
「税収の見込みも上がっている」
「報告、もう見たんですね」
「王都へ出るものは、だいたい私の目にも入る」
それはそうか。
この人はそういう立場だ。
ユリウスはそこで茶を一口飲み、何でもないように続ける。
「王立学院の件は考えたか」
直球だった。
ミアがまた固まる。
俺は苦笑しそうになるのを抑えながら答えた。
「受ける方向で考えています」
「方向?」
「領で王立学院を受けた人が過去にいないので、入試の内容がよくわからないんです」
ユリウスの目が、ほんの少しだけ細くなる。
「誰も受けたことがないのか」
「はい。少なくとも、うちの記録にはありません」
「なるほど」
彼は数秒だけ黙り、それから淡々と言った。
「それなら、うちの子と一緒に準備をすればいい」
一瞬、言葉の意味が入ってこなかった。
「……はい?」
「うちの子も来年の春、王立学院を受ける。今は家庭教師をつけて対策中だ。リオン君も一緒に受ければいい」
ミアが小さく息を呑む。
俺も、さすがに少し面食らった。
いや、ありがたい話なのはわかる。
でも、公爵家の子どもと一緒に入試対策って、だいぶ話が大きい。
ユリウスはまったく気にした様子もなく続ける。
「王都に滞在する部屋はこちらで用意できる。食事も学習も困らせることはない」
さらっと言うが、内容はとんでもない。
俺は茶杯を置いた。
「……ありがとうございます。すごくありがたいです」
「だが?」
「さすがに、すぐには決められません」
正直に言う。
「領を離れる話でもありますし、父と母に相談したいです」
ユリウスは一瞬だけ俺を見た。
試すような目ではなく、確認するような目だった。
「そうだな」
思ったよりあっさり頷く。
「なら相談してみるといい」
「はい」
「返事は急がせない。だが、冬の入試まで時間は多くない」
「わかっています」
そこで会話はいったん切れた。
でも、不思議と気まずくはなかった。
むしろ、変な熱さや押しつけがないぶん、この人らしい申し出だと思えた。
ユリウスは立ち上がる。
「王都へ来るなら、地方のやり方をそのまま持ち込んでも通らない場がある。それを知るだけでも価値はある」
「……はい」
「いい返事を待っているよ」
それだけ言って、彼は静かに店を出ていった。
残されたミアが、しばらく固まったまま動かなかった。
「……今の、夢じゃないですよね」
「たぶん現実」
「公爵家の、お、お子様と一緒に……?」
「そういう話だったね」
ミアは両手で茶杯を持ち上げたまま、呆然としていた。
俺はというと、ありがたさと、妙な居心地の悪さが半分ずつだった。
王立学院。
公爵家で対策。
今世の年齢からすれば自然な話でも、中身が四十五歳だと思うと、どうにも座りが悪い。
前世なら、家庭教師をつけてもらう側じゃなくて、費用対効果を考える側だったんだけどな――などと考えて、少しだけ苦笑した。
◇
領へ戻ったのは、翌日だった。
父ガルドと母エマは、すぐに応接室へ来てくれた。
初荷の追加納品の結果と、レティシアの継続取引の話を先に報告すると、父は静かにうなずき、母はほっとしたように微笑んだ。
「よかった……」
「これで北村も南村も、次へ進めるな」
「うん」
そこまでは順調だった。
問題は次だ。
「あと、もう一つ」
俺がそう言うと、父がわずかに眉を動かす。
「何だ」
「王都で、ユリウス公爵に会った」
母が目を丸くした。
「まあ」
「それで、学院の件で話があった」
そこから、王都の店で会ったこと。
王立学院の入試を受けるなら、公爵家で家庭教師の対策に加わってもいいと言われたこと。
部屋も用意できると言われたことを、順番に話した。
全部聞き終えたあと、父と母はしばらく黙っていた。
最初に口を開いたのは母だった。
「……本当に、そこまで言ってくださったの?」
「うん」
母は小さく息を吐いた。
「それだけ、あなたを見込んでるのね」
父は深く背もたれに体を預けたまま、しばらく天井を見ていた。
前より顔色がいい。完全ではないが、最近は確かに体調が戻り始めている。
「父上?」
「悪くない話だ」
低い声だった。
「むしろ、かなり良い」
そう言ってから、今度はまっすぐ俺を見る。
「リオン。今のハル領は、お前が流れを変えた。だが、その流れを固定するためには、次の力が要る」
「王都の知識と人脈?」
「そうだ」
母も頷く。
「せっかくの機会よ。学べるだけ学んできなさい」
俺は少しだけ黙った。
「……でも、領を離れるのは少し気になる」
それは本音だった。
流れはでき始めた。
石切り場も、北村も、南村も、まだ完成じゃない。
ここで俺が抜けて大丈夫なのかという感覚はある。
父がそれを聞いて、少しだけ笑った。
「そこまで考えるようになったか」
「そりゃ考えるよ」
「なら言っておく」
父は指を組み、落ち着いた声で続けた。
「最近、お前のおかげで私の体調は前よりずっと良い」
母が静かに頷く。
「ええ。本当に」
「今の流れなら、私が止めない。いや、止めさせない」
父のその言葉には、以前よりもずっと領主としての芯があった。
「お前が作った流れを、今度は私たちが受け継ぐ番だ。だから、お前は次を学んでこい」
その一言で、少しだけ肩の力が抜けた。
そうか。
俺一人で全部を抱える必要はないのか。
母が優しく言う。
「あなたがいない間も、北村も南村も止めたりしないわ。ミアもいるし、ノルもいるし、お父様も前よりずっと元気よ」
ミアは急に名前を出されて少し慌てたが、すぐに小さくうなずいた。
「……はい。私も、できることは全部やります」
その顔を見て、思わず少しだけ笑った。
たしかに、前よりずっと動ける人が増えている。
それはハル領が少しずつ変わっている証拠でもある。
「わかった」
俺はゆっくり言った。
「じゃあ、行く」
母の表情がぱっと明るくなる。
父も、今度ははっきりとうなずいた。
「それでいい」
◇
翌朝。
俺は机に向かい、ユリウス公爵宛ての手紙を書いていた。
王都での申し出への感謝。
王立学院の入試まで、ご厚意に甘えさせてもらいたいこと。
領主家とも相談の上で決めたこと。
前世では、こういう手紙は何通も書いてきた。
でも今回は、少しだけ感覚が違う。
これは仕事の提案書でも、取引先への返答でもない。
たぶん、次の人生の扉を開けるための一通だ。
最後の一文を書き終え、封をする。
窓の外では、秋の風が屋敷の木々を揺らしていた。
王都。
学院。
公爵家。
正直、まだ座りの悪さはある。
四十五歳だった自分が、十二歳として受験対策のために公爵家へ世話になるのだから、妙な気分になるなと言うほうが無理だ。
でも、それでも行く価値はある。
この領地を守るための次の一手だ。
俺は封を持ち上げ、待っていた使者へ渡した。
「お願いします」
「承知しました」
使者が出ていくのを見送ってから、俺は小さく息を吐いた。
これで、決まった。
ハル領発展の道はでき始めた。
次は、その流れを止めないために、俺自身がもう一段上へ行く番だった。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
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